2008/1/30

中村登監督『斑女』『集金旅行』  映画

『斑女』(はんにょ)1961年 松竹大船 中村登監督 脚本・権藤利英 岡田茉莉子主演
『集金旅行』1957年 松竹大船 中村登監督 脚本・椎名利夫 佐田啓二、岡田茉莉子主演
神保町シアターで鑑賞。

竹中労が「わが生涯の最良の喜劇」と評したという『集金旅行』を見て、見事なまでの和製『或る夜の出来事』と言うべき、佐田啓二と岡田茉莉子によるソフィスケーションなラブコメディの傑作ぶりには(たとえば、『或る夜の出来事』を日本的にパクったと言うべき、「蚊」のシーンの絶妙さ!)なるほどと竹中労氏の当時の評価を納得したのだけど、やはり映画は見てみなければ分からないというのか、やはり岡田茉莉子主演の『斑女』は当時はよくあるメロドラマの1本として見られていたようで特に評価を受けてきた作品ではないようなのだけど、しかしこれは『集金旅行』をさらに上回る傑作なのだった。
中村登監督と岡田茉莉子との相性の抜群の良さには、きっと吉田喜重が嫉妬しまくったに違いないと思うのだけれども、「今も古びることのない」どころか、ここまで見事にクールに決まっているラブコメディって、ちょっと今時もあまりないのではないか?と思える中村登監督のモダンでクールなタッチが、岡田茉莉子にはピシッと合ったのだろうかと思う。
中村登監督、岡田茉莉子主演の作品群は、全然、古びたメロドラマなんかじゃない。というか、より正確には、メロドラマの「その後」を描いたものだと言っていいのかもしれない。
というのは、『斑女』は駆け落ちした男女の「その後」を描いた作品だからである。熱く燃え上がって東京に駆け落ちしたものの、さてどうすればいいのか? 生活するためには仕事を探して稼がないといけないわけだし、恋愛に燃えてばかりもいられない・・という、熱く燃え上がった後から始まるのがこの映画のストーリーなのだ。
特に、年下の若い佐々木功が、兄嫁の岡田茉莉子と駆け落ちするというこの作品の設定は、成瀬の『乱れる』(1964年)を想起させるものではないかと思う。もちろん、『斑女』のほうが先につくられているのだから『乱れる』を参考にしたわけでは全然、ないはずなのだけれども、にもかかわらず(製作年度は逆なのにもかかわらず)、『斑女』は「その後の『乱れる』」とも思えるような作品なのだ。『乱れる』の2人がもし駆け落ちしていたらこうなっていたかもしれない、と・・。
ちょっと強引に成瀬と結び付けてしまったようだけど、『斑女』の脚本家の権藤利英というのは、実は成瀬作品の脚本を手懸けたこともある井手俊郎の別名らしいので、成瀬と連関しているというのはあながち、外れていないような気がする。
しかし、あの悲劇を極めたような成瀬が描いた恋愛像の「先」「その後」など、あるのだろうか?と言われるのかもしれないけど、それをコメディとして描くところが中村登監督の、モダンな素晴らしさなのではないだろうか。つまり、恋愛が燃えさがってからを描くわけだから、ある意味では悲痛な話だとも言えるのだけれども、そうした悲痛さをしみじみと描くのではなく、ソフィスケートしたコメディとして描いているのだ。岡田茉莉子と佐々木功の2人は、いや、2人だけでなくこの2人を取り巻くこの映画の登場人物たちの誰もが、「愛」と「お金」とを取り違えて、どんどん取り違えていってずれていってしまうわけだけれども、そのようなズレを、たとえば東京タワーと通天閣を取り違えるといったコメディとして描いているのだ。だから、「今も古びることのない」どころか、たとえば東京タワーをノスタルジーの象徴として描いた最近の『三丁目の夕日』などよりもずっとモダンな、これこそ乾いた大人のラブストーリーだと言える作品になっているのではないだろうか・・。
そして、そのような取り違いの果てに、物語がどこに辿り着くのかは具体的には書かないけれども、至福のラストが待っているとだけは書きとめておきたいと思う。
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2008/1/27

韓流シネマフェスティバル『強敵』  映画

『強敵』
シネマート六本木で。
後半の展開がちょっと強引で無理がある気はしたのだけど、刑務所での殺人犯にされた男とその恋人との面会シーン、その後の脱走シーンはユニークなアイデアによるもので(映画の刑務所での面会シーンって大体、印象的ないいシーンのものが多いんだけど、この映画の面会シーンの描写はとりわけユニーク)、そうしたディテールのアイデアが秀逸な作品だと思いました。

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2008/1/27

『28週後...』  映画

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撮り方の面で、コマ切れの編集とか、やたらと手持ちのブレた画面とか(ドキュメンタリータッチなんですか?)、あまりよくないような気もするんだけど、でも話は好き。というか、優柔不断なロバート・カーライルに共感し、優柔不断男の屈折したラブストーリーとしての部分が極上だと思いました。これ、見て、極上のラブストーリーだなんて言う僕は狂っているのかもしれませんが・・。
スピルバーグが去年の映画ベストテンにこの映画をあげていたそうなんだけど、なんとなく分かる。スピルバーグも根は陰惨なところがあるからな・・。
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2008/1/23

副作用と薬害の違いについて  公害・薬害・環境・医療問題

下記のブログでC型肝炎の問題について取り上げていて、その記事のコメント欄に書き込み、ちょっと議論したりしたのだけど。
その議論で、改めて考えたことを、整理する意味で書きとめておきたい。

白鳥一声
http://8910-1000.at.webry.info/

C型肝炎の場合、薬害については(薬害であることを証明するカルテなどが認められれば)賠償金が貰えるようになったのだけど、今度は、輸血や予防接種により感染した者、また血友病の被害者など、他の医療行為によって感染した者がその補償の対象にならないのは不公平なのではないか?という問題が生じてきているわけである。

で、上の「白鳥一声」のブログの管理人さんは、

>医療の限界が引き起こした避けられない被害に対して、政府が責任を認める≪前例≫を作り重ねてはならないのです。

という考えから、「補償の対象に含まれる方」と「補償対象に含まれない方」ということを書かれていたので、それに対して、僕は以下のような反論のコメントを書き込んだのである。

(以下、自分が書き込んだコメントを引用)
初めまして。
これは本当に難しい問題だと思います。僕も考えがまとまらないでいるのですが、このブログの記事を読んで思った疑問をコメントします。

>血友病に対する血液製剤の投与や、大量出血に対する輸血は、肝炎のリスクを考慮しても生命維持のためには必須でした。それを行わないという選択は、患者さんの側も望まなかったはずです。特にC型肝炎の危険性が十分に解明されていなかった当時においては、これらの処置は妥当な医療行為でした。

というのは分かるのですが、しかし、たとえば大量出血に対する輸血のケースにおいても、行政の責任がまったくなかったと言えるのでしょうか?
たしかに、ふせげなかったというのは分かりますよ。その意味では薬害でC型肝炎になった場合とは責任の度合いが違うとは思います。

でも、輸血のケースでも、肝炎になる可能性があることは(C型肝炎が特定されるずっと以前から)分かっていたようです。なら、赤十字などは、輸血の手術をした人は肝炎に感染している可能性があるので定期的に検査をするようにと広く国民に呼び掛けることをするべきだったのではないかと思うのです。そうすれば
肝炎に感染している人は早期発見、早期治療に取り組めたのですから。しかし、行政や赤十字はそのような呼びかけをしてこなかった。この点で、輸血で感染した人のケースでも、行政に責任があったのではないかと考えます。
また、

>5)予防注射で、注射針の使い回しにより特定肝炎となった方

の場合は、これはふせぎようがなかったわけではなく、「注射針の使い回し」をしなければふせげたわけだから、「補償対象に含まれない方」に入れるべきなのか? 薬害と同じように、はっきりと補償対象に含めるべきなのではないか?という疑問も抱きました。

あと、血友病の場合はまた難しい問題ですが・・。
これは、ちょっと内輪の話みたいになるけど、薬害エイズ訴訟の弁護団とC型肝炎訴訟の弁護団とで重なっていますが、もともと血友病の人には両方の被害があったわけで、最初から薬害エイズで裁判をするか、肝炎で裁判をするかで議論もあったようです。薬害エイズには感染していない人も肝炎には感染していたわけだから、広く血友病患者を救済するなら肝炎で訴訟をするほうがいいのではないかと。でも、やはり薬害エイズの被害があまりに突出していたので、そっちの訴訟を開始したのです。で、そちらがひと段落したのでC型肝炎の訴訟が始まったんです。なのに、今回も血友病の被害者の人達は救済の枠から外されるのであれば、血友病で薬害エイズは幸い、免れたけど、C型肝炎には感染してしまった人の救済はいつも先送りにされてしまっているような感じはしてきます。
(引用、終わり)

というのが僕の主旨なのだけれども、しかし上の反論は、「白鳥一声」のブログの管理人さんの論に対する全面的な反論にはなっていない、あくまで部分的に異を唱えているものであるとは言えるだろう。というのは、「たしかに、ふせげなかったというのは分かりますよ」「その意味では薬害でC型肝炎になった場合とは責任の度合いが違うとは思います」と書いたように、薬害の場合とたとえば輸血で感染した場合とで違いがあることは僕もある程度、認めているからである。
では、一体、この違い、この差はどこから生じているのだろうか?ということを考えてみたのである。
よく言われるように、薬害と言うけれども、薬というのはどんな薬でも副作用があるものであり、効果があるからこそ副作用もあるのだからそれは仕方がないものなのだという考え方がある。そして、医療行為によって生じる間違いは、患者側は受け入れ、受忍するしかないのではないか?という議論がある。そうした、ある程度、副作用があるものは仕方がないことなので受け入れなければならないという論も一理あるとは思うのだけれども、しかし、やっぱり患者側から見て、これは到底、受け入れることは出来ないという一線があるように思う。
その一線はどこにあるのか? 副作用と薬害とを分ける線はどこにあるのか?
端的に言ってしまうと、もともとのその病気の症状と、副作用の結果の症状とのどちらが重いか?ということから区分けが生じるのではないかと思うのである。
たとえば、もともとの症状は軽いものであり、薬を使わなければ治療が長引いて、薬で1日で回復するのが1週間、寝ていなければならなくなるのだけれども、でも薬を使わなくても1週間、安静にして寝ていれば治っただろうという病気だったとする。ところが、薬を使用したことにより、失明してしまうとか、もっとひどいケースでは死んでしまうとかいうことになったとする。この場合、被害者(患者)もしくは被害者の遺族は、どうしたって「そんなことならその薬を使わなければ良かったのに・・」と思うのはごく当然のことであると言えるだろう。いくら医療行為において起こった間違いなのだから受忍しなければならないんだ・・と説かれても、それで納得する被害者はまずいないのではないだろうか?
しかし、手術をしないと命が助からないが、手術をすると命は取りとめるけれども足を切断して車椅子生活をおくらなければならないというケースがあったとする。この場合に、医者が手術をすることを決断したとして、「車椅子に乗るようになるならば手術なんてして欲しくなかった。死んでしまったほうが良かった」と思う患者もいないのではないだろうか? むしろ、命を取りとめる手術をしてくれた医者に患者は感謝するのではないだろうか?
つまり、もともとの症状と、医療行為によって生じる症状(副作用)とを比較して、副作用のほうが軽ければ、その医療行為は仕方がなかったものとして患者側は受忍することが出来るが、副作用のほうが甚大な結果を招くのであれば、受忍できないのは仕方がないことではないか?と思うのだ。
そこに、副作用と薬害との違いがあるのではないだろうか?

以上の考えをC型肝炎の場合に当てはめて考えてみる。
もっとも、厳密にはひとりひとりのケースで違いがあるのかもしれないので、大雑把に区分けすることが正確ではない場合もあるかもしれないけれども。
輸血のみによって感染した場合は「薬害」には当たらないが、血液製剤を使用した場合は薬害になるというのは、たとえば出産時に止血剤として血液製剤を使用した場合、その止血剤はどうしても使わなければいけないものではなかったのではないか? また止血剤を使用するにしても他の止血剤を使用すれば良かったのではないか?という疑問が生じるからである。だから、どうしても使用しなければいけないわけではなかった薬を使用し、結果としてより甚大な症状を招いてしまったので薬害であると考えられるわけである。
それに対して、輸血をしないといけない手術をしたとか、血友病患者が血液製剤を使用したというケースの場合は、まあ、厳密にはもしかしたら輸血をする必要がない手術で医者が間違った判断をして輸血をしてしまったというケースもあり得るとは思うのだけれども、基本的には輸血をする必要があって輸血をしたのであって、輸血をしなければ死んでしまったかもしれないというようなケースのほうが多いのではないだろうか? この場合に輸血をして結果として肝炎になったのだとしても、その医療行為を行った医師を非難できるのか?というと、ある程度、妥当な判断であったのではないか?と思えるのである。
また血友病の患者の場合は、血液製剤をまったく使わないというわけにはいかず、それでは死に至ってしまうかもしれないのだから、血液製剤を使用したのは仕方がなかった面があるのではないかと思うのである。もっとも、薬害エイズの場合は、国内の献血の血液で出来ているクリオ製剤を使用していればHIVに感染することはふせぐことが出来た。だから、薬害エイズの場合は、結果のほうが甚大なのだから薬害であったと言えるのだけれども、肝炎に関しては、たとえクリオ製剤を使用していてもやはり感染していた可能性があるようである。(下記のリンク先の、血友病でC型肝炎に感染した方が書いている記事を参照。)

http://web.kyoto-inet.or.jp/people/ryu-sano/barker.html

とすると、血友病で薬害エイズに感染した場合は薬害だけれども、C型肝炎に感染した場合は薬害とまでは言えないというのは一理、あるのかな・・と思えてくるのである。ここが複雑な気持ちがするところなのだけれども・・。(補足注)

このように考えていくと、血液製剤によって感染した人は薬害の被害者であるけれども、輸血で感染した人や血友病の人の場合は薬害とまでは言えないのではないか?という、一定の線引きがあることを認めざるを得なくなってくるのだ・・。だから、「白鳥一声」のブログの管理人さんが書かれている線引きを、ある程度、認めるしかないような気はしているわけである。現時点での僕の思考では、このような考えに至っているわけだけれども、ドライすぎる考え方なのだろうか・・。

ただし、それでは、血液製剤によって感染した人は薬害の被害者なので国は責任があり補償をするべきだけれども、輸血で感染した人や血友病の人の場合は責任がないので補償する必要はない・・と僕が考えているのかと言うと、そうではない。「白鳥一声」のブログのコメント欄で書いた通り、「責任の度合いが違う」とは思うのだけれども、そのような医療行為をせざるを得なかったという点では仕方がなかった面があったとしても、医療行為後の対処において問題があったので、その点でやはり国に責任はあったのではないか?と考えているわけである。
やはり、副作用よりもともとの症状がより重いものなのだからその薬を使用する、そうした医療行為がするのが仕方がなかったのだ、だから薬害とまでは言えずあくまで副作用なのだ・・というケースにおいても、そうした副作用が生じることが分かっているのであれば、そのことを患者に説明する責任があるのではないかと思うのだ。こうした副作用はあるのだけれど・・ということを説明しなければ、患者の側も、その医療行為を受忍していいかどうかの判断も出来ないのではないかと思うし・・。
まあ、薬の説明書などをよく読むと、製薬会社は後で訴訟になることを恐れているのか、こうした副作用がありますということが小さく書いてあったりするのかもしれないけれども、いちいち薬の説明書をすべて読むことを患者がすることを要求するのは無理があると思うし、やはり製薬会社や医者の側が使用者にきちんと説明した上で使用するか否かを判断するようにしないといけないのではないかと思うのだけれども、そうは言っても製薬会社も商売でやっているわけで、なかなか製薬会社が自ら、うちの薬には効果があるけれども同時にこういう副作用もありますと広言するようなCMをつくって流したりはしないだろうし、小さく説明書の隅に書いてあったとしてもわざわざ使用者ひとりひとりに広言する努力まではしていないものなのではないかと思う。また医者も、よほど正直で良心的な医者は「手術は成功したけれども、もしかしたら肝炎に感染している可能性があるので、定期的に検査するようにしてください」と忠告してくれるかもしれないけれども、医者も人間なのであるから、なかなかそうした自分に不利になると思われるようなことまで積極的に言わないのではないかと思う。
とすると、行政の側でなんらかのフォローをして、製薬会社や医者が説明しないことまで配慮して、国民の側に伝える努力をしていく必要があるのではないかと思うのである。従って、C型肝炎の場合も、行政(国)に「広く国民に呼び掛けること」をしてこなかった責任があるのではないかと思うのだ。

(補足注)
ただし、可能性としては、血友病の患者の場合も、肝炎になることをさけて加熱の血液製剤を使用していればHIVだけでなく肝炎の感染もふせげたのではないか?ということはある。

また、下記の記事にあるように

http://blue.ap.teacup.com/documentary/1308.html

>血友病の患者に多く使われる特定血液凝固第8因子製剤は止血剤として血友病以外の患者にも広く使われている

ということもあり、今回、おそらく血友病患者の人達に使われているものだからという理由で対象から外されたと思われる血液製剤に「特定血液凝固第8因子製剤」があるが、これは「血友病以外の患者にも広く使われている」のであり、血友病患者以外で、たとえば止血剤として特定血液凝固第8因子製剤を使用して感染した人が今回、対象から外されているのは根拠がまったく不明のより理不尽なことのようには思える。
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2008/1/17

原爆症認定 政府は現行方式を「全面的に改める」方針  原爆・原発問題

(ニュース)
<原爆症認定>現行基準を緩和
1月17日2時31分配信
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2008/1/17

環境保護団体「シー・シェパード」の主張のことだけど・・  時事問題

なんか、オーストラリアの領土権主張の領土問題と、捕鯨問題がごっちゃになっているところが分かりにくい。
国際的な観点で、鯨は減ってきていて、絶滅の危機にあるから捕鯨を控えるべきだという主張は、それはそれで検討してみる必要があるものではないかと思うのだが、なら領土問題は絡めないでほしい。オーストラリア国民の支持を得るために、領土問題の主張をくっつけたのかもしれないが、国際的には南極の領土権を主張することは凍結している状態なのだから、国際的な観点で捕鯨問題を主張している団体が、そこだけ、国際的なコンセンサスを無視して突然、領土権の主張をするというのはおかしい気がするんだけど。

しかし、日本の側も、どうしてここまで世界から非難を浴びてまで、南極に鯨をとりに行くことにこだわっているのか、いまいち、よく分からない。別に日本近海での捕鯨にとどめておけばいいのではないかと思うのだけど。

それより、僕が気になるのは、ほんとのところ、鯨は減ってきていて、絶滅しつつあるのかどうかということである。日本側は絶滅を危惧されている種でない鯨なら捕鯨は問題はないと主張しているが、しかし、日本側が示しているのは、地球温暖化問題を視野に入れたデータではない。南極は、地球温暖化の影響がとりわけある地域なので、実際に鯨が温暖化の影響で急激に減ってきているということは考えられることではある。アザラシは減ってきているのが目に見えるから分かるけど、鯨は減ってきていても水中で目に見えないから人間が把握していないだけなのかもしれない。実際に南極で鯨が急激に減ってきているのであれば、日本が南極で捕鯨を続けていることは(絶滅を危惧されている種でなかったとしても、もしかしたらまだ人間が把握していないだけで、他の種の鯨も南極では絶滅の危険性が出てきているのかもしれないから)問題があるとは言える。

とすると、反捕鯨の環境保護団体がするべきことは、南極の鯨の生態を調査して、実際に鯨が急激に減ってきているのか否かをたしかめることではないだろうか。もし、そうした現象を確認し、データを示して日本の捕鯨に抗議するのなら、より説得力を持つ抗議になるのではないかと思う。僕は、日本側が示しているデータも、今、これだけ騒がれている地球温暖化問題の影響をまったく考慮に入れていないものなのでちょっとどうなのかと疑っているのだけど、しかし、それに対して反論するのであれば、やはり実際に南極で鯨が減ってきているのか否かをたしかめ、データを示す必要があるのではないかと思う。
環境保護団体「シー・シェパード」は、日本の捕鯨への批判を、領土権の主張に絡めて主張するのではなく、そのような南極での鯨の生態調査に基づき行なうようにしたほうがいいのではないだろうか?
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2008/1/15

大田洋子の戦後すぐの恋愛小説に被爆の惨状が描かれていた!  原爆・原発問題

(ニュース)
被爆作家・大田洋子の恋愛小説「青春の頁」
2008年01月09日 asahi.com
大田洋子。女流文学者賞を受賞した52年ごろに撮影された一枚

「青春の頁」最終回のゲラ刷りのコピー。原爆投下に触れる記述に、検閲担当者が「A−bomb」(原爆)と手書きした跡がある。

 広島で被爆した体験を代表作「屍の街」に著した作家大田洋子(1903〜63)。原民喜や峠三吉とともに被爆文学者として知られる彼女が46年から1年間、文芸誌に連載した恋愛小説「青春の頁」に、被爆直後の街や人々の惨状を描いていたことが岩崎文人・広島大大学院教授の研究でわかった。岩崎教授によると、「青春の頁」は大田が戦後の一時期、原爆作品を書くことをためらっていたとする根拠の一つとなっており、被爆に触れた記述は知られていなかった。いずれも連合国軍総司令部(GHQ)の検閲で「削除」の指示を受けていた。(武田肇)

 戦後の占領期、原爆に関する表現はGHQの「プレスコード」で削除や発禁を含む制限を受けたとされる。岩崎教授はその実態を明らかにするためGHQが検閲用に集めた雑誌や新聞を保管する米メリーランド大「プランゲ文庫」のマイクロフィルムを調査、その過程で「青春の頁」(7回完結)のゲラ刷りを見つけた。

 大田は45年1月、空襲が激しくなった東京から、母と妹が暮らす広島市白島九軒町に疎開して被爆した。「青春の頁」はその7カ月後の46年3月から広島市内の出版社が刊行する雑誌「新椿」に約1年間連載された。

 これまで雑誌の現物によって確認されている初回から6回までは、太平洋戦争末期の広島を舞台に、東京から疎開したヒロインの女性とその許婚の大学教員、許婚の親友の愛憎劇を軸に展開。許婚はある人妻と関係を結び、裏切られたと知ったヒロインが許婚の親友の愛を受け入れるといった複雑な人間関係が織り込まれ、「不道徳小説」との見方もあった。

 しかし、これまで現物が見つからず、今回ゲラ刷りで初めて確認された最終回で物語は急転していた。

 東京に一時帰京していたヒロインが許婚らが暮らす広島に戻る手前で原爆が投下される。

 《よつぽど怖ろしい爆弾と焼夷弾とで、ひと思ひにやられている》。乗客からそう教えられて衝撃を受けたヒロインは《街から街の死骸のなかを通り抜け》て入市。市内の病院で《それが誰であるかを気づかなかつた》ほど熱線にひどく焼かれた許婚と対面し、その夜半過ぎに看取る。

 《負傷者は、あとからあとからと詰めかけ、長い廊下までうめつくしたその人々の間を血の匂ひが流れていた》
 《光線の火傷のために眼まで腫れつぶれた顔は、不気味な蒼ぐろい色を塗つたやうであつた》

 具体的な情景描写とともにヒロインの心の動きも記していた。
 《哀愁を踏み越えて、戦争への憤りが止め度なく胸にたぎつた》

 これらの記述の欄外にはGHQの民間検閲支隊(CCD)が出版社に削除を指示した「A―bomb(原爆)」「disastrous scene by bomb(原爆による悲惨な描写)」といった書き込みがあった。削除の指示個所は計100行分(1行22字)に上っていた。

 岩崎教授は、当時、出版社は原爆に触れる部分を削除して発行したか、雑誌自体の刊行を断念したかのどちらかだとみている。

 大田は、「屍の街」を被爆後まもない45年末に書き上げるが、GHQのプレスコードを背景に出版社が難色を示し、刊行できたのは48年11月。この間、生活のためにもっぱら恋愛小説に専念したとされ、「青春の頁」は「『屍の街』ほど意識の高い作品を書きながら同時期に男女の愛のもつれをテーマにした小説を発表している」など、大田の文学姿勢が非難される根拠となっていた。最終回が掲載された雑誌の現物が確認されていないこともあり、「編集者とトラブルになり休載となった」という説まであったという。

 岩崎教授は「GHQによる検閲で、読者には原爆を題材にした小説という意図が伝わらず、不幸な誤解を生んだ可能性が高い。大田の作家像を修正する必要がある」と話している。

【晩年の大田洋子と親交があり、71年に唯一の評伝「草饐」をまとめたノンフィクション作家の江刺昭子さん(65)の話】 
 私が評伝を書いた時期は占領期の検閲実態を詳しく知るすべはなく、大田さんは被爆3年後の48年末に「屍の街」を刊行するまで、原爆と関係のない恋愛小説の執筆に専念したとされていた。大田さんが恋愛小説の体裁を取りながら原爆投下直後の広島の街や人々の惨状をリアルに描いていたことは、被爆体験を背負わされた作家としての強い意志が感じられ新鮮な驚きだ。私が知る晩年の大田さんは被爆体験をほとんど口にしなかったが、常に後遺症による死の恐怖におびえていた。大田作品はほとんどが絶版となり、入手が難しくなっているが、被爆体験の風化が懸念されている現代にこそ若い世代に読まれてほしい。

◆◆キーワード◆◆
 プレスコードと原爆 日本が降伏文書に調印した1945年9月から講和条約発効の52年4月まで、連合国軍総司令部(GHQ)はプレスコード(新聞準則)によって占領軍に不利益となる言論を統制し、原爆投下に関する表現も対象となった。最近の研究では、原爆に関する表現は進駐軍や天皇制といった表現に比べると発禁や削除を命じられることが少なかったとされるが、新聞・出版社による自主規制も多かったといわれる。GHQの戦史課長を務めた歴史家ゴードン・プランゲ博士(1910〜80)は帰国の際、検閲のために新聞・出版社から提出された資料を持ち帰り、母校メリーランド大学に保管。「プランゲ文庫」と呼ばれ、日本で45〜49年に発行された雑誌1万3800誌、新聞類1万8千紙、図書7万3千冊などを所蔵している。現在は国立国会図書館の東京本館にもマイクロフィルムで保管され、占領期の検閲の実態を知るための手がかりになっている。
http://mytown.asahi.com/hiroshima/news.php?k_id=35000160801090001


*不道徳な恋愛小説の中に、いかに被爆の思いをこめようとしていたのか? GHQの検閲により作家の思いが果たされなかったとは残念。
 同時に、この事実をずっと胸に秘め続け、自らの文学姿勢が非難されても知らぬ顔をしつづけた(のかどうかははっきりとは分からないが・・)大田洋子という作家に改めて感服。
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2008/1/13

福岡3児死亡事故は「飲酒運転」だけでなく「ひき逃げ」であることを問題にするべきなのではないか?  ニュース

(ニュース)
福岡3児死亡事故 今林被告に懲役7年6月 地裁判決
 福岡市東区の「海の中道大橋」で06年8月にあった3児死亡事故で、1〜4歳の幼児3人を死亡させたなどとして危険運転致死傷と道交法違反(ひき逃げ)の罪に問われた元市職員、今林大(ふとし)被告(23)に対し、福岡地裁は8日、懲役7年6月(求刑・懲役25年)を言い渡した。危険運転致死傷罪(最高刑懲役20年)の成立を認めず、予備的訴因の業務上過失致死傷罪(同5年)と酒気帯び運転を適用した上でひき逃げと併合した法定上限とした。

 川口宰護(しょうご)裁判長は「酒酔いの程度が相当大きかったとは認定できず、飲酒の影響で正常な運転困難だったとは認められない」と述べ、直接の原因を脇見による前方不注視とした。法務省によると、危険運転致死傷罪の成立を否定し、業務上過失致死傷罪を適用した1審の司法判断は異例。検察側は不服として控訴する方針。

 川口裁判長は危険運転致死傷罪の成否について、脇見運転だったとする今林被告の供述の信用性を認め「酒に酔った状態だったのは明らかだが、事故前に蛇行運転や居眠り、衝突事故などはなかった。水の持参を頼んだ言動などから、判断能力を失ってはいなかった」と認定。その上で量刑を「飲酒での高速走行は危険極まりなく悪質で、今回のような重大事故を起こすべくして起こした。厳しい非難を免れず刑事責任は誠に重大。法定刑の上限をもって臨むのが相当」と述べた。

 また事故の48分後の飲酒検知結果について「警察官が酒気帯び状態と判断した事情に照らすと、高度に深酔いしていたとは言えない」として検察側主張を退けた。一方「相手車両が居眠り運転をしていた」との弁護側主張も否定した。

 事故直前の飲酒が、今林被告の運転に及ぼした影響が最大の争点。検察側は、ビール350ミリリットル、焼酎540ミリリットルなどを自宅と飲食店で飲んでいたことや、飲食店での言動などの状況証拠から「相当の深酔い状態で、極めて危険かつ異常な運転をした。法が許す限りの最高刑で臨むほかない」と危険運転致死傷罪などでの法定上限を求刑した。

 弁護人は、事故の48分後の飲酒検知の数値が呼気1リットル当たり0.25ミリグラムで、警察官が酒気帯びと認定した点を強調。「微酔程度で、運転困難ではなかった」と反論し、業務上過失致死傷罪の適用を主張、執行猶予を求めていた。

 地裁は昨年12月、予備的訴因として業務上過失致死傷罪と道交法違反(酒気帯び運転)を追加するよう福岡地検に命令。地検は訴因変更を請求していた。判決前に川口裁判長はこの請求を受け付け改めて結審。判決を言い渡した。【石川淳一】

 ▽吉浦正明・福岡地検次席検事の話 判決を詳細に検討し、上級庁とも協議して適切に対応したい。

 ▽危険運転致死傷罪 東京都世田谷区の東名高速での飲酒運転による幼児2人の死亡事故(99年11月)を機に、01年12月の刑法改正で新設された。(1)正常な運転困難な飲酒や薬物摂取(2)制御困難な高速走行(3)割り込みや急接近などの妨害(4)信号の殊更な無視−−が原因の事故で、死亡させた場合は1年以上20年以下、けがをさせた場合は15年以下の懲役が科せられる。06年の適用は全国で380件。

 ▽予備的訴因 起訴状に記載する公訴事実は、日時、場所、方法をできる限り特定して、検察側が犯罪の証明とする訴因を明示しなければならない。しかし、ひとつに特定できない場合、予備に加える訴因のこと。刑事訴訟法は、公判途中での訴因変更を認めており、検察官は事実関係が大きく変わらない範囲で変更できる。裁判所も、検察官に追加や変更を命じることができる。
(毎日新聞 - 01月08日 10:32)

<福岡3児事故死>危険運転罪の適用緩和に反対 鳩山法相
1月12日0時7分配信 毎日新聞
 鳩山邦夫法相は11日の閣議後会見で、福岡市の3児死亡事故を巡る福岡地裁判決が危険運転致死傷罪の適用を見送り、業務上過失致死傷罪などで懲役7年6月を言い渡したことに言及した。危険運転罪の適用要件を緩和するための刑法改正について、「簡単に(対象を)広げるべきものではない。慎重に検討しなければいけない」と否定的な見解を示した。

 鳩山法相は「裁判の結果についてはコメントできないが、危険運転罪は過失ではなく、未必の故意であるからこそ重い罰となる。適用要件は厳格であらねばならない」と述べた。【坂本高志】
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2008/1/11

キネマ旬報ベストテン発表  映画

キネマ旬報ベストテン。1位はそれボクで、2位に天コケでした。
しかし、洋画、ジャ・ジャンクーが1位。もう、メジャーなんですかね、ジャ・ジャンクーは・・。
ドキュメンタリー(文化映画)は、『ひめゆり』『終りよければすべてよし』『出草之歌』『有明海に生きて』など、いずれも秀作だったので、納得。

(ニュース)
第81回キネマ旬報ベスト・テン発表される!1位は『それでもボクはやってない』
1月11日10時15分配信 シネマトゥデイ

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周防正行監督(ニューヨークにて) - 写真:細木信宏
 米アカデミー賞よりも歴史の長い日本映画の伝統、第81回キネマ旬報ベスト・テンが発発表された。周防正行監督の『それでもボクはやってない』が日本映画ナンバーワンに輝いたほか、日本映画監督賞、脚本賞、主演男優賞に選出されている。第1位の作品の鑑賞会および表彰式は2月5日、東京有楽町・朝日ホールにて行われる。ベストテン、受賞作、受賞者は下記のとおり。

日本映画監督賞 周防正行『それでもボクはやってない』
日本映画脚本賞 周防正行『それでもボクはやってない』
日本映画主演女優賞 竹内結子『サイドカーに犬』『クローズド・ノート』『ミッドナイト イーグル』
日本映画主演男優賞 加瀬亮『それでもボクはやってない』『オリヲン座からの招待状』
日本映画助演女優賞 永作博美『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』
日本映画助演男優賞 三浦友和『転々』『松か根乱射事件』『ALWAYS 続・三丁目の夕日』
日本映画新人女優賞 蓮佛美沙子『転校生 さよならあなた』『バッテリー』
日本映画新人男優賞 林遣都『バッテリー』
外国映画監督賞 ジャ・ジャンクー『長江哀歌(エレジー)』
日本映画作品賞 『それでもボクはやってない』(周防正行監督 東宝配給 フジテレビ、アルタミラピクチャーズ、東宝製作)
外国映画作品賞 『長江哀歌(エレジー)』(ジャ・ジャンクー監督 ビターズ・エンド、オフィス北野配給)
文化映画作品賞 『ひめゆり』(柴田昌平監督 プロダクション・エイシア製作)

【2007年 日本映画ベスト・テン】
1位 『それでもボクはやってない』
2位 『天然コケッコー』
3位 『しゃべれども しゃべれども』
4位 『サッド ヴァケイション』
5位 『河童のクゥと夏休み』
6位 『サイドカーに犬』
7位 『松か根乱射事件』
8位 『魂萌え!』
9位 『夕凪の街 桜の国』
10位 『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』
次点 『愛の予感』

【2007年 外国映画ベスト・テン】
1位 『長江哀歌(エレジー)』
2位 『善き人のためのソナタ』
3位 『今宵、フィッツジェラルド劇場で』
4位 『クィーン』
5位 『バベル』
6位 『やわらかい手』
7位 『ドリームガールズ』
8位 『ボルベール<帰郷>』
9位 『ゾディアック』
10位 『パンズ・ラビリンス』
次点 『デス・プルーフinグラインドハウス』

【2007年 文化映画ベスト・テン】
1位 『ひめゆり』
2位 『やーさん ひーさん しからーさん 集団疎開学童の証言』
3位 『未来世紀ニシナリ』
4位 『いのち耕す人々』
5位 『終りよければすべてよし』
6位 『出草之歌 台湾原住民の吶喊 背山一戦』
7位 『有明海に生きて 100人に聞く、海と漁と歴史の証言』
8位 『カフカ 田舎医者』
9位 『花の夢 ある中国残留婦人』
10位 『靖国』
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080111-00000008-flix-movi
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2008/1/8

『妄想少女オタク系』  映画

「腐女子」というのは、同性愛者の男同士のことを関心を持って見ている女の子のことを言うのかな・・と思っていたのだが、この映画を見て、そうではなく、実際には同性愛者ではないノーマルなセクシュアリティをもつ男性同士を勝手に同性愛者であると想像(妄想)して見ている女の子のことを言うのだ・・という、もしかしたら基本的な(?)ことなのかもしれないが、そういうことに気がつきました。
女の子が、同性愛者である男性のことに興味を持ったり、好きになったりしたとしても、別に女性が男性を好きになるというノーマルなセクシュアリティのものであり(その相手がたまたま同性愛者であったというだけのことであり)、別に「腐女子」というように、自嘲的に「腐っている」などと言うことは全然、ないのではないか? なんで「腐女子」なんて言うんだろうか?と思っていたんだけど、実際には同性愛者ではない異性愛者の男性に対して、「もしも彼が同性愛者だったら・・」という視点で見てしまうから、つまり、相手の気持ちや本当の姿(?)を無視して自分の勝手な妄想を押し付けて見てしまうから「腐女子」というように自分のことを自嘲的に「腐っている」と言うということなんですね・・。
そこらへんのことが映画を見終わってからようやく分かってきた次第なので、物語が実は映画を見ている時にはよく分かっていなかったわけだが。(だって、たとえば自分が好きになった相手が同性愛者だと思っていたらそうではなかったことが分かった、なら女性の自分と恋愛できる対象になるわけだから、喜んでそういう道を進めばいいのではないか? いったい、何を躊躇したり遠回りをする必要があるんだろう・・と思ってしまったのだが、だけど、相手が実は異性愛者であったとはっきりしても、そういう相手をついつい「でも本当は同性愛者だったら・・」という風に妄想して見てしまうことを好む自分というのがいるのであれば、そういう自分は彼と恋愛をすることが出来るのだろうか・・と躊躇するのは、そりゃ、もっともだということになるわけで・・。)
映画を見ている時は、「何がなんだか、わけがわからない話だな」と思っていたのだが、後から次第に分かってきて(というか、もしかしたら、いまだに理解し切っていないのかもしれないが・・)、頭が点になりました。(本当は「目が点になった」と書くべきかもしれないが、見ている時ではなく後から分かってきた感じなので、「頭が点になった」というほうがいいかと・・。)

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2008/1/8

薬害C型肝炎関連参考リンク  公害・薬害・環境・医療問題

(参考)
・「家西悟の日記」より
薬害肝炎問題、大きく前進!残された課題は深刻
2007年12月29日(土)
 薬害C型肝炎問題は、福田総理の自民党総裁としての判断と指示で議員立法という形での救済となった。
 被告である国の福田総理が自民・公明の与党を介して、直接原告弁護団と交渉し、フィブリノゲン製剤や第9因子製剤による薬害C型肝炎被害者や遺族の方々に対する「救済給付金支給法案」を協議し合意した。その原告弁護団の代表は「原告側の要求がすべて盛り込まれた。満足できる」と笑顔で評価したと新聞は報じている。たいへん喜ばしいことである。
 しかし、私の事務所には、他の血液製剤や先天性疾患の治療で同じC型肝炎に感染し、慢性肝炎や肝硬変、肝がんに苦しんでいる方々から「私たちはどうなるのか。患者の切り捨てにはならないか。これで薬害肝炎問題を幕引きされるのではないか。全員救済とは何か。」と多数のお電話やメールが寄せられている。
 原告団と与党が合意した12月28日の新聞の朝刊には「肝炎ウイルス グロブリンからも検出」との大きな見出しで、同じ年代に、他の血液製剤でもC型肝炎ウイルスに汚染された製剤の問題が報じられた。これに対し、製薬会社は「厚労省の指示ですべての血液製剤について調査中なので、詳しいコメントは控える」と記事は報じている。
 正月明けの国会では、今回の法案が与党から示されるであろうと考えるが、私たち民主党が提出した肝炎治療における「医療費助成法案」と合わせ審議していくことになろう。
http://www.ienishi.gr.jp/cgi-bin/diary.cgi?vew=1

・「はばたき福祉事業団」HPより
【HCV・血友病・血液】 《薬害肝炎被害の一律救済が、議員立法化へ検討》
 被害者が投与時期や病状による線引きなどの格差救済の司法判断に対し、政治決断で被害者全員一律救済を与党・野党の合意による議員立法で行う方向を検討している。社会の正義感が生かされた救済へ向かっていることは大変歓迎すべきことと思う。一方、議員立法の重みを鑑み、血液製剤を介してC型肝炎被害で苦しむ患者・遺族の全面救済ができると信じている人は多い。すなわち、救済対象はフィブリノゲン製剤や凝固第?因子製剤の血液製剤投与によるC型肝炎罹患した後天性疾患患者の薬害C型肝炎救済に限定するのでは無く、先天性疾患患者の救済の道も開いておくことが必要だし立法府もその責任をきちんと負うべきである。現に、はばたき福祉事業団にはHIV非感染の血友病患者や類縁疾患、輸血を受けた人たちから、「私たちはなぜ該当しないのか」「納得がいかない」「このまま黙って死んでゆけと、はばたきは言うのか」「なぜ長く苦しむ私たちが切り捨てられるのか」と抗議や問い合わせが続いた。
 議員立法をするなら、対象を後天性疾患とするのではなく、全国にいる血液製剤を介して罹患したC型肝炎被害者の救済の道を解放した、「薬害肝炎救済」にすることを強く望む。
(平成19年12月26日 大平勝美)
http://www.habatakifukushi.jp/iryou/report/20071227_01.html
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2008/1/8

薬害C型肝炎救済法案、与野党で一致 肝炎患者の一般対策については与野党で隔たり  公害・薬害・環境・医療問題

(ニュース)
薬害C型肝炎の一律救済法案、9日にも成立で与野党一致
1月7日22時58分配信
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2008/1/2

『小さな悪の華』がリバイバル上映  映画

伝説の70年代少女映画『小さな悪の華』がリバイバル上映!

*『小さな悪の華』
http://www.cinematopics.com/cinema/works/output2.php?oid=8814

公開を記念して、以前にアップリングファクトリーでの上映でこの映画を見た時に書いた文章をアップしておきます。

「先日、70年代の伝説的なフランス映画の1本である『小さな悪の華』を見ることが出来たんですが、洋画ですが確実に70年代的な気分を充満させたものでしたね。
日本語字幕なしの上映でしたが、カトリックの学校の女生徒2人が、男たちを次々、誘惑したぶらかすことを続ける内に相手を殺してしまい、ついには・・。

上映後に柳下毅一郎氏と篠崎誠氏の対談があったのですがこれがなかなか興味深い。
2人組が片方が黒髪、片方が金髪で、黒髪(あまり美人でない)方が計画し指図して、金髪の子の方が誘惑する。というあたりがリアルだという話。
また、無垢な子供の恐さを描いている。無垢で善悪の観念がない、ということの恐さ。
こういう「禁じられた遊び」「悪い種子」系の生身の子供(人間)の恐さを描くものは70年代後半ぐらいまでか?それ以降だと「チャイルドプレイ」とか、人形とかになっていく。こうなると生身の人間の恐さがなくなっていく。
これは、なぜ「キル・ビル」が面白くないのかということにつながる。
今のアメリカでは性的な描写は出来なくなっている。などといった話。
ざっくばらんですが、つまりはホラーものも生身の人間でなく人形とかの恐さを描くものに変質してきているという話でした。
70年代を考える上で興味深い視点だと思いました。」

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2008/1/2

オリヴェイラの謎  映画

昨日、見たオリヴェイラの『夜顔』の話の続きだけど、オリヴェイラが世界最高齢の100歳になろうとしている監督だからといって、あの映画が、映画と人生のことを知り尽くした名匠が、無知な我々に映画とは、人生とは何かを教えてくれる・・というものであり、だからすごいのだと言われると、僕はそりゃ、ウソだろう・・という気がしてきてしまうのだ。
僕には、オリヴェイラの映画って世界や人生の謎をときあかして教えてくれるどころか、ますます不可解にしているだけ(笑)のもののようにも思えるからである。
つまり、オリヴェイラが描こうとしている女性像って、ほんとのところ、よく分からないのだ。もしかしたら、現実にはあんな女性は存在しなくて、オリヴェイラのただの妄想の産物なのかもしれない・・とさえ思う。
でも、だからこそ、オリヴェイラが描く女性は神秘的な存在であるとも言えるのかもしれない。
もし女性の心理を100パーセント、正確に読み取れるという人がいたとして、女っていうのはこうなんですよ・・とときあかしたような作品を見せられたとしたら、へええ、そうだったんだあ・・と知識としては驚き、もしかしたら実人生においても参考になるのかもしれないが、逆にすべてが分かってしまったら女性に対して感じている神秘性も何もなくなってしまうのではないだろうか・・。オリヴェイラの場合は、結局のところはオリヴェイラが描こうとしている女性ってなんだか、よくわからない・・ところがあるからこそ、神秘性を持つ女性像を描き得ていると言えるのではないかと思うのだ。つまり、世の中のことをときあかす名匠だからオリヴェイラがいいのではなくて、結局のところ、よくわからない、謎が残る映画をいつまでも撮る監督だからこそ、いいのではないだろうか・・。
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2008/1/1

BSE 全頭検査を続ける県を支持しよう  ニュース

アメリカの圧力か、今年7月で牛のBSEの全頭検査をやめると言っている国に対して、8月以降も全頭検査を続けると言っている県が続々、出てきているようです。北海道、青森、山形、岩手、宮城、宮崎・・。この状況では他県もやめられなくなるかも・・。とりあえず、全頭検査を続けると表明している県を支持しましょう。

(ニュース)
BSE:県、全頭検査を維持 来年8月以降、費用補助継続方針 /青森
12月21日12時2分配信 毎日新聞

 国が生後20カ月以下の牛のBSE(牛海綿状脳症)検査費用の補助を来年7月末で打ち切る問題で、県は同8月以降も独自に全頭検査を維持する方針を固めた。消費者や生産者から継続を求める声が相次ぎ、検査打ち切りは消費者の信頼を損ねると判断した。
 国は今年5月、「生後20カ月以下の牛のBSE感染リスクは高くない」として、補助の打ち切りを表明。都道府県にも検査をやめるよう求めていた。県は当初、「国が科学的に不要というなら、いらないのではないか」と検査継続に否定的だった。だが、8月末に開かれた消費者、生産者、肉流通業者らとの意見交換会で「安心して牛肉が食べられなくなる」「他県が全頭検査を実施すれば青森の肉は売れない」などと継続を求める意見が続発した。
 また、北海道や岩手県、宮崎県など多くの自治体が既に全頭検査の継続を表明しており、他県と競争する上で検査中止がマイナスになると判断した。【喜浦遊】

BSE:全頭検査、県が自主財源で継続へ 消費者の混乱考慮 /宮城
12月25日11時0分配信 毎日新聞

 ◇国の補助金終了後も
 国が生後20カ月以下の牛のBSE(牛海綿状脳症)検査補助金を来年7月で打ち切る問題で、県は自主財源で費用を負担し、同8月以降も全頭検査を継続する方針を固めた。新たに約500万円の負担が生じる見込み。東北6県では既に青森と山形、岩手が、また北海道や宮崎など全国でも多くの自治体が継続を決めており、自治体によって対応が違うと消費者に混乱を招く恐れがあるとして、負担はやむを得ないと判断した。
 県の食肉衛生検査所では、仙台市以外で処理される年間約5500頭の牛すべてに対しBSE検査を行っている。現在は検査費用のうち、国から検査キット代(1頭当たり約1300円)の補助を受けているが、打ち切り後も全頭検査を続ける場合、約半数を占める20カ月以下の牛に使うキット代を負担する必要が生じる。
 仙台市は既に、約60万円を負担し全頭検査を独自で続ける方針を固めている。厚生労働省は20カ月以下の牛の検査補助金を打ち切る理由について、「20カ月以下の牛は検査を実施しても感染の有無は分からず、検査をしたかどうかでリスクに差が出ることはない」としている。【青木純】
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