2005/8/29

「教え方」をどうするかこそ議論すべきなのでは  障害者問題・教育問題

日本の子供たちが学力低下しているので全国一律学力テストが復活するという話が出てきていて、学力テストはいいか悪いかという議論があるようだけど、どうもこういう議論は問題の本質を逸れてしまっている議論のような気がしてしまう。
僕が思う、肝心な問題の本質とは、子供たちの学力が低下しているのは教師の「教え方」の工夫が足りないところがあるからではないか、今の子供たちにもっと伝わるようにするにはどのような「教え方」をすればいいのだろうか?ということである。
本当は、そこのところこそ、文部省と現場の教師が一緒になって議論を交わし、そして具体的なよりよい今の子供たちへの「教え方」を考えて行くことが必要なのではないだろうか?と思う。
たとえば、今の子供は数学が出来なくなっているらしいが、これは小学校低学年の段階で数字などを概念的に把握できなくなっている傾向があるからだという。おそらくテレビ、インターネットが発達したビジュアル時代の影響もあるのだろうが、抽象的な概念の把握力が落ちているのではないだろうか? そうした今の子供たちに数学を教えるには、ビジュアル的に具体的なものを示して教えるといった「教え方」の工夫が必要になってくるのではないだろうか?
つまり、肝心なのは、今の子供たちに分かりやすい「教え方」の工夫を編み出して行くことではないかと思うのである。
僕は全国一律学力テストを復活させることに特に反対ではないけれども、学力テストをただ復活させたからといって、学力低下がふせげるわけではないと思う。問題は、学力テストを行った結果をどのように「教え方」の実践に生かしていくかということである。たとえば、学力テストを行った結果、ある小学校で特別、数学の平均点が良かったとする。それはその小学校の教師の「教え方」が工夫されていて上手いものであるためだったならば、そのような「教え方」を文部省が把握して、全国の他の教師たちに伝えて行く。こうした実践において、学力テストをする意義が出てくるのだと思う。
そのような実践に結び付けないで、学力テストはやるべきなのか、かえっていたずらに競争を招くものだからやらないほうがいいのか、と議論をしていても始まらないのではないだろうか?
どうも、文部省関連の教育の議論は

・学力テストをやるのがいいのか、悪いのか?
・「ゆとり教育」はいいのか、悪いのか?
・授業時間数を増やすのがいいのか、悪いのか?
・30人学級にするのがいいのか、悪いのか?

といった議論をするばかりで、学力テストをやるならそれをどう教育の実践に生かして行くのか、「ゆとり教育」をやるならそれをどう教育の実践に生かして行くのか、30人学級にするならどういう教え方にするのか、といった議論に繋がって行っていない気がするのだ。そういう「教え方」の実践の具体的な議論へと繋がって行かないのならなんのための議論なんだかがよく分からなくなってしまうのではないだろうか。
たとえば、30人学級にするメリットは、ひとりひとりの子供に懇切丁寧に教えられる可能性を持つということだろう。しかし、30人学級にしても、40人学級の時と全く同じように教師が教壇から講義をしているのならばひとりひとりの子供の理解はなんにも変わらない。ただ40人を30人にしてもそれだけでは何も違わないのである。30人にするなら「教え方」を変えてこそ、30人にする意味合いが出てくるのだ。だから、「教え方」をどう変えて行くのかを議論しないで、30人学級にするのがいいかどうかを議論していても仕方がないと思うのだ。

以上は、教育に関して全く素人の人間が勝手に考えたものである。
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2005/8/29

『シャーリー・テンプル・ジャポンpart2』  映画

『シャーリー・テンプル・ジャポンpart2』
(池袋シネマロサでレイトショー)
初めて見る冨永昌敬監督作品。こりゃ、型破りな作品。でもどうせインディーズ映画ならこれぐらい、型破りにやってくれなきゃ、面白くないですよねえ。

文字(字幕、台詞)やバックに流れる音が暴力的とも思えるものなのに対して、映像はフィックス中心で極力、カメラが動かない長回しで、映像と文字、音がこの映画においては乖離しているのかもしれない。黒沢清監督の作品とちょっと通じるところがあるのだろうか。黒沢清もこの冨永昌敬も暴力的な衝動性をはらむ作品を撮ろうとしているように思うのだけど、なぜ映像は暴力的にパンクに繋がないのか? それは映像というものは特定の空間、時間を限定してとらえるものなので、暴力的な衝動性ということでは空想を広げられる「文字」の世界にかなわないところがあるからではないだろうか? 本当に暴力シーンを撮ったり、暴力的なカット繋ぎをしたとしても、言葉の暴力性にはかなわないのだ。だから言葉の暴力性に対抗し、映像を印象に残すものにするためには、逆にフィックスでじーと撮る方向に行くのではないだろうか。
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2005/8/28

再度、Big Bangさんへ  

再度、トラックバックして頂き、有難うございました。
しかし、こちらのパソコンでは貴ブログを開こうとすると必ずエラーを起こしてしまい、そのため、残念ながらこちらからは貴ブログにアクセスすることは出来ず、トラックバックして頂いた文章も読むことが出来ない状態です。
もしかしたらこちらのパソコンの技術的な問題かもしれませんが、その旨、お断りしておきます。
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2005/8/28

『ドキュメンタリー作家の仕事』  映画

『ドキュメンタリー作家の仕事 ーリアリティを探せ!ー』横田安正(フィルムアート社)
本屋でふと手にして立ち読みしたらあまりの面白さに買ってしまう。
観念的な理屈ではなく、具体的に「ドラマ」とは異なる「ドキュメンタリー」を撮る上で実に参考になりそうな本だ。
著者がドラマの演出家からドキュメンタリーに転じた人で、ドキュメンタリーはドラマのようなストーリー主義の方法論ではダメだとそれまでの方法論を捨てて、すべてを1からやり直して独自の方法論を築いた人だからこそ、説得力を持つのだろうか。
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2005/8/26

『ハッカビーズ』  映画

『ハッカビーズ』
デヴィッド・O・ラッセル監督は1958年生まれ。ルーカス・ムーディソン監督の『エヴァとステファンとすてきな家族』と並んで、70年代のヒッピー文化の思想の影響とそうしたものへのオマージュが伺える作品だが、自分探しのドタバタをあくまで軽いタッチのコメディで描いてみせているので個人的には楽しめる。「環境問題」の馬鹿馬鹿しさをコメディで描くあたりもかなりノリノリで見れたし、こういう哲学的テーマの「自分探し」の話を暗いタッチでなく底抜けの軽いタッチで描けるだけで感心してしまうなあ。
あと突発的に思いがけぬことを起こす演出がうまいのではないだろうか。ジェイソン・シュワルツマンとイザベル・ユペールの泥だらけのセックスシーンとか。ジュード・ロウのコメディ演技は当然だけど、ダスティン・ホフマンやイザベル・ユペールの意外なコメディ演技は妙におかしいし。
ただ難点を言えば恋愛部分が弱すぎるというか、恋愛面の心の移り変わりが省略されていてさっぱり分からない。まあ、突発的な展開のアイデアにセンスがある監督なのでそうした面を省略してしまうのは仕方がないのかもしれないが、そこが描けていればもっと印象に残る作品になったかもしれない。
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2005/8/25

「郵政民営化」と日本のムラ社会  時事問題

これまで何度か、書いてきたように、そもそも「郵政民営化」の法案自体が問題点が多いもので、もっとよく議論して(すでにだいぶ議論をしたと言うけれどもさらに議論を重ねて)詰めたり修正したりしていく必要があるものかと思うので、参議院で急いで採決をとらずに継続審議にしても良かったのではないかと思うのに、強引に衆議院を解散してしまった小泉首相の進め方には疑問を持っているわけだけど、とはいえ、「郵政民営化」反対論の論拠として根強くある、民営化すると外資が入ってきてアメリカの金融機関に郵便貯金と簡易保険のお金が持って行かれてしまうという点にはそれを論拠に反対するべきものなのかどうか、今いち、考えがまとまらないでいる。
大体、実際にアメリカの銀行などの外資が入ってきたとしても、それだけでそっくりそのままお金がウォール街に持って行かれるわけではないし、アメリカ国債に変えるなど、何らかの手続きがいるはずで、もちろんことによったらすでにそうした段取りまで含めて日本政府とアメリカ政府の間で密約が出来ている可能性も全くあり得ないとは思わないけれども(普通だったらそんなことはないだろうと思えるのだけど、日頃の日本政府とアメリカ政府との付き合い方を見ているとたしかにそういうこともあるかもしれないという気はしないわけでもないので)、仮にもし本当にそういう話だったとしても、多くの国民は郵便貯金をおろして他の国内の銀行に乗り換えるという対策はとれるわけだし、もしかしたら財界の大物の大金持ちの人達はそれならそれで他の銀行にお金が貯まるわけだから悪い話ではないとそこまで考えて「郵政民営化」に期待しているのかもしれないが、いずれにしろ、他に銀行や保険会社がないというわけではないので国民の側は何らかの対策は取り得る余地はあるようには思うのだ。
その意味ではむしろ、郵便事業のほうが黒字なのに民営化してサービスを悪くする意味はあまりないように思うので、だから郵便事業は郵政公社のままで、郵便貯金と簡易保険を民営化する形がいいのではないかというのが現時点での僕の基本的な考えになっているのだけど。日本に「郵政民営化」を要求しているというアメリカ自身、郵便事業は国営だというし。
それに、そもそも郵便局が莫大な金融業をやっていること自体がいびつなものではあるわけで、そこに利権があったこともたしかで、郵便局長に世襲制の特権があり自民党の票にも結び付いていたというあり方はやはり健全だとは言えないし、小泉首相がそうした面で改革を行おうとしているのは(仮に小泉首相の真の意図が別のところにあったのだとしても)それはそれで全く否定できるものでもないかとは思うのだ。
ただ「郵政民営化」がうまく行くと、その次には農協の改革が検討されているという話を聞くと、農業というのをアメリカに握られるのだとしたらさすがにやばい気がするので、もうちょっと真剣に考えないといけないのかなという気もしてくるわけではあるが。
しかし、かといって、グローバル化した時代の流れの中でこうした方向性以外にどういう日本経済の進路が現実的にあると言うのだ?と聞かれると、僕も返答に困ってしまうところはある。たしかに、今さら、鎖国をするわけにもいかないのだろうし。
また日本の地方のムラ社会のあり方が変わって行くというのはある程度、時の流れによるものかとは思うし、その意味では小泉首相が進めている方向はたしかに日本のムラ社会のあり方を変えて行く要素を持つものかとは思うのだ。

以前にもちょっと書いたことだけど、こうした政治情勢になった背景には、ロッキード、リクルート事件などが騒がれ、政治資金規制法が改正され、個人の政治家に特定の団体や企業からの献金がされにくくなったことがあるかと思う。届け出をすれば献金は問題はない形になっていて、党単位では献金がされているのであるが。
以前は田中角栄氏のように、個人の政治家に献金がされていた。そうやって自民党の派閥の親分の政治家が金を集めて派閥内で分配していた。ところが、自民党の党単位で献金をする形になったため、派閥の論理が通用しなくなってきて、さらに選挙制度が小選挙区制になったことが特定の団体や企業からの献金が個人の政治家へのものから政党へのものに変わってきたことと結び付き、利権のあり方を変えてきた。そうした状況の中で、小泉氏のような変人首相が出てきて、地方の利権構造や派閥の論理をこえる政治を進めようとしているのではないかと思う。
もちろん政党単位では献金が続いているわけだから利権構造から完全に脱却したとは言えないのかもしれないし、また「郵政民営化」でアメリカ資本が入ってくるのなら、なんのことはない、「利権」の相手がアメリカに変わっただけじゃないかという見方もあるかもしれない。
だとしても小泉首相がしていることが日本社会のあり方を変えようとしていることはたしかなのではないだろうか?

ところで、互助会的なシステムが機能しているという意味では必ずしも利権が横行しているような日本のムラ社会的なあり方は悪いこととばかりは言えないという面はあるのかもしれない。たとえば談合だって、複数の業者が互助会的に仕事をたらい回しにして請け負って利益をあげて行くのに寄与することだってあるのではないかと思う。
しかし、そうした日本社会のあり方は長い目ではやはり変わりつつあるものなのではないかと思う。
そして、このような、時には互助会的なシステムとして良い方向に機能することもないわけではない日本型の社会システムが、悪い方向に作用することもあると思う。
たとえば公害問題で言うならば、公害があったこと自体が地方の共同体の中で隠されてしまうということも起こり得る。たとえばイタイイタイ病がそうで、イタイイタイ病は富山県神通川流域だけではなく、長崎県対馬佐須川・椎根川流域、兵庫県市川流域、石川県梯川流域でも発生していることが報告されているのだが、地方のムラ社会の共同体の中で隠されてしまい、政府も未だに富山県神通川流域以外のイタイイタイ病の発生を認めていない。
こうした事例を考えると、日本のムラ社会的なあり方がいつまでもあっていいものだとは思えないので、変わって行くのは仕方がないものなのではないかとは思うし、そうすると小泉首相が進めている方向性は間違いだとは言えないのかもしれないという気もしてくる。個人的にはアメリカ一辺倒という点は疑問を感じるし、たとえばアメリカ経済が倒れた場合に共倒れになってしまっていいのだろうか?という危険性も感じてはいるのだけれども。
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2005/8/24

東京裁判が持つ可能性について  時事問題

NHKでナチスのホロコーストに関する番組を放映していて、アウシュビッツ収容所に勤務していたおじいさんが、戦後、非難され肩身が狭い思いをして生きてきたことを語り、自分は軍務を果たしただけであるといったことを語っていたのだけど、こうした発言を自己弁護だとさらにこのおじいさんを非難する人もいるのかもしれないけれども、このおじいさんが生きてきた実感として本当のことであるのではないかと僕は思う。
結局のところ、戦争というものは、何十年も延々と続いているイスラエルとパレスチナの紛争を見ても分かるように、そうそう、単純に善と悪、被害者と加害者とに区分けできるものではなく、2国間で戦争をしているのならば、被害者が同時に加害者である、ということが当たり前に存在し得るものであるのに違いないと思うし、ヒットラーのような「絶対悪」であるかのようにみなされる人物でさえ、やはり必ずしも「悪」の要素だけの人物ではなかったのではないかと思う。それは北朝鮮の金正日にしてもそうだと思うし、要するに世の中には相対的な善人とか悪人とかはあり得るが、絶対的な善人とか悪人とかはいないのだと思う。
こう書くとヒットラーや金正日を弁護するのか?と誤解されてしまうかもしれないが、僕が言いたいのはそういうことではなく、戦争においては双方の国がそれぞれ加害者であり同時に被害者でもあるわけで厳密には区分けできないのではないかということを言いたいのである。

だから、いわゆる「東京裁判」史観で、日本が一方的に侵略国であり「悪」だったと裁かれるのもたしかに不当かとは思うし、かといって日本は実は被害者だったのだ、中国や韓国こそが「悪」なのだと、逆に日本と中国、韓国とを「善」と「悪」で区分けするのもやはり違うのではないかと思う。
とかく右寄りのものにしろ、左寄りのものにしろ、多くの言説は一方を「善」、一方を「悪」と区分けすることばかりに傾き過ぎているきらいがあるように思うのだ。
たとえば、日本が朝鮮を併合して、いろいろ開発援助したという面があったことは事実だろうし、日本が悪いことばかりをしていたわけではないというのも事実だとは思うのだけど、かといってたとえば名前を朝鮮名から日本名にしなさいと言われて変更させられた人達が心の底で自分達は日本人よりも下だと見下されているように感じた、差別されているように感じたということも事実なのであろうと思うし、つまり、「善」の要素も「悪」の要素も渾然一体となっているものだったのではないだろうか?と思う。

敗戦国ばかりが裁かれた「東京裁判」はたしかに不当なものではあるのかもしれないとは思う。しかし、事後法であったとしても、「人道に対する罪」「平和に対する罪」という概念で戦争で行われた具体的な「行為」を考え裁こうとした、ということ自体は、評価できる面があるのではないだろうか?というのが僕がずっと考えてきたことである。
おそらくナチスが行ったホロコーストがあまりにも前例がないものだったので、こうした行為そのものを何らかの形で裁かなければいけないと「人道に対する罪」という概念が持ち出されてきたのだろう。
とはいえ日本はホロコーストを行ったわけではないので、その意味ではドイツと同一に裁かれたのは不均衡な面はあったのかもしれない。南京大虐殺の真偽について僕は断言し得るほど、自分の体験や知識を持っていないので真偽については分からないと言うしかないのだけれども、東京裁判においてひどく水増しされて日本が行ったことが言われたという側面はあったようだということはどうもある程度、定説になっているように感じている。これももしかしたらドイツが行ったこととある種の均衡をとるために日本が行ったことが事実よりも誇張されてしまったという面はあるのかもしれない。
そうした東京裁判の内実、日本が受けた扱いについてはたしかに不当な面があったのかもしれない。
しかし、日本はドイツの同盟国であったわけだから、ドイツを裁くからには日本は裁かないというわけにはいかなかったのだろうし、東京裁判を行わないでは現実的に日本が国際社会に復帰することもできなかったという側面はあったのではないだろうか。また、もうひとつの同盟国のイタリアはイタリア人自身でムッソリーニを裁いたのだけれども、日本人自身で戦犯を裁かなかった以上は国際的に裁かれても仕方がなかった面はあるのではないかと思う。
それに、僕がやはり東京裁判の意義を認めたいと思うのは、何よりも「人道に対する罪」「平和に対する罪」といった概念で戦争で行われた具体的な行為を裁こうとしたという点なのだ。もちろん、一概にドイツや日本は侵略国で悪、連合国は善という風に区分けしたことには、これまでの論旨の通り、根本的に戦争というものをそのように区分けできるものなのだろうか?という風に僕は思うし疑問を持つのだけれども、戦争にもやはりルールがあると思うし、第2次世界大戦は世界規模の未曾有の戦争で、兵器という面でもかつて考えられなかったぐらいのものが使われ、ホロコーストや原爆のようなものまで出てきてしまったわけで、やはり世界中の人々が自分達がしてしまったことはなんだったのだろうか?と反省し、そこで行われた行為というものを具体的に検証して裁く必要性はあったのではないかと思うのだ。
しかし、僕が抱くこのような理想とは東京裁判の実態は違い、結局は戦勝国が一方的に敗戦国を裁いたものでしかなかったのではないかと言われるかもしれないし、アメリカが原爆を落とした行為が裁かれることは遂にはなかったのであるけれども。
だから、僕が言うことはどうも理想論に傾き過ぎているのかもしれないけれども、でもとにかく今、世界中で行われている数々のことも、イラク戦争にしても、北朝鮮による他国民の拉致や自国民への人権侵害にしても、中国のチベットや台湾に対する横暴にしても、「人道に対する罪」「平和に対する罪」といった概念をもってしてそれらの犯罪性を考えるべき事例なのではないだろうか? そうすると、東京裁判の内実については検証し直すべきものであったとしても、「人道に対する罪」「平和に対する罪」という概念を提起してそうした行為の犯罪性を裁く前例をつくったものとして、東京裁判は人類史的規模では基本的に評価していくべきものなのではないだろうか? そして、東京裁判で提起された概念の延長線上で、中国や北朝鮮が行っている犯罪性を考えていくのが妥当なのではないか?と僕は思うのだ。
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2005/8/24

堀江氏の「国家観」発言に触れて  時事問題

堀江氏というのは本当に率直というのか、普通だったらそんなことを言ったら世間で反発を買うと思って躊躇して言わないようなことを平気で発言してしまう人のようで、国家観について「国という単位を特別視していない。市町村とたいして変わらない。国にこだわるのではなく、もっとグローバルな視点でものを見なければいけない」なんて発言をしたりして産経新聞に報じられているようなのだが、日本的な美徳から言えばこうした堀江氏の発言が非難されるのは当然なのかもしれないけど、しかし出る杭は打たれるといった感じで堀江氏を非難したとしても、そもそもそうした非難をするのに値するほど、自分自身だって「国家観」を持っているのだろうか?という疑問に他の人々は脅えたりはしないのだろうか?と思う。
まあ、もしかすると単に僕個人が明解な「国家観」なるものを自分が持ち得ていないというだけのことなのかもしれないので、僕の個人的な問題なのかもしれないけど、昨日もちらっと書いたように、「お前は愛国心があるのか?」と正面きってもし聞かれたとしたら「うーん・・。実は自分でもよく分からないんです。ごめんなさい・・」とでも答えるしかなく、これでは到底、堀江氏を非難することなど自分には出来ないと自覚するしかない。
しかし、実際、「愛国心」というのは一体、なんなのだろう? 
そりゃ、僕だってたとえばオリンピックで日本選手が活躍しているを見て嬉しいと思うことはあるけれども、それは自分が属する共同体の人間がスポーツに励んでいる姿に感銘を受けるわけで、そういうのを「愛国心」と言ってしまっていいのだろうか?
あるいは仮に戦争になって自分のところに赤紙が来たならば、家族や、その他の自分が属する共同体の知り合いの人達のことを思って戦場に行くかもしれない。僕は自分から志願して兵士になって戦場へ自分が行くかどうかは、とてもそれだけの勇気が自分にあるとは思えないし決断できないように思うのだけど、戦争が拡大して志願兵だけでは足りなくなり徴兵制になって赤紙が来たならば意を決して行くと思う。その場合、自分は愛国心から行動していると言えるのだろうか?
つまり、「愛国心」というのがよく分からないのは、「国」というのは具体的に誰のことをイメージしているのかが分からないからなのではないだろうか? 具体的に家族や知り合いのあの人のため、ということならばイメージできる。具体的にオリンピックで活躍している選手の誰々とか、家族や知人や恋人や、そういう自分が属する共同体(日本という国)の中の誰々のことを・・ということならばたしかにイメージできるのだけど、「国」と言われた時に漠然としてしまうのは、具体的な人物がイメージできないからなのだ。
たとえば現時点で日本を代表する人物というのは総理大臣である小泉首相ということになるかと思うのだけど、では小泉氏のことを思って戦場に自分が行くだろうか? それはやはりイメージできない。家族のことを思って戦場に行くのならばイメージできるのだけど。
そうすると、よくも悪くも、戦前に、「天皇陛下のため」という具体的な人物のイメージをつくったのは、国民が行動する上で必要なものだったのではないだろうか? 
念のために言っておくけど、別に天皇制批判をしたいわけではない。僕は天皇制を無くそうとか、靖国神社を無くそうと考える者ではない。靖国神社と別に新しい国立追悼施設をつくるのには反対である。ただしもし可能ならばA級戦犯を分祀するなりして、靖国神社自体が性格を変えていけないかとは思っているのだけど。
ただ具体的な人物のイメージがないと「国」というのは漠然とし過ぎていてイメージできないという自分の実感に即して、天皇陛下という具体的な人物のイメージは必要なものだったのかもしれないと思うのである。

*参考
(8月23日、産経)
広島6区 ホリエモン節全開「俺メディアの時代だ」
「参議院は必要ない」

 広島6区に出馬予定のライブドア社長、堀江貴文氏(32)は二十二日、インタビューに応じ、「国家観」について、「国という単位を特別視していない。市町村とたいして変わらない。国にこだわるのではなく、もっとグローバルな視点でものを見なければいけない」と述べた。小泉純一郎首相について、「靖国神社の参拝になぜ、こだわるのかわからない」と語った。

 堀江氏は、選挙戦について、「日本町会議員に立候補するようなつもりでやっている。自分の国を知らなければ、世界もわからないという考えは間違い。自分の田舎のことを知らなくても、東京で成功する人はいる。だから自国を知らなくても世界には通用する。僕の国家観は世界は一つということ」と語った。

 一方、小泉首相の改革路線で、貧富の二極化が進む可能性を懸念する声については「人の幸せは年収だけで測れるもんじゃない。能力のある人、稼ぎたい人にとってチャンスを与える社会になればいいが、これ以上、金持ちから税金をとれば、みんな国外に逃げちゃいますよ」。低所得者層の保護は「最低賃金は保障されてるし、今の法律で十分」と話した。

 小泉首相の改革路線は全面支持するが、「靖国参拝になぜあれほどこだわっているのかわからない。自分には(靖国への)思い入れはないし、よくわからない。悲しむ人がいるなら参拝する必要はない」。当選した場合の政策は「国会議員が多すぎる。会議で五百人も出席する会社はない。衆議院は三分の一以下、参議院は必要ない」。

 インターネットを使った選挙戦ができない公職選挙法についても「これからはマスコミにバイアスをかけられない『俺(おれ)メディア』の時代。若い人のためにも改正したい」と述べた。

 ■堀江氏…「横顔取材」で持論/亀井氏…精力的に集会回り

 白色のTシャツに黒ズボン姿で、堀江は二十二日午前九時すぎ、滞在先である広島県尾道市内のホテル一階のVIP専用の会議室に現れた。堀江はこの日、立候補予定者に公約や趣味などを聞く「横顔取材」に応じた。取材は通常、市役所の記者クラブなどで行われるが、出馬が急であったことや「市役所で開くと殺到し、市民に迷惑がかかる」(堀江)などの理由で異例の対応となった。

 堀江は時折、笑みを浮かべながら、「簡保の宿をつくっている場合じゃないでしょう」「年金制度はネズミ講と同じ」「旧来の利益誘導型の政治家は害悪だ」などと独自の主張を展開。手ぶりを交えて約四十五分間、みっちりと話し続けた。

 堀江はこの日も朝から夕方にかけてテレビ番組に出演し、自民党元政調会長の亀井静香(68)と“対決”。昼食に「尾道ラーメン」の有名店を訪ねるなど、市内を視察した以外は、ホテルで新聞社やテレビ局各社の取材に応じた。

 一方、亀井はこの日も、島根県や鳥取県と接する県北部の企業や公民館などで開かれた集会に精を出す「ドブ板選挙」を展開した。

 会場の一つ、庄原市高野町(旧比婆郡高野町)では、廃校になった小学校の校舎を再利用したという公民館で、集まった地元の建設業者やお年寄りに演説。「自民党で日本再生はできない」「高野は漬物がうまい」など、おなじみの亀井節を披露。会場を沸かせた。

 参加した庄原市議(62)は「ホリエモンでは話にならん。地域の実情が分かるのか」と話した。(敬称略)
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2005/8/23

多数者が少数者を切り捨てていくということ(その2)  時事問題

日テレの「ザ・ワイド」に堀江氏が出てきて、コメンテーターの有田氏が拉致問題についてどう考えているのか?と質問したところ、堀江氏らしい、率直な見解を披露してくれた。
うろ覚えのものだが、以下のようなものだった。

みんな、北風と太陽で、北風を吹かせようと言うんだけど、僕は逆に太陽で、今、北朝鮮の人達は飢えているのだから、経済援助をしてあげて、経済が回復した国にしていくほうがいいのでは。豊かになるほうが独裁政権を倒そうというのが生まれてくると思う。経済制裁してとんでもないこと(つまりは戦争ということか?)になったらそのほうが本末転倒だと思う。・・

こんな風なものだった(うろ覚えで正確でないところがあるかもしれないが)。まあ、堀江氏のこの意見に「愛国心がないのか」と怒る人もいるのかもしれないが、愛国心ということに関しては、僕自身、ある人間かどうか、あまり自信がない人間なのでそういうことはとても僕からは言えないし(正直、「愛国心」という感情は僕にはよく分からないというのが本当ではある・・)、また北朝鮮問題について堀江氏のような考え方をしていたこともあったのでこの意見も分からないではないのだが。

では、僕がなぜ北朝鮮問題について考えを変え、経済制裁をするべきであると考えるようになったのかというと、自分が以前からこだわってきた公害、薬害問題と同じ根があるもので、多数者の利益のために少数者が人生を奪われてしまうというあまりにも悲惨な目に遭遇するものであるということに気付いたからである。
あくまで僕の個人的な問題意識でしかないものかもしれないけれども。

まあ、公害、薬害と拉致問題を並列的に見るのはちょっと大雑把すぎるのかもしれないし、厳密には違う問題であるのかもしれないが、それでも結局は日本社会全体のメリットのために、特に経済的メリットのために一部の人間が犠牲になっているということは言えるのではないだろうか?
日本で拉致のような信じ難いことが行われ続けてきて、そして北朝鮮に対して経済制裁が行われないでいるのは北朝鮮に関する利権があるからだし、それは特定の政治家など、特定の人間のものだと言われるかもしれないけど、もともと日本の戦後の経済成長は朝鮮戦争の特需から始まったのであり、なんだかんだいっても朝鮮に関する利権を温存させたほうが日本経済的にもメリットがあったのだと思う。
最近になって、日本がした戦争はなんだったのかということが一般的にもようやく議論される風潮になってきたけど、ちょっと前までは要するに大方の日本人にとってはそんなことはどうでもいいことで、せっせと高度経済成長やバブルで儲けることのほうばかりを考えていたというのが実態だったのではないだろうか? そういう意味ではバブルがはじけて不況になったから人々が本質的な問題を考え直すようになったとも言えるわけで、バブルがはじけて良かったのかなあと思う面もあるのだけど。
といっても僕個人は東京裁判を行った意義を支持したいという考えであり、自虐史観の人間だと言えるのかもしれないが、東京裁判で敗戦国の日本ばかりが裁かれたのは不当だという意見は理解できるところはあり、正論だとは思っている。本当はアメリカが原爆を落とした行為も裁かれるべきだったのではないか?という思いはある。ただ、世界史的には東京裁判を行った意義を認めるべきではないかというのが僕の考えであり、つまり、戦争で行われた行為に対して「平和に対する罪」「人道に対する罪」という概念で裁こうとしたということを意義があるものなのではないかと認めたいというのが僕の基本的な考えである。これは事後法のものであるのかもしれないが、事後法であったとしてもこういう例をつくっていかなければ前例というものが出来ないわけだから、日本が前例になったのは仕方がないのではないかというのが僕の考えである。(ここで、仕方がないですましてしまう点が、僕に愛国心というものが欠如している証拠なのかもしれないけど・・。)

今度の選挙の各党マニフェストを見て、ちょっとがっがりしたのは、拉致問題についてもそうだけど、公害問題についてもとても本質的なことを問い直す政策をどの政党も打ち出しているとは思えないということである。アスベストについては、今、特に騒がれているからか、自民党も民主党もマニフェストに挙げているのだけど、これはそもそもこれまで見過ごしてきたのがあまりに杜撰だったのであり、まずは政府はアスベストの被害をこれだけ広げてしまったことに対して謝罪するべき筋合いのものだ。
それにしても、なぜアスベストが騒がれ出したのかと言うと、労災に留まるものではなく、広く一般的に被害があるものであることが最近になってにわかに報じられ出したからであるようで、なんのことはない、自分と関係ない一部の人がそういう悲惨な目にあっている分には世間は無関心であるが、いざ自分の回りにもある身近な問題なのだと気がついたら騒ぎ出すというのがこの国の実状なのではないだろうか・・。
結局、経済成長の繁栄の影で、一部の人達がひどく極端な、自らの生きることそのものを奪われてしまうような境遇に置かれたとしても、大方の人にとっては他人事だから関心がないのだろうか? そうやって多数者が少数者を切り捨てていくのだろうか?
僕が薬害や公害の運動に関わってきて常々、感じてきたことはそういうことかもしれない。薬害エイズについてだって、川田龍平氏がカミングアウトして世間で注目される以前の、世間がまるでこの問題に対して無関心だった頃の状況を忘れることは出来ない。薬害エイズは、川田氏や、小林よしのり氏が騒いだことをきっかけに注目されるようになったけど、それでも菅厚生大臣が謝罪してしばらくして運動は盛り下がり裁判の結末は尻切れとんぼになって終わろうとしているようだ。まあ、薬害エイズの運動に関しては盛り下がったのは運動内部に問題がなかったわけではないのかもしれないが、それでも支援者の人間は(僕も含めて)飽き飽きしたらやめればいいわけだけど、被害者はやめることが出来ないのだ、という現実もあったわけで、ああ、こうして世間は結局はまた無関心になっていくんだな・・というやり切れなさも感じないではなかったのだ。人間、当事者でなければなかなか付き合えないというのが本当のところなのかもしれないが・・。

郵政民営化や年金問題は大事なことなのだろう。これらはみんなの問題である。がどうも僕が拉致問題や公害・薬害問題ほど、郵政問題や年金問題にピンと来ないのは、別にそれで人が死ぬわけじゃないし、という気持ちがどこかにあるからだろう。もちろん、日本が経済大国でなくなり、貧乏国になっていく・・というのも大変なことである。少数者が悲惨な境遇に置かれていることよりも、そっちのほうが多くの人達に影響を与えていることであり大事なことであると考える人もいるかもしれないし、その理屈も間違いではないのかもしれない。実際に年金問題は全ての国民の問題だと言えるのだから。だけど、極端に言ってしまえば、別に貧乏だってそれなりに幸せに生きていくということはあるわけだし、それはそれでいいじゃないかという気持ちが僕にはどこか、あるのだ。だから日本が経済大国であり続けなければならないとか、あまりそういうことにこだわる気がしてこないのだ。それより、僕は一部の少数の人達が、あまりにも極端な、生きること自体を奪われてしまうのはあんまりだと思うし、多数者の利益のためにそのように少数者を切り捨てていいのだろうか?と思ってしまう。
つまり、国全体が貧乏になってもいい、あまりに極端に不遇な境遇に置かれる人はいないようになってほしい、というのが僕の基本的な気持ちなのであり、だから郵政問題や年金問題よりも公害・薬害問題や拉致問題のほうを重視したくなってくるのだ。

だが、この多数者が少数者を切り捨てるというのは、民主主義のもとだからこそ、起こっているとも言えるのだ。民主主義は多数者の意見を選択するものだからである。僕は基本的には民主主義を支持したいとは思うのだけど、民主主義のもとでは結局は少数者は切り捨てられていくという現実を見てしまうと、うーん、本当に民主主義はいいものなのだろうか?というジレンマを感じないわけではない。
かといって異論の発言の自由がない全体主義の独裁政権がいいとはもちろん思わないのだけれども、民主主義は少なくとも少数者を切り捨てていくことを構造的に止めることが出来ないという意味では万能ではないし、そのために民主主義は絶対的に正しい制度だと信奉することにも躊躇してしまうところがあるのだ。

*この記事を書くヒントになったブログの記事
「たゆたえど沈まず」デスカミサードたちの首相
http://plus-ultra.cocolog-nifty.com/ultra/2005/08/post_19f1.html
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2005/8/22

結局、いまだによく分からない「郵政民営化」  時事問題

「郵政民営化」について、外資が入ってくることに関してはグローバル経済化した時代の流れであり仕方がないものなのではないか、外資が入ってくることを理由にして「郵政民営化」に反対することはないのではないか(ただし小泉政権の今回の法案審議の進め方については異論を持ち反対しているのですが)と考えていたのですが、下記で増田俊男氏が述べている「国債リスク」という点はたしかに不安を覚えるものです。

*増田俊男の時事直言!
http://www.chokugen.com/opinion/backnumber/h17/jiji050817_315.htm

日本は国債が膨らんでいるといっても外国に借金しているというわけではなく、先送りしていわば国内の未来の人達から借金している形になるのかと思うので(僕は概念としてはそういうことになるのかと理解しているのですが・・)決定的な経済破綻には至らない(外国から借金取りが来るわけではないので)と漠然と考えていたのですが(ただし年金制度が崩壊して年金が貰えなくなるといったことは覚悟しておいたほうがいいと思っていますが・・)、「国債」が外国(特にアメリカ?)にどんどん買われて「国債リスク」が起こるのなら経済破綻に至る道を開くことになるということはあるのでしょうか?
とはいえ、アメリカとしても本当に日本経済が破綻してしまっては困るのではないのか?という疑問はあるのですが・・。「郵政民営化」で他にないような巨大銀行がポンと出来た時にどうなるのかがどうもよくイメージできません。増田俊男氏が言う「郵政民営化バブル」というのは一時的にバブルが起こるがまたはじけてしまうということなのでしょうか?
いずれにしろ、政府は「郵政民営化」をすればただ良くなると言っていないで、「郵政民営化」が失敗して逆に日本経済が決定的に破綻することにでもなったらそれこそ大変なのですから、うまく行かなかった場合も想定して法案をより念を入れたものにしておくことに越したことはないのではないかと思うのですが。どうも「郵政民営化」に賛成、反対で議員を区分けしてしまうばかりで、肝心の「郵政民営化」の内容を詰めたり、問題点について賛成派、反対派、双方が意見を出し合って対策を練っていったり、そういう議論をするのがそもそも国会の場の役割だったのではないか?と思うのですが、そういう肝心の内容を詰めていくほうが忘れられているのではないでしょうか?

それから、西尾幹二先生の日録によると『Will』10月号で「郵政民営化」について書かれているそうです。

*西尾幹二インターネット日録
http://nishio.main.jp/blog/archives/2005/08/post_206.html

>衆議院解散が憲法違反であること、今回の郵政民営化法案は財務省の積年の野放図な金融の垂れ流しを覆い隠す秘せられた意図があること、健全に経営されてきた郵便局を株式会社化する目的の一つは郵貯・簡保の資金の実体をあいまいにして財政投融資の実情をごまかすこと、小泉は愛国者ではなく竹中と組んで郵貯バンクを外資に買収させるのに歯止めになる一文を法案に明記するのを拒んだこと、日本の財政全体が破綻にまっしぐらに進んでいる事態に小泉は勇敢に立ち向かうのではなく卑屈にごまかそうとしていること、小泉政権は一種の擬似ファシズム政権であること、「役人が悪い、官僚はけしからん」という単純な感情に引き摺られてテレビや新聞まで大衆煽動に走っているのは典型的な劣情喚起の政治的誘導であること、産経がいちばん浮かれていておかしいこと、小泉が勝てば任期を延ばし独裁体制になること、だからといって民主党が勝っても救いがなく、自民党が相対多数になれば民主党と大連立になる思いもかけぬ波乱の結果が予想されること、etc.・・・・・・・・


といったことを西尾先生が書かれている『Will』10月号は「8月の26〜27日ごろに店頭に出る」そうです。
ところで、ちょっと思ったんですが、「郵政民営化」についてはもしかして西尾先生が言っていることと共産党が言っていることは共通点があるのでは? またこんな変なことを書くと怒られるかもしれませんが、意外と一番右の人と一番左の人の意見が合うケースもあるのかな?なんて思ってしまったのですが・・。
僕の勘違いかもしれません・・。
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2005/8/21

ドイツ総選挙、イラン軍事攻撃が争点に  イスラエルとパレスチナ、中東

*ドイツではイラン軍事攻撃が選挙の争点になっているという。
今の時点でそれを選挙の争点にするのはシュレーダー首相側の思惑があるのかもしれないが。

(ニュース)
独総選挙:「米国によるイラン軍事攻撃」が争点に浮上
 【ベルリン斎藤義彦】前倒し総選挙戦が始まっているドイツで「米国によるイランの軍事攻撃」が争点に浮上している。シュレーダー首相は米国に「軍事的な選択肢を取るな」と度々批判しているが、親米の野党はこれに反発している。首相は02年の前回総選挙で、米国のイラク攻撃に反対して勝利しており、反米世論を再び喚起し、人気低迷に活路を見いだす作戦のようだ。
 首相はイラン情勢について、ブッシュ米大統領が最近のインタビューで「すべての選択肢がテーブルの上にある。軍事力の行使はいかなる大統領にとっても最後の選択肢だ」と述べたのに猛反発。独紙のインタビューなどで「軍事攻撃の選択肢は非常に危険。私が首相でいる限り攻撃に参加することはない」と述べた。さらに集会などで「軍事攻撃の選択肢をなくそう」と呼び掛け、観衆の拍手を浴びた。
 02年の総選挙の時点では、イラク攻撃があるかどうか明確ではなかったが、首相は「攻撃反対」を前面に出したことで劣勢をばん回、辛勝した。このため、ブッシュ大統領の怒りを買い、しばらく会談を断られ続けたという経緯がある。
 イラク戦争に反対したため「独米関係が傷つけられた」と批判してきた親米の野党側は今回、「ありもしない(イラン)攻撃の可能性を強調する無責任な発言。外交を選挙に悪用している」と非難している。
 しかし、独国内では反米世論が根強い。野党側の首相候補メルケル・キリスト教民主同盟党首も、軍事攻撃より外交的解決を優先するという点では「政府と一致している」と言わざるを得なくなった。
 イランは、核兵器につながる核開発を断念する代わりに経済協力を行う独英仏の提案を拒否するなど、強硬姿勢を強めている。今後の交渉の行方次第では、独総選挙の結果を左右しかねない状況になっている。
毎日新聞 2005年8月20日 19時04分
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2005/8/20

選挙関連雑談  

選挙関連、雑談。

○共産党の「赤旗まつり」、今年は中止らしい。急に選挙が入ってそれどころではないと。秋吉敏子のライブコンサートがあるというので、それだけを楽しみにしていたんですが(仮に行った場合はそれだけを見聞してあとは何も見ないで帰ってくるつもりだった)、残念。

○堀江氏、出馬。しかし、これまでと手のひらを返したように、自民党が堀江氏を持ち上げ、民主党が堀江氏をバッシングする発言をしたのが面白かった。どっちも自分に都合よく堀江氏についてああだこうだ、言っているだけ。
僕は以前から書いているとおり、堀江氏に関しては支持したい。こういう人物がいることは日本の企業社会のあり方を確実に変えていくことにつながると思うからだ。
無所属で出馬というのも小気味いい。どこまでもマイペースで生きているのが小気味いい。自分の金もうけのことばかりを優先しようとしているかのような姿勢が小気味いい。
僕個人は金もうけというものにはあまり関心がなく意欲も沸かない人間だけど、逆に金もうけなんて(僕にとっては)どうでもいいことにあれだけこだわれる人間は尊敬してしまいます。
世間がバッシングすればするほど、僕個人の堀江氏への期待(世の中をめちゃくちゃにしてくれそうだという)は増すばかりだ。人が死んだりするめちゃくちゃは困るけど、堀江氏のめちゃくちゃは日本の企業社会のあり方を変えていくものではないかと思えるので賛成なのだ。

以上は雑談のネタで書いたものなので、あまり本気にしてくれなくていいです。(笑)
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2005/8/20

救う会ニュースより  ニュース

★☆救う会全国協議会ニュース★☆(2005.08.19-2)
 本日、自民党がマニフェストを発表したことにより、主要政党のマニフェストが出そろいました。
 拉致問題に関する部分を通読比較し、家族会・救う会は後掲の声明「各党マニフェストを見て失望、所属政党に関係なくどの候補者が一番拉致問題に真剣に取り組んでいるかで、支持を決めるしかない」を発表しました。

 自民党、共産党、社民党のマニフェストの関連部分は次のとおりでした。

※自民党マニフェスト
「拉致問題の解決」に向けて粘り強い努力を続けます。

   109.拉致問題の解決に向けさらに努力

 「拉致問題の解決なくして国交正常化はない」との基本を確認する。経済制裁の発動を含め拉致問題の解決に全力を傾注する。

※共産党マニフェスト
北朝鮮問題の解決に力をつくす

 朝鮮半島の核問題の解決とともに、日朝双方が拉致問題の解決に必要な努力を尽くし、日本と北朝鮮の国交正常化への道筋をひらかなければなりません。「日朝平壌宣言」にもとづき、この道をすすんでいくべきです。
 拉致問題では、安否不明者の再調査など諸問題で、日本側の納得できる解決がはかられなければなりません。日本政府は、北朝鮮にこういう問題を解決してこそ国際社会に仲間入りできることを強くうながし、途絶えている日朝交渉再開へ強力に働きかけるべきです。
 その際、日本政府は、植民地支配という日本の“過去の遺産”が清算されないまま残っている唯一の地域が北朝鮮であることを自覚し、歴史的責任を果たす立場で取り組むことが必要です。6カ国協議では、拉致問題を取り上げることに消極的な国が少なくありませんでしたが、日本が過去の問題に真剣に取り組んでこそ、拉致問題解決への国際的共感も広がります。
 日本共産党は、日朝間の諸問題を、平和的な交渉によって道理ある形で解決することを一貫してめざし、そのために努力してきた政党として、ひきつづき力をつくします。

※社民党マニフェスト
6.拉致問題の一刻も早い解決を目指します

 北朝鮮が拉致問題に誠実に対応することを強く求めつつ、日朝平壌宣言に沿って両国間の懸案事項が解決され、早期に国交正常化が図られるよう努力します。北朝鮮の核問題に関する6カ国協議を、地域の信頼醸成を図る恒常的な枠組みに発展させます。

※       ※
 また、本ニュースでお伝えした公明党のマニフェストの関連部分が最終版と異なっていることが判明しましたので訂正します。

誤)二番目の○の項の下線部分削除。「○ 北朝鮮が日朝平壌宣言を順守する限り、制裁措置は発動されませんが、北朝鮮の対応次第では、経済的な制裁措置の発動など、一定の圧力をかけることも辞さない構えです。」

正)※ 公明党マニフェスト

6、北朝鮮問題について

▼拉致・核開発問題の解決に全力
○ 拉致問題に関しては、拉致被害者全員の即時帰国、安否不明の方々及び特定失踪者の事実解明とその全面解決を図ることが最重要です。政府間協議及び6カ国協議など、あらゆる機会を通じて、その解決に全力をあげます。
○ 北朝鮮の対応次第では、経済的な制裁措置の発動など、一定の圧力をかけることも辞さない構えです。
○ 北朝鮮による核開発問題は、わが国及び北東アジア地域の安全保障にとって重大な脅威であり、断じて容認できません。「全ての核兵器及び核計画の検証可能な廃棄」の実現へ向け、6カ国協議を軸に粘り強くその解決をめざします。

■ 家族会・救う会声明各党マニフェストを見て失望、所属政党に関係なくどの候補者が一番拉致問題に真剣に取り組んでいるかで、支持を決めるしかない」

 本日、主要政党の総選挙用マニフェストが出そろった。それを読み私たちは大きく失望させられた。

 私たちは事前に自民、民主、公明の3党に「北朝鮮への制裁の早期実現」を盛り込むよう要請したが、それは入らなかった。最近の世論調査でも国民の7割近くが制裁発動に賛成している。ところが、今回の総選挙で制裁発動を争点と考えている政党は全くないことが分かった。

 小泉政権の与党である自民党は「経済制裁の発動を含め…全力を傾注」、公明党は経済的な制裁の発動など…も辞さない構え」、野党である民主党も「(制裁2法)に基づく措置の発動も視野に入れ」と、それぞれ腰の引けた表現で制裁発動を約束しなかった。共産党、社民党に至っては制裁に関する記述そのものがなかった。

 昨年12月24日、小泉政権は「北朝鮮側が迅速かつ誠意ある対応をしない場合、日本政府として、厳しい対応を取らざるを得ない」(細田官房長官)と制裁を予告したが、それから8か月経っても制裁は発動されていない。ところが、各党マニフェストではその政府の姿勢を責めるものは一つもない。それどころか「含め」「構え」「視野に入れ」などという中途半端な表現を使って、「取らざるを得ない」と断定した細田官房長官発言からも大きく後退している。

 私たちは、日本が単独制裁を発動して拉致被害者全てを取り戻すという不退転の国家意思を示すことを強く求め、そのことのできる政治の枠組みを今回の総選挙で作っていただきたいと切望しているが、もはや、既成政党は頼りにならない。

 その中で超党派の拉致議連は「解散中は国民各位と共に拉致被害者救出にとりくむ運動を継続し、選挙戦を通じて更に広範囲の国民に、日本人被害者を救出できる政治を取り戻さなければならないことを訴えて行く」という立場で総選挙を戦っている。

 現在全国の救う会などが実施している候補者アンケートの結果も踏まえ、所属政党に関係なく、どの候補者が一番拉致問題に真剣に取り組んでいるかで、支持を決めるしかないと考える。拉致問題は主権侵害であり被害者の命がかかっている緊急課題だ。
国民各位におかれては、ぜひ拉致問題を重要争点として議員を選んでいただきたいと、強く訴えるものだ。

平成17年8月19日

北朝鮮による拉致被害者家族連絡会代表 横田 滋
北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会会長 佐藤勝巳
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2005/8/19

イスラエル、ガザ撤退関連ニュース(2)  イスラエルとパレスチナ、中東

<イスラエル>軍が礼拝堂突入、反対派強制排除 ガザ地区
 【エルサレム海保真人】イスラエル軍と警察部隊は18日、ガザ地区最大のユダヤ人入植地ネベデカリムと中規模入植地クファルダロムで、入植者撤退に反対する若者らが立てこもる2つのシナゴーグ(ユダヤ教礼拝堂)に相次いで突入、力ずくで退去させる強行策に出た。クファルダロムのシナゴーグでは、反対派が警官隊に対しペンキを投げつけるなど激しく抵抗し、一部混乱した。シナゴーグは反対派にとっての「最後の砦」で、国を挙げての撤退策は大きなヤマ場を迎えた。
 ネベデカリムでのろう城は17日から続き、軍当局は約1000人の反対派が自主的に退去するようユダヤ教関係機関を説得していたが、交渉は決裂。このため午後3時半(日本時間同9時半)、包囲していた数千人の軍部隊が踏み込んだ。
 反対派の若者らは「ユダヤ人はユダヤ人を追放できない」と手拍子で絶叫。互いに腕を組んで床に寝そべり、3〜4人がかりで引きずり出そうとする兵士たちに懸命に抵抗した。
 一方、約800人の反対派がろう城したクファルダロムのシナゴーグでは、屋上から生卵を投げつける若者らに高圧放水銃を浴びせた後、警官隊が突入した。
 強制排除2日目のこの日は、クファルダロムなど計4カ所の入植地で新たに撤退作業が進められた。各地で家屋やタイヤに火がつけられるなど抵抗が続いた。
 イスラエル放送によると、警察幹部は18日の政府閣僚会議で、入植者らの撤退が22日か23日には完了するとの見通しを報告した。
 ◇礼拝堂に反対派1000人 通路に油まき抵抗
 【ネベデカリム(ガザ地区南部)樋口直樹】イスラエルの撤退作業が続くガザ地区最大のユダヤ人入植地ネベデカリム。軍・警察部隊は18日午後3時半(日本時間同9時半)、約1000人の反対派が立てこもるシナゴーグ(ユダヤ教礼拝堂)へ突入、強制排除に入った。ユダヤ教徒がほぼ100%を占めるイスラエルで、政府が宗教施設での強制執行に踏み切るのは極めて異例だ。
 「10分間の猶予を与える。そこから離れなさい」。午後3時20分、シナゴーグのある複合施設をぐるりを包囲していた部隊の司令官が、スピーカーを通じて最後通告を行った。
 立てこもっていた反対派の若者が、兵士を滑らせようと外からシナゴーグのある2階へ続く狭い坂道に食用油をまく。男女別に集まった2カ所の礼拝堂からユダヤ教の歌声が響き渡るなか、数千人もの部隊が隊列を整えて施設内へ突入した。
 「ただ祈るだけです。同じユダヤ人同士が憎しみ会うことのないように」。ヨルダン川西岸の入植地から10日前に祖父母が住むネベデカリム入りした主婦マルガさん(26)は18日朝、シナゴーグのある複合施設まで数十メートルに迫った軍部隊の包囲網に目をやり、強制排除を前にした心境をこう語っていた。
 シナゴーグに立てこもる反対派のほとんどは、ガザ地区外から駆けつけた「応援組」。反対派のシンボルカラーのオレンジ色のTシャツを着た人々の大半は10代の若者で、軍の突入前に屈託なく話し、元気に歌をうたう様は夏休み中の合宿のようにも見えた。
 ガザ地区とヨルダン川西岸は、イスラエルが67年の第3次中東戦争で占領した土地だ。国際社会はガザと西岸にパレスチナ人の独立国家を建設させ、イスラエルとの平和的共存を目指す方向で一致しているが、両地を「神に約束された地」の一部とみなす宗教的な右派勢力は、占領地からの撤退をかたくなに拒んでいる。
 反対派の怒りは、軍や警察にではなく、ガザ撤退を決定したシャロン首相と撤退を強く後押ししてきた米国に向けられている。「ブッシュ(米大統領)とシャロン(首相)は神と聖書に宣戦布告した」。シナゴーグに掲げられた大型ポスターのスローガンが、彼らの論理を象徴していた。
(毎日新聞) - 8月19日1時37分更新


ガザ入植地、21か所のうち16か所で排除完了
【エシュコル(イスラエル南部)=佐藤秀憲】ガザ地区のユダヤ人入植地で入植者らの強制排除を続けているイスラエル治安部隊は18日、ネベデカリムやガンオルなど新たに入植地5か所で排除を完了した。

 イスラエル放送によると、これでガザ地区の入植地21か所のうち16か所で排除を終え、撤去作業は大詰めを迎えた。

 クファルダロムでは、若者ら数百人が立てこもり、抵抗の拠点となっていたシナゴーグ(ユダヤ教礼拝所)の屋上に、治安部隊が同日夜、はしごを使って突入、若者らを強制排除した。若者の大半は、ヨルダン川西岸の入植地などから駆け付けた宗教右派の支援者。

 この際、若者らは治安部隊に塗料などを浴びせて激しく抵抗、治安部隊も高圧放水銃で対抗した。双方で60人近くが負傷、逮捕者は約220人に上った。15日から始まった撤去作業で、これほど大量の負傷者が出たのは初めて。

 治安部隊は18日、ガザ最大の入植地ネベデカリムでも、若者ら約1500人が居座るシナゴーグの制圧に成功した。

 治安部隊は同日だけで、入植者と支援者約5000人をガザ全体から排除した。
(読売新聞) - 8月19日12時28分更新
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2005/8/19

イスラエル、ガザ撤退関連ニュース(1)  イスラエルとパレスチナ、中東

(ニュース)
「ガザ撤退、死活的に重要」 イスラエル首相がTV演説
2005年08月16日10時30分、asahi.com
 イスラエルが占領地のガザとヨルダン川西岸の一部からの撤退に着手した15日、シャロン首相は国民向けのテレビ演説を行った。ガザ撤退を「イスラエルにとって死活的に重要」と強調。パレスチナ側がテロ組織を解体し、和平への姿勢を見せれば和平交渉を再開すると述べた。

 演説の多くは、撤退に反対している入植者への呼びかけにあてられた。入植者を「パイオニア(開拓者)」と称賛しつつ、ガザ撤退が「イスラエルの将来の利益になる」として理解を求めた。また、パレスチナ自治政府に対しては「今度はパレスチナ側が証しを見せる番だ。和平の手かテロ行為か、世界がパレスチナの反応を待っている」と述べた。

 ヨルダン川西岸地区で撤退対象になっている4入植地のうち2カ所では、15日中に入植者全員(55世帯)の退去が完了した。ガザ北部の3入植地(約400世帯)でも、ほぼ全員が17日午前0時(日本時間同日午前6時)の最終期限までに退去する見通し。

 一方、ガザ中南部の3入植地では15日、入植者が入り口を封鎖し、最後の説得に向かった兵士の立ち入りを拒むなど抵抗ムードが強い。


ガザ強制退去開始・イスラエル高官「数日で完了」
 【ガナイ・タル入植地(ガザ)=森安健】イスラエル軍は17日午前零時(日本時間同日午前6時)、ガザ地区の入植地から住民を強制的に退去させる作戦を開始した。各入植地には兵士を乗せたバスが次々と到着。朝にも一斉突入が始まる。イスラエル首相府高官は16日「数日間のうちにガザにはイスラエル人がいなくなる」と宣言。ガザ撤退計画は「力」による実行段階に入った。
 17日午前5時過ぎ、ガザの入り口キスフィム検問所では数百人の撤退反対派が軍の進入を防ごうと最後のデモ、座り込みを敢行。警察は数十人を逮捕したもようだ。
 イスラエルラジオによると、軍と警察は17日、まず7つの入植地で集中的に退去作業を進める。各入植地の前では大量の兵士を乗せたバスが並び、入植者を運ぶためのバスも待機した。ガザの入植者8500人のうち半数強はすでに退去済み。残りの4000人近くの住民と撤退反対を訴える活動家約5000人が強制退去の対象になる。兵士は1軒につき17人の割合で入植地に乗り込む。最後の説得を試みたうえで、応じない場合は強制的にバスに乗せ、入植地の外に連れ出す。 (日本経済新聞)


ガザ撤退 入植者を強制退去 大規模衝突なし
 イスラエル軍部隊は17日、ガザ地区最大のユダヤ人入植地ネベデカリムなど6カ所で、入植者の強制退去に一斉に着手した。1967年の第三次中東戦争でイスラエルが占領したガザ地区の入植地撤去が本格化した。懸念された反対派との激しい衝突はなかった。

 AP通信によると、軍は反対派排除のため、約1万4000人の部隊を投入。反対派は一時シナゴーグ(ユダヤ教会堂)に立てこもるなどして激しく抵抗した。一部入植地では強制退去を完了した。ガザ地区北部では、自主退去が完了した空き家の取り壊しも始めた。

 軍高官は強制退去が予定よりも早く進行していると言明。軍の副参謀総長は17日、9月4日が目標だった退去が、来週初めにも完了する可能性があると述べた。

 軍部隊はブルドーザーも投入、午前8時(日本時間午後2時)すぎからネベデカリムやモラグなど南部の入植地に入り、入植者を刺激しないよう武器を携行していない兵士らが、入植者を自宅などから退去させ、バスで運んだ。モラグでは女性兵士1人が活動家に針で刺されて軽傷を負った。

 ロイター通信によると、北部ドギトなど4カ所でも17日朝までに全員が自主的に退去した。

 農場の温室や家屋をパレスチナ人に残さないよう、退去前に火を放つ入植者の姿もみられた。

 軍幹部は16日夜、ガザ地区21カ所の全入植者約8000人のうち「半数近くが退去した」と語っていた。ガザ地区以外から入り込んでいた反対派は推定約5000人。

 シャロン首相は15日に入植者に2日以内の自主退去を命令。17日午前0時(日本時間同6時)で退去期限が切れた。(共同)
(08/17 23:27)


入植者が銃撃、パレスチナ人4人死亡 ヨルダン川西岸
2005年08月18日11時27分、asahi.com
 ヨルダン川西岸パレスチナ自治区中部のユダヤ人入植地シロにある工業団地で17日夕、入植者がパレスチナ人労働者に発砲、4人が死亡した。イスラエルのシャロン首相は同夜、「ガザ撤退阻止を狙ったテロ」との見方を示したが、イスラエル紙ハアレツによると実行犯は警察の調べにガザ撤退とは無関係と供述しているという。

 イスラエル政府は事件がパレスチナ過激派の報復を招き、撤退プロセスに影響を与えることを警戒している。

 イスラエルのチャンネル10テレビによると、実行犯はシロ近郊の別の入植地に住む男性運転手(40)。男が工業団地から帰宅するパレスチナ人労働者を車に乗せた際、入植地の警備員から奪った銃で2人に発砲し、さらに工業団地の建物に侵入して発砲したという。シロも男が住む入植地も、撤退の対象にはなっていない。


ガザ撤退、半数の入植地で完了 強制排除で24人軽傷
2005年08月18日19時25分、asahi.com
イスラエルのガザ撤退で、ユダヤ人入植者の強制排除が始まった17日の深夜までに、21入植地のうち11カ所で住民の退去が完了した。強制排除により兵士や住民ら24人が軽いけがをしたが、入植者側は多くの入植地で治安当局との交渉に応じるなど、治安当局が当初予想したような大規模な抵抗は起きていない。
強制排除で住民の退去が完了したのは、人口が100人前後の小規模な入植地が中心。外部から入り込んだ宗教右派勢力が立てこもっている入植地での強制排除は、18日以降に持ち越された。
ガザ最大の入植地ネベデカリムでは17日深夜、約60世帯が残っているほか、1000人を超える外部からの支援者がシナゴーグ(ユダヤ教礼拝所)に立てこもって抵抗を続けている。治安当局は入植者の代表と18日に自主退去の交渉を再開する。
イスラエル紙ハアレツによると、治安当局はネベデカリムでの退去を完了させた後に、残る入植地で排除に着手する計画だ。


「ガザ撤退は順調」とイスラエル軍
2005.08.18
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