2008/4/28

『大いなる陰謀』  映画

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この生真面目な政治ディスカッション映画(ほんとに大学教授と教え子、共和党の政治家とジャーナリストが議論しているのをただ見せている)でロバート・レッドフォードが訴えようとしていることは、戦争は絶対悪だといった絶対平和主義でも、アフガンやイラク戦争が是か非かといったことでもない。たしかにアフガンやイラク戦争が是か非かといったことに関わっては来るのだろうけど、まずはその前提として、政治的なこと、世界で起こっていることに対して無関心でいることこそがいけないのではないか、とにかく行動しなければいけないのではないか?という議論を提示しているようである。だから、この映画は別に反共和党の映画というわけではないと思う。たしかにレッドフォードが演じる教授やメリル・ストリープが演じる女性ジャーナリストはイラク戦争に対して批判的な立場のように見えるけど、この映画が訴えようとしているのがこの教授やジャーナリストの主張だけだったのなら、アフガン戦争での新しい軍事作戦の意義を訴えるトム・クルーズの政治家や、大学院に進む道を蹴って軍隊に志願した教え子の話をえんえん見せることはないだろう。「正義と平和のいずれかを選ぶかと問われたら、私は迷わず正義を選ぶ」というセオドア・ルーズベルトの言葉を出すこともない。だから、ここでレッドフォードが言おうとしていることは、とにかく議論をしようじゃないか、アフガンやイラク戦争が正義の戦争であるのか否かについて議論をしようではないかということなのである。従って、そもそも戦争は絶対悪であるなどということは言っていないのだ。
もちろん、こうした態度こそが危険なのだという考え方もあるかもしれない。実際、レッドフォードの教授の講義を受けた優秀な2人の生徒は、戦場に行くことが正しい行動なのだと考えて自ら志願して軍隊へいったわけである。教授自身はおそらくイラク戦争に反対の考えなのだろう。しかしとにかく行動するべきだということを教えようとしてそれを受けて生徒は軍隊に志願したのだから、ここにこの教授がかかえているジレンマがあるのだ。たとえば、この2人の生徒が提示していた、貧しい階級の人間がお金のために軍隊に志願していく今のあり方がおかしい、すべての高校生に世界で起こっていることに関わるような機会をつくることがいいのでは・・といった議論はドキリとさせられるものである。この議論は、徴兵制にすることこそが、むしろ、平等で(貧しい者も金持ちも徴兵されるわけだから)民主的なあり方なのではないか・・という議論に結び付いていくものだと思うからである。そうした点が危険な議論なのかもしれないけど、しかしレッドフォードが演じる教授はそこに踏み込んでいく。自らと結論の考えは違うものだったとしても、とにかく「議論をする」ことが重要だと考えているからだと思われる。実際、「戦争は絶対悪だ」といった考え方では、イラク戦争が正義の戦争だと考えている人と、議論が成立しないのだ。なぜなら、片方の人が「どんな戦争でも戦争というものは絶対悪だ」という絶対平和主義の考えで、もう片方の人が「イラク戦争は正義の戦争であり、進めるべきだ」という考えだったら、両者は自分とはまったく違う考え方の人がいるなあと思うばかりで、議論が噛み合っていかないからだ。「イラク戦争は正義の戦争であり、進めるべきだ」という考えの人と議論をし、その考えに反論しようとするならば、「イラク戦争は正義の戦争ではないと思う。どうして間違っていると思うのか?」を相手に伝わるように話していかなければならないのだ。でないと、相手がこちらの言い分に耳を傾けて、「なるほど、それは一理ある。俺は今までイラク戦争は正義の戦争だと思っていたけど、間違っているのかもしれないな」と考え直すことも起こり得ないからである。「イラク戦争は正義の戦争である」と考える人に対して、いくら「戦争はすべて悪なのだ」と問いかけても、相手は「戦争というものに対する考え方がこいつとは根本的に違うらしい」と思うばかりで、なかなかイラク戦争という個別の戦争についての議論になっていかないわけである。だから、議論をすることが何よりも大事だと考えるレッドフォードが演じる教授は絶対平和主義の立場にはならないのだろうし、おそらくこの教授は、そしてつくりてのレッドフォード監督も、「イラク戦争は正義の戦争である」と考えている人に対して反論して、考えを変えさせることが可能だとなお信じようとしているのではないかと思うのだ。
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2008/4/26

善光寺でチベット暴動犠牲者を追悼法要  ニュース

*今日のニュースは、聖火リレー周辺でのデモ騒ぎよりも、善光寺で行われた追悼法要にチベット人も参加したというニュースのほうに心が暖まりました。

(ニュース)
<聖火リレー>スタートその時、善光寺ではチベットでの犠牲者へ追悼法要
4月26日12時19分配信
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2008/4/25

小沢健二が映画監督に転身!?  映画

*オザケン、ついに映画監督に!

女性自身 4月22日発売号
テレビから消えて10年!
小沢健二 映画監督で復活!実父が明かす隠密「海外放浪」生活
http://jisin.jp/pc/top.jsp
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2008/4/24

マキノ『恐怖の逃亡』『抱擁』  映画

シネマヴェーラ渋谷でマキノの『恐怖の逃亡』(1956年)、『抱擁』(1953年)の2本立て。
こんな映画2本立て、あり得なーい・・というぐらい、すごい2本なのだが。マキノの、時代劇でもヤクザ映画でもない、現代劇、それも最上のサスペンス、最上のメロドラマ、最上のフィルムノワールの2本立てである。『恐怖の逃亡』のラジオの演出などはマンキーウィッツもかくや・・というぐらいのものだろうし、『抱擁』はほとんどお伽話みたいな、ダグラス・サークにもひけをとらないだろうクリスマスと雪を題材にしたメロドラマの傑作。しかし、どちらもやっぱり歴然とマキノ節が炸裂しているのである。(特に、男と女のシーンの演出ぶり。)『恐怖の逃亡』のような非情なハードボイルドものでも、男と女のシーンではやはり「情」が溢れんばかりになるのがマキノだなあと思ったのだけど、『抱擁』のタイトルの「抱擁」というのが何を意味していたのかが明らかになるクライマックスの荒唐無稽さなどはまさに映画の醍醐味。まあ、やっぱり最近の万田邦敏監督の『接吻』よりもずっと荒唐無稽だったりする・・。そういえば、大和屋竺の映画化されなかったシナリオで『星女郎』というのがあってこれには「マキノ的情景」とでも言えるものが出てくるのだけど、『抱擁』で山口淑子が演じるヒロインは星女郎ならぬ雪女郎なのだ。
しかし、マキノ映画というと、ひたすら観客を楽しませるエンターテイメントに徹したものだと言われ、マキノ監督自身、そのようにつくっているといった発言をされているし、実際、そうなんだろうけど、でもエンターテイメントと言いつつ、『抱擁』とかを見ていると、これ、すごいシュールなアヴァンギャルドな作品でもあるのかも・・と思うのだが。そんなことを言ったら、ホークスだってヒッチコックだってアヴァンギャルドなものでもあるのかもしれないけれども・・。
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2008/4/23

強姦罪が親告罪であることが必要だと思う理由  時事問題

この問題について書くことは女性の人権問題について理解が足りないと怒られるかもしれませんが、僕は男性であり実際、見方が偏っているかもしれないことを最初にお断りしておきます。
強姦罪が親告罪であるため、表面化しにくく被害が埋もれてしまうというのは分かるのですが、だからといって親告罪であることをやめてしまうというのには反対です。
理由は、それでは、本当に性犯罪をおこなっていない人までが犯罪者にされてしまう危険性が高いからです。親告罪でなく強姦罪が成立してしまうならば、たとえば検察や警察が目をつけた左翼活動家などを強姦罪で摘発して有罪にしてしまうことも出来るようになってしまいます。親告罪でなくていいなら、仮に当の被害者とされる女性が強姦ではないと主張していたとしても、それは女性が真実を言えないでいるのだという論理で強姦罪として成立させられてしまうかもしれません。つまり、女性の人権を守ると言いながら冤罪をつくってしまうわけです。
裁判というものは、当たり前ですが、冤罪をつくってしまってはいけません。被害者側の主張に対して、加害者側に反論の弁論をする機会は与えられなければならないし、それは被害者、加害者双方に公平に機会を与えなければ事実を明らかにできないと思うし、裁判が成立しません。これは女性の人権を軽視しているから言うのではなく、女性だろうと男性だろうと被害者、加害者双方に公平に弁論をさせなければ裁判が成立せず冤罪がつくられることになってしまうからです。
以上のことから、強姦罪が親告罪であることは冤罪をふせぐためには必要なことであるように僕は思うのですが。
この点も考慮に入れた上で、女性の人権を守るためにはどうすればいいのかと考えてほしいように個人的には思います。
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2008/4/22

チベット問題について複雑な気持ちがすること  時事問題

先程、光市母子殺害事件の裁判についての記事をあげたらアクセス数が急に増えているような・・。やっぱりこの件に対する世間の関心は高いのでしょうか・・。

ちょっと話題を変えて、別の記事をあげます。

といって、前々記事の「中国に抗議するならはっきり北京五輪ボイコットを!」の記事で、コメント欄のレスで書いたことそのままなんですが、コメントへのレスの形で僕なりにチベット問題について考えていることをとりあえず要点をまとめて書いたので、独立して記事にしておきます。
(もっとも、「いまだに考えがよくまとまらないでいる」という「考え」なんですが・・。相変わらず優柔不断な性格の人間で、すみません。・笑)

「それと僕がこの問題で複雑な気持ちがするというのか、いまだに考えがよくまとまらないでいるのは、前のコメントのレスでも書いたのですが、チベットの独立とか、自由をとか、口で言うのは簡単なんだけど、そもそもその具体的な実現のビジョンというのがあるのだろうか?と思うからです。
中国と戦争するだけの力はありませんし、仮に世界の声を受けて話し合いでチベットの自治が確立されたとしても、経済的にもチベットが独立したとして果たしてやっていけるのだろうか?と思うのです。
まあ、チベットの自治が実現したら、世界中から歓迎して訪れる観光客などがいるかもしれないから、そういうのを相手にある程度、稼ぎはあるかもしれないけれども、しかしラマ王朝を復活させても、あまりに国としてのあり方が特殊なので、なかなか世界と自由に貿易する開かれた国にはならないように思います。そうすると、ネパールのように、王制を廃止して民主国家になるのか?ということも考えないといけないのですが、しかしそれはダライラマが王の座を降りることでダライラマとしては承諾できるものではないでしょう。だから、本当に独立したら王制の廃止につながっていくわけだから、ダライラマとしては独立までは望んでいない、ただ自由な自治をさせてほしい・・ということを主張されているのではないかと思います。このように、チベットの独立、自由ということと、ラマ王朝の復活ということにはジレンマがあるので、判断が難しいように思うのです。」
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2008/4/22

光市母子殺害事件 やはり予測していた通り死刑判決が出ましたが・・  時事問題

*僕は個人的にはこの光市母子殺害事件の広島高裁の裁判官は判断を間違えていると思うし、弁護団は上告して闘い続けるべきだと思いますが、しかし本村洋さんがこの会見で述べている、
「遺族としては当然、応報感情を満たされたわけですから、報われる思いはありますが、社会にとってみれば、私の妻と娘、そして被告人の3人の命が奪われる結果となったわけです。これは社会にとって不利益なことです。」
「やはり刑法っていうものは社会秩序を維持するための目的を達するための手段だと思っています。死刑という大変重い判断が下されましたが、これで終わるのではなくて、私たち遺族もこの重い判決を受けて真っ当に生きていかなければいけないと思いますし、社会のみなさまにも、どうすれば犯罪の被害者も加害者も生まない社会を作るのか、どうすればこういう死刑という残虐な、残酷な判決を下さない社会ができるのかを考える契機にならなければ、私の妻と娘も、そして被告人も犬死だと思っています。死刑の存廃等の問題が騒がれるようになるかもしれませんけど、刑罰はどうすれば私たちが安全な環境を作れるかということを考える契機にならなくてはいけないと思いますので、そういった方に社会が向いていくことを望みます。」
という発言はまったくその通りであると思うし、この本村さんの発言は支持できるものだと思います。僕の場合は、だからこそ、この加害者に死刑判決を出すべきではなかったと考えるのですが、その点が本村さんとは意見が異なってくるのかもしれませんが・・。
以前にも書きましたが、弁護団の主張、本村さんの主張、双方とも支持する・・という僕の考えに変わりはありません。

(ニュース)
<光母子殺害>【本村洋さん会見詳細】<1>「裁判所の見解は極めて真っ当」
4月22日13時11分配信
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2008/4/20

中国に抗議するならはっきり北京五輪ボイコットを!  時事問題

中国で大規模な反仏デモが起こってきました。
フランスの一部の選手などが中国への抗議を身につけて競技に参加するといったことを言っていましたが、この状況ではそういうやり方は見直したほうがいいように思います。
中国への抗議の意思を示すなら参加しない、ボイコットするというほうがまだはっきりしていていい。
競技には参加して自分の記録を出しておきながら中国への抗議の意思を示すというのは中国人側の感情を煽るばかりで逆効果のような気がします。
今度は激怒した中国人が選手に危害を加えてオリンピックが混乱しないかと心配です。
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2008/4/19

『ハックル』『タクシデルミア ある剥製師の遺言』  映画

ハンガリーの若き異才、パールフィ・ジョルジ監督の2作品。2作とも、今回、初めて見たのだが、なんとも摩訶不思議な、奇妙な映画を撮る監督が現われたものです。ある意味、イメージフォーラムで上映するのにこんなにふさわしい映画はないのかも・・。

一見、ほのぼのとした田園風景を描いた『ハックル』とエログロを極めたような『タクシデルミア ある剥製師の遺言』では印象が異なる作品のようだけど、根底に流れるテーマとか発想は通じるものがあるように思う。すなわち、どちらの作品にも、人間や他の様々な動植物、そして機械などの物体までをも含めて存在するものの、生と死をあるがままに見つめて描こうという強烈な意思を感じる。(『タクシデルミア』では、男のオナニーや食べ物を吐く行為といった「醜いもの」もとことんあるがままに描こうとしている意思の力が凄いのだけど。)
そして、とりわけ、人間と他の動植物の生死をまったく同じような感覚でとらえようとしているのだけど、生物だけでなく、機械の「生死」(?)までも同じようにとらえようとしているフェチ(?)ぶりがかなり異様。機械の「生死」というのは変な言い方だけど、たとえば、『ハックル』の自転車の車輪やシャベルカーの動きへの異様なこだわり、そして地面すれすれを低空飛行で飛ぶ、今にも落ちそうな飛行機という不思議なシーンは、機械だってさびて動かなくなっていく、そういう「生死」があるものであることをとらえ出しているように思うし、そんな描写にこだわりを見せるこの監督はやっぱり相当、変な感覚を持っているのではないかと思う。そして、そうした人間も他の動植物も機械や物体も同じような感覚でとらえようとする変なこだわりぶりが物語として昇華されたのが、『タクシデルミア』の(特にこの映画の第3部のエピソードの)異様な物語なのではないかと思う。
かなり独創的な映画作家であるようだけれども、でもたとえば『ハックル』の瓶のエピソードがアントニオーニ監督の『欲望』を思わせるものだったり、ジガ・ヴェルトフの映画を思わせるところもあるし、やっぱりこの監督はかなりの映画狂なのだと思う。(僕は未見なのでよく分からないけれども、もしかしたら機械の生死をとらえるところなどはソ連映画『トゥルクシブ』の影響があるのかもしれない。)
さらに、過去の映画を連想させるものとしては(これは偶然、似たのかもしれないけれども)、大和屋竺に近い感覚があるような気もしたのだ。折りしも、ラピュタ阿佐ヶ谷の「日活ロマンポルノ特集」で大和屋竺脚本の『大人のオモチャ ダッチワイフ・レポート』(曽根中生監督)が上映されているけれども、この作品にもあるダッチワイフや人形への異様なこだわり、人間と人形が逆転してしまうといった大和屋竺の独特の感覚に通じるものが、『タクシデルミア』にもあるように思えたのである。大和屋竺はかなり独特な作風の作家なので、あまりほかの人の映画を見て「あ、この感覚は大和屋竺的だ」と思うことはないのだけれども、『タクシデルミア』は珍しく(?)「大和屋竺的な作品だ」という言い方をしてみたくなるところがあるように思えたのだ。もちろん、このパールフィ・ジョルジというハンガリーの監督が大和屋竺の映画を見ているかどうかは分からないけれども。(「見ていないだろうが」と断言はしないが。これ程の変態映画を撮る監督だったら日本のポルノ映画の熱心なファンだったりする可能性はあるので。・笑)
あと、挿入される歌もちょっと面白く、特に、『ハックル』の最後のほうの結婚式で歌われる歌はケッサク。この『ハックル』はそれまで人物の台詞というものがまったくない映画なのでいっそうこの歌が印象に残るのだろうけど。

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2008/4/19

「非戦闘地域」という夢  ニュース

*最近、思考能力が衰えていて、ほとんどロクな記事を書けそうにないので、ネタみたいな記事ですが・・。
以下のような報道記事がありました。

(ニュース)
米軍の武装ロボットが反逆? 実戦配備11時間でイラクから撤収
【Technobahn 2008/4/13 03:08】米軍がイラクで試験的に実戦配備した武装ロボット「ソーズ(SWORDS)」がイラクでの実戦配備からわずか11時間で撤収されていたことが9日、判明した。
 米ポピュラーメカニクス誌によると米軍は3機のSWORDSを2007年に試験的にイラクに実戦配備。しかし、実戦配備早々、命じてもいないので銃口を味方に向けるなど反逆するそぶりを見せたことを受けて、実践配備は時期尚早との決断が下されて模様だ。
 SWORDSが味方に銃砲を向けた理由は明らかにされていないものの、ソフトウェア上の不具合か、遠隔操縦用の電波に混線が生じたものと見られている。
 米国防総省でSWORDS計画のプログラムマネジャーを務めているケビン・フェーヒー(Kevin Fahey)氏は、「このような事故が起きた以上、次に実戦配備が決定されるまでには10〜20年はかかることになるだろう」と述べている。
 SWORDSは米機械大手のフォスター・ミラー(Foster-Miller)社が開発を行った遠隔操縦方式の武装ロボット。同社では爆発物処理用のロボット「タロン(TALON)」を生産し米軍に多数供給を行ってきた実績を持つ。SWORDSはこの従来型の爆発物処理用のロボットに自動小銃を装備した武装版。兵士に生命の危険が及ぶ、戦闘地域での利用が見込まれていた。
 昨年10月には南アフリカでコンピューター制御の対空機関砲が演習中に暴走し、周りに居た兵士に対して無差別に発砲を繰り返し、20名にを死傷させると大事故も起きていた。
http://www.technobahn.com/news/2008/200804130308.html

*まー、なんか、よく知らんけど、これ、とりあえずは失敗に終わって一時中止になったようなんですが、しかし、「このような事故が起きた以上、次に実戦配備が決定されるまでには10〜20年はかかることになるだろう」っつーことは、逆に言うと10年後、20年後にはこんなロボットが実戦配備されてウロチョロしているのが「戦場」の風景になっているのかもしれないということとも受け取れます・・。ちょっと、未来の「戦場」がどうなってしまっているのか、考えてしまいますね・・。
そういえば、「非戦闘地域」がどうこうというのがまた日本国内のニュースで話題になっていますが・・、もしかしたら、将来は、自衛隊員だけではなく米兵だって「非戦闘地域」に行くことになるかもよ!? つまり、人間は兵士として戦争にいっても「非戦闘地域」から遠隔操縦をするようになるのです。で、「戦闘地域」では遠隔操作された武装ロボットが戦闘しているのです。だから米軍の米兵自体が「非戦闘地域」で戦争をするようになるので、そこに自衛隊が加わっても自衛隊員がいるところは「非戦闘地域」なのです。小泉元首相の、「非戦闘地域」で戦争をする・・という夢想がテクノロジーの進歩によって実現されることになるわけです。
・・という話は、笑えましたか? 笑えなかったら、ネタ度が足りなかったようで、ごめんなさい!
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2008/4/17

宇多田ヒカル『HERAT STATION』  音楽・演劇

なんか、お母さんに似てきましたね。離婚という経歴だけでなく、歌い方とかが。『怨歌』になってきた。やっぱり親子の血ですかね。
(たまにはこんな話題も・・。)
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2008/4/13

『ノーカントリー』  映画

別に特にコーエン兄弟のファンというわけでもないから急いで見ることもなくようやく見たのだけど、これは、明らかにこれまでのコーエン兄弟の映画とは異なる感触を持つ作品である。端的に言ってしまうと、これまでのコーエン兄弟の映画というのは、コーエン兄弟の独特の世界を見せてくれる、いかにも「コーエン兄弟の世界」という感じの箱庭映画という感じだったのだけど、今度の映画は、より現実の世界そのものに近付き、現実の世界そのものを提示しているような気がする。だがしかし、物語自体は、やっぱりいかにも「コーエン兄弟の世界」という感じのものではあるのだ。これが原作があるというのが不思議なぐらい、コーエン兄弟向きの題材(物語)であり、よくこんなコーエン兄弟が映画にするのを待っていたような小説があったものだと思う。そういう意味では、究極の「コーエン兄弟の世界」と言える題材(物語)の作品かもしれないのに、何故、今度の映画は、「おお、これまでのコーエン兄弟の箱庭的映画とは違うじゃないか」と思わせてくれる映画になっているのか? 結局、つくりのシンプルさがいいのだろうな。ハビエル・バルデムが演じる「笑わない殺し屋」(まるでバスター・キートンみたいに笑わないのです)がとにかく表情だけで圧巻というのか、この人の表情だけでこの映画は成立してしまっているという感じがするので、下手な小細工はしなくてひたすらシンプルに撮っていっただけという感じになっているのがなんともヌーヴェルヴァーグ映画的な、シンプルに人間と現実世界そのものを提示する映画になっているんだと思う。特に、「あ、この感じはヌーヴェルヴァーグ的だ」と思ったのは、犬が河を泳いでいるシーン。可哀想にこの犬は必死でジョシュ・ブローリンを追いかけて岸まで泳ぎ着いた果てに殺されてしまうんだけど、その前の必死で泳ぐ犬の姿がなんとも愛おしくて・・。コーエン兄弟の映画でこんなヌーヴェルヴァーグ映画的な瞬間に触れようとは思わなかった。あとトミー・リー・ジョーンズの保安官が、結局、ほんとに「物語」から全く部外者で、「最近の若い者は・・」とか、ただ嘆いているだけの時代に取り残されたおっさんという感じなのが、ほんとに現実にあちこちにいるおっさんそのものという感じで、おかしかった。こんな風に、現実世界そのものを提示してくれる映画というのは、いかに殺伐とした連続殺人の話であったとしても現実世界を肯定しているんだと思う。だから、やっぱり人間を肯定する人間讃歌なのだと思うのです。もちろん、それこそがヌーヴェルヴァーグ映画の精神であることは言うまでもない。(うーむ、しかし、コーエン兄弟の映画に対してこんな風に「ヌーヴェルヴァーグ映画的」という言葉を使っちゃっていいんだろうか?)

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2008/4/7

『接吻』  映画

たとえば『アデルの恋の物語』がどーのとか、イーストウッドみたいにトヨエツが携帯電話を投げるのがどうのとか、そういうのはそうなんだろうけど、それより僕がこの映画で恐かったのは、小池栄子が演じるヒロインのキャラクター、いかに運がない女かを説明するシーンのエピソードが、同僚からちょっと仕事を頼まれて断れなくて残業した・・みたいな、ほんとにどーでもいいような、ごくごく日常的なことだったりすることである。はっきり言って、そんなことを根にもって、この映画のように人が理由のない殺人に走ったり、殺人者に対してほとんど妄想のような「愛」を寄せるようになるというのなら、この世界のほとんどの人は殺人を犯したり妄想的な「愛」に溺れたりするようになってしまうのではないだろうか・・。だってその程度に「運が悪い」目にあうこと、普通に生きているなら誰にでもあるような気がするんだけど・・。逆に、すべてにおいてラッキーなことばかり、生きてて楽しいことばかりでたまりませんという人がいたら教えてほしいよ。しかし、この映画が真に恐いのは、もしかしたら実際にこの世界はすでにそういうものになっているのであって、つまり、実際にこの世界のほとんどの人は殺人者予備軍なのかもしれないと思えてくることである。結局、この映画はモンスターの人間を描いた作品などではないように思えてくるところが恐ろしいのだ。これは理由もなく殺人をするような殺人者の話であり、その殺人者にひたすらひとりよがりに妄想的な自称「愛」を寄せる女の話であり、それだけだと特殊な人間の特殊な話のようなのだけど、しかし、ここに描かれていることは実は全然、特殊なことでもモンスターのような特殊な人間の話でもなくて、この現実世界のあちこちで転がっているようなことなんじゃないか・・と思えてくるのだ。つまり、現実の世界で平凡な人達が日々、営んでいることも、そこでくりひろげられている当人たちが「恋愛」と思い込んでいることも、実はこの映画に出てくる、ちょっと「異常」に思えるような突飛な行動をしている人達がしていることと同じようなものなのかもしれないと・・。

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2008/4/5

『裸の銃弾』  映画

『裸の銃弾』
シネマヴェーラの若松孝二特集で。1969年の、『処女ゲバゲバ』に続く、若松孝二監督、大和屋竺脚本のコンビの作品。公開タイトルは『柔肌無宿 男殺し女殺し』らしい。これはこれまでほとんど映画館でかかっていなかった作品だと思う。こんなのが見れるとは思わなかった。やけにきれいなプリントだなとびっくりしたら、これ、昨年、DVD化されているよう。もしかして、ニュープリント?
なんだかんだいっても、僕が見ている若松孝二のベストというのか、一番、鮮烈な作品は『処女ゲバゲバ』なのだが。これは荒野を密室に見立てた実験映画的な作品で、大和屋竺の観念的とも思えるシュールな世界が若松孝二独特の「密室もの」として達成されているという点で本当に他に類がないような変な映画だと思う。今回、見た『裸の銃弾』(『柔肌無宿 男殺し女殺し』)はもっと大和屋竺色が強い、もうほとんど若松孝二というより大和屋竺作品という感じだった。まるでルパン三世みたいな殺し屋ものだ。(大和屋竺はもちろんルパン三世の脚本家。)いや、『処女ゲバゲバ』ももちろん大和屋竺ならではの独特の作品ではあるんだろうけど、やっぱり大和屋の独特の脚本、世界と若松孝二の演出とがぶつかりあって、相乗効果がある、わけがわからない傑作になっているように思うのである。その点、『裸の銃弾』は大和屋のほうに行き過ぎて、若松孝二はどこかにいってしまった気がするかな。そういう意味ではトータルには『処女ゲバゲバ』のような圧倒的な衝撃はなかったのだけど、ただ珍しいものを見れたな・・という気はした。
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2008/4/5

『靖国』 全国21館が5月以降に上映へ  映画

*結局、上映館数が増えている・・。「萎縮効果」が心配されたが逆効果になったのかも・・。結果的には良かったというか、今回、産経、読売などの右よりの新聞までほとんどの新聞で社説で上映中止はおかしいという意見を書いていたようで、表現の自由の問題にはさすがに各社とも敏感なのかなと少し、ほっとしました。

(ニュース)
映画「靖国」 全国21館が5月以降に上映へ
2008年04月04日22時44分
 12日に封切り予定だった映画館が相次いで上映を見合わせたドキュメンタリー映画「靖国 YASUKUNI」をめぐり、配給・宣伝会社のアルゴ・ピクチャーズは4日現在で全国の21館が5月以降に上映予定であることを明らかにした。4館が見合わせた東京都内でも、1館で公開する見通しになったという。

 ほかにも検討中の映画館があり、新たに上映の打診をしてきた館もあるという。
http://www.asahi.com/culture/update/0404/TKY200804040337.html?ref=rss
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