2006/2/28

訃報 樋口源一郎監督  映画

『女王蜂の神秘』『細胞性粘菌の行動と分化』など多くの作品で知られる科学映画の長老、樋口源一郎監督が2月23日、亡くなられたそうです。99歳。3月14日に100歳をむかえられるはずだったのですが、目前に亡くなられました。お悔やみ申し上げます。
下記の作品の上映が予定されていましたが、追悼上映会になってしまいました。

■阿佐ヶ谷北口「よるのひるね」<粘菌映画・上映会>
2006年3月5日(日) 13:30〜/14:30〜/15:30〜/16:30〜 の4回
『真正粘菌の生活史』(1997年/28分)を上映。
料金:¥1,500(1ドリンク付)
会場:JR阿佐ヶ谷駅北口ヨリ徒歩30秒
夜の喫茶店「よるのひるね」
http://members.jcom.home.ne.jp/yoruhiru/

■神田小川町neoneo坐の特集上映
「百歳の映画作家 樋口源一郎〜生命(いのち)のスペクタクル」
3月11日(土)〜19日(日) ※13日(月)は休映。
期間中に合計21作品を上映(うち7作品は参考無料上映)。
『長崎の子』(1949年)
『たのしい科学 動物の口』(1958年)
『たのしい科学 磯の生物』(1959年)
『たのしい科学 プランクトンの話』(1959年)
『たのしい科学 植物の生長』(1960年)
『女王蜂の神秘』(1962年)
『生命の流れ 血液を探る』(1967年)
『細胞性粘菌の生活史−単細胞から多細胞へ−』(1982年)
『野中兼山−流れる河は生きている−』(1987年)
『弘法大師 空海』(1988年)
『真正粘菌の生活史−進化の謎・変形体を探る−』(1997年)
『菌と植物の共生−VA菌根菌を探る−』(1999年)
『きのこの世界』(2001年)
『樋口源一郎監督 トーク in ゆふいん 2002』(2005年)
以下は参考無料上映:
『廣重 第一部 浮世絵師群像・第二部 廣重の旅』(1955年)
『明日をきずく』(1965年)
『雨に考える』(1966年)
『微生物と工業』(1969年)
『結晶をつくる』(1971年)
『街道に残る文化財』(1974年)
『東ドイツの旅−ドイツ民主共和国の文化−』(1975年)
http://kinoko2006.exblog.jp/

■日本記録映画作家協会50周年記念映画祭
4月21日(金)13:30〜のプログラムDで
『細胞性粘菌の行動と分化』(1992年/21分)を上映。
会場:なかのZERO小ホール
料金:前売900円・当日1,000円
http://wave.ap.teacup.com/documentary/
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2006/2/28

『クラッシュ』  映画

たしかによく出来ている脚本だとは言えるとは思うのだけれども、どうしてもあまりにも偶然が重なりすぎに思えるのと、ある種の運命論的なもので物語が動かされているのを感じてしまったため、個人的には作り物めいて見えてしまって(ドラマなんだからそんなことを言っても仕方がないと言われるともっともだとは思うのだけれども)、うまく感情的に入っていくことが出来なかった。
運命論みたいなものを僕があまり信じていないということもあるのかもしれないけれども、同時に運命論的なところに話がいってしまうと抜本的な解決策を提出しているとは思えないため、無力感が増してしまい、袋小路に入りこんだ物語のように思えてしまったということもあるのではないかと思う。
よくも悪くもアメリカ的な、個人主義的な思想を背景にした作品なのかもしれない。つまり、自分のことは自分で落とし前をつけるが、一方でがっしりと出来ている社会的なシステムや差別の構造は個人の力ではどうしようもないものだから、それに対して異を唱えようとしてもどうすることも出来なくて無力感ばかりが増していくことになる。個人主義で自分のことは自分で落とし前をつけるのなら、たとえば『スタンドアップ』のような法廷闘争や社会主義的な連帯という発想には行き着かないわけだろう。そうしたアメリカ的な個人主義的な方向性は潔さを感じるところもあるのだけれども、一方で解決策を見出せない袋小路に入り込んでしまっているようにも思え、僕個人としては乗れないのだ。(もちろん、これはあくまで僕個人の感想であり、現実に今のアメリカ社会が袋小路に入り込んでいることを描き出すことがこの作品のねらいであるならば成功している作品だと言えるのかもしれないけれども。)
そういえば『ミリオンダラー・ベイビー』も2度、見たけれどもどうしても好きになれなかった作品なのだけれども、やはり個人主義的な要素に乗れないところがあったのだろうか?と思う。
またアメリカの現実を描こうというねらいは分かるのだけれども、あまりに話が出来過ぎているように思えてしまうと現実を見せられているというよりよく出来た作劇を見せられているという気がしてきてしまい、嘘っぽく思えてくる。よく出来ていると思うだけに逆に嘘っぽく思えてしまうというジレンマを見ていて感じた。
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