2007/5/7

新文芸坐で『薄桜記』  映画

新文芸坐の市川雷蔵特集で『薄桜記』(森一生監督、伊藤大輔脚本、大映、1959年)。

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これは驚異的な作品である。「忠臣蔵」外伝ということだけど、誰もが知っている「忠臣蔵」のような話からこのような独創的なストーリーをいったい、どうすればつむぎだせるのか? 岡本喜八監督の『侍』も「桜田門外の変」をもとに奇抜な話を考え出していて驚かされる作品だけれども、『薄桜記』はもっと驚きだ。
これは、登場人物が武士道の美学と葛藤する様を描き出した作品であるとともに、美しいラブストーリーでもあり、友情ものでもあり、男2女1の三角関係ものでもある。こうしたいろいろな要素をつめこめばもっと破綻した作品になりそうだけど、きちんとストーリーとしてまとまっていて、「忠臣蔵」の話につながっていくのだから驚かされる。
しかし、実はひとつひとつのシーンはけっこう、そんな馬鹿な・・と思えるようなことをやっているのである。演出と脚本がうまいから、そんな馬鹿なと思えることが自然にストーリーの流れにおさまって見てしまえるのかもしれない。
たとえば、市川雷蔵が背後から片腕を斬り落とされるとか、拳銃で足を撃たれるといったところがそうである。おいおい、そりゃ、ないよと思うんだけど。しかし、これが市川雷蔵が動かない(動けない)で大立ち回りをするという、まさに雷蔵ならではの「静」のアクションを見せることにつながっているのだと思う。これがやりたくて無茶な展開にしたのかもしれない。結局、雷蔵だから納得できたのかも。
そもそも、「静」のヒーロー、市川雷蔵と、お祭り的なヒーローの勝新太郎とを対比的に見せるということで発想されている作品なのかもしれない。そして、雷蔵と勝新の魅力を引き出すことは見事に成功している。雷蔵と勝新が共演している作品としてはやはり真っ先にあげられるものなのだろう。
あるいは、ヒロイン、真城千都世の、紙人形を前にした、ひとり芝居! あんな演出、ありかと思うんだけど。ある意味では「説明台詞」のもっともたるものにほかならないはずのひとり芝居に、落語か何かの語りを聞かされているような気がしてきて泣けてしまうのはなんでなのだろうか・・。(真城千都世というこの女優についてはよく知らないのだが。)
監督の森一生は、加藤泰や三隅研次のような「美学」の監督ではないからこそ・・、一見、野暮ったい(?)演出だからこそ、練られた脚本とマッチすると、とんでもない演出を何食わぬ顔で(?)やってしまえたのかもしれない。
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