2005/8/29

「教え方」をどうするかこそ議論すべきなのでは  障害者問題・教育問題

日本の子供たちが学力低下しているので全国一律学力テストが復活するという話が出てきていて、学力テストはいいか悪いかという議論があるようだけど、どうもこういう議論は問題の本質を逸れてしまっている議論のような気がしてしまう。
僕が思う、肝心な問題の本質とは、子供たちの学力が低下しているのは教師の「教え方」の工夫が足りないところがあるからではないか、今の子供たちにもっと伝わるようにするにはどのような「教え方」をすればいいのだろうか?ということである。
本当は、そこのところこそ、文部省と現場の教師が一緒になって議論を交わし、そして具体的なよりよい今の子供たちへの「教え方」を考えて行くことが必要なのではないだろうか?と思う。
たとえば、今の子供は数学が出来なくなっているらしいが、これは小学校低学年の段階で数字などを概念的に把握できなくなっている傾向があるからだという。おそらくテレビ、インターネットが発達したビジュアル時代の影響もあるのだろうが、抽象的な概念の把握力が落ちているのではないだろうか? そうした今の子供たちに数学を教えるには、ビジュアル的に具体的なものを示して教えるといった「教え方」の工夫が必要になってくるのではないだろうか?
つまり、肝心なのは、今の子供たちに分かりやすい「教え方」の工夫を編み出して行くことではないかと思うのである。
僕は全国一律学力テストを復活させることに特に反対ではないけれども、学力テストをただ復活させたからといって、学力低下がふせげるわけではないと思う。問題は、学力テストを行った結果をどのように「教え方」の実践に生かしていくかということである。たとえば、学力テストを行った結果、ある小学校で特別、数学の平均点が良かったとする。それはその小学校の教師の「教え方」が工夫されていて上手いものであるためだったならば、そのような「教え方」を文部省が把握して、全国の他の教師たちに伝えて行く。こうした実践において、学力テストをする意義が出てくるのだと思う。
そのような実践に結び付けないで、学力テストはやるべきなのか、かえっていたずらに競争を招くものだからやらないほうがいいのか、と議論をしていても始まらないのではないだろうか?
どうも、文部省関連の教育の議論は

・学力テストをやるのがいいのか、悪いのか?
・「ゆとり教育」はいいのか、悪いのか?
・授業時間数を増やすのがいいのか、悪いのか?
・30人学級にするのがいいのか、悪いのか?

といった議論をするばかりで、学力テストをやるならそれをどう教育の実践に生かして行くのか、「ゆとり教育」をやるならそれをどう教育の実践に生かして行くのか、30人学級にするならどういう教え方にするのか、といった議論に繋がって行っていない気がするのだ。そういう「教え方」の実践の具体的な議論へと繋がって行かないのならなんのための議論なんだかがよく分からなくなってしまうのではないだろうか。
たとえば、30人学級にするメリットは、ひとりひとりの子供に懇切丁寧に教えられる可能性を持つということだろう。しかし、30人学級にしても、40人学級の時と全く同じように教師が教壇から講義をしているのならばひとりひとりの子供の理解はなんにも変わらない。ただ40人を30人にしてもそれだけでは何も違わないのである。30人にするなら「教え方」を変えてこそ、30人にする意味合いが出てくるのだ。だから、「教え方」をどう変えて行くのかを議論しないで、30人学級にするのがいいかどうかを議論していても仕方がないと思うのだ。

以上は、教育に関して全く素人の人間が勝手に考えたものである。
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2005/8/29

『シャーリー・テンプル・ジャポンpart2』  映画

『シャーリー・テンプル・ジャポンpart2』
(池袋シネマロサでレイトショー)
初めて見る冨永昌敬監督作品。こりゃ、型破りな作品。でもどうせインディーズ映画ならこれぐらい、型破りにやってくれなきゃ、面白くないですよねえ。

文字(字幕、台詞)やバックに流れる音が暴力的とも思えるものなのに対して、映像はフィックス中心で極力、カメラが動かない長回しで、映像と文字、音がこの映画においては乖離しているのかもしれない。黒沢清監督の作品とちょっと通じるところがあるのだろうか。黒沢清もこの冨永昌敬も暴力的な衝動性をはらむ作品を撮ろうとしているように思うのだけど、なぜ映像は暴力的にパンクに繋がないのか? それは映像というものは特定の空間、時間を限定してとらえるものなので、暴力的な衝動性ということでは空想を広げられる「文字」の世界にかなわないところがあるからではないだろうか? 本当に暴力シーンを撮ったり、暴力的なカット繋ぎをしたとしても、言葉の暴力性にはかなわないのだ。だから言葉の暴力性に対抗し、映像を印象に残すものにするためには、逆にフィックスでじーと撮る方向に行くのではないだろうか。
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