2005/6/3

山田和夫の反戦ドキュメンタリーの紹介文  映画

*「映画人9条の会」事務局ニュースに、山田和夫の文章が掲載。
必ずしも好きな評論家ではないけど、いろいろ作品を紹介していて参考になるので転載。

(以下、転載)
●ドキュメンタリーの力強い挑戦
       山田和夫(映画人九条の会呼びかけ人・映画評論家)

◇「Marines Go Home」
 沖縄名護島の辺野古。その美しい海にボーリングを打ち込み、新しい米軍基地を建設しようとする防衛庁施設局。その建設準備を阻んでたたかう住民たちのたたかいは400日を越えた。その新聞記事を読んで、私はつい最近見た藤本幸久監督のドキュメンタリー「Marines Go Home 辺野古・梅香里・矢臼別」(北海道AALA連帯委員会)のイメージがダブった。
 まさにその辺野古の海で、ボーリング用の鉄枠にしがみつき、調査開始を許さぬ住民たちの不屈の顔がそこにあった。そして映画は韓国の海岸・梅香里(メヒャンニ)で米軍射爆場の閉鎖と損害賠償をかちとった漁民たち、北海道矢臼別の原野にある自衛隊演習地に40年も居座って放牧を続ける農民がいる。その矢臼別には毎年沖縄から米海兵隊が実弾演習にやってくる。題名の「海兵隊帰れ!」の叫びは、日本列島の北から南まで、そして隣の韓国でも響きわたる。
 日本映画人のひるむことなき創造のたたかいは、いまとりわけドキュメンタリーの世界で大きく前進している。

◇「にがい涙の大地から」と「リトルバーズ」
 NHKから独立した女性ドキュメンタリスト、海南友子監督は「にがい涙の大地から」を自主制作、いまも日本軍が遺棄した砲弾や毒ガスに苦しむ中国民衆の実像に迫った。登場人物たちは集団で日本政府を訴え、損害賠償を求めた。第一審は勝利したが、その4日後、政府は判決を不服として控訴した。長い療養生活や働き手を失った生活苦は、もう耐えられないところまできていたのに、日本政府の仕打ちには、当事者とともに怒りを共有せざるを得ない。
 日本があの侵略戦争で何をしたか、何をしつづけているか、私たちがなぜ憲法9条を守ろうとするのか、この映画は私達に問いかけて止まない。7月27日、映画人九条の会の次回企画として、この映画の上映と海南監督の講演を決めたのも、偶然ではない。
 綿井健陽監督の「リトルバーズ〜イラク 戦火の家族たち」は、イラク戦争をイラク国民の目線で見つづける。カメラは常に彼らの側にあり、いわゆる「従軍報道」のテレビカメラのように、米軍の側にはない。ナレーションや音楽を排し、生の音声だけを活用した客観的冷静さの中に、幼い子どもたちを無惨に殺されたイラク人の悲しみと怒りがにじみ出る。そして日本の陸上自衛隊がイラクで何をしているのか?を、さめた眼で見すえる。こうしたイラク戦争を支援する日本に生きる私たちは、いま何をすべきだろうか?

◇憲法9条を守るたたかいとともに
 日本在住の米人映像作家ジャン・ユンカーマンは、9.11の同時多発テロ直後、ノーム・チョムスキー教授の発言を追うドキュメンタリーをつくり、映画人九条の会結成と同時に会員となった。そしてユニークなドキュメンタリー「映画日本国憲法」で憲法を守るたたかいに新しい創造で加わった。ジョン・ダワーやチャルマーズ・ジョンソン、ノーム・チョムスキーやベアテ・シロタ・ゴードンら、米知識人や、韓国、中国の学者、文化人を登場させ、日本国憲法、とくに第9条のもつ世界的意義をそれぞれの自分の言葉で語りかける。とくにジョンソンの「第9条は日本のアジア諸国への謝罪だった」の発言が胸に痛い。日本の支配層は平然とその「謝罪」を放棄しようとしている。
 憲法9条を守る運動は、2004年6月、日本の代表的な知性9人の「憲法九条の会」発足が起爆剤となった。9人の人たちは全国各地で講演会を開き、例外なく空前の大成功を収め、全国各地域と各分野における「九条の会」結成を大きく促進した。その講演をカメラで追い、講演にまだ参加していない梅原猛氏のインタビューを加え、森康行監督の「9nine――憲法9条は訴える!」が完成した。9人の方の発言が持つ力は言うまでもないが、映画のはじめと終わりに出るコメディアン、松元ヒロによるパフォーマンスが痛烈でたのしい。


 日本電波ニュース社が造船や重機の労働者とともに製作した「軍需工場は、今」(監督小林アツシ)は、軍事大国化に狂奔する“死の商人たち=巨大軍需資本”の実態と、その職場で不屈にたたかう人びとの素顔を伝え、「ヒバクシャ―世界の終わりに―」をつくった鎌仲ひとみ監督は、核廃棄物処理の危険を追求した「六ヶ所村ラプソディ」の撮影を続け、中間報告としてビデオレター2部を出している。
 また反核の願いを込めたものに、「我が子の魂〜人形達と生きた60年」(監督林雅行、製作クリエイティブ21)がある。長崎の原爆で4人の子どもを失った夫妻が、60年間なきこの面影を追って市松人形を探し求めた。あつめた80体の美しく愛すべき人形の表情が、何よりも感動的だった。
 もう一つ、私自身も証言者の1人となった「時代(とき)を撃て・多喜二」(監督池田博穂)も忘れられない。命がけで権力に立ち向かい、侵略戦争に反対して殺された小林多喜二の生涯は、決して過去の物語ではない。ここにもドキュメンタリーの力がある。 (2005年5月28日)
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2005/6/3

山根貞男『オペレッタ狸御殿』評  映画

昨日の朝日新聞夕刊の山根貞男、『オペレッタ狸御殿』評がまとまっているので転載。


(以下、転載)
 あまりに強烈な映画魔術の連続に、心底ぶったまけて、面白がるのを忘れてしまう。妙な言い方だが、そんな映画である。
 監督は鈴木清順。摩訶不思議な映画を撮ることで世界的に名高いが、独特の作風がより過激になった。
 何しろ狸と人間が恋に落ちる話で、それを歌と踊りのミュージカル仕立てで描く。最新のデジタル技術をふんだんに使って。
 鈴木清順は青年時代に狸御殿映画を見て、いつか自分で撮りたいと念じてきた。これでは、奔放な映画的想像力が途方もない勢いで羽ばたくのは、当然であろう。
 主演は国際的に活躍する中国女優チャン・ツィイーと、日本のホープ、オダギリジョー。じつに見ものの共演で、唐の国から狸御殿に招かれた狸姫と、お城の若様にふんして、華やかに歌い踊り、禁じられた狸と人間の恋を繰り広げていく。
チャン・ツィイーのたどたどしい日本語と美しい歌声も魅力的だが、オダギリジョーの伸びやかな歌唱力が素晴らしい。
 ふたりを取り巻く世界が目を奪う。水墨画、金箔絵画(たぶん尾形光琳)、 レオナルド・ダ・ビンチなど、古今東西の絵が引用されるほか、狸御殿は能舞台、城のシーンは演劇の舞台そのままと、何でもありなのである。しかも、鈴木清順の魔術にかかれば、ロケによる満開の桜や海も、CGを駆使した画面も、作り物のセットも区別がつかない。
 こんな世界のなか、狸御殿の乳母の薬師丸ひろ子が涼しい顔で歌い、息子の美貌に嫉妬して殺そうとする城主の平幹二朗と百歳の老婆の由紀さおりが怪演怪唱し、狸御殿の人々がにぎやかに踊る。そのあげく、なんと、美空ひばりがデジタル出演(!)し、あのつややかな声で新曲を歌う。
 世界広しといえども、こんな超絶幻想スペクタクル映画を、鈴木清順以外の誰が撮るだろう。
(山根貞男・映画評論家)
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