2005/9/30

北朝鮮に“値切られた”米  時事問題

今朝のスポニチ 「重村智計 梹謐゙メモ」より

 米ワシントン・ポスト紙は25日、6カ国協議の共同声明について「意見の相違を棚上げし、問題を先送りする古典的な手法の外交文書」と、批判した。同紙は、6項目11カ所に見解の異なる表現がある、と分析した。こうしたワシントンでの批判を気にしてか、米国のクリストファー・ヒル首席代表は、日本のメディアのインタビューに次々応じ、弁明に躍起だ。
 北朝鮮の交渉のやり方は、別に目新しいものではない。毎回同じような手口を使い、日本やアメリカを翻弄してきた。それを、ヒル代表が知らなかったか、事前の取材不足というしかないのだ。外交交渉は、一種のゲームである。
 韓国人と朝鮮人には、独特の買い物と交渉のリズムがある。これを知っていれば、交渉はそれほど難しくなかった。韓国では、かつてはデパートでも商品に正札がついていなかった。客が店員と値切り交渉をやっていた。南大門市場や東大門市場では、値切り交渉はいまでも当たり前だ。これを見ていると、あきない。店の主人が値下げに応じないと、交渉を打ち切り店を出るふりをする。それで、主人に「お客さん待ってくださいよ」と言わせると、客の勝ちだ。
 韓国人は、店の主人の提示した価格を半分まで値下げする。それには、「買わない」と言って交渉決裂のふりをすることが、大事だ。さらに、値切りに合意したとたん「おまけ」をつけさせる。これが、買い物の極意である。値切ったうえに、そばにある小物などを「これおまけにして」と要求する。
 北朝鮮の交渉も、これとまったく同じだ。交渉がほぼまとまると、突然別の要求を持ち出す。今回も、休会後の協議では突然「軽水炉」を要求した。米国は、予定外の要求にあわてた。合意とみせておいて「おまけ」を要求する同じ手口を使われた。アメリカが断れば北朝鮮は譲歩するのに、それがわからなかった。交渉決裂を避けようとして、つけこまれた。
 アメリカは1994年に、ジュネーブでほぼ合意が決まったとたん、北朝鮮に「重油50万トン無償供与」を要求され、受け入れた失敗の経験がある。これが生かされなかった。ヒル代表は、ソウルの市場で一度値段の値切り交渉をしてみるといい。ヒル代表には、次回の交渉で手腕をみせてほしい。
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2005/9/30

「物語」はいらないのか?  

かのライブドアの堀江氏の「女は金についてくる」式の言い回しをあながち無視できないのは、実際にいろいろそうしたことを実感せざるを得ない現実的な局面で生きていたりするからで、たとえば20代の時に付き合っていた女の子に、あなたといてはいつまでも貧乏だから、私は金持ちと結婚したいので別れますと言われて別れを告げられたという体験を持つ僕としては説得力を感じずにいれらないところはあるわけである。(なお、彼女は本当にその後、金持ちと結婚した。はっきりし過ぎだってば〜)
これは資本主義社会である以上はある意味、当然で、かのフィッツジェラルドの小説『グレート・ギャッピー』(映画版の邦題は『華麗なるギャッピー』)の、金持ちの娘に恋した青年が自分が貧乏だという負い目から求愛ができず、娘は別の男と結婚してしまうのだが、何年もたってから大金持ちになって彼女の前にあらわれるという、壮大な(笑)恋物語もこうした土壌から生まれているのだろう。このギャッピーの根性はたいしたものだと思うわけだけれども、僕はこのギャッピーのような根性もなくやっぱり貧乏なままであるわけで、そうすると彼女には先見の目があったと言わざるを得ないのではあるが。(な、情けない・・)
それにしても、このような堀江氏の言動が、反発も受けながらもなんだかんだいって世間に浸透しているように思えるのは、「物語性」を信じず、現実はこんなもんじゃないかということをずばり言ってしまう、あけすけのない姿勢が共感を得ているところがあるからなのではないだろうか? たしかに世の中、どんなにきれいごとの「物語」の御託を並べようと、結局は金で動いていたりするところはあるのだ。
だが、かといって、ただ「物語」を壊してあけすけのない現実を浮かび上がらせたとしても、それでは現実なんてこんなもんだ〜という思考に嵌ってしまい、ニヒルにウジウジするばかりで終わってしまうわけで、それでは面白くないし、「物語」が崩壊したとしても、新たな信じられる「物語」が社会を持続するためには必要なのであり、個人レベルでも、たとえばお金で女性を買っていればそれで満足し得るかというとそういうわけではないわけで、やはり「恋愛」という「物語」が必要であることもたしかなのではないだろうか?

まあ、自分がやっているのはドキュメンタリーなので「物語性」に頼るのとは少し、違うものはあるのだけれども、しかしドキュメンタリー作品と言えども、作品としてまとめる段階でなんらかの観念や物語性の基盤によってたつしかないこともたしかなのだ。
もちろん、やらせは基本的にはよくないと思う。それは、倫理的な意味でよくないということもあるけれども、それ以上に、やらせの画面はわざとらしくて面白くないのだ。ドキュメンタリーで取材を受ける人間はプロの役者ではなく素人であるわけだから、「こうしてください」と無理に指示してその人が普段、やらないことをさせるのはきごちない不自然な行為になってしまうのだ。(ただし、その人が日常的にやっている行為をやってもらうことや、カメラが回っていなかったのである動作を繰り返してやってもらうことはぎりぎり許容範囲だと思うが。)それではせっかくのドキュメンタリー作品としての魅力が半減してしまうわけで、取材者の人の自然な行為をつかまえて、そこからその人とその人に関連する社会の事柄の「物語」を見い出して作品として表現していったほうがドキュメンタリーとしての魅力を十全に生かしている作品だと思うのである。
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2005/9/28

「障害者自立支援法案」に反対を!  障害者問題・教育問題

法案通過が懸念されている「障害者自立支援法案」に反対しよう!
詳しくは下記のリンク先を参照してください。

32project(ブログ)
http://sea.ap.teacup.com/32project/

32project.com(サイト)
http://www.32project.com/
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2005/9/28

ハインラインのSF小説について  SF小説

唐突に映画からSF小説へと話が飛ぶけれども、ハインラインなどはまぎれもなくアメリカ的な作家ではないだろうか。
ハインラインのSF小説は、『夏への扉』が示すようにストーリーテリングが優れているわけだけど、『夏への扉』を「大衆的な読みものとしてのストーリーテリングに優れた作品に過ぎない」と言ってしまうのだとすればそれは違うと思う。いや、「大衆的なストーリーテリングに優れた作品」であることはまさにその通りだと思うが、そんなものに「過ぎない」というならば間違いである。まさにそういうものとして、「技巧的な面白さ」に集約されているかのような小説だからこそハインラインの小説は優れているのだ。
『夏への扉』は、スーパーマンでもなんでもない1人の生活人でしかない主人公がコールドスリープ(冷凍睡眠)という技巧を使ってささやかな個人的な幸福を獲得するという慎ましやかな話に「過ぎない」。ここでのコールドスリープは話の手段として使われるものでしかない。たとえばクラークのSF小説のような哲学的思弁性とは無縁である。
ハインラインはまさに明朗なるアメリカ精神の作家なのだ。それこそイーストウッドのように。明朗なるアメリカ精神とは1人の生活人(市民)が自分の力で独立を、自由を、個人的な幸福を獲得していく精神のことであり、ハインラインの作品はその明朗さゆえに、時にはタカ派的主張の作品になったり(『宇宙の戦士』)、ヒッピー文化思想的な世界を描き実際にヒッピーの人達の聖典として読まれる作品になったり(『異星の客』)するのではないだろうか。
つまり、ハインラインのSFとは、生活色がきちんとあるものなのだ。ストーリーテーラーであるとは、ストーリーを具体的に面白く語る技術のことであり、それはすなわち生活の中で人間がいかに生きるかを描くことなのではないだろうか。それは、観念的、哲学的な理屈としての思想ではなく、具体的に生活の中で人間がどう生きて行くかを描くことであり、ハインラインのSFは空想の世界を描くものであるにもかかわらず生活世界を無視した空想を描いているわけではないのだと思う。だからこそ、ある意味で「思想性」はこえてしまっているのであり、『宇宙の戦士』のようなタカ派的な作品も、『異星の客』のようなヒッピー文化思想的な作品もともにこの作家ならではの作品として成立しているのではないだろうか。
この明朗なるアメリカ的と思える精神性が、まさに技巧的な小説以外の何物でもないという「SFでしかない小説」として血肉化されてあると言えるのかもしれない。ハインラインの小説からは宇宙に対する哲学的思考よりもむしろ生活人レベルの実感が感じられるのだ。

なお、ハインラインとはタイプはまるで異なる作家のように思え、ハインラインよりもだいぶ屈折している作家のように思えるけれども、スタージョンも生活色がある、やはりアメリカ的な作家なのだと思う。スタージョンの作品は、SFなのにもかかわらず、実在する人物をモデルにして描かれているという。やはり生活実感的なところから描かれているSF小説なのではないだろうか。
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2005/9/28

リンクレイターの映画についてダラダラと書くと  映画

『がんばれ!ベアーズ ニュー・シーズン』はストーリーの大枠は旧作『がんばれ!ベアーズ』とほぼ同じ。それだけに、ひたすら演出と台詞のノリだけでリチャード・リンクレイター監督の持ち味を見せようとした、正しくプログラム・ピクチュア的な作品であると言えるのかもしれない。やはり『スクール・オブ・ロック』はまぐれではなかったのだ。
そして、そうしたプログラム・ピクチュア的な枠をこえる何かがリンクレイターの映画にはある。
かつて『スクール・オブ・ロック』について僕はこう書いた。

>あえて言えば、バカなやつをずっと見てると、バカでもいいじゃんという気持ちになってくるとでも言えばいいのか。バカの壁ならぬ、バカの山(バカも積み重ねれば山になるみたいな)とでも言うべき映画なのか。

「バカも積み重ねれば山になる」そう、それこそが、リンクレイターの映画であり、もしかしたら70年代的な映画、ヒッピー世代へのオマージュのあり方なのかもしれない。

最近、僕はすぐ70年代へのオマージュという言い方をしてしまっていて、たとえばスウェーデンのルーカス・ムーディソン監督の『エヴァとステファンとすてきな家族』(ジェンダー思想的な世界を描いている)や、デヴィッド・O・ラッセル監督の『ハッカビーズ』についてもそういう言い方をしている。
あるいは、ウェス・アンダーソン監督の『ライフ・アクアティック』とか。ウェス・アンダーソンは本当の映画の天才、たとえば相米慎二のような真の映画の天才だと思うけど。(『ライフ・アクアティック』しか、見てないけど。)
しかし、『エヴァとステファンとすてきな家族』や『ハッカビーズ』、あるいは『銀河ヒッチハイク・ガイド』は哲学的な思弁的な作品という感じがあるけれども、リンクレイターの映画はもっと生活に足がついた世界を描いている。
そこがある種、アメリカ的な職人監督という感じがする。アメリカ的な職人監督とは、生活実感的な世界での具体的な人間の生き方みたいなものをストーリーテリングとして面白く描いているみたいな感じで言っているのですが。
山田宏一は『スクール・オブ・ロック』について、ロバート・アルドリッチ監督の『ロンゲスト・ヤード』を思わせるというようなことを書いていた。そういうアルドリッチの映画のような、アメリカ的な精神性を持つところがリンクレイターの映画にもあるのではないだろうか。

*参考
Slow Train
山田宏一『スクール・オブ・ロック』評
http://channel.slowtrain.org/movie/column-eigasi/023/eigasi2301.html
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2005/9/27

『がんばれ!ベアーズ ニュー・シーズン』  映画

『がんばれ!ベアーズ ニュー・シーズン』
破天荒なコーチ、個性ある子供たち、辛辣でちょっと下品なところもある会話。これはあくまで『スクール・オブ・ロック』のリチャード・リンクレイター監督による『がんばれ!ベアーズ』なんだなあ。
しかし、ソーントンが演じる野球コーチは本当にひどい男で、女たらしで酒飲みで、ろくに子供たちに教えず、そのくせ勝つことばかりを考えて卑怯な手を子供に教える始末。おいおい、これではこのコーチは本当にただの我がままなやつなんじゃないのか? これ、ちょっとやり過ぎなのでは? 『がんばれ!ベアーズ』ってこういうのじゃなかったんじゃないか? と思いきや・・
見事に乗せられてしまいました。
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2005/9/24

『銀河ヒッチハイク・ガイド』  映画

『銀河ヒッチハイク・ガイド』
よくこんなスラップスティック・コメディSFを映画にしたなあ。
おしゃれなタッチのCGが作品世界にマッチしていて、やはりCG技術の進歩で作れるようになってきたところはあるかと思う。
この作品がうまく出来ているのは、「反転」を主題にするパラレルワールド的なところがあるんだけど、「反転」ということを巡る哲学的テーマが一貫しているので、次から次と別の世界へ行くことが散漫にならずにタッチとしてつながっている点かと思う。
特に、価値観転換銃というのは面白すぎるアイデアだけど、女性には効かないってそんなの、ありか?

ただ、『ハッカビーズ』で恋愛面が弱いと書いたのに続いて、またかよと言われるかもしれないけど、やっぱりマーティン・フリーマン、サム・ロックウェル、ズーイー・デシャネルの三角関係の描き方がなおざりになってしまっているのが残念。そういう面を描くことが本題の作品ではないのかもしれないけど、そういう要素も盛り込んでいる以上はきちんと処理して描くべきではないだろうか?
「世界一平凡な男」のアーサー・デント(マーティン・フリーマン)がいかにして彼女に対する接し方を変えたのか? 哲学的な理屈ではその「心」を納得したんだけど、具体的な描写でも納得させてほしかった。
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2005/9/17

『四月の雪』  映画

『四月の雪』
失恋したばかりなのに男ひとりでこういう映画を見にいっている俺って・・。

しかし、新宿の映画館、初日なのにガラガラだったぞ? ヨン様ファンはどうしたんだろう。もう見てるとか?(補足・日比谷のほうで混んでいたらしいです。)

まあ、こっちはもちろんペ・ヨンジュンよりホ・ジノ監督の映画だから見に行ったんですが。
いやー、それにしてもホ・ジノ、上手いねー。こんなありえない展開をスムーズに自然になるようになっているかのように見せてしまうなんて凄い。「私たち、どうなるんでしょう?」という台詞があったけど、ホ・ジノ監督の映画世界もますます発展していて、この先、どうなっていくんだろう・・。

ただこの世界にペ・ヨンジュンは微妙に合わないかな? 主人公は寡黙な男という設定なんだけど、どうもペ・ヨンジュンは『冬のソナタ』でキザな台詞をポンポン言える男というイメージがあるので違うような気がする。もしかすると、見るこちらが『冬のソナタ』のイメージにとらわれ過ぎていてそう感じるだけなのかもしれないけど。

それにしても、ホ・ジノ監督はどうやってああいう微妙な役者の表情の演技をつけているのだろうか? たとえば怒って下さいと言えば怒りの表情が出来るというもんでもないと思うんだけど。もちろんある種の演技のパターンとしての怒りの表情とかは多くの映画やドラマであるんだけど、ホ・ジノの映画は独特の微妙な表情をとらえているからなー。出だしのシーンからすでにそうですが。もはや名人芸の域に達しています。
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2005/9/12

なみおか映画祭、終結に  映画

なみおか映画祭、残念ながら終結。
関係者の「終結の辞」は以下の通りです。
http://nff.jp/
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2005/9/10

水俣病被害者、人権救済を申し立て  公害・薬害・環境・医療問題

*水俣病闘争で新たな動きが出てきました。

(ニュース)
九弁連に人権救済申し立て 水俣病の未認定患者団体
 水俣病の未認定患者らでつくる「水俣病出水の会」(尾上利夫会長)は8日、九州弁護士会連合会に人権救済の申立書を送付した。国や鹿児島、熊本両県とチッソに十分な被害補償などをするよう勧告を求めている。
 申立人は、昨年10月の関西水俣病訴訟最高裁判決後に鹿児島、熊本両県に患者認定を申請した約1200人のうち563人。
 申立書は「判決以後、具体的な対策の見通しがなく、環境省と交渉を試みても前向きな対応が得られなかった」と指摘。環境省の提案する保健手帳の手当も不十分として、医療、福祉施策の早期実施や認定基準の見直しを求めている。
 尾上会長は「国や県に何度も要望したが、責任を感じていない。患者を放置しようとしている」と話している。
(共同通信) - 9月8日17時16分更新


水俣病で人権救済 九弁連に申し立て 出水の被害者団体
 鹿児島県出水市の水俣病被害者団体「水俣病出水の会」(尾上利夫会長)は八日、「水俣病公式確認後、原因企業のチッソ、国、熊本、鹿児島両県は救済や補償を怠り人権が侵害されている」として九州弁護士会連合会(九弁連、福岡市)に人権救済を申し立てた。

 申立人は昨年十月の水俣病関西訴訟最高裁判決後に熊本、鹿児島両県に認定申請した同会員五百六十三人。申立書では、チッソに謝罪と賠償、支援措置を、国と両県には生活の保障の実施をそれぞれ勧告するように求めている。九弁連によると、申し立てを受理すれば実態調査を行うという。
(西日本新聞) - 9月9日2時42分更新


水俣病出水の会 人権救済申し立てへ 国、県、チッソ相手に(熊本日日新聞、9月8日朝刊)
 水俣病関西訴訟の最高裁判決後に新たに患者認定申請した被害者らでつくる「水俣病出水の会」の五百六十三人が八日、国と熊本、鹿児島両県、原因企業チッソの四者を被申立人に、九州弁護士会連合会(福岡市)の人権擁護委員会に人権救済を申し立てる。

申し立てるのは、出水市や出水郡など鹿児島県在住の三百三十二人、芦北郡や水俣市など熊本県の百九十七人、県外の三十四人。

申立書は「最高裁判決で水俣病を発生・拡大させた責任が、チッソだけでなく国、熊本県にもあることが確定したにもかかわらず、公式確認から五十年にわたって十分な救済・補償を怠っているのは人権侵害」と指摘。政府解決策で交付された医療手帳に比べ、判決後の新対策として実施される新保健手帳の給付が不十分であることなどを申し立て理由に挙げている。

その上で、国、熊本県に対して不知火海沿岸地域での健康調査と患者掘り起こしを進め、被害補償と生涯にわたる生活保障、医療・福祉施策を確立するよう要求。チッソには謝罪と相応の賠償などの早期実施を求めている。鹿児島県にも認定基準の積極的な見直しを要望。九弁連人権擁護委の勧告を求め、申立書を郵送する。

九弁連によると、申し立てを受理・採用した場合、内容を調査し、被申立人に対して警告や勧告、要望をすることができる。法的拘束力はない。

同会の尾上利夫会長は「国は被害者の声に全く耳を傾けないまま新対策を強行しようとしている。多くの弁護士に支援してもらい、裁判の検討も進めたい」と話している。追加申し立ても検討しているという。(並松昭光)
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2005/9/10

東京22区の最年少候補者  

いよいよ選挙投票日が近付いてきましたが、皆さん、とにかくいきましょうね。
ところで、選挙だから・・ということとは全く関係なく、ここ数日、個人的な恋愛関連のほうに頭がいってしまい、ここの更新も止まっておりましたが、なんとか、まだ脈はありそうなので良かったです。今後、どうなるか、分からないけど。はぁー。(他人には全くわけが分からないことを書いていてすみません。)
唐突ですが、自分はナンバーワンにはなれなくてもオンリーワンになりたいな、と思いました。
(補記・結局、5日後に失恋。)

それはさておき、東京22区(狛江・三鷹・調布・稲城)の最年少候補者はなかなか世代感が溢れるユニークな政策を掲げているようです。こいつはオンリーワンになれるやつかも? 小泉首相が言う「改革」よりも具体的に世の中を変えて行くような気がします。

(参考)
東京22区(狛江・三鷹・調布・稲城)の山下万葉候補(25歳)

◇私の主な政策◇
(要約。全文は以下にあります。)
http://www.renpou.com/zeon/senkyo/yamashita_02.jpg

◎学校・いじめ問題
・文科省の責任で全てのいじめ経験者に人生の補償を行わせます。
・加害者の歪んだ性格を直す特別プログラムを組みます。
・元被害者を除く加害者に、被害者の苦しみや孤独を理解させる教育を行います。

◎アニメ・声優界改革による若者の雇用確保
・志望者全員が確実に声優になれるよう、国が作る公設民営人材バンクを創設します。
・またアニメ文化の更なる発展を図り、作品の数を増やし、アニメ専門のTV局を国営で作ります。
・声優業界の体質を改善し世代の淘汰を図ります。
・既存の劇団、プロダクションそして悪名高き専門学校と養成所の廃止を目指します。

◎性風俗対策・グループホームの整備
・風俗店で働く女性たちの心のトラウマは深刻です。彼女たちの生い立ちに原因があります。心と身体を癒す同じ仲間同士で過ごせるグループホームを整備します。
・彼女たちをいたわる、肉体関係を結ばないことを前提とした優秀で優しい男性の世話人を確保します。

◎アミューズメントパークに働く女性の問題と外交親善使節団結成
・東京ディズニーランドをはじめ、全国の遊園地で接客をしている若い女性の地位向上を図るため、彼女達が直接運営する様々な歌劇団や野球などのスポーツチームを創ります。
・外務省に、ディズニーランドに多い童顔で天真爛漫な美しい女性でつくる外交親善使節団を創り、日本外交の要に据えます。
・各企業の女性で作る女子野球チームを編成統合し、日本に女子プロ野球リーグを誕生させます。

◎青少年の居場所づくりと部活動活性化
・青少年が様々な遊びをし、自然の中を冒険する青少年施設を全ての市町村に造ります。
・放課後の部活動に子供と一緒に遊ぶ相手役としてディズニーランドの心優しい若い女性キャストを招き、教師にも登用します。
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2005/9/9

なみおか映画祭の補助金打ち切り  映画

*たぶんこういうことを決めた青森市教育委員会は真面目な方々で、ロマンポルノを見たこともなく、戦後、日本映画を代表する監督のひとりである神代辰巳監督の名前さえ、知らないのだろう。「ポルノ上映? そんなのいかん」と決めてしまったのだろう。
せめて映画を見てから決めて欲しかった。もし見ていたなら、神代監督作品22本を見たならば、その素晴らしさに圧倒されていた・・はずだから。

(ニュース)
<なみおか映画祭>今年限り ポルノ上映で補助金打ち切り

全国の映画ファンに親しまれている青森市の「中世の里なみおか映画祭」の実行委員会は8日、映画祭を大幅に縮小し、今年で最後とすることを決めた。日活ロマンポルノを特集する企画に、市教委が補助金130万円を打ち切り、会場も貸さなくなったため。文化庁は日活ポルノの芸術性を認めて補助を決めていた。

映画祭は92年に「映画館のない町で国内にないような映画祭をやろう」と青森市と合併する前の旧浪岡町で始まり、今年が14回目。これまで国内外からフィルムを買い取るなどして上映してきた。今回は11月19日から23日まで、日活の巨匠と言われた神代辰巳監督を取り上げ、22作品を上映する予定だったが、内容を知った市教委が「補助事業にふさわしくない」として、実行委に補助金を出さないことを伝えていた。
(毎日新聞) - 9月8日22時39分更新
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2005/9/3

『運命じゃない人』  映画

『運命じゃない人』
カンヌで受賞し、口コミの評判もいい作品なのですが、見て納得しました。
よく出来たシチュエーションコメディだと思います。
内田けんじ監督のインタビューを読むとビリー・ワイルダーが好きらしいですが、中村靖日が演じる宮田という主人公はちょっとジャック・レモン的なキャラクターが入っているのかなと思いました。
そう言えば、演出のディテールで、中村靖日と霧島れいかが「足の演技」をするシーンがあるのですが、この「足の演出」もちょっとワイルダーっぽい気がしたなあ。
それから、ちょい役で出てくるタクシーの運転手がいいですねえ。ああいうキャラクターもなんか、昔のハリウッド映画を見ているみたいです。たとえばフランク・キャプラの映画に出てきそうな端役。
霧島れいか、板谷由夏が演じる女性のキャラクター造型もそれぞれ、面白いと思いました。最初、霧島れいかは純情な女、板谷由夏はファムファタール的な悪女という風に対比させているのかと思ったけど、そうではなかったですねえ。それぞれ、女の恐さと魅力を持っていました。
とにかくよく練られた脚本かと思いました。

『シャーリー・テンプル・ジャポンpart2』(冨永昌敬監督)という「アンチ脚本主義」的な作品と、この『運命じゃない人』という徹底的に脚本を練った作品と、2本の期待できる日本映画の新鋭監督の作品に出会えて嬉しいです。

(9/4補足)
それから台詞も面白いと思いました。
実はけっこう「説明的」な台詞があるのですが、友達に思わず説教をするとか、登場人物の性格を表わすものとして使われているんですね。だから「説明台詞」であることを観客にあまり感じさせないで面白く見せているんです。それでも「説明台詞」であることに気がついてしまう観客は台詞にひっかかってしまうかもしれないけど、この作品の台詞の場合はエンターテイメントのつくりの中でうまく観客に情報を与えることに成功していると思います。
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2005/9/1

『メゾン・ド・ヒミコ』  映画

『メゾン・ド・ヒミコ』
『ジョゼと虎と魚たち』の犬童一心監督、渡辺あや脚本の第2弾。
ゲイの老人ホームという奇抜な設定で、北村道子氏担当のきらびやかな衣裳も含めてどうも現実離れした雰囲気で、少女マンガならともかく映画ではこういう世界は難しいのかなあと思って前半は溶け込めないで見ていたのですが、後半、ひねりにひねった展開で、表面上はきらびやかな世界の背後にある登場人物たちの思い、心の揺れ動きが浮かび上がってきたように思います。
西島秀俊が演じるノンケの男が、オダギリジョーが演じる男と対照的とも思えるキャラクターで、この「ひどい男」を西島が好演していて、この男がいることがヒロイン(柴咲コウ)の思いをリアルにとらえ出す点でポイントになっているように思いました。西島秀俊は「ひどい男」「ダメな男」をうまく演じる役者ですね。
それにしても、『ジョゼと虎と魚たち』もそうでしたが、この脚本家は男を辛辣に描くなあと思います。この点は今回もタジタジしてしまいました。
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