2007/11/28

原爆症認定基準見直し(中国新聞、沖縄タイムス 社説)  原爆・原発問題

*本日の中国新聞と沖縄タイムスの社説より。

中国新聞 社説
原爆症認定基準 幅広い救済への一里塚
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 病に苦しむ被爆者を、幅広く救済するための制度改正へどうつなげていくか。自民、公明両党の与党プロジェクトチーム(PT)が、従来の原爆症の認定基準を大幅に緩和する方針を固めた。

 検討されているのは、爆心地から四キロ以内で被爆した人や、原爆投下から百時間以内に入った人が、がんや白血病など九項目の病気になれば自動的に原爆症と認める。この条件に当てはまらないケースは、認定申請を審査している機関を改組して設ける機関が個別審査をする―などである。

 これに対し、現行基準では、爆心からの距離を基に被曝(ひばく)線量を推定。年齢や性別を加味して、個別の病気が発生する確率を計算する「原因確率」を採用している。放射性降下物を吸い込むなどして生じる内部被曝や、残留放射線の影響が過小評価されている、との指摘もあった。

 被爆者健康手帳を持つ約二十五万人のうち現在、原爆症と認定されているのは1%未満の約二千二百人にとどまっている。厳しさに疑問を感じているのは被爆者だけではあるまい。今回の基準が適用されれば、認定される被爆者は約十倍の二万人以上に増える見込みという。

 認定を求める集団訴訟で、国が六度も続けて敗訴したのも、基準が実態を反映していないという疑問があるからだ。遠距離や入市の被爆者にも、推定被曝線量だけでは想定できない脱毛や下痢などの急性症状が出ていた。こうした点が、司法の判断につながった。

 基準の見直しは、安倍晋三前首相の表明から本格化した。PTの活動は、自民党厚生労働部会の原爆被爆者対策に関する小委員会が、新基準づくりなどを盛り込んだ提言をまとめたのを受けた。

 今後は、厚生労働省の検討会が、年内に報告書をとりまとめることになる。これまでの基準にこだわるあまり、小幅な変更にとどまる可能性もある。PTの動きには、検討会のこうした流れをけん制し、救済対象をできるだけ拡大しようとの思いがうかがえる。

 基準については、被爆者の間に「線引きなどしないで、病気になっている全員を救済してほしい」と求める声も強い。理解を得られるよう、十分に説明する努力も必要だ。行政の壁が厚いなら、政治が突き動かすのも一つの道だろう。被爆者の高齢化は進み、平均年齢は七十五歳に近い。立ち止まっている時間はない。
http://www.chugoku-np.co.jp/Syasetu/Sh200711280161.html

沖縄タイムス 社説(2007年11月28日朝刊)
[原爆症認定基準]
見直しを歓迎したい
 原爆症認定をめぐる訴訟で国側敗訴が続く中で、被爆者団体から「厳しすぎる」と批判されてきた原爆症認定基準の見直しがようやく実現しそうだ。

 与党のプロジェクトチーム(PT)は、爆心地付近から約四キロ以内で直接被爆したり、投下後約百時間以内に爆心地に入ったりした被爆者で、がんや白血病など九項目の病気になった人を自動的に原爆症と認定する方向で提言をまとめる。

 現在約二十五万人が被爆者健康手帳を持っており、このうち原爆症認定者はわずか約二千二百人。与党PT案によると、現在の約十倍に当たる約二万人が認定される見通しだ。

 厚生労働省は二〇〇一年、爆心地からの距離に基づく被ばく放射線量と、年齢や性別、病名を組み合わせて病気が被爆に起因するかどうかを判断する「原因確率」を導入している。

 現行の基準は爆発時の初期放射線の影響を重視しているため、放射性降下物や誘導放射線など残留放射線の影響を受けたとされる「遠距離被爆」「入市被爆」の認定は難しくなる。

 与党PT案では基準が大幅に緩和され、条件に漏れた人も「二段階方式」で個別に認定の可否が審査される。

 従来基準と比べて大きな前進と評価でき、見直しを歓迎したい。だが新基準による救済で万全といえるか、線引きには合理性があるかどうか、早急に問題点を詰めていく必要がある。

 被爆者の平均年齢は七十五歳。救済へ向けた議論を急ぎ、政府も最終案の取りまとめに全力を傾けてほしい。

 認定申請を却下された被爆者が国に認定を求める訴訟は十五地裁、六高裁で係争中だ。東京など六地裁で国側が六連敗し、安倍晋三前首相が基準見直しを検討する意向を表明。与党内で政治決着を目指す動きが加速した。

 厚労省は「科学的根拠に基づいた認定基準と審査」を強調し、「判決は一般的な医学・放射線学と理解が異なっている」などとして控訴している。

 各地裁の判決は、現行基準について「残留放射線の影響評価などで限界があり、科学的根拠を厳密に求めると、被爆者救済という被爆者援護法の目的に沿わない」「残留放射線による外部被ばくや内部被ばくを十分検討しておらず、限界や弱点がある」などとして、被爆者を救済する判断を示した。

 科学的な根拠や厳密な因果関係の判断にかたくなにこだわるだけでは、この問題を打開することは難しい。

 「厚労省は私たちが死ぬのを待っているのでしょうか」という高齢の被爆者の声を真摯に受け止め、被爆者救済の枠を可能な限り広げていくべきだ。
http://www.okinawatimes.co.jp/edi/20071128.html#no_1
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2007/11/28

『理屈、論争と物語』  映画

東京フィルメックス映画祭で、インドの巨匠、リッティク・ゴトク(以前はリトウィック・ガタクとも表記されていたが、今回はリッティク・ゴトクとなっているのでこちらで統一したい。なお、リッティク・ゴトクという表記はすでに1987年9月発行の雑誌『コッラニ』12号でそのように表記されているし、別に今回、初めてこのように表記されたわけではない。というか、もともと最初はこの名前で日本に紹介されていたのではないかと思うのだけど・・)監督の最後の長編劇映画という『理屈、論争と物語』(1974年)をようやく見ることが出来たわけだけれども、以前に『雲のかげ星宿る』(1960年)を見て、すっかり(たとえばダグラス・サークのような)メロドラマの巨匠なのかと思っていたリッティク・ゴトクという監督が、こんな飄々とした、70年代ヒッピー文化に通じているようなというのか、ジャック・リヴェットの親戚みたいな、ポップな前衛作品を遺作として撮っていたとは嬉しくなる。

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なんといっても若い娘の登場のさせ方のあまりのデタラメぶり(まったく、なんの必然性もなく妻に去られた男のもとに突然、見知らぬ若い娘がたずねてくるのだ・笑)にのけぞったが、この「若い娘」という存在自体が、もしかしたら50年代から60年代前半の全盛期のインド映画に対するオマージュだったのではないだろうか・・。この頃のインド映画はまさに女優の宝庫だったのだから。あのインドの吉永小百合と言うべきヌータンや、ラージ・カプール監督の女神のナルギス、グル・ダット監督を狂わせたワヒーダー・ラフマーン、あるいはミーナークマーリー、スライヤー、『シュボルノレカ河(黄金の河)』のマドビ・ムカルジー・・。特に、イメージとして決定的だったのは、『スジャーター』(ビマル・ラーイ監督)でヌータンが演じた不可触民の娘と、文字通り、「インドの母」と言うべき『マザーインディア』(メーフブーブ監督)のナルギスだったのではないだろうか・・。というわけで、『理屈、論争と物語』で若い娘が唐突に登場することは、ストーリー上の必然性は何もないのだけれども、やっぱり「必要」なことだったのかもしれない。
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2007/11/23

『女の中にいる他人』  映画

『女の中にいる他人』(1966年、成瀬巳喜男監督)
新文芸坐で。なんと、小林桂樹氏の84歳の誕生日とのことで、小林氏も来場されていた。
小林桂樹と新珠三千代の夫婦というキャスティングは、小津安二郎監督『小早川家の秋』(1960年)を意識していたのかと思うが、成瀬が小津に返答を出すとこうなるというのはやはり尋常ではない気がする。
話は一見、テレビの2時間ドラマでもよくありそうなサスペンスものなのだけれども、どこか、ヘンなのだ。見終わってから、成瀬映画の美術監督、中古智氏へのインタビュー本『成瀬巳喜男の設計』を読み返して、何がヘンなのかを納得。中古氏が明言されているのだが、これ、要するに心理的なSMものなんだな・・。「女の中にいる他人」というタイトルだけれども、実は小林桂樹が演じる生真面目なサラリーマン男の中に眠っていたサディズムとマゾヒズムを描き出した、つまり、「生真面目なサラリーマン男の中にいる他人」という映画だったりして・・。
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2007/11/19

チッソが水俣病与党救済案受け入れ拒否を表明  公害・薬害・環境・医療問題

*チッソの言い分にあきれた・・というより、えっ、自民党はチッソに根回しして話をつけることにも失敗したの? 自民党、弱くなったなぁ、なんて思ってしまった・・。

(ニュース)
チッソが未認定患者の新救済策拒否…財源負担「理由ない」
11月15日3時16分配信
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2007/11/12

『国道20号線』  映画

あの柳町光男監督に、「過剰な程に映画的要素が溢れ思わず鳥肌がたつであろうこのシーンを観ずして、今年の日本映画を語ることはできない。」というコメントを寄せさせる映画(というか、その映画の1シーン)とはいかなるものなのか?
と興味を持って、見に行ったんだけど、なるほど、これはギンギラギンのインディーズ映画の傑作。
暴走族あがりのチンピラの若者達の日常をこれほどリアルに、ひたすらうんざりするほど、描いた映画はなかなかないだろう。本当に、ここにはうんざりする日常と現実の風景がただただ続くばかりなのだけど、それではこれはひたすらミニマムに、リアルに現実をそのまま切り取った映画なのだろうか?
もしかしたら、そうなのかもしれず、この映画も結局は最近の日本映画の傾向のミニマム志向の罠を抜け切ってはいないのかもしれないけれども、だけど少なくともつくりての富田克也監督はそうしたことに自覚的だろうし、うんざりしていて、だからこそ、こんなうんざりするばかりの映画をつくったんだろうし、その内心の魂の叫びを聞かないわけにもいかない。もちろん、この映画は本当には叫ばないし、(暴走族の話なのに)颯爽と走ったりもしないんだけど(だからこそ、うんざりするんだ)。

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2007/11/8

最低賃金法改正案が衆院を通過したが・・  ニュース

(ニュース)
<労働2法案>衆院を通過 自民、民主などの賛成多数で
11月8日13時22分配信
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2007/11/7

『ブレイブ ワン』  映画

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いやー、参りました。

ニール・ジョーダン監督作品としては評判が良かった前作『プルートで朝食を』に比べて、これは評判はいまいちなのでしょうか?
でも、個人的にはこっちのほうが傑作だと思えました。

評判がいまいち・・の理由は分からないわけでもありません。
フィクションとしては中途半端なところもあり、共感できるストーリーでもないし・・。
でも、だからこそ、凄い映画なのではないでしょうか?
つまり、ほとんど「現実」そのもののようにリアルだというのか・・。

ある意味ではフィクションとしてはかなりゆるいというのか、煮え切らない作品であり、ラストの展開もそんなの、ありか・・と思うようなものなのだけれども、だからこそフィクションなのにもかかわらず「現実」そのものをつかまえ出してしまっているという稀有な作品になり得ているように思います。
つまり、『パンズ・ラビリンス』について、人間を善人と悪人とに区別して描きわけ過ぎている・・と書きましたが、この『ブレイブ ワン』は文字通り、善と悪が渾沌としていて、はっきり言ってなんのためにヒロインが復讐しているのか?がさっぱり分からなくなってしまっているし、主人公の行動は共感し難いものなのかもしれないのですが、だからこそ、逆に、まさに「現実」をとらえ出している、類い稀なリアリティを持った作品になり得ているのではないかと思えるのです。

たとえば『パンズ・ラビリンス』よりも、あるいは同じニール・ジョーダン監督の前作『プルートで朝食を』よりも、あるいは同じ撮影監督による作品であるティム・バートン監督の『ビッグ・フィッシュ』よりも、僕はこの映画を支持します。

ジョディ・フォスターは凄い。
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2007/11/5

『番格ロック』  映画

ラピュタ阿佐ヶ谷で『番格ロック』(1973年、内藤誠監督)。内藤誠監督も来場されていた。
まずバーンと出るタイトルが格好いい。

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「格」の字の「口」の中が「☆」になっているのだ。やっぱりスケバンものだからこういう字体になるんだろうか・・。

キャロルの歌が流れるばかりでなく、キャロルが歌うシーンもばっちりあるというその筋では貴重品らしいのだが(矢沢永吉の若いこと・・。というか、若き日の矢沢ってあんな感じだったのか・・。)、「音」的には、キャロルの歌よりもむしろ、僕には都電の音の使い方が印象に残った。この作品がいかに荒唐無稽な話であっても、まるでドキュメンタリーのような写実性をも感じさせるのは、アクションをとことん活写しているからでもあるのだろうけれども、なんといってもドラマの舞台の背後に走る都電の姿と音をしっかりとつかまえているからではないだろうか?
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2007/11/4

『股旅三人やくざ』  映画

『股旅三人やくざ』(1965年、沢島忠監督)
脚本:笠原和夫(第1話)、中島貞夫(第2話)、野上龍雄(第3話) 撮影:古谷伸
出演:仲代達矢、桜町弘子(第1話) 松方弘樹、志村喬、藤純子(第2話) 中村錦之助、入江若葉(第3話)

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浅草名画座で。
有名な作品だが、初見。
ストーリー的には笠原和夫脚本の第1話がやくざの男と女郎の女の哀しみを描き出していて圧巻だったが、沢島忠監督の本領が発揮されているのは、やはりコメディタッチの第3話なのだろうか。第1話は加藤泰監督でも撮りそうな感じがするけれども、第3話のようなものは時代劇にモダンなコメディやミュージカルを盛り込み東映時代劇ヌーヴェルヴァーグと言われた沢島忠監督ならではのもの。
第3話の冒頭、中村錦之助が大根をかじっている口元のアップ。最初はアップすぎて誰だか、分からない。カメラが引いてようやく中村錦之助だと分かる。大根をかじって辛かったのか、川の水を手ですくって飲む。ふと顔を上げるとすぐ近くの橋の上から子供が川に立ち小便している。「こら、馬鹿野郎!」と怒る錦之助。あわてて逃げる子供。・・
もう、見事な出だしだが、このシーンのようにカメラワークも凝ってるし、画面の構図は決まっていてかっこいいし、その意味では加藤泰や三隅研次のように「美学」を感じさせるのだけれども、同時にマキノ雅弘のような軽快さもあって・・。つまり、加藤泰のような「美学」とマキノ雅弘のような軽快さのどちらも兼ね備えたような作品を撮っていた監督が沢島忠であり、その意味で稀有な監督だったのかも・・。
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2007/11/3

「水俣病出水の会」が与党新救済案を受け入れ   公害・薬害・環境・医療問題

(ニュース)
<水俣病>「出水の会」が新救済案の骨格受け入れ 2団体目
10月27日19時27分配信
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