2005/7/11

『埋もれ木』  映画

『埋もれ木』
ホラー映画でよくホラーとしての枠から逸脱していて、その逸脱したところが妙に味わいがあって面白い作品がある。しかし、それはあくまでも基本的なストーリーはホラーとして成立しているからこそ、逸脱しているところが面白く思えるのだと思う。
小栗康平監督のこの『埋もれ木』という作品に根本的に乗れないのは、村に眠る精霊に関するエピソードをはじめ、ホラーとしての要素がちりばめられているのに、小栗監督は通俗的なホラーとか、人を恐がらせることに全く興味がないのか、ただただ不思議な要素がちりばめられるばかりでホラーにはならないからなのだ。ストーリーの中心になる幹がなく、「妙な味わい」の部分ばかりがちりばめられている印象なのだ。興味を持てるシーンはあるのだけど、結果としてとりとめのない印象の作品になってしまっているように思う。
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2005/7/11

新しい国立追悼施設をつくる案には反対する(続き)  時事問題

前の投稿で、「新しい国立の平和祈念の追悼施設をつくるという案には反対します。」「なぜかというと、なんのためにつくるのかが不明瞭だからです。」と書いたのですが、もしかしたらこの書き方では、「靖国神社をなくし、新しい国立追悼施設をつくるのでなければなんのために新しい国立追悼施設をつくるのかが不明瞭である」→「すなわち、kusukusuは靖国神社を廃止するべきだと言いたい」という風に受け取られるかもしれないことに気付きました。それは僕の意図するものではないので、念のために補足します。
むしろ、僕は新しい国立追悼施設をつくることが靖国神社廃止につながらないかを危惧する者です。現在の日本政府のひとつの案として出ている新しい国立追悼施設をつくる構想は、靖国神社と両立させるものとしてつくるものであり、靖国神社廃止の考えはないものとは思いますが、日本側は両立させるものという意図でも、新しい国立追悼施設をつくったなら中国、韓国側はそうしたものが出来たならば靖国神社は廃止するべきだと要求してくる可能性があるかと思います。このことを僕は危惧するわけで、靖国神社があるのになぜ別に新しい国立追悼施設をつくる必要性があるのかがよく分からないまま、そうした施設をつくるのはどうだろうかということを言いたいわけです。

僕が考えた限りでは、やはり靖国神社がA級戦犯を分祀するのが日本の対応としてはいいように思えます。
しかし、日本政府が靖国神社に要請してA級戦犯を分祀させるのは政教分離に反するとも考えられるので、靖国神社自身が主体的にA級戦犯を分祀するという形がいいかと思います。靖国神社の教義では本来、分祀は出来ないようですので、特例としてそれを行なうのなら、やはり靖国神社自身が主体的に特例を認める形でないとおかしいような気もします。
また、日本政府が靖国神社に要請してA級戦犯を分祀させる、もしくは、首相が靖国神社参拝をやめる、というのは、中国政府の要請に日本政府側が折れたという形になることはたしかです。そのことをさけるためにも、靖国神社自身がA級戦犯を分祀することがもし可能ならばそれがいい形の解決策のように思えるのですが。

なお、靖国神社がA級戦犯を分祀するというのは、「東京裁判を否定する」と考える人を否定するものではないと思います。あくまで、「東京裁判を否定する」という考えに賛同する人も、賛同しない人もともに心理的なとまどいを感じずに靖国神社に参拝できるようにする、ということを意図して分祀を行なうのがいいのではないかと考えます。
A級戦犯を分祀して、靖国神社本体とは別にA級戦犯を祀った碑などを建立して、そこを訪れたい人が訪れるのは自由とするのがいいのではないかと思います。また、資料館などで東京裁判の内容を検証する展示を行なうのも自由かと思います。展示を見直す必要はないものと僕は考えます。

また、靖国神社がA級戦犯を分祀したり、もしくは、首相が靖国神社参拝をやめたりしたら、中国側の要求を飲んだことになり、すると次々と出て来る中国側の要求を飲まされることになるのではないかということを危惧する方もいますが、僕は、靖国神社がA級戦犯を分祀するなり、首相が靖国神社参拝をやめるなりしても中国側が別の要求をしてくるとは思いますが、それに対しては日本が戦争責任をすでに果たしているということを明快に主張として打ち出し、飲まないようにするべきかと考えます。
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