2006/2/28

訃報 樋口源一郎監督  映画

『女王蜂の神秘』『細胞性粘菌の行動と分化』など多くの作品で知られる科学映画の長老、樋口源一郎監督が2月23日、亡くなられたそうです。99歳。3月14日に100歳をむかえられるはずだったのですが、目前に亡くなられました。お悔やみ申し上げます。
下記の作品の上映が予定されていましたが、追悼上映会になってしまいました。

■阿佐ヶ谷北口「よるのひるね」<粘菌映画・上映会>
2006年3月5日(日) 13:30〜/14:30〜/15:30〜/16:30〜 の4回
『真正粘菌の生活史』(1997年/28分)を上映。
料金:¥1,500(1ドリンク付)
会場:JR阿佐ヶ谷駅北口ヨリ徒歩30秒
夜の喫茶店「よるのひるね」
http://members.jcom.home.ne.jp/yoruhiru/

■神田小川町neoneo坐の特集上映
「百歳の映画作家 樋口源一郎〜生命(いのち)のスペクタクル」
3月11日(土)〜19日(日) ※13日(月)は休映。
期間中に合計21作品を上映(うち7作品は参考無料上映)。
『長崎の子』(1949年)
『たのしい科学 動物の口』(1958年)
『たのしい科学 磯の生物』(1959年)
『たのしい科学 プランクトンの話』(1959年)
『たのしい科学 植物の生長』(1960年)
『女王蜂の神秘』(1962年)
『生命の流れ 血液を探る』(1967年)
『細胞性粘菌の生活史−単細胞から多細胞へ−』(1982年)
『野中兼山−流れる河は生きている−』(1987年)
『弘法大師 空海』(1988年)
『真正粘菌の生活史−進化の謎・変形体を探る−』(1997年)
『菌と植物の共生−VA菌根菌を探る−』(1999年)
『きのこの世界』(2001年)
『樋口源一郎監督 トーク in ゆふいん 2002』(2005年)
以下は参考無料上映:
『廣重 第一部 浮世絵師群像・第二部 廣重の旅』(1955年)
『明日をきずく』(1965年)
『雨に考える』(1966年)
『微生物と工業』(1969年)
『結晶をつくる』(1971年)
『街道に残る文化財』(1974年)
『東ドイツの旅−ドイツ民主共和国の文化−』(1975年)
http://kinoko2006.exblog.jp/

■日本記録映画作家協会50周年記念映画祭
4月21日(金)13:30〜のプログラムDで
『細胞性粘菌の行動と分化』(1992年/21分)を上映。
会場:なかのZERO小ホール
料金:前売900円・当日1,000円
http://wave.ap.teacup.com/documentary/
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2006/2/28

『クラッシュ』  映画

たしかによく出来ている脚本だとは言えるとは思うのだけれども、どうしてもあまりにも偶然が重なりすぎに思えるのと、ある種の運命論的なもので物語が動かされているのを感じてしまったため、個人的には作り物めいて見えてしまって(ドラマなんだからそんなことを言っても仕方がないと言われるともっともだとは思うのだけれども)、うまく感情的に入っていくことが出来なかった。
運命論みたいなものを僕があまり信じていないということもあるのかもしれないけれども、同時に運命論的なところに話がいってしまうと抜本的な解決策を提出しているとは思えないため、無力感が増してしまい、袋小路に入りこんだ物語のように思えてしまったということもあるのではないかと思う。
よくも悪くもアメリカ的な、個人主義的な思想を背景にした作品なのかもしれない。つまり、自分のことは自分で落とし前をつけるが、一方でがっしりと出来ている社会的なシステムや差別の構造は個人の力ではどうしようもないものだから、それに対して異を唱えようとしてもどうすることも出来なくて無力感ばかりが増していくことになる。個人主義で自分のことは自分で落とし前をつけるのなら、たとえば『スタンドアップ』のような法廷闘争や社会主義的な連帯という発想には行き着かないわけだろう。そうしたアメリカ的な個人主義的な方向性は潔さを感じるところもあるのだけれども、一方で解決策を見出せない袋小路に入り込んでしまっているようにも思え、僕個人としては乗れないのだ。(もちろん、これはあくまで僕個人の感想であり、現実に今のアメリカ社会が袋小路に入り込んでいることを描き出すことがこの作品のねらいであるならば成功している作品だと言えるのかもしれないけれども。)
そういえば『ミリオンダラー・ベイビー』も2度、見たけれどもどうしても好きになれなかった作品なのだけれども、やはり個人主義的な要素に乗れないところがあったのだろうか?と思う。
またアメリカの現実を描こうというねらいは分かるのだけれども、あまりに話が出来過ぎているように思えてしまうと現実を見せられているというよりよく出来た作劇を見せられているという気がしてきてしまい、嘘っぽく思えてくる。よく出来ていると思うだけに逆に嘘っぽく思えてしまうというジレンマを見ていて感じた。
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2006/2/26

イーストウッド監督で南京事件映画化はガセネタ?  映画

*イーストウッド監督で南京事件映画化というのはガセネタだったか?

(ニュース)
中国「イーストウッド監督で南京事件映画」 代理人「全くのウソ」
 【ワシントン=古森義久】日本軍の南京攻略を題材とする映画が米国のハリウッドで著名な俳優のクリント・イーストウッド氏の監督で制作されるという情報が中国の新聞などで流されていたが、イーストウッド氏のエージェント(代理人)は二十四日、「全く事実に反する」と述べ、同監督の関与を完全に否定した。
 一九三七年の「南京事件を主題とするハリウッド映画」という話は一月十八日付の上海の新聞「文匯報」などによって伝えられた。同紙は、この映画が江蘇省文化産業グループなどの制作協力を受けてイーストウッド氏が監督、同氏と映画「マディソン郡の橋」で共演した人気女優メリル・ストリープさんが出演し、ハリウッド映画として作られ、二〇〇七年十二月の南京事件七十周年を記念して全世界で同時公開される予定となったとの記事を掲載していた。
 「南京・クリスマス・1937」と題され、南京に当時いた米国人宣教師の目を通して日本軍の中国人大量殺害を描く内容になる見通しだったという。
 しかし、イーストウッド氏の代理人を務めるウィリアム・モリス・エージェンシー社(カリフォルニア州ビバリーヒルズ)のレオナード・ハーシャン氏は二十四日、産経新聞の電話インタビューに応じ、「南京事件に関する映画にイーストウッドが出演するとか監督をするという話はまったく事実に反する」と述べた。さらに同氏は「イーストウッドがこの話にはまったくかかわっていないことを日本や中国の人たちに幅広く伝えてほしい」と強調するとともに、「私自身は数カ月前にこの話を中国の新聞で読んだという中国人から聞いたが、だれかが広め始めたデマだといえる」と説明した。
 さらに関係者によると、イーストウッド氏は現在、太平洋戦争の硫黄島の戦闘を題材とした映画を日米両国の視点から制作しようとしているため、ここ一、二年のスケジュールは詰まっており、女優のストリープさんも多くの企画を抱えて南京事件の映画に出演する余裕はないはずだという。
 ハーシャン氏ら当事者のこうした否定表明から判断すると、「クリント・イーストウッド氏が南京虐殺の映画を監督する」という話はそもそも根拠がなく、中国側の政治プロパガンダ、あるいは政治謀略的なディスインフォメーション(故意の虚報)として広められた可能性も高くなってきた。
(産経新聞、2月26日2時48分更新)
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2006/2/25

『横田めぐみ物語』監督インタビュー  映画

*下記より転載
http://www.flix.co.jp/page/N0007916

横田めぐみさんの映画を撮ったアメリカ人監督激白
(2006/02/22)

 アメリカのユタ州で1月に行われたスラムダンス映画祭で観客賞を受賞した『Abduction(拉致)横田めぐみ物語』を撮った監督はなんとアメリカ人。そのアメリカ人監督クリス・シェリダンに直撃インタビューを敢行した。

Q:家族事務局長の増元さんが早期解決を訴えるため映画祭を訪れたのですが、観客の反応は、いかがでしたか?

僕にとって一番価値のある経験だったのは、増元さんが映画を見終わった直後に立ち上がり、観客から質問を受けた時に、その中の一人が「僕に何か出来ないですか?」と言ったことです。

Q:アブダクション(拉致)は、世界中が抱えている共通の問題とはいえ、なぜアメリカ人のあなたが、日本のこの問題に取り組もうとしたのですか?

われわれが最初にこの事件を耳にしたのが、2002年に平壌で開かれた北朝鮮の金正日総書記と小泉首相との首脳会議で、その時にようやく金正日総書記が、過去にめぐみさんを含め13人を拉致した事を認めたんです。

当然それには、驚かされたのですが、さらに衝撃を受けたのは、その中に13歳の少女がいた事です。そのことが、さらなる情報収集と研究を呼び起こす、われわれの探求の始まりでした。

Q:現在(インタビュー日:2月9日)北京で適時にも日朝並行協議が行われている最中ですが、この会議をどれくらい着目していますか?

もちろん、撮影後の今も、片目を日本と北朝鮮に向け、もう片方はこのアメリカの対応に注視し、今回の協議では、どういった言及がされるかを見ています。それと今でも日本から関係者の方が最新情報をe-mailで送ってくれてます。

こちらでは、入らない情報がたくさんありますからね。ただわれわれが今も追いかけている理由は、映画を撮影したからでなく、彼らに親密な関係を個人的に感じているからです。

Q:日本は現在、容疑者の引き渡しを要求しているですが、それが成立すると北朝鮮側は、この問題の全ては終結したと主張し、われわれが本当の黒幕を知らずに終わることになるのではないでしょうか? 

それは、僕には返答する事ができません。あなたは、何が次に起こるか質問している訳ですから。

誠実で熱心に語る言葉と泣きながら撮影していた事もあったという彼、目頭を赤くしながらインタビューをしたときに誓ったことは、この映画をあらゆる手段を使って人の目に触れさせる事である。現在、日本と北朝鮮は、安全保障問題の並行方式による協議を継続することを確認している。(ニューヨーク:細木信宏)
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2006/2/25

毎日新聞連載ーノーモア水俣病:50年の証言(4)  公害・薬害・環境・医療問題

ノーモア水俣病:50年の証言/4 胎児性世代/上 /熊本
 ◇子供の可能性信じ奮闘、母として教師として
 「1階奥の病室のドアを開けると、悪臭が鼻をついた。7、8人の胎児性患者が、異様なうめき声を上げ、よだれかけはベトベトに汚れていた。窓がない暗い部屋で、いわば隠しているわけ。見せたくないから」
 水俣市立水東小教頭だった日吉フミコさん(90)=水俣市栄町=は初めて胎児性患者と出会った時の衝撃をこう振り返る。
 48歳だった63年3月22日、受け持ち児童の見舞いに同市立病院を訪れ、北海道の女子高校生3人が水俣病患者の見舞いに来ているのを知った。水俣病公式確認から7年、死亡解剖により最初の「胎児性」が確認され2年が経過していた。地元に住みながら患者に関心がなかったことを恥じ、女子生徒について行くと、津奈木町の年老いた男性が、キセルでタバコを吸おうとしていた。指は曲がり、全身がブルブル震えていた。妻がマッチで火を付けようとするが、なかなか付かない。「長男が1カ月前に劇症型で亡くなった。今度は父ちゃんがこげんなって」と涙をポロポロ流しながら訴える妻。日吉さんの目にも涙があふれた。
 次に向かったのが胎児性患者の病室だった。その日見た光景が頭を離れず、「私がこの子たちの親だったらどうするだろう」と苦もんする日々が続いた。悩んだ末、周囲からの勧めもあり翌月、「あの子たちを何とかしたい」と教師を辞め市議に立候補。63年5月〜79年4月の4期務め、現在に至るまで、「子供たち」を支えてきた。
 初当選時、議会内にはチッソ擁護派が多く「議会で水俣病のことを絶対に言うな。言えば水俣が栄えなくなって人が暮らしにくくなるから」とクギを刺された。当時の市長は元日本窒素肥料(現チッソ)水俣工場長の橋本彦七氏(1897〜1972年)だった。
 その後、日吉さんは議会で2度の懲罰処分を受けながらも孤軍奮闘。胎児性患者らのために、リハビリテーション専門の湯之児病院(65年)と、同病院内に市立水俣第一小学校湯之児分校を設立(69年)するなど尽力した。脅し、いやがらせは度々あったが、それでもひるまなかったのは母として、教師として「子供たちの可能性を引き出したかった」からだ。
  ◇  ◇
 人生丸ごとが「水俣病の歴史」と重なる胎児性患者。彼らは世界初の、母親の胎盤を経由したメチル水銀中毒の被害者でもあり、水俣病闘争ではシンボルのように掲げられた。「子供たち」も今40〜50代の中年になっている。【水俣病問題取材班】(次回は28日掲載予定)
(毎日新聞、2006年02月21日)
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2006/2/25

毎日新聞連載ーノーモア水俣病:50年の証言(1)〜(3)  公害・薬害・環境・医療問題

*今年は水俣病公式確認50年ということで関連イベントがありマスコミなどでも取り上げられていますが、毎日新聞でも特集の連載がされていますので転載しておきます。

(ニュース)
ノーモア水俣病:50年の証言/1 公式確認 /熊本
 ◇テープが苦悩語る−−保健所長、生前の声
 「私は水俣病の“発見者”なんです。いきさつをお話ししておきましょう」
 「水俣病のはなし 祖父より」と題した2本のカセットテープ。優しく語りかける声の主は、1956(昭和31)年5月1日の水俣病公式確認当時、水俣保健所長だった伊藤蓮雄さん(故人)だ。亡くなる約3カ月前の91年5月、孫娘に捧げるメッセージを残していた。
 「水俣は非常に景色がよくてね。海が青々して、とてもいい所でした。ところが、赴任した翌年の昭和30年。保健所に『変な病人がいるから調べてくれ』という投書がきたんです」。新日本窒素肥料(現・チッソ)水俣工場付属病院の細川一院長を訪ねると「『その人は私も診た。どうも分からんから熊大の教授を呼んで調べてもらったらヒステリーということでした』。そうですかと」。だが、その翌年。細川院長から患者が4人入院したと報告を受けた。これが公式確認となった。
 地元開業医からも「同様の患者を診察したことがある」との情報があり事態は深刻化。その後は「とにかく苦労した」。当初、水俣病は原因不明の伝染病とされたが、混乱するチッソ付属病院から、当時空いていた市の伝染病舎に患者を移すための苦肉の策だった。熊本大学の病理解剖に協力してもらうため患者宅を回りながら、貧しい遺族のため妻に葬式の白装束を縫わせたこともあった。
 熊本大の研究班は水俣病を「魚を食べることによる一種の中毒症」と推定。ネコを使った実験に入ったが難航した。ネコ好きだった伊藤さんはフンだらけの狭い網の中に飼われていることを知り「ネコはきれい好き。これではうまくいかない」と保健所の一室を使いネコ実験を実施。57年4月、同大にさきがけ「発病」に成功した。
 県や熊本大の初期の対応は素早かった。しかし、チッソの抵抗や高度成長を支えた同社への国の配慮からその後の原因究明、患者補償は大きく遅れることとなる。
  ◇  ◇
 57年3月の国の厚生科学研究班報告書「熊本県水俣地方に発生した奇病について」。初期の患者リストの中に中津芳夫さん(74)=水俣市月浦=の名がある。父親と漁業をしていたが「53年ごろから海水からすっぱいような臭いがするようになり、魚が浮いているのが目立った」。公式確認前の55年。「バスから降りる時、握っていると思っていた小銭がなく手の感覚がなくなっていることに気づいた」。まもなく目も見えにくくなった。
 水俣病の影響で魚が売れなくなったこともあり「金をもらってリハビリをさせてもらう」思いで、39歳の時、チッソの関連会社に入社。定年まで勤めた。だが、今でも口元の感覚はなく会話や水を飲むのにも苦労する。「73年にようやく水俣病と認定された。判定はでたらめで最低ランクのCだった。診察してくれていた熊大の先生もそんなに軽いはずはないといっていた。チッソは水俣にいる間は被害者に謝罪し続けるべきだし、できれば水俣から出ていってほしい」。50年たった今でも心にわだかまりを抱えたままだ。
  ◇  ◇
 「父はネコ実験の後、1年間工場の排水を止め、禁漁にすべきだと県の上司に提言したが取り合われなかった。『本当は水俣病は数年でけりがついていた』と死ぬ間際まで悔やんでいました」。伊藤さんの長男隆一郎さん(61)は述懐する。「水質汚濁防止法、大気汚染防止法ができまして、今後、企業が国民の健康を重視するという姿勢ができたわけですが、たくさんの人が病気になって死んでいった悲劇の上にたったもので残念で……。我々の住む環境がいつまでも美しいように努力せんといかんと思います」。テープは後世に訴えている。【水俣病問題取材班】
  ◇  ◇
 水俣病の半世紀を関係者の証言でつづります。(次回は2月7日掲載)
(毎日新聞、2006年1月31日)

ノーモア水俣病:50年の証言/2 チッソ /熊本
  ◇「終息」発言に懸念−−水銀使用の元社員
 水俣病公式確認から50年の今年は原因企業「チッソ」(東京)の創業100周年にもあたる。
 1906(明治39)年1月、野口遵(したがう)が鹿児島県大口村(現・大口市)で水力発電を始め、電力を基に近辺の石灰石などからさまざまな化学原料・製品をつくり出す「日本窒素肥料」が生まれた。国内でいち早く塩化ビニールを生産するなど化学工業をリードした同社は、小さな農漁村だった水俣に君臨した。
 「会社が出来たおかげで電気がつき、ランプ掃除をしなくてよくなった」「文芸講演会で(文芸評論家の)小林秀雄氏の話が聞けるのも工場あってのこと」。水俣病公式確認の56年当時の水俣工場新聞(同社水俣工場発行)に住民代表の賛辞が並ぶ。同紙によると、57年春中学卒業予定の就職希望者614人のうち251人がチッソを志望。夏のボーナス時には支給から1週間で市中金融機関の預金残高は約4000万円アップ。商店もうるおった。
 文化、教育面での影響も大きく、元社員の江口和伸さん(69)は「野球も県内で最も早く普及した。チッソのスポーツ活動が盛んだったため」と話す。同工場の運動会は時代風刺の仮装大会が人気で街の一大イベントに。小中学校ではチッソ社員の子どもかどうかがクラス分けを左右した。
 だが、市長、県議、市議も送り出した強大な企業の負の影響も目立ち、やがて水俣病をもたらした。
   ◇   ◇
 元社員の徳田嘉蔵さん(86)は尋常小高等科卒業後、15歳でメールボーイ(社内伝達係)として入社。2年間、勤務後に同社の教育機関だった双葉会で勉強した。「物理や数学、英語も学べた。当時の水俣には(旧制)中学はなかった。『貧乏人が勉強し生意気になったらいけない』という社の方針によるものだった」という。
 現場に移ってからはガスによる爆発や中毒の危険と隣り合わせ。煙突からの有毒ガスは裏山の木々を枯らし、雨の日には工場内の廃棄物から汚水が川に流れ込んだ。戦時中は徴兵で社を離れたが、戦線で他社の化学会社員から「チッソは世界の中でも労働条件が悪い」と言われた。取り扱う危険物質が多く、給与水準も同業他社の3分の2程度と知った。
 戦後、チッソに戻った徳田さんの配属先は繊維原料となる無水酢酸の製造工程。触媒には水銀を使った。「職場にはこぼれた水銀がきらきら光っていた。廃液中の残さから水銀を取り出す回収係だったが、上澄み液は排水溝に捨てた。その中にはそれこそ(水俣病原因物質の)メチル水銀が含まれていた」と話す。メチル水銀排出の主因とされたアセトアルデヒドの工程は「無水酢酸より生産量がはるかに多く水銀量も多かっただろう」と振り返る。
   ◇   ◇
 チッソは今も先端技術を売りに業績を伸ばしている。パソコンなどに広く使われるTFT液晶の素材生産は、世界で同社とドイツの企業の2社だけ。05年3月期は水俣病患者補償債務を抱えながらも34年ぶりの単体黒字を計上。今後、健康食品や医薬品の開発にも力を入れるという。
 「使用量を抑えられる肥料、新たなし尿処理の技術も開発している」(同社・広報)と今は環境に配慮する会社を自負する。一方で、今年1月の創立100周年謝恩会では社長、会長名で「(水俣病問題は)終息に向かいつつある」とのあいさつ状を出した。徳田さんは水俣病の教訓の風化を警戒する。「特に新しい原料や化学物質を扱う時には大丈夫かと疑わなければ。私たちは企業が情報を隠していないか監視を怠ってはいけない」【水俣病問題取材班】(次回は14日掲載予定)
(毎日新聞、2006年02月07日)

ノーモア水俣病:50年の証言/3 原因究明 /熊本
 ◇壁に挑んだ良心−−拒む力とせめぎ合い
 「魚介類摂食による中毒。おそらくある種の金属類であろうと推測される。新日窒(チッソの前身、新日本窒素肥料)工場の実態につき充分な実態調査を行い原因を明らかにしたい」
 国の厚生科学研究班が水俣病公式確認翌年の57年にまとめた報告書は、早々にほぼ原因を解明していた。しかし、反論するチッソ、擁護する旧通産省の壁は厚く「有機水銀」という確証を得るためにさらに歳月を要した。解明を果たしたのは熊本大学研究班の努力だが、医師の誠意はチッソ内部にもあった。
 「みんな医師として原因を明らかにしたいという一心だった」。工場内部のネコ実験で廃水が原因と突き止めたチッソ付属病院のスタッフの一人、小嶋照和さん(65)=大阪府河内長野市。工場側は廃水原因説の検証のためネコ実験を進めており、その責任者の一人が小嶋さんだった。「多い時は何十匹もいた。時には散歩もさせ、当時、幼かった娘から『お父さんはどんな仕事してるの』と聞かれ『ネコ医者』といっていたくらいだった」
 59年7月、通算で400号となるネコのそばに見慣れない液体の入った一升瓶があった。細川一院長に聞くと「秘密実験です」と一言。小嶋さんは熊本大学医学部に研究生として出入りしており、同大の水俣病研究班の教授とも親交があった。有機水銀説の検討が進んでいることを知り、細川院長にも話していた。一升瓶の液体は水銀が使用されるアセトアルデヒド工程の廃水。「廃水が原因と明らかになれば大問題。細川先生は一人で責任を負うため内緒にしていた」
 同年10月、ネコ400号は発症。その後、工場側は廃水の採取を拒み続けた。1例だけでは判断がつかず、もっと実験が必要とする細川院長。水俣市出身だった小嶋さんも「地元の人間として原因をはっきりさせなければと思い『もっとやりましょう』と励ました」。細川院長は辞表を手に工場長と交渉。実験は再開されさらに9匹で症状が疑われた。小嶋さんによると、その標本の一部を東京大に送ったが、受け取った教授が紛失し結果はうやむやになったという。ネコ実験の後も工場側は有機水銀説への反論を続けた。「事実は事実として認めるべきだった」。小嶋さんは振り返る。
  ◇  ◇
 工場廃水を巡る行政の対応でも内部のせめぎ合いがあった。57年3月に熊本県が開いた「奇病対策連絡会」。廃水の影響が濃厚として漁業法、食品衛生法による漁獲禁止が検討されたが、結局、「原因不明」として措置は見送られた。当時、県予防課長補佐として会議に出席した富島博さん(74)=熊本市=は「チッソへの影響や漁業補償などを考えた口実と感じた。実施できないことはなかった」と話す。
 水産庁も59年、旧厚生省食品衛生調査会が「原因は有機水銀」との答申を出したため旧水質2法による排水規制を旧通産省に申し入れた。しかし、実現したのは公害認定後の69年。当時の水産庁の担当者はのちの裁判で「私が行くといつもほかの省の連中、いやな顔をしまして。『一言で言えば工業立国だよ』と。非常に苦しい立場で頑張った」と証言している。
 公害などによる健康被害を防ぐチャンス、制度があっても、それを生かすのは良心――。これらのエピソードはそのことを今に伝えている。【水俣病問題取材班】(次回は21日掲載予定)
(毎日新聞、2月14日朝刊)
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2006/2/25

風邪気味なのでなるべく家で静養  映画

どうもここ数日、風邪気味なので、こじらせたらまずいので映画を見に行くのは我慢してなるべく家で待機。
マキノや、フィルムセンターの『激情の嵐』(ロベルト・ジオドマーク監督)、『今宵こそは』(アナトール・リトヴァク監督)、日仏学院の『人生なんて怖くない』(ノエミ・ルヴォウスキー監督)など、見たかったけど、全部、無視する。ロードショーもヴェンダースの新作をはじめ見たいものが目白押しだがじっと我慢だ。
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2006/2/23

熊本県が水俣病健康調査再分析に乗り出す  公害・薬害・環境・医療問題

(ニュース)
過去の健康調査再分析  熊本県予算案 国に新規実施迫る  水俣病 公式確認50年

 水俣病公式確認から50年を迎える新年度、熊本県は70年代に実施した水俣病の健康調査の再分析に乗り出す。22日発表した06年度当初一般会計予算案に「健康調査分析検討事業」として、国の補助約800万円を含む約1千万円を計上した。背景には、県が新たな大規模健康調査を提案したにもかかわらず、国が難色を示しているという事情がある。県は、過去の被害者の症状や地域的広がりを検証し、新たな調査を国側に迫りたい考えだ。
 県は水俣病の被害者掘り起こしのため、71〜74年度に水俣湾沿岸の約5万人、73〜74年度に有明海と八代海沿岸の約3万人を対象に問診や医師の診察などによる健康調査をした。
 さらに04年10月の水俣病関西訴訟最高裁判決が国と県の責任を認めたことなどから、同年11月、鹿児島県を含む八代海沿岸に居住経験がある約47万人に対する健康調査の共同実施を、環境庁に提案した。
 ところが、規模や手法で意見が食い違った.環境省は「汚染から時間がたった今、調査をして何が分かるのか」と反論。被害地域に一定の居住歴がある希望者の健康診断などをする健康管理事業を92年度から実施しており、この拡充で対応する方針だ。
 健康管理事業は熊本県内では水俣市と周辺3町だけが対象で、調査実績は年間約7千人という。県は「被害の広がりを調べるには、現行事業の拡充だけでは不十分」との見方だ。
 今回の再分析で県は、以前の健康調査の問診項目や住民の回答データを利用する。今夏をめどに結果を出し、07年度に新たな調査の実施を環境庁に求めたいとしている。
(朝日新聞、2006年2月23日朝刊、西部本社第2社会面)
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2006/2/23

薬害肝炎訴訟関連ニュース(2)  公害・薬害・環境・医療問題

(ニュース)
C型肝炎訴訟 原告29人中13人が先行結審 大阪地裁
 血液製剤「フィブリノゲン」などでC型肝炎ウイルス(HCV)に感染したとして、患者らが国と製薬会社の旧「ミドリ十字」(現三菱ウェルファーマ)などに総額約16億円の賠償を求めた薬害C型肝炎訴訟の口頭弁論が20日、大阪地裁(中本敏嗣裁判長)であり、原告29人のうち13人が先行して結審した。全国5地裁(原告92人)で係争中の薬害C型肝炎訴訟で結審は初めて。
 薬害エイズ、クロイツフェルト・ヤコブ病に次ぐ大型薬害訴訟。22日には福岡訴訟の原告27人中、18人が結審する。C型肝炎感染者は国内に200万人以上と推定され、感染拡大に関する国の責任を問う訴訟の判決に注目が集まりそうだ。
 この日結審した13人のうち女性12人は、81年8月〜88年5月、出産時の大量出血などに止血剤として「フィブリノゲン」を投与されHCVに感染したと訴えている。男性1人は85年4月、新生児ビタミンK欠乏症のため血液製剤「クリスマシン」を投与され、感染したとしている。
 原告側は「国と三菱ウェルファーマなどは、フィブリノゲンが製造承認された64年までに、研究論文などから肝炎感染の危険性と、感染すれば死亡する可能性を認識していた。治療効果が副作用などの危険性を上回る有用性もなかった」と主張している。米国は77年に肝炎感染の危険性を理由にフィブリノゲンの承認を取り消したが、日本では使用が継続された。国は88年6月、同社に「緊急安全性情報」を配布させ、フィブリノゲンは回収されたが、原告側は「この時期まで感染防止措置を怠り、被害を拡大させた」と訴えている。
 これに対し、被告の国と製薬会社側は「有効性はあり、安全対策も可能な限り実施してきた」と主張している。【前田幹夫】
 ▽薬害C型肝炎訴訟 出産や手術の際に止血剤などとして投与された血液製剤でC型肝炎ウイルス(HCV)に感染したとして、感染者・患者計92人(死亡者含む)が国と製薬会社に賠償を求め、大阪、東京、名古屋、福岡、仙台の5地裁に起こした集団訴訟。HCVは感染者の約7割が持続感染状態となり、慢性肝炎、さらに肝硬変、肝がんに進行する人も多い。訴訟の争点は(1)血液製剤と感染の因果関係(2)血液製剤に治療効果が危険性を上回る「有用性」があったか(3)国と製薬会社は感染の危険性を予見できたのに感染防止措置を怠ったか−−など。
 フィブリノゲンは血液中の凝固因子の名称で、旧ミドリ十字は同名の商品を製造していた。
(毎日新聞) - 2月20日17時13分更新

原告になれぬ悔しさ 薬害肝炎九州訴訟22日結審 投薬記録すでに廃棄
 「原告の後ろには、もっとたくさんの命がある」―。汚染された血液製剤の投与でC型肝炎に感染したとして、九州・沖縄の患者が国と製薬会社に損害賠償を求めた薬害肝炎九州訴訟が22日、福岡地裁で結審する。被害者は1960―80年代に3万人ともいわれる「戦後最大の薬害」。2004年末、国が製剤の納入先医療機関を公表して1年が過ぎたが、カルテが廃棄され投薬の確認ができない感染者も多い。「時間の壁」が被害者の掘り起こしを阻む。
 北九州市小倉南区に住む女性(61)がC型肝炎に感染しているのが分かったのは一九八六年。子宮筋腫の手術を受けた後、黄(おう)疸(だん)が出たのがきっかけだった。疲れやすく、忙しい日が続くと寝込む。肝硬変、肝がんへの進行におびえながら、治療や検査で入通院を繰り返してきた。
 薬害の可能性を考えたのは、止血剤として血液製剤を投与されて肝炎になった患者らが〇三年四月に九州訴訟を起こしてからだ。手術後に医師が「大量出血したので止血剤を使ったが、血が止まらなかった」と話したのを覚えていた。
 すぐに病院に投薬記録の確認を求めたが回答は事務的だった。「二十年近く前のカルテは廃棄済みで、分かりません」。主治医も病院を移っていた。
 〇四年十二月、厚生労働省が公表した血液製剤の納入先リストには、その病院名もあった。「薬害と確信した。でもそれを証明できない」。訴訟への参加は見送らざるを得なかった。
 医師法が定めるカルテの保存期間は五年。厚労省によると、納入先約七千カ所のうち投薬記録が残るのは約7%。リスト公表後、国や都道府県には十二万件以上の問い合わせがあったが「製剤投与が確認された人数は把握していない」(同省血液対策課)という。
 薬害被害者の掘り起こしに取り組む千鳥橋病院(福岡市)の鮫島博人院長によると、カルテが廃棄済みでも、医師の記憶や手術などの記録があれば投薬は証明可能だが「それを知らない医療機関や患者が多い」という。
 女性は進行を抑える注射を週三回打ちながら、裁判を傍聴してきた。病の恐怖や経済的な負担、同じ苦しみを味わってきたのに、原告席と傍聴席の間の柵を越えられないのが歯がゆい。
 原告は「全国二百万人ともいわれるすべての感染者の救済と補償を求める」と訴えるが、国の支援を勝ち取っても、薬害の証明がなければ対象外になるのでは、との不安は消えない。
 「原告の後ろには私のような人間が大勢いることを忘れないでほしい」。二十二日も傍聴席から、被告代理人や裁判長を見つめるつもりだ。
(西日本新聞) - 2月21日2時19分更新

薬害C型肝炎:「身近な問題と感じて」原告女性が手記出版 九州訴訟あす結審 /福岡
 出生時に投与された血液製剤でC型肝炎に感染し、国と製薬会社を相手取った薬害肝炎九州訴訟の原告になっている長崎市の福田衣里子さん(25)が、同訴訟が結審する22日、自伝「It’s now or never」を刊行する。全国5地裁で争われている肝炎訴訟の原告が手記を出すのは初めて。「身近な問題と感じてほしい」という福田さんと女性編集者の思いが重なり、出版に結びついた。【清水健二】
 福岡市の出版社「書肆侃侃房(しょしかんかんぼう)」代表の田島安江さん(60)が福田さんと出会ったのは04年春。「国民病」といわれる肝炎について本を出せないか考えていたところ、裁判で若い女性が実名を公表したのを知り「何て勇気があるんだろう」と、福田さんを訪ねた。
 同じころ、裁判の傍聴で訪れた福岡地裁で、同年代の知人と偶然再会。匿名の原告だった。自分もかかっていた産科医院で感染していた。「私が被害者にならなかったのは運が良かっただけ」。医学に興味のない人も読んでもらえるような本を作る構想が固まった。
 手記は、20歳で感染を知り、失意の底から再び前を向き歩き出すまでの心境が、素直につづられている。パン職人の夢が破れ「こんなはずじゃなかった」と歯をくいしばった夜。副作用で体が弱り「私はダメ人間だ」と悩んだ治療期間。それでも弁護士や支援者に勇気をもらい「薬害のない社会を作るため声を出していこう」と決意する。
 本のタイトルを日本語に訳すと「今しかない」。行き詰まった時、福田さんが日記の片隅に書いていた言葉だという。田島さんは「明るい語り口が、現実の深刻さをかえって浮き彫りにしている」と話す。
 医師や弁護士の解説も付いて計255ページ。問い合わせは書肆侃侃房092・735・2802。
〔福岡都市圏版〕
(毎日新聞) - 2月21日朝刊

薬害肝炎九州訴訟も結審 原告18人、8月に判決
 汚染された血液製剤でC型肝炎に感染したとして、27人が国と製薬会社の三菱ウェルファーマ(旧ミドリ十字)などに損害賠償を求めた薬害肝炎九州訴訟の口頭弁論が22日、福岡地裁(須田啓之裁判長)であり、原告18人分の審理が結審した。
 全国5地裁で係争中の薬害肝炎訴訟で、20日の大阪地裁に続く結審。判決は8月30日に言い渡される。
 弁論で国側は「血液製剤は出産時の突発的な大量出血から多くの産婦を救った。感染の危険性を超える有効性があった」と陳述。
 原告側は熊本市の出田妙子さん(47)が「金もうけのために作られ、しかも効かない薬で肝炎になった。人としての尊厳を回復してほしい」と述べた。
(共同通信) - 2月22日19時31分更新

薬害C型肝炎:九州訴訟結審 「勝訴が患者救済」原告ら、全面解決へ思い訴え /福岡
 薬害肝炎九州訴訟が福岡地裁で結審した22日、実名を公表した原告は、会見で勝訴・全面解決への思いを改めて強く訴えた。弁護団や支援者も、8月の判決に向けてさらなる後押しを誓った。
 「小さい魚でも束になれば、大きな存在にも勝てる。判決の日にはきっと祝杯をあげられる」
 実名を公表して訴訟に参加する福田衣里子さん(25)は強調。国や製薬会社に裏切られたとの思いから、人への警戒心が強まっていた中で提訴。「裁判に勝って心も回復したい」と力を込める。
 小林邦丘さん(33)は「発言を無視する国に憤りを感じた。亡くなった人、病院のベッドで苦しんでいる人のためにも必ず勝ちたい」。山口美智子さん(49)も「闘病生活を振り返るのはつらかった。裁判長は人間として、良い判決を出してくれると期待している」と思いを述べた。
 同夜には支援者団体が「薬害肝炎結審シンポジウム」を福岡市内で開催し、「薬害を二度と繰り返させない」と宣言。患者団体「九州肝臓友の会」の木戸義治さんは「行政に恒久対策を求めているが、姿勢は変わらない。勝訴こそがすべての肝炎患者の救済に結びつく」と訴えた。
 弁護団は23日、被害者の無料電話相談を受け付ける。午前9時〜午後6時で、電話は092・735・1193。【石川淳一】
〔福岡都市圏版〕
(毎日新聞) - 2月23日朝刊
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2006/2/23

薬害肝炎訴訟関連ニュース(1)  公害・薬害・環境・医療問題

(ニュース)
薬害と闘う25歳素顔 原告の福田さん手記 訴訟結審の22日に出版
 《いつも、何かに行き詰まったり悩んだとき、手帳の片隅に書いた。「It’s now or never(今しかない)」》―。汚染された血液製剤でC型肝炎に感染した患者らが、国と製薬会社に損害賠償を求めた「薬害肝炎九州訴訟」原告の一人、福田衣里子さん(25)=長崎市=が四半世紀の人生をつづった手記を出版する。出版日は、同訴訟が福岡地裁で結審する二十二日。長崎弁を織り交ぜるなど軽妙な文体の中にも、薬害肝炎被害の深刻さを際立たせている。
 題名は「It’s now or never」。昨年五月に出会った出版社代表に執筆を勧められ「自分の立場や人生を記録として残し、少しでも多くの人に思いを伝えることができるのなら」と快諾。高校一年のころからの日記や古いアルバムを基に書き上げた。
 福田さんは生まれた直後に血液製剤を投与され、二十歳のときに受けた検査で感染が判明した。高校時代は空手部。大学時代は三カ月間の欧州一人旅にも出た。《未来は、ものすごく高く、宇宙にまで広がっていた》
 二十二歳のころ、投薬治療を開始した。全身のかゆみ、脱毛、発熱…。心身は徐々にむしばまれた。《こんなはずじゃなかった…。就寝後、声を殺して歯を食いしばる。「あ〜ぁ、ムカツク」。ため息ばっかり》
 一方で、実名の公表後、講演に呼ばれるようになったり、地元長崎の医大生らに支援の輪が広がった。《たくさんの人に支えられて今ここに立っていられる。だから、私は絶対に死なない》。苦悩の中にも、感謝と決意の言葉を記している。
 「苦しんでいる患者は多い。この裁判の意味はとても大きいんです」。福田さんは、結審の日に出版する理由を説明した。
 四六判、二百五十六ページで初版三千部。千五百円。全国の主要書店で発売される。問い合わせは書肆侃侃(しょしかんかん)房=092(735)2802。
(西日本新聞) - 2月17日2時27分更新

薬害肝炎訴訟の原告、4割が差別・偏見体験
 血液製剤「フィブリノゲン」などの投与で、C型肝炎に感染したとして、国と製薬会社に損害賠償を求めた「薬害肝炎訴訟」に絡み、東洋大学と日本福祉大学の研究グループが全国の原告に初の被害実態調査を実施、約4割が「差別・偏見を体験した」と回答していたことが分かった。
 高額な治療費もあわせ、時間の経過とともに体だけでなく、社会的、経済的負担が深まっている実態が浮かび上がった。
 調査は昨年2〜4月に実施。原告74人(当時)にアンケートを行い10〜70歳代の男女62人から回答を得た。
 「差別・偏見を経験したか」との問いに、40%にあたる25人が「実際に体験した」と回答。「血液が付くと機械が使えなくなる、と歯科で治療を拒否された」「入院中、使い捨て食器を使わされた」など、医療機関でも感染について誤解しているケースがあった。「会社の内定を取り消された」「中学生の子供が『うつる』と言われて泣いて帰った」などの偏見もあった。
 「日常生活の不安」で、最も多かったのが「経済的問題」の55%。ウイルスを排除するインターフェロン治療や、民間療法などの治療費700万円以上を自己負担した人が3人。なかには約1000万円を自己負担した人も。高額なインターフェロン治療はできないと答えた人もいた。「生活設計が変わった」と回答した人は40%。内容は「母子感染を考え、次の子供をあきらめた」「病気のため、夫が仕事を転職した」など。
 裁判で求めているものは、「国・製薬会社の責任を明確にする」(94%)、「薬害を繰り返さない」(87%)、「医療費助成の充実・強化」(82%)だった。
 研究グループの片平洌彦(きよひこ)・東洋大教授(保健福祉学)は「医療費の助成、治療法の開発など医療体制の整備だけでなく、感染に対する誤解を解くなど社会的サポートも必要」と指摘している。
 薬害肝炎訴訟は全国5地裁で争われ、原告総数は18日現在で92人。大阪地裁は20日、福岡地裁は22日に結審する。
(読売新聞) - 2月19日3時16分更新

<C型肝炎訴訟>原告29人中13人が先行結審 大阪地裁
 血液製剤「フィブリノゲン」などでC型肝炎ウイルス(HCV)に感染したとして、患者らが国と製薬会社の旧「ミドリ十字」(現三菱ウェルファーマ)などに総額約16億円の賠償を求めた薬害C型肝炎訴訟の口頭弁論が20日、大阪地裁(中本敏嗣裁判長)であり、原告29人のうち13人が先行して結審した。全国5地裁(原告92人)で係争中の薬害C型肝炎訴訟で結審は初めて。
 薬害エイズ、クロイツフェルト・ヤコブ病に次ぐ大型薬害訴訟。22日には福岡訴訟の原告27人中、18人が結審する。C型肝炎感染者は国内に200万人以上と推定され、感染拡大に関する国の責任を問う訴訟の判決に注目が集まりそうだ。
 この日結審した13人のうち女性12人は、81年8月〜88年5月、出産時の大量出血などに止血剤として「フィブリノゲン」を投与されHCVに感染したと訴えている。男性1人は85年4月、新生児ビタミンK欠乏症のため血液製剤「クリスマシン」を投与され、感染したとしている。
 原告側は「国と三菱ウェルファーマなどは、フィブリノゲンが製造承認された64年までに、研究論文などから肝炎感染の危険性と、感染すれば死亡する可能性を認識していた。治療効果が副作用などの危険性を上回る有用性もなかった」と主張している。米国は77年に肝炎感染の危険性を理由にフィブリノゲンの承認を取り消したが、日本では使用が継続された。国は88年6月、同社に「緊急安全性情報」を配布させ、フィブリノゲンは回収されたが、原告側は「この時期まで感染防止措置を怠り、被害を拡大させた」と訴えている。
 これに対し、被告の国と製薬会社側は「有効性はあり、安全対策も可能な限り実施してきた」と主張している。【前田幹夫】
 ▽薬害C型肝炎訴訟 出産や手術の際に止血剤などとして投与された血液製剤でC型肝炎ウイルス(HCV)に感染したとして、感染者・患者計92人(死亡者含む)が国と製薬会社に賠償を求め、大阪、東京、名古屋、福岡、仙台の5地裁に起こした集団訴訟。HCVは感染者の約7割が持続感染状態となり、慢性肝炎、さらに肝硬変、肝がんに進行する人も多い。訴訟の争点は(1)血液製剤と感染の因果関係(2)血液製剤に治療効果が危険性を上回る「有用性」があったか(3)国と製薬会社は感染の危険性を予見できたのに感染防止措置を怠ったか――など。
 フィブリノゲンは血液中の凝固因子の名称で、旧ミドリ十字は同名の商品を製造していた。
(毎日新聞) - 2月20日13時5分更新

薬害肝炎訴訟、6月判決 大阪地裁、初の結審
 汚染された血液製剤でC型肝炎になったとして、近畿・中四国地方の感染者計29人が国や三菱ウェルファーマ(旧ミドリ十字)などに損害賠償を求めた薬害肝炎訴訟の口頭弁論が20日、大阪地裁(中本敏嗣裁判長)で開かれ、原告のうち20−50代の男女計13人について結審した。
 判決は6月21日に言い渡される。
 弁護団によると、2002年10月以降、全国5地裁に提起された薬害肝炎訴訟で結審は初めて。20日、女性2人が新たに提訴し原告数は全国で計94人となった。
 13人のうち実名を公表した愛媛県の会社員武田せい子さん(55)、大阪府岸和田市の主婦桑田智子さん(46)ら5人が最終意見陳述。桑田さんは「出産する女性に何ら有効性の確認されていない血液製剤を使い、肝炎に感染させたことは母性への冒涜(ぼうとく)と言わざるをえない」と主張。
(共同通信) - 2月20日13時13分更新

薬害C型肝炎の大阪訴訟で結審、判決は6月21日
 血液製剤「フィブリノゲン」などの投与でC型肝炎ウイルス(HCV)に感染したとして、患者らが国と製薬会社に損害賠償を求めた薬害肝炎大阪訴訟の口頭弁論が20日、大阪地裁(中本敏嗣裁判長)であり、原告31人のうち13人について結審した。
 全国5地裁で係争中の同様訴訟で結審は初めて。判決期日は6月21日と決まった。
 結審したのは、近畿、中国、四国に住む20〜50歳代の男女。国と旧ミドリ十字の承継会社「三菱ウェルファーマ」(大阪市)など2社に対し、慢性肝炎患者10人が各6600万円、感染者3人が各3300万円の賠償を求めている。
(読売新聞) - 2月20日15時38分更新

薬害肝炎訴訟 6月に判決 大阪地裁で結審
原・被告双方が最終意見
 ウイルスに汚染された血液製剤「フィブリノゲン」の投与でC型肝炎に感染させられたとして、近畿、中四国の患者二十九人が国や三菱ウェルファーマ(旧ミドリ十字)などに損害賠償を求めた薬害肝炎訴訟の口頭弁論が二十日、大阪地裁(中本敏嗣裁判長)で開かれ、被告の国側と原告側の双方が最終意見陳述を行い、原告十三人について結審した。判決は六月二十一日に言い渡される。同訴訟が起こされている全国五地裁で初めての結審。
 裁判では、フィブリノゲンは有効だったか▽国は感染の危険性をいつから認識したか−などが最大の争点になった。
 原告側は、昭和五十二年に同製剤が米国で製造承認を取り消されたことなどをあげ、「有効性はなく、感染危険性も熟知していたにもかかわらず、国は何ら規制しなかった」と主張した。
 これに対し国側は「米国での承認取り消しは製剤の有用性を否定したのではなく、別の製剤による治療が可能と判断したため」とし、「六十二年以前は肝炎発生報告は極めて少なかった」と反論した。
 またこの日、五十歳代と六十歳代の女性患者二人が大阪地裁に追加提訴、全国の原告数は九十四人になった。
≪「尊厳と人生奪った」 桑田さん、国の姿勢非難≫
 「フィブリノゲン製剤は女性の尊厳を奪い、人生を奪った」−。ほとんどの原告が匿名で裁判に参加するなか、実名を公表し、被害者の救済を訴え続けた大阪府岸和田市の主婦、桑田智子さん(46)。二十日の意見陳述では、責任を否定する国の姿勢を厳しく非難した。
 桑田さんは昭和六十一年、妊娠三十週目に出血し帝王切開手術を受けた。このとき投与された止血剤がフィブリノゲンだった。わずか一〇〇〇グラムで生まれた長女は四十時間後に亡くなり、自らも知らぬうちにC型肝炎に感染していた。
 この日の法廷では、「死の恐怖に取りつかれ、今にも発狂しそうになりながらカルテ探しに血眼になった」と、感染を知った当初の心境を吐露。「国と製薬会社は日本中に肝炎ウイルスをばらまき、人生を奪い、今もなお被害者を苦しめている」と非難した。
 さらに、「安心して治療が受けられることをすべての患者が望んでいる。国と製薬会社はすべての肝炎患者を救済してください」と改めて早期救済を訴えた。
 結審後、会見した桑田さんは「命の重みを国にわかってほしい。だから、きょうは命を切り捨てないでと訴えたつもりです。被害者が救済される判決を心から期待しています」と語った。
(産経新聞) - 2月20日16時26分更新
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2006/2/23

パレスチナ、首相にハニヤ氏擁立  イスラエルとパレスチナ、中東

(ニュース)
パレスチナ ハマス、首相にハニヤ氏擁立 創設者側近で穏健派
【カイロ=加納洋人】パレスチナ評議会選挙で圧勝したイスラム原理主義組織ハマスは十九日、自治政府首相にガザ地区幹部のイスマイル・ハニヤ氏(42)を擁立することを決め、アッバス自治政府議長に伝えた。議長は同日、ガザ地区に入り、ハニヤ氏らハマス幹部と組閣や今後の政策などについて協議する。
 ハニヤ氏はハマス創設者の故ヤシン師の側近を務め、パレスチナ解放機構(PLO)主流派ファタハなどパレスチナ各派と良好な関係を持つ穏健派。対イスラエル政策では現実路線を模索しているとされる。評議会選挙では、ハマスの比例代表名簿の第一位だった。
 首相の任命・罷免権は議長が持つものの、評議会の承認が必要であるため、議長は、評議会で過半数を占めるハマスの意に反した首相任命が事実上できない。そのため、アッバス議長は今後、ハニヤ氏を正式に首相に任命し、組閣を要請することになる。首相任命後、五週間以内に組閣し、評議会の承認を受けなければならない。
 ハニヤ氏は十九日、「議長や各派との対話を図ることが最優先課題だ」と述べ、ファタハを含むパレスチナ各派を取り込んだ連立政権の樹立を目指す意向を示した。
 一方、イスラエル政府は十九日の定例閣議で、今後の対応を協議し、イスラエルが代行徴収した自治政府の税金の送金停止などの対パレスチナ制裁措置を閣議決定した。
 オルメルト首相代行は閣議の冒頭、「ハマスが評議会で最大勢力となったことで、自治政府が事実上、テロリスト政府となったのは明確だ。ハマスの加わるパレスチナ自治政府とは一切交渉しない」と明言。強硬姿勢を強めている。
 制裁措置は、ガザ地区とイスラエル間の検問所の警備強化やハマス議員の移動制限の強化など。イスラエルは制裁措置により、ハマスに対し、イスラエルの存在権を否定するハマス憲章の修正や武装解除を迫る方針だ。
(産経新聞、2月20日12:18)
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2006/2/20

『ウォーク・ザ・ライン 君につづく道』  映画

『ウォーク・ザ・ライン 君につづく道』(ジェームズ・マンゴールド監督)
文句なしの傑作でしょう。
ちょっとフランク・キャプラを思い出させるようなところもある話なんだけど、実話そのままであるらしい。プレスリーでなくジョニー・キャッシュの話というのが渋い。プレスリーだと今のロックにまで通じているが、ジョニー・キャッシュはまさに当時のカントリーの代表(今の時代の音楽とは違う)ということなのだろうか。(なんて書いたけど、音楽についてはあまり詳しくないので見当はずれなことを書いているかもしれない。)(注)
この映画はセットや衣裳だけでなく、50年代、60年代のアメリカの心を再現することに成功していると思う。こういう世界もまたアメリカの一面だったんだと思わせられる。それは恋愛面における心もそうであり、不倫のラブストーリーなんだけど、たぶん今の時代の不倫の恋愛とは微妙に異なるものなのではないかと思う。ジョニー・キャッシュ(ホアキン・フェニックス)とジューン・カーター(リーズ・ウィザースプーン)の恋の駆け引きはだから妙に新鮮で凛々しく思える。しかも、その切なさが歌に託されてつづられているのだから涙なしには見れない。
『ホテル・ルワンダ』でも好演していたホアキン・フェニックスが歌唱力まで披瀝して熱演。アカデミー主演男優賞の候補になっているようだが、受賞しても当然かと思われる。

(注)
僕はよく知らないので、映画の印象からジョニー・キャッシュは当時のカントリーの大御所で今の時代のロックとは違う人なのかなと思ったのだが、あとで聞いたら全然、そんなことはなくロックにも大きな影響を与えた人であるらしい。やっぱり見当はずれだったようで、すみません。
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2006/2/19

「うーぴーの映画談義」、久しぶりに更新  映画

以前から愛読している「うーぴーの映画談義」のサイト。ここ、何か月か、更新が止まっていたので、うーぴーさんは忙しいのかなと思っていたのだが、久しぶりに更新した模様。今回は星の数だけの書き込みのようだけど、うーぴーさんの健在ぶりが嬉しいです。

うーぴーの映画談義 お星様
http://www.mars.dti.ne.jp/~youkai/update/stars.html

うーぴーの映画談義 2005年ベスト30
http://www.mars.dti.ne.jp/~youkai/update/zasso.html
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2006/2/19

アカデミー賞候補に社会派作品台頭  映画

*下記のニュースでびっくりするのは『ブロークバック・マウンテン』が上映中止になっているということですが・・。アメリカって時々、びっくりさせられます。

(ニュース)
同性愛、人種問題…アカデミー賞候補に社会派作品台頭
 【ロサンゼルス=古沢由紀子】3月5日(日本時間6日)に発表される第78回アカデミー賞の作品賞候補が、例年になく、社会的なテーマを扱った硬派の作品で占められ、米国で注目を集めている。
 なかでも、最有力とされる「ブロークバック・マウンテン」は、ゲイに対する偏見が強かった時代に、同性愛を貫いた二人のカウボーイが主人公。一部の映画館で上映を取りやめたほか、保守系団体から批判の声も上がっている。
 台湾出身のアン・リー監督による同作品は、前哨戦のゴールデン・グローブ賞などの主要賞を総なめにし、アカデミー賞でも最多8部門で候補になった。
 その一方で、保守的な風土で知られるユタ州の映画館は、予定されていた同作品の上映を、直前になって取りやめた。「内容を問題視したのが上映中止の原因ではないか」と米メディアの間で見られている。
 保守系団体「家族研究協議会」の幹部シャーメイン・ヨーストさんは、「米国でカウボーイといえば、男らしさの象徴。映画はそのイメージを損なう」と反発する。同性婚を認めるかどうかが全米で論争になっているだけに、「賛成派を利する内容では」と不満げに語った。家族研究協議会のホームページは、映画を批判する文書を掲げる。
 アカデミー賞では、過去にゲイを演じた男優の受賞などはあるものの、業界紙の編集者によると、「同性愛の問題に正面から取り組んだ映画が、作品賞を取ったことはない」とされ、選考の行方が注目される。
 このほかにも、ロサンゼルスを舞台に人種問題を扱った「クラッシュ」、メディアと権力の闘いを描いた「グッドナイト・アンド・グッドラック」、名作「冷血」の執筆過程を追った「カポーティ」と、今回の作品賞候補は、低予算ながら、批評家の評価も高い秀作がそろった。
 近年のハリウッドでは大手の映画スタジオが収益重視の観点から、過去のヒット作のリメークや娯楽大作に走る傾向が強かったが、今年の場合、「キング・コング」など大作は、いずれも選に漏れた。
 「ミュンヘン」が作品賞候補になっているスティーブン・スピルバーグ監督は、ニューズウィーク誌による映画監督座談会の中で、「(社会派映画の台頭は)ブッシュ政権が2期目に入った影響で、映画人が主張し始めたのでは」と分析。「ミュンヘン」自体もテロと報復の連鎖を描いた作品だ。スピルバーグ監督は、「(政治家に期待できない以上)我々が意思表示していくしかない」と発言し、今後も硬派の主題を扱っていく意向を表明している。
(読売新聞) - 2月19日15時53分更新
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2006/2/19

九弁連、水俣病被害実態調査へ  公害・薬害・環境・医療問題

(ニュース)
水俣病、被害実態調査へ 九弁連人権委
 九州弁護士会連合会人権擁護委員会(委員長・増田博弁護士)は十八日、福岡市で会合を開き、人権救済を申し立てている水俣病の被害者団体の会員約千七百人を対象に実態調査を実施することを決めた。行政が八代海沿岸住民全体を対象にした調査を実施していないことなどから、被害者の状況把握が重要だと判断した。人権侵害にあたると判断すれば国や県、チッソに対して勧告を出す。
 人権救済を申し立てているのは「水俣病出水の会」(鹿児島県出水市)と「水俣病不知火患者会」(熊本県水俣市)。
 調査はアンケート方式で、健康被害が発生した時期や内容、行政に対する要望など八項目について質問。三月上旬までに配布し、五月初旬をめどに調査結果を発表する。
 同委員会は「本来は行政が実態を調査すべきだ。今回の調査で被害の実態を浮き彫りにしたい」としている。
 両会は昨年九月、「救済が不十分で人権が侵害されている」と人権救済を申し立てていた。(西日本新聞、2006年2月19日朝刊)
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