2007/5/2

七里圭VSマルコ・ベロッキオ  映画

「イメージフォーラム・フェスティバル2007」で七里圭監督『ホッテントットエプロン ースケッチ』を見てから「イタリア映画祭2007」でベロッキオ監督の『結婚演出家』を見ると、なんだか、ずっと夢の中の世界を彷徨っているみたいだ・・。

しかし、「七里圭VSマルコ・ベロッキオ」というのは凄すぎる? 世界的大作家のベロッキオと比べられたら・・と七里監督が言われるだろうか・・。でも、この2本はまさしく映画表現(映像表現)の最先端を行くものだと思うんですけど・・。

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『ホッテントットエプロン ースケッチ』は、ゴダールみたいなジャンプカットのつなぎとか、あと部屋の壁が赤かったり青かったり・・というそういう表層的なフォルムが、しっかりとヒロインの女の子の内面を表現しているように思える点が興味津々。ゴダール『勝手にしやがれ』の思わず「かっこいい!」と喝采したくなるようなジャンプカットというのとはちょっと違って、ジャンプカットが変わり行く女の子の内面を静かに表現しているように思えるのは、この映画が『勝手にしやがれ』のような「男の子の映画」ではなく「女の子映画」だからなのだろうか? こういう風な「女の子映画」を撮れるのって、いいな・・。

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で、ベロッキオの『結婚演出家』だけど・・
前作『夜よ、こんにちは』がある意味、真面目すぎた(?)反動なのか、今回の作品は完全にストーリーが解体されていて、どういうストーリーなのか、よく分からない・・。まさにヌーヴェルヴァーグというのか、ゴダールや鈴木清順のようにかっこいい映画なのだった。
一体、どこまでが現実の話で、どこからが夢(幻想)だったのか? それとも、もしかしたら、すべてが娘が結婚する主人公の映画監督が抱いた夢(妄想)の話だったのかな?
やっぱりベロッキオだと思ったのは、この監督はいつも近親相姦の話とかが出てくるんだけど、今回の作品もどうも娘に対する父親の思い(というか、深層心理みたいなもの?)を表現しようとしているように思えるところがあること。しかし、その表現というのが、本当に夢そのものというのか、夢のように映画が進行するのだ。大体、その人が見た夢には「深層心理」がなんらかの形で反映しているものだと思うのだけれども、このベロッキオの『結婚演出家』も「深層心理」としての娘に対する父親の近親相姦的な気持ちが反映しているように思えるのだけど、あくまで「深層心理」としてストーリーの底に漂っているという雰囲気で、決して娘と父親との関係とかが直接的にストーリーになっているわけではないのだけれども、そのあたりの「深層心理」が底に感じられるストーリーとイメージのあり方がまさに「夢そのもの」という感じがするのである。こんな風に、「夢そのもの」の世界を具体的にイメージして映画にしてしまえるベロッキオという監督はやっぱりちょっと凄い・・。

たとえば、比較するのはなんだが、西川美和監督の『ゆれる』は、たしか、監督が見た夢をもとに映画にしたものだという話だけれども、夢がもとになっているわりにはひどくシビアな話で、全然、「夢みたいな話」ではないと思う。夢がもとになっていても、映画にする時にはこのようにシビアにしてしまい、辻褄を合わせようとするのが普通だと思うので、本当に「夢そのもの」のような映画を撮ってしまうベロッキオというのはやっぱり尋常じゃないなぁ・・と思うのだ。
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2007/5/2

『ライフ・イズ・ベースボール』  映画

何かが起こるまでの待っている時間を描いたものという、ちょっと芝居(演劇)のような構造の話だけれども、その待っている舞台設定を渋滞しているタクシーの中にした点が秀逸だと思う。
傑作『卒業の朝』(*)に続き、マイケル・ホフマン監督の演出は冴えている。
展開がやや予定調和なところがある気はしたが。

*『卒業の朝』について書いたものはこちら。
http://blue.ap.teacup.com/documentary/1135.html
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