2007/10/27

舛添厚労相がB・C型肝炎治療助成を公表  公害・薬害・環境・医療問題

(ニュース)
<C型肝炎訴訟>原告側と和解、救済策 政府が方針
10月27日3時4分配信
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2007/10/27

超傑作『やくざ囃子』  映画

『やくざ囃子』(1954年)
文芸坐の特集でも、シネマヴェーラの特集でも、見逃し続けてきたマキノ雅弘監督作品。浅草名画座でようやく見ることが出来た。
はぁー、あまりに凄い超傑作。冒頭の船と船内の情景。簪をめぐるラブシーン。笠をめぐるラブシーン。森の中でのラブシーン。祭りの情景とお面をかぶったラブシーン。祭りと交錯するチャンバラシーン。怒濤のように次から次へと凄いシーンが出てくるのだが、ほとんど、こういう情景が撮りたいというのを、ひたすら撮りたいものを撮って繋いでいった感じなのだが、それが見事に一つのストーリーになっているのだ。やくざ映画とかで、時折、かぶいた凄いシーンが出てくることがあるけど、かぶいたシーンばかりを繋いで、しかもそれが一つのストーリー(1本の映画)にきちんとなっているという、ちょっと信じられないぐらいの純化度が高い作品。はぁー、もしかしたらマキノ作品の中でもとりわけ純化度が高いものなのかもしれない。
話そのものも、本当に純粋な、ピュアなラブストーリー。『次郎長三国志 第八部 海道一の暴れん坊』とともに美しくてピュアな和製ラブストーリーものの極め付けかも。純愛ものばやりと言うけど、こういうのって今、あるのかなぁ・・とふと思って、ちょっと思い当たったのは、緑川ゆきの『螢火の杜へ』という少女マンガ作品。まぁ、緑川ゆきがマキノに影響を受けてるなんてことはまず無さそうだけれども、マキノ的情景を今、一番、やっているのはもしかしたらこの少女マンガ家の作品なのかも・・なんて思ったりする。
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2007/10/25

「日本記録映画作家協会創立50周年記念映画祭 第2部」のお知らせ(終了)  映画

(*上映会は終了しました。来場された皆様、有難うございました。)

以下の上映会を行ないます。
例によって、僕はスタッフをしていますので、よろしく。

「日本記録映画作家協会創立50周年記念映画祭 第2部」
 
2007年10月24日(水)・25日(木)

10月24日(水)
昼の部 開演14時30分
Aプログラム
『甦える古民家』(1979年、34分)監督 浅野辰雄
『闘ふ映画人の記録』(1998年、96分)監督 清島利典

夜の部 開演19時
Aプログラム
『甦える古民家』(1979年、34分)監督 浅野辰雄
『闘ふ映画人の記録』(1998年、96分)監督 清島利典

10月25日(木)
昼の部 開演14時30分
Bプログラム
『昆虫記の世界』(1977年、29分)監督 布村建
『ムツゴロウとこどもたち』(1966年、31分)監督 徳永瑞夫
『薄墨の桜』(1977年、42分)監督 羽田澄子

夜の部 開演19時
Bプログラム
『昆虫記の世界』(1977年、29分)監督 布村建
『ムツゴロウとこどもたち』(1966年、31分)監督 徳永瑞夫
『薄墨の桜』(1977年、42分)監督 羽田澄子

*上映に先立ち作家もしくは関係者のスピーチがあります。

[料金]各プログラム 前売り・当日ともに1000円
[会場]なかのZERO 本館地下2階 視聴覚ホール
 JR中野駅南口を出て左、新宿方向徒歩8分、右手
  Tel 03-5340-5000

[問い合わせ先]
(株)NVCC(川本)  Tel&Fax 042-565-4572
野田、携帯電話   090-8348-1903
メール(金子) n3946062@yacht.ocn.ne.jp
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2007/10/21

『僕がいない場所』  映画

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ポーランド版『大人は判ってくれない』という宣伝で、思っていた(期待していた)のと、ちょっと違った。
まるでケン・ローチを期待して見に行ったらタルコフスキーを見せられた(?)みたいな気分。
シビアに現実をとらえたというには、全体に、あまりに詩情とか、映像美に走り過ぎている感じ。主人公の男の子に絡む姉妹の妹のほうの女の子はたしかに良かったけど(特にリラックスした感じの笑い方がね。女はやっぱり幼くても女なんだな・・なんて思う。)、ちょっと後半はノスタルジックに少年と少女の恋物語が描かれていくようになってしまうので、ラストもたとえばケン・ローチ作品のような衝撃には至らない。(ある意味、微妙な味わいはあるのかもしれないけど。。)
ナイマンの音楽がまたかなりベタにノスタルジックな雰囲気を盛り上げているのが、どうなんだろう・・。
こういう映画を見るとやっぱりケン・ローチって格が違うんだなって思う。
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2007/10/20

C型肝炎訴訟 関連記事(10月19日、20日)  公害・薬害・環境・医療問題

(ニュース)
<血液製剤>C型肝炎感染者の特定を要請 民主が厚労相に
10月19日13時43分配信
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2007/10/18

C型肝炎訴訟 関連記事(10月14日〜17日、その2)  公害・薬害・環境・医療問題

(ニュース)
薬害肝炎の「大阪」控訴審原告が和解案、国側も協議応諾
10月15日22時12分配信
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2007/10/18

C型肝炎訴訟 関連記事(10月14日〜17日、その1)  公害・薬害・環境・医療問題

(ニュース)
<薬害C型肝炎訴訟>原告側が和解案提出へ 大阪高裁で調整
10月14日3時8分配信
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2007/10/18

『パンズ・ラビリンス』  映画

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圧倒的なクオリティのファンタジー作品であることは疑いようがなく、一見の価値があることは間違いないだろう。

しかし、個人的にはどうにも引っかかりを残す作品であったのだ。どういうことか・・。
宮崎駿アニメからの影響もかなりあるようだけれども、宮崎駿の作品が興味深いのは、善と悪の観念が渾沌としている領域にまで踏み出して描いているからだと思うのだけれども、この『パンズ・ラビリンス』の場合は、けっこう、幻想を夢見る少女は無垢なもので善、フランコ政権に心酔している大尉は悪というように、善人と悪人の区別がはっきりついてしまっていて、ダークファンタジーと言いながら、人間というものが善の要素と悪の要素をあわせ持っている渾沌とした存在であることこそが本当の意味での人間存在のダークさだと思うので、この作品はそういう人間のダークさをとらえそこなってしまっているような気がするのだ。
また、これはそれだけこの作品が周到につくられているということであるのかもしれないけれども、何か、現実が厳しいものだからこそファンタジーの夢をみる・・という形でファンタジー性を肯定しようとしているようなのだけど、その論理でいくと、結局のところ、どんな不可思議なことが起こっても、それは厳しい現実の中で生きている少女の夢想ということになってしまうので、不可思議なこと、わけが分からないことに接してしまったという衝撃、もしかしたら人間が分かっていることなんてほんの一部で、世界には人間の理解をこえたことが存在しているのではないか?という畏怖や恐怖というものが薄れていってしまうと思うのだ。たとえば『サイレントヒル』のほうが、一体、何がなんだか、わけが分からない作品だからこそ、真に人間が存在している世界のわけが分からなさ、渾沌をとらえ出してしまったという衝撃があったように思う。もしかしたら、『サイレントヒル』よりもこの『パンズ・ラビリンス』のほうがより周到につくられている、出来がいい作品なのかもしれないが、周到につくられているからこそ、結局のところ、この作品はつくりての頭の中の計算を見ているような気がしてきてしまって、人間の理解や存在をこえる真の「わけが分からないもの」を見てしまったという衝撃と感動にはついには僕は至ることが出来なかったようである。よく出来ている作品が優れているとは限らない・・という僕が以前から考えてきていることを再度、確認することになった次第。

*関連する前記事
宮崎駿の野心の一考察
http://blue.ap.teacup.com/documentary/796.html

『サイレントヒル』の衝撃と『霧の旗』
http://blue.ap.teacup.com/documentary/724.html
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2007/10/13

『ヒルズ・ハブ・アイズ』  映画

うーん、これはホントのホラーマニア向けの作品だったみたい・・。
アメリカの核実験を題材にしたホラー映画ということなので、ちょっと興味を持って見に行ったんだけど、結局、そういう題材は新手の味付けのものに過ぎず、監督はひたすらホラー映画が撮りたい模様。本当に、根っからホラー好きで、具体的に、こういうことがしたい、ああいう画が撮りたい、こういう音を響かせたい・・みたいな欲望に満ちている監督なんだろうなあ・・ということは分かった。まあ、僕はお呼びじゃなかったようで・・。
つい『ヒルズ・ハブ・アイズ2』のほうのチケットも買ってあるので(1と2をセットでチケットを買うと安くなるのだ)、2も見に行くのだが、2は科学者がいなくなる話のようだし、もっと核に絡んだ話を深めてやってくれるのかなあ・・?(と、期待するほうが間違っているのかも?)
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2007/10/11

民主党 被爆者援護法改正案を次国会で提出  原爆・原発問題

(ニュース)
<被爆者援護法>民主、次国会に改正案
10月10日23時9分配信
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2007/10/11

『私の胸の思い出』  映画

これはウェルメイドな香港ラブコメディの佳作だ。
乳がんを題材にした難病ものでありながら、あくまでコメディタッチで描いたところがいい。
それも、ちょっと下ネタになりかねないネタを上質なコメディとしてくるみ、乳がんの病気の進行や治療などにきちんと絡めて描いている。
悲しい話だからこそ、ケセラセラと楽しく描こう(生きよう)じゃないか。これこそ、香港映画魂。素晴らしい。
製作はジョニー・トー。すごく会話のテンポとかがノリがいい作品だったけど、アクション映画も多く撮ってきたジョニー・トーだからこそ、活劇のようにラブコメディをつくったのかもしれない。ジョニー・トーの活劇魂で「楽しい難病もの」が出来てしまったなんて、やっぱり嬉しくなるじゃないか。

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2007/10/11

小沢民主党のアフガニスタン自衛隊派兵案について(続き)  時事問題

前記事の「小沢民主党のアフガニスタンに地上軍派兵案をいかに批判すればいいのか?」と重なる内容のコメントを、「お玉おばさんでもわかる政治のお話」のブログの記事のコメント欄に書き込んだところ、BLOG BLUESさんという方から、小沢を護憲派と考えるのは間違っているといった旨の反論があり、BLOG BLUESさんのブログのコメント欄でやり取りをすることになりました。
結果として、自分なりに前記事の考えを少し深めることが出来たように思うので、こちらのブログにもそのコメント欄に書き込んだものをそのまま転載させて頂きます。

BLOG BLUES
護憲勢力最強のライバル小沢一郎
http://blogblues.exblog.jp/5981356/

「レス、有難うございます。
blog-bluesさんは小沢一郎をバッシングしているというのとはちょっと違いましたね。僕の前のコメントは論点が見当違いのものだったかもしれません。
少し、冷静になって改めて考えてみました。
僕は今回の小沢氏の一連の発言から、憲法9条を改正する方向性から憲法の条文はそのままで解釈によって集団的自衛権を認めていく方向にいったのかと思ったのです。それも結局は集団的自衛権を認めるのだから解釈改憲というもので実質的には改憲なのだと言われるかもしれませんが、それでも、アメリカに言われるままに自衛隊を出す場合と、国連の決議のもとに出す場合とでは意味合いが違うと思います。少なくとも、イラク戦争のように国連決議を通らなかった場合はアメリカが要求しても自衛隊を出せないということになるわけですから。
僕が小沢氏がはっきり改憲することから憲法の条文がそのままで自衛隊を派兵する方向になったと考えたのは、これは僕の憶測ですが、その形のほうが民主党がまとまるのではないか?と思えるからです。

民主党には改憲派の人と護憲派の人とがいるようですから、憲法改正案を民主党でまとめて自民党への対案として出そうとしてもなかなかまとまらないと思うし、下手すると党が分裂してしまう危険性があると思います。
ですから、憲法を改正しないままで集団的自衛権を実質的に認めるという方向のほうが、それだと憲法改正を打ち出す必要もないということになりますから、党内がまとめられると思うのです。
また、同じ海外派兵でも、アメリカにべったりの自民党とは違いがあるし、その点で自民党との違いを打ち出せると思うのです。
なので、小沢民主党がそういう方向にいってもおかしくないように思い、それでお玉おばさんのブログの記事のコメントには、最初のコメントは僕の憶測で書いたのだけれど、その後に『世界』の小沢氏の文を読んだらはっきり憲法改正の必要はないという考えが書いてあったので、すっかりそのように思って自分のブログの記事にもそう書いたのです。

もちろん、これが言われているように事実に反した僕の思い込みというのか、僕の考え違いであるという可能性はあるとは思います。しかし、当然のことですが、僕自身は事実に反していると思っているのではなくて、それが事実なのではないか?と思って書いたわけです。そこが認識の違いということなのでしょうが。
同じ自衛隊の海外派兵でも、自民党の場合と国連主義の小沢氏の場合とで違いがあると思うのは、具体的には今後、考えられるイラン戦争のことが頭にあるからです。イランへの制裁はアメリカやフランスは積極的なようですが、常任理事国で反対する国はあると思うし、なかなか国連決議を通らないと思うのです。なので、今の小沢民主党の姿勢ではイラン戦争が起きた場合にアメリカが日本を参戦させたくてもできないことになるので、その点で注目するわけです。もちろん、可能性としては、仮に民主党政権ができて、国連決議を通らずにアメリカがイラン戦争を開始したとして、その時にはまた小沢が別のことを言い出し、ことによったら今度ははっきり改憲を言い出す方向に転換することはあるかもしれません。

しかし、もし本当に小沢がそのように国連決議をへてなくてもイランへ自衛隊派兵を始めたら、あまりにも今、言っていることと違うので、その時は野党になっている自民党の側からももちろんですが国民がその変質を批判すると思います。さすがにそこまで言っていることを覆すことを小沢が始めたらそれでも多くの人が小沢を支持するとは思えません。だから、もしそのように小沢が変質したら、その時こそ、小沢を徹底的に批判すればいいのだと思います。しかし、現在の段階で、実は小沢は本音は改憲で、将来的には改憲を言い出すだろうとまで言うのは決め付けすぎているように思えます。実際のところ、小沢がアメリカを敵にまわしても国連主義を貫き通すのか、変質するのかは現時点ではわからないように僕は思うのですが、いかがでしょうか?
長々、失礼しました。」
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2007/10/9

小沢民主党のアフガニスタンに地上軍派兵案をいかに批判すればいいのか?  時事問題

民主党の小沢一郎代表が、自衛隊はアメリカ軍への給油活動はやめるべきだけれども、国連のISAFの活動として地上軍をアフガニスタンにおくる活動はするべきだという旨のことを言い出し、自民党の側がそれは憲法9条違反で出来ないと否定するという、ちょっと意外な(?)展開の論戦になってきたようです。

これについて自分なりに整理してみます。

小沢氏の主張は、発売中の『世界』11月号に論点がまとまって記されています。

報道によると、自民党の石破氏が小沢氏の主張を憲法違反で出来ないと言っていて、石破氏のほうが護憲派みたいな発言をしていてびっくりですが、でも考えてみれば石破氏が小沢氏の主張に反対するのは理屈としては当然で、自民党は補給・後方支援活動だったら集団的自衛権に抵触しないと解釈しているので、そこまでは行なうけれども、今後、それ以上の海外での軍事活動が出来るようにするためには憲法を改正するべきだという考えなのでしょう。
小沢氏が主張するように、ISAFで復興支援で地上軍をおくることも憲法違反でなく出来るのであれば、憲法を改正する必要もなくなります。
『世界』11月号でも、小沢氏は憲法9条を改正する必要はないとはっきり考えを述べられています。
また、ここで小沢氏が言うことは、ISAFというか、復興支援だから憲法違反ではなく自衛隊を派兵できるということではなくて、国連の決議をへた平和維持活動のものならば参加できるという考えのようです。つまり、PKOだろうとISAFだろうと国連の決議をへたものならば憲法を変えなくても集団的自衛権を行使できるというのが小沢氏の考えなのではないかと思われます。
この小沢氏の考えによると憲法を改正しなくても集団的自衛権を行使できるのですから、憲法を変える必要もないという主張になるのではないかと思います。これで小沢氏が改憲を言ったら、それこそ理屈があいません。

もしかしたら、民主党には改憲派の人と護憲派の人とがいるようだけれども、小沢氏は改憲しなくても憲法9条のままで集団的自衛権を行使するようにするという行き方で、憲法改正の議論自体をもはや必要がないものとして、党内をまとめる考えなのかもしれません。

さて、それでは、こうした小沢氏の主張に対して、どのように批判をしていったらいいのでしょうか?
小沢氏の主張に対して、「それは憲法違反である」ということをいくら言ったとしても、「いや、私の解釈では憲法違反ではないのだ」と反論されるだけで、議論が平行線にしかならないことは明らかです。なので、「憲法違反である」と言うだけでは批判としてあまり有効ではないような気がします。
やはり、具体的に、なぜアフガニスタンに自衛隊を派兵することに反対であるのかを、現在、アフガニスタンで行われていることを個別例として考えて批判していくしか、ないのではないでしょうか?

そもそもいくら国連主導の平和維持活動のための軍隊投入であったとしても、他国の軍隊が入ることが本当にその国にとって平和をもたらすことになるのだろうか?という根本的な疑問がまずあります。
しかし、どんな局面でも、一切、軍事的活動はするべきではない、一切、軍事的活動というものは間違っている、世界中のすべての国は武力を放棄して非暴力、非武装主義の国家になるべきである・・とまではさすがに現実離れしていて主張できないことのようには僕も思います。(もちろん、理想としては、ジョン・レノンの歌のように世界中のすべての国が軍隊を廃止して、戦争が世界中から一切、ないようになったらいいのに・・とは思いますが、さすがにそれは今すぐに実現し得る話として考えるのは非現実的すぎるのではないかと思います。)
どこかの国が他国から侵略された時に、その国の人たちに対して、戦争はいけないことなのだから一切、抵抗しないで非暴力主義を貫きなさい・・とも僕には言えません。
だから、現実的には一定程度、平和維持のために必要な軍事活動というのはあることは認めるしかないとは思います。
それでも、出来る限り、武力や戦争の手段に訴えないで平和を維持することが出来ないだろうか?と思いますが。
武力という手段により戦争に発展した場合は、いくら目的が平和を維持するためのものであったとしても、結果としてはその戦争が行われている国の平和を維持するどころか、よりその国の土地を荒廃させ、混乱した状態にすることもあるのではないかと思うからです。ですから、出来る限り、武力の手段を用いないで事態を解決できないか?と思うわけです。
たとえば、テロリストとの戦争と言っても、厳密にテロリストに対してだけ、武力で制裁することが出来るのならばまだしもだとは思うけれども、周辺の無関係の民間の人たちが巻き込まれて犠牲になり、もしかしたらその犠牲になった人たちの中からまたテロリストがあらわれて、つまり憎悪、復讐の悪循環になるということもあるのではないかと思います。
そして、アフガニスタンで現在、続いている戦争は、まさに僕が今、書いたようなものになっているのではないか?と危惧しています。
そもそもビンラディンをかくまっているタリバンへの制裁として戦争を始めたのは間違いであったと僕は思うし(ビンラディンを逮捕するために必要最低限の武装した人たちをおくるなどの警察的な活動は必要であったとは思うし、その範囲で戦闘が行われることは仕方がなかったとは思うけれども、民間人に多大な犠牲が出るような戦争を欧米が開始する必要性はなかったのではないでしょうか?)、現在のISAFの活動で欧米の軍隊が駐留していることが本当にアフガニスタンを安定、平和にしているのかは、はなはだ疑問です。むしろ、欧米の軍隊が駐留し続けていることこそが、アフガニスタンでの戦争を終わらないものにしているのではないでしょうか?
そのように考えるので、結局、ISAFの活動として自衛隊をアフガニスタンにおくることが、アフガニスタンにとって本当に平和をもたらす活動になるのか否かが僕は疑問なわけです。
ですから、アフガニスタンに自衛隊の地上軍をおくることには僕は反対です。

とはいえ、僕も、一切の国連の平和維持活動に反対であるとまでは考えていません。
では、たとえばスーダンのPKO活動に自衛隊が参加(参戦)することについてはどう思うのか?と聞かれるかもしれませんが、これについては現在、考えを整理中であり、現時点でははっきりとした自分の考えを述べることが出来ません。

(補足)
スーダンについて考えを整理中と書いたけれども、僕が漠然と考えているのは、紛争処理に軍事的介入も仕方がない逼迫した状況なのだとしても、国連軍という形で欧米や中国の軍隊が入っていくと、それが利権争いに発展していくということはないのかな?という危惧があるので、国連が軍隊をおくるにしても、たとえばアフリカの国々から軍隊を集めてそこにすべて任せる、欧米や他の地域からの軍隊はおくらない・・というようなやり方は出来ないだろうか?ということです。(欧米や中国による利権争いをなるべく絡めずに事態を収拾するため。)
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2007/10/4

教科書検定制度 いっそ、やめてしまえば?  時事問題

沖縄の集団自決に関する記述をめぐり、教科書検定についてまた話題になっているが、これについては以前にも書いたことがあるし、ずっと持論として個人的には言ってきていることだけれども、いっそのこと、検定制度自体をやめてしまうのがいいのではないか?と思う。

左翼よりの史観の教科書も、「新しい歴史教科書をつくる会」の教科書もどちらも自由に出版させて、どれを使用するかは各学校の判断に任せればいいのではないか?
事実に即したものかどうか、チェックする機能がいるのでは?と言われるかもしれないけど、どちらの陣営も一応、大学の専門の先生などが執筆されているものなのである。文部科学省の役人よりもはるかに研究されていて知識がある人達が書いているはずで、文部科学省の役人のほうが事実に即したものをきちんと判断してチェックしているという保障はどこにもない。また、これが数学の教科書とかなら、明らかに間違った記述を修正するというのはどの専門家から見ても異論が出ないのかもしれないけど、日本史の場合、歴史観の違いで見解が違っているというところがあり、専門家の間でも議論が重ねられている現状がある。
実際のところ、文部科学省の役人がチェックしているのは、結局、事実に即しているかどうかを客観的に判断しているというよりも、時の権力(その時の政権)の意向にそうものになっているかどうかなのではないだろうか? そうしたチェックで、すべての教科書の記述が横一線に同じものになってしまうのならば、そのほうがはっきり言って恐い。安倍政権の時は安倍政権の意向にそった記述になり、福田政権になると福田政権の意向にそった記述になるという風に政権が変わるたびにコロコロと内容が変わる(そしてすべての出版社の教科書の内容が統一されてしまう)というあり方こそがおかしいのではないだろうか?と僕は思うのだけど・・。

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2007/10/3

『ホステル2』  映画

うまいよなぁ。前作もそう思ったんだけど、このイーライ・ロスって監督、ちょっとうま過ぎない?
相変わらずタランティーノがプロデュースなんだけど、たとえばタランティーノ監督の『デス・プルーフinグラインドハウス』のようにやり過ぎない。(まぁ、逆にとことんやるのがタランティーノの魅力なんだろうけど。)基本的にはもちろん残虐きわまりない話のホラー映画なんだけど、残虐シーンをとことん見せるのではなく、あくまで必要最小限のものを見せていって、しっかり話の語り口で引っ張るという感じなのだ。いろいろ伏線も張られているんだけど、さりげない短い台詞が伏線になっていたりして、こういうピリッとした語り口のうまさは最近の映画監督では珍しい資質なのではないか?と。
またちょっとした台詞やディテールで各人物のキャラクターをしっかりと表現しているし。特に、今回、殺すほうの側も、単に変質者としてだけではなく、女房に尻に敷かれている男で、女性コンプレックスを持っている自分を変えようとして・・みたいなキャラクター設定で作り上げていて、こういうところがリアルだよなぁと。リアルというのか、たとえばタランティーノの映画は面白いとは思っても登場人物に自分を重ねて感情移入したりするようなところはあまりないんだけど、こういうキャラクターのつくりだと自分としてもピンとくるというのか、無視できないなぁと。で、分かるだけに、ゾッとさせられてしまうわけだが・・。というわけで、個人的には評判の『デス・プルーフinグラインドハウス』よりもグッとくるところが多いことを認めざるを得ません。この監督には脱帽。

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