2005/11/9

カネミ油症関連記事(読売新聞)  公害・薬害・環境・医療問題

*読売新聞、西部朝刊に掲載されたカネミ油症の記事です。

(ニュース)
カネミ油症 発生37年、苦しみ今も 
◆「何も解決しとらん」 公的な救済、枠組みなし/狭い診断基準、長年運用/仮払金の返還、心労重く
 カネミ油症事件を取材するたびに、「ひどいボタンの掛け違い」という思いに駆られる。食用油に猛毒が混入した食中毒事件で、責任の所在ははっきりしているのに、被害者に対する公的な救済の枠組みがないのは、他の公害や薬害事件と比べ、著しく不公平だ。厚労省委託の治療研究班はダイオキシン類という原因物質に到達しながら、治療法の開発に成功していない。裁判終結時の不手際で被害者は生活面でも窮地に追い込まれ、「人権救済」を申し立てる事態になった。政治救済の道を探るべきだと思う。
■1冊の本の衝撃
 3年前、油症被害者の矢野トヨコさん(82)(福岡県小郡市)が書いた運動の記録「カネミが地獄を連れてきた」(1987年刊)を読んだのが取材の始まりだった。
 油症に侵され一変した家族生活、未認定の被害者の掘り起こし運動の中で生じた被害者同士の仲たがい、弁護士らとの意見対立、乳がんの発病――希望と絶望に揺れた9年間が、驚くほど率直につづられ、きわめて記録性が高いことを直感した。
 訪ねてみると、トヨコさんと夫・忠義さん(72)は、国への訴えの取り下げで生じた仮払金の返還請求によって、今も被害者が自殺や離婚、家族の対立などに苦しんでいることを、生々しく語ってくれた。
 「なんも解決しとらんとです。診断基準も見直されず、未認定患者は救われんまま。奇病とか差別とかを恐れて隠れていた被害者が立ち上がらん限り、一歩も解決せんと思います」
 油症による疾患でしわがれた声で、トヨコさんはずばずばと話した。
■診断基準の問題点
 油症は1968年10月に発覚。翌69年7月までに福岡、長崎、佐賀、山口、大阪など西日本各地で1万4627人が保健所などに被害を届け出た。症状は視力減退、腰や手足のしびれ、つめの変形と変色、重度の目やに、ニキビ状の黒い発疹(ほっしん)、黒い赤ちゃんの出産など実にさまざまだった。
 激しい皮膚症状の患者は九州大学付属病院(福岡市)で治療を受けていたが、医師が保健所への届け出を怠っていたため、被害が広がったといわれる。新聞報道で「奇病発生」が報じられた後、九大病院は「油症研究班」を設置して診断基準を作成。これを基に翌年までに913人(届け出者の6・2%)が油症と認定された。大半が「油症ではない」とされたことで、未認定問題という大きな禍根を残してしまった。
 トヨコさんは、診断基準の問題点を早い時点から指摘していた。
 「家族で同じ油を使ったものを食べているのに、主人らはなかなか認定されなかった。九大病院にかかった患者の症状だけで油症の病像を決めてしまったからです」
 「食品を食べて異状が起きれば食中毒の被害者になるんと違いますか。油症に限って、法律(食品衛生法)に何の規定もない診断基準やら認定制度が作られ、まかり通ってしまった」
■窮地の原告被害者
 国などを相手取った民事訴訟が最高裁で逆転敗訴の可能性が高まり、訴えを取り下げた際、仮払金の返還が問題になったが、原告弁護団は「国から返還請求が来ても払う必要はない」と判断した。しかし、9年後の96年から、国は全国の裁判所に1人平均300万円の支払いを求める調停を申請、約830人の被害者と家族は窮地に立った。
 長崎県五島市で被害者グループの事務局を担う宿輪敏子さん(44)は、「被害者ではなく、賠償金を払っていないカネミ倉庫から取り立てるべきです。国の督促状に悲観して自殺したり、離婚したりした家庭が相次いでいる。いったい、私たちに何の落ち度があるのでしょうか」と憤りを隠さない。
■厚労相の決断
 PCDFは75年に確認されたが、診断基準に追加されたのは2004年9月。30年近い「空白」の理由を研究班と厚労省は十分に説明していない。さらに、診断基準への追加そのものが、医師でもある坂口力・厚労相(当時)が自ら論文や資料を読んで決断したことを今回知り、あぜんとした。
 一方、発症から37年たち、体内に残留するPCDFの量や濃度は個人差が大きい。「濃度が低いから油症ではないと断言出来るのか」という疑問もわく。
 研究班の一員でもある長山淳哉・九州大医学部助教授(58)は今年3月に出した著書「コーラベイビー」で、「油症が原因ではないということの証明をせず、ただ年齢のせいだとか、神経が過敏になっているなどと、被害者の苦痛を一笑に付してしまう。そういう認定作業にかかわった専門家の態度にこそ問題がありはしないか」と重大な指摘をしている。
■政治の力示せ
 昨年から今年にかけて463人の被害者が、日本弁護士連合会に人権救済の申し立てをした。
 認定されても「23万円の一時金」と「医療費の一部補てん」だけという加害企業の償いの粗末さ、公的な医療・生活支援が全くないこと、仮払金処理の不手際による新たな苦しみ――。もはや政治の力による救済の特別立法しかない、という悲痛な訴えだ。与野党の国会議員の中で議員立法を検討する動きが起き、日弁連も来年3月までには国などへ勧告を出す見込みだ。これが、政治救済の最後のチャンスとなるのではないか。
          ◇
◆救済議員立法しかない――坂口元厚労相に聞く
 カネミ油症がダイオキシン被害であることを2001年12月、国会答弁で初めて認めた坂口力・元厚労相(公明党副代表)に、診断基準見直しのいきさつと救済に向けた取り組みについて聞いた。(以下敬称略)
 坂口 治療研究班や世界のダイオキシン研究者の論文などを読むと、PCDFが主な原因だと明確に書いている。ごく微量でもPCBより格段に毒性が強い。これはえらいことだと思っていた時、参議院で質問されたので「見直すべきだ」と答えた。
 ――厚労省の反応は?
 「なぜ、診断基準を変えないのか」と役人に聞くと、「いや、PCBが中心です」という。PCDFへの認識は薄かった。「検査体制がない」とも言うので、「それを向上させるにはどうするのか」と迫ったら、1、2年で出来るようになった。やる気になれば出来るんだよ。ただ、診断基準を変えるということに対しては、研究班の中でかなりの反発や抵抗があったと聞いている。
 ――新基準で20人が認定を受けたのは評価できるが、累計で1887人。もっと救済出来ないのか。
 坂口 研究班長にPCDFの主症状を尋ねると、「皮膚症状と痛み、だるさ」だという。痛みやだるさは他人にはわからないので、皮膚症状で診断するしかないようだ。ダイオキシン被害とわかったが、今となってはPCDFの残留濃度で線引きをするしかないと思う。
 ――国の「仮払金返還請求」に被害者や家族が苦しんでいるが。
 坂口 原因は裁判終結時の不手際だから、弁護士(原告弁護団)が自ら責任を認め、仮払金の中から受け取ったもの(報酬など)を返すことから始めるしかないと思う。
 ――森永ヒ素ミルク事件のように厚労省が間に入って救済基金を作れないか。
 坂口 役人はなかなか動かない。議員立法の法案を作り、通常国会に提案できるようにしたい。ただ、法律は過去にさかのぼれないので、油症被害者の救済には知恵がいるね。
〈カネミ油症事件〉
 1968年、カネミ倉庫(北九州市)製の食用米ぬか油に熱媒体のポリ塩化ビフェニール(PCB)が混入、油を摂取した人たちに激しい皮膚症状や内臓、神経疾患などが生じた食中毒事件。
 原因食品は「カネミライスオイル」、病因物質はその後の調査研究でPCBの加熱で生じたポリ塩化ジベンゾフラン(PCDF)とコプラナーPCBというダイオキシン類が主であることがわかった。認定された被害者は国やカネミ倉庫、PCBを製造した鐘淵化学工業(現カネカ)に損害賠償を求めて提訴。87年、最高裁で鐘化と和解が成立、国への訴えを原告が取り下げ、裁判は終結したが、9年後に27億円の仮払金の返還を国(農水省)が請求し、元原告の被害者と家族が反発している。
(読売新聞、西部朝刊2005年11月5日、小川直人編集委員)
◇小川直人(おがわ・なおと)
 1970年読売新聞西部本社入社。大分、山口支局、福岡総局、社会部の記者、デスク、山口総局長などを経て2001年9月から編集委員。04年11月から論説委員兼務。医療事故、被害者問題、日本の身体文化などに関心を深めたい。58歳。
Eメール:gawa2123@yomiuri.com
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2005/11/9

訃報・小林米作カメラマン  映画

*以前、2005年7月20日付の記事「小林米作カメラマンが100歳に」で書いた、100歳で科学映画の現役カメラマンとして活躍されていた小林米作氏が死去。ご冥福を祈ります。

(ニュース)
訃報 小林米作氏(こばやし・よねさく=記録映像作家)
6日午後11時20分、老衰のため神奈川県茅ケ崎市の病院で死去、100歳。新潟県出身。自宅は茅ケ崎市中海岸4の1の31。葬儀・告別式は8日午後0時半から茅ケ崎市新栄町6の10、茅ケ崎斎場で。喪主は長男武史(たけし)氏。
 顕微鏡撮影の科学映画「ミクロの世界」などで知られた。武史氏と二男健次氏はともにバイオリニスト。

*参考
科学映画の父 小林米作氏100歳(写真)
http://omni.way-nifty.com/photos/yone_kobayasi_/

小林氏が会長をつとめていたヨネ・プロダクション
http://www.yoneproduction.jp/
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