2005/7/6

フィルムノワールについて(整理)  映画

他の掲示板で「フィルムノワール」の話になり、まとめたものです。

フィルムノワ−ルについては、『フィルムノワールの光と影』(エスクァイア マガジン ジャパン)という本に詳しいです。
そこから要約すると、
フランス語で「闇の映画」「暗黒映画」という意味で、フランスの映画雑誌『レクラン・フランセ』1946年8月号でニーノ・フランクが使用したのが最初と言われます。
フランクがフィルムノワールとしてあげたのは
『マルタの鷹』(ジョン・ヒューストン、1941)、『欲望の果て』(エドワード・ドリミンク、44年)、『ローラ殺人事件』(オットー・プレミンガー、44年)、『飾窓の女』(フリッツ・ラング、44年)の4本。
この時期、フランスで連続的に公開されたアメリカ映画で、いずれも探偵、刑事の男をたぶらかす悪女が登場する犯罪ものです。
その後、1955年に、フランスでレーモン・ボルド、エティエンヌ・ショームトンの共著『アメリカのフィルムノワ−ル展望』が刊行されます。
ここではフランクの挙げた作品に加え、『拳銃貸します』(フランク・タルト、42年)、『深夜の告白』(ビリー・ワイルダー、44年)、『殺人者』(ロバート・シオドマク、46年)、『ギルダ』(チャールズ・ヴィダー、46年)、『三つ数えろ』(ハワード・ホークス、46年)、『湖中の女』(ロバート・モンゴメリー、47年)などを挙げました。
これらの作品の共通項は以下のものだそうです。
*悪夢的で、異様で、エロティックで、アンビヴァレントで、残忍な性質を持つ。
*犯罪(恐喝、告発、窃盗、麻薬取り引き)があり、登場人物の死で終わる。

さらに『アメリカのフィルムノワ−ル展望』では、フィルムノワールは、「クライム・ドキュメンタリー」と呼ばれるアメリカ製犯罪映画とは別物であるとされました。この本でクライム・ドキュメンタリーとして挙げられたのは、
『Gメン対間諜』(ヘンリー・ハサウェイ、45年)、『影なき殺人』(イーリア・カーザン、47年)、『出獄』(ヘンリー・ハサウェイ、48年)、『裸の町』(ジュールズ・ダッシン、48年)、『ニューヨーク港』(ラズロ・ベネデク、49年)、『暗黒の恐怖』(イーリア・カーザン、50年)。
クライム・ドキュメンタリーとフィルムノワ−ルの違いは以下のものと分析されています。
*殺人を外側(警察官)の視点から描くのがクライム・ドキュメンタリーであり、内側(犯罪者)の視点から描くのがフィルムノワ−ルである。
*道徳的決定論の有無。クライム・ドキュメンタリーの主人公(捜査官)たちは神を信じ、正義が行われるのを見届けるために仕事をするが、フィルムノワ−ルにあっては主人公が警官であっても彼らは腐敗しており、そのため法社会と暗黒街の中間にいる私立探偵がしばしば主人公となり、さらには犯罪者が主人公となる場合もある。「犯罪は引き合わない」という古くさいモットーが未だにいきてはいるものの、観客たちは犯罪者に同情し、同化する。

フィルムノワールの特徴であるあやふやさは、登場人物自身の両義性の中にも明らかに認められると『アメリカのフィルムノワ−ル展望』は分析します。
そして、女性を取り巻くあいまいさ。「ファム・ファータル」とは「欲求不満で、倒錯的で、半ばは略奪者、半ばは犠牲者、超然としているけれども誘惑的で、犠牲者を自ら罠に陥れる」。
さらに、フィルムノワ−ルの特徴がいくつか、述べられます。
*暴力の主題の修復(公正なる決闘という冒険映画の慣習の捨象)ー犯罪それ自体はプロの集団によって遂行されたり、「怒りも憎しみもなく」己の仕事を行う殺し屋によって遂行されたりする。
*奇妙なプロットのねじれに由来する不安ーたとえば、私立探偵はいかがわしい仕事を引き受ける、女を探し出し、ゆすりを無視し、何者かの追跡をかわし、突然何体かの死体が彼の行く手に散在する。情報を求め、縛り付けられている自分と血まみれになった地下倉の床に気付く。夜闇の中におぼろげに見える男たちが彼に向かって銃を撃ち、逃げ去る。・・
*動機の曖昧さ
*フィルムノワールのあらゆる構成要素は幾つかの慣例(アクションの論理的発展、善と悪の明確な区別、すぐそれとわかる登場人物たち、はっきりとした動機、より華やかで真に激しい場面、美しいヒロインと誠実なヒーロー)に馴染んでいるためにもはやおなじみの参照点をみつけられなくなった観客の頭を混乱させる。
*代わりに観客は、魅力ある殺人者や腐敗した警官たちのいる、どっちつかずの暗黒街を示されている。善と悪とが区別できなくなる地点にまで進んで行く人物造形やプロット。(強盗たちは普通の人間になる、犠牲者は単に自らの仕事を遂行しているだけの殺し屋と同じだけ有罪である、ヒロインは堕落していて麻薬を服用してたり酔っぱらっている、筋立ては混乱していて動機が不明瞭である、など)
*結論として、道徳的両義性、犯罪性、動機と結果の複雑な矛盾、すべてが観客に、現代のフィルムノワールの真の感情である苦悩と不安を共に体験させることになる。心理的参照点がなくなったとき、その緊張状態は観客にしみ込んでいく。
(以上)
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