2005/7/17

教科書採択反対運動はどこまでするべきものなのか?  時事問題

先日、「つくる会」教科書の採択反対運動をしている方に会った際、内容に反対だったとしても教科書採択反対運動までするのは行き過ぎではないか?、それは自分と異なる「言論の自由」を認めないことになってしまわないか?と話したところ、いや、「こうした教科書を採用しないでください」という意見を投書したり署名活動で表明したりすることは「言論の自由」として認められているものであり、それは「つくる会」の人達の「言論の自由」を侵害しているものだとは言えないのではないか?と反論されました。
そう言われると、たしかに「こうした教科書を採用しないでください」という意見を述べること自体はそれもまた「言論の自由」として認められるものかとは思うので、教科書採択反対運動をするべきではないと言うことも出来ないことなのかもしれません。その点は相手の言うことを認めるしか、なかったので、こちらから再反論は出来ず、その場の議論はそこで止まってしまいました。
でも、自分としては釈然としない気持ちも残ったので、こうした採択反対運動は、どこまでするのが「行き過ぎ」であり、また「行き過ぎ」とは言えないものなのかを自分なりに考えてみました。(また例によって優柔不断などっちつかずの論考になってしまっているかもしれませんが。)

まず一部の報道であるような、「つくる会」教科書を採択しようとする教育委員会に脅迫めいた電話や投書があったということについては、あきらかに行き過ぎのものだと思います。こうした行為は一部の過激な人達によるものであり、教科書採択反対運動をしている人達の大多数がこのような脅迫めいた行為をしているわけではないものとは思いますが。
また、ろぐさんのブログの以下の記事(*1)にあるような、夕張市議会議員のくまがい桂子氏が教育委員の個人名を晒したというのも行き過ぎかと思います。

*1
http://adoruk626.seesaa.net/article/5141436.html

なぜかというと、個人名を晒すことは、個人攻撃やプライバシーの侵害に結び付く危険性があるかと思うからです。
たしかに、「こうした教科書を採用しないでください」という個人の意見を表明することは自由かと思いますが、脅迫や個人攻撃、あるいはたとえば、この先、実際に「つくる会」教科書で授業をしている教師に対してそうした授業をするなと抗議するなどということになっていったならば、それは行き過ぎであるように思います。

僕は、基本的にはどの教科書を使って授業をするかは現場の教育委員会や教師の判断にまかせるのがいいのではないかと思います。現場の授業内容について外部から圧力と思えることを加えるのはどうなのでしょうか?
たしかに教科書採択反対運動をすることもまた「言論の自由」として認められるものかとは思いますが、僕自身は教科書採択反対運動をするつもりはなく、署名を求められてもしません。それは僕がその教科書の内容に賛同しているからではなく、自分が賛同するか、反対であるかとは関係なく、現場の人達が自主的に判断するのにまかせるべき筋合いのことであるかと考えるからです。
従って、現場の人間ではない市民団体などが行なう教科書採択反対運動は自分としては支持しません。ただし、そうした市民団体が、「つくる会」教科書に対抗して、自分達の歴史観を示す教科書を模範としてつくろうとして、たとえば中国や韓国の研究者と共同でサンプルをつくるといったことをしているようですが、他の人達が作った教科書を採択するなと反対運動をするのではなく、自分達の理想とする教科書をサンプルとしてつくっていこうという形の運動ならば、それはひとつの運動のやり方としてありかなと思います。

また、たとえば日教組の現場の教師が、「つくる会」以外の教科書を使いたいのに教育委員会から「つくる会」教科書を使うように指導されているのに対して異議を出し、自分が使いたい教科書を使わせてほしいと訴えるのは、これは外部の市民団体などが抗議するものとは話が違うかと思うので、そうした限りにおいてならば運動はありかとは思います。
もちろん、逆に「つくる会」教科書を使いたいという現場の教師が教育委員会が「つくる会」教科書を採択してくれないので使えないことに抗議して運動するのも同様にありかと思います。
つまり、外部の市民団体が現場に圧力をかけるような運動には疑問を感じますが、現場の教師が教育委員会に対して、もっと教師個々に使いたい教科書を使えるようにしてほしいと運動をする限りにおいてはそれなりに正当性がある運動であるように僕には思えます。

ただ微妙なのは、今後、「つくる会」教科書を教育委員会が採択し、その教科書を使いたくないと反発してほかの教科書を使って授業を行なう教師が出てきた場合でしょうか?
僕としては、自分がより望む授業をするために理想とする教科書を使いたいと考える現場の教師の意志を尊重したいという気持ちはありますが、現行の制度では教育委員会が教科書を選択する形になっているわけで、それに問題を感じるならまずその制度を変えようという運動をするしかなく、現行制度を無視してほかの教科書を使うことを強行するのはどうなのだろうかという疑問も感じます。
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