2008/7/29

『アパッチの怒り』  映画

サークとしては異色の西部劇のように思えるが、やっぱりサークだなと思うのは、服装によって「ふりをすること」という、模倣することというサーク的主題が明快に打ち出されているところではないかと思う。
兄と弟とのひとりの女をめぐる確執も、三角関係の話・・としてとらえるのはちょっと違うのかもしれない。この弟は、女が兄のことを好きなことを知っていて、だからこそ、女に近付こうとしたのであり、つまり、弟は兄を模倣しようとしたのだ。そして、その兄もまた死んだ父を模倣しようとしている。彼は中庸な平和主義者として行動しようとしているというより、父のことを忠実に模倣しようとしているのだ。(たとえば『いつも明日がある』で両親の夫婦としての姿に憧れ、やがては模倣していくのだろう子供のように。)これは、中庸な平和主義者の兄と、そうではない弟との確執を描いたものというよりも、父を模倣しようとする兄と、兄を模倣しようとする弟との確執を描いたものなのではないだろうか・・。

それにしても、人は基本的に誰かを、何かを模倣するもので、たとえば恋愛だって「オリジナルの恋愛」というものはないわけで、実は本人が深く意識していなかったとしても、かつて誰かがしていた恋愛をおそらく模倣して行なっているのではないか・・とは思うのだけれども、だとしてもサークは、どうしてこれほどまでに執拗に人は、人生は、誰かを、何かを模倣することで成り立っている・・ということを描き続けたのだろうか?

たとえば『愛する時と死する時』のラストはあんまりだと思うのだけれども、これだって人が「模倣」する様を描いたのだと考えれば、やっぱりサークなんだと納得する・・いや、慄然とするのである。つまり、あのロシア人たちは主人公のことを「模倣」したのではないか、と・・。

つまり、「恋愛」のようなものだけでなく、「戦争」だって実は模倣しているものなのである。どうして人類は戦争を繰り返してきているのか? それは、戦争をしている人達を見て、他の人達が「模倣」し続けてきているからなのだ・・。
「恋愛」のようなものも、「戦争」のようなものも、どこまでも「模倣」によって成り立っている。我々の人生は、どこまでも「模倣」によって、「模倣すること」に縛られて成り立っているものなのだろうか? 結局は我々の人生は誰かの人生の「模倣」であり「幻影」でしか、あり得ないのだろうか? もしサークが描き出していることがそういうことであるならば、サークとはなんと非情な作家なんだろうか・・。

でも、まあ、「模倣」にも、美しい「模倣」とそうでない「模倣」とがある。そのことをもサークの映画は描き出しているのかもしれない。だから、せめて(どっちみち、「模倣すること」から逃れることが出来ないのであるならば)美しい「模倣」の方を選択しよう・・つまりは、そういうことであるのかもしれない。
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2008/7/27

ミロス・フォアマン監督特集  映画

PFFでミロス・フォアマン監督の『ブロンドの恋』『消防士の舞踏会』『黒いピーター』『パパ/ずれてるゥ!』。
『カッコーの巣の上で』以後の作品しか見てなかったので、辛辣なイメージがあったこの映画作家がこんなにステキなユーモアに満ち満ちた映画を撮っていた人だったとはいまさらながら驚いています。思えば、『カッコーの巣の上で』は中学生の時に三鷹オスカー(今はなき名画座で、いつも3本たての映画上映をしてました。2本たてよりも得な気がするのでせっせと通ったのです。)で見たんだけど、三鷹オスカーの上映予定に『パパ/ずれてるゥ!』のポスターが貼ってあって、これは絶対、見なきゃと思っていながらなんか、予定が合わなかったのか、見れず、結局、今までずっと見て来なかったわけです。それがついに見れたんだなぁと思うとちょっと感慨が・・。(しかし、当時も今も俺がやっていることってせっせと名画座に映画を見に行くことで、まったく変わっていないというのにもあきれるのだが・・。)家に帰って、当時、買って大事にしていた『カッコーの巣の上で』のパンフレットをさっきから探しているんですが、さすがに出てきませんが・・。
なんて思いで話っぽくなっちゃたけど、『パパ/ずれてるゥ!』って映画はいかにも70年代の雰囲気がする作品でしたね。フォアマン監督がアメリカに進出して第1作ということだけど、外国人監督が諷刺として当時のアメリカの風俗を撮ったものとしては、いい意味で笑える、しゃれた作品だと思いました。
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2008/7/24

『ステップ・イントゥ・リキッド』  映画

新宿K'sシネマのレイトショーで。
僕はサーフィンなんてやったこともないし、あまりサーフィンに興味もなかったのだけれども、そんなことは関係なく引き込まれる。サーファー映画として、というより、普遍的なドキュメンタリー映画作品として素晴らしい傑作。
『特殊効果なし、スタントなし』という映画の冒頭に流れる言葉がこの映画の姿勢を示している。映像づくりとしても『特殊効果なし、スタントなし』だろうけど、物語のつくりとしてもおそらくそうだ。「構成」はもちろん、あるけれども、ひとつひとつの語られるエピソードは実際のサーファーの人達の人生の話であり、実際のサーファーの人達の言葉だ。別に映画用につくられた物語ではない。
そして、サーファーの人達はあまりにも浮き世離れした生き方をしている人達なので、ある種のユートピアの世界の話のようにもうっかりすると思えてくるのだけれども、この映画のつくりては、ベトナム戦争や9.11テロと隣合わせにこうしたサーファーの人達が生きていることをも示す。それがこの作品の巧みな「構成」であるわけだけれども、やはりこれはつくりものの物語ではなく、事実なのだ。

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2008/7/20

北野武が拉致問題の映画を撮る構想を発言?  映画

明日放送予定のテレビ朝日の番組のスタジオ収録時に発言されたそうだが、番組内ではカットされて放送されないとのこと・・。

7/16(水)コラムの花道 勝谷誠彦氏の話より
http://tbs954.cocolog-nifty.com/st/2008/07/716_0dbd.html

でも、うっかり発言・・とも思えないので、これ、けっこう、本気でたけしは考えているのかな?と思うんだけど、どうなんでしょうか?
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2008/7/20

『愛のうた、パリ』  映画

「東京国際レズビアン&ゲイ映画祭」という、ちょっと潜り込むのに勇気がいる映画祭に潜り込んで、フランスのオノレ監督の『愛のうた、パリ』を見る。
この監督の作品を見るのは、『ジョルジュ・バタイユ ママン』に続いて、2本め。
感想は・・端的に言うと、「うわー、ひどい映画だなあ!でも、個人的にはちょっと好きだけど。。」という感じか?

映画として、この作品は成立していない・・と思う。この話を成立させるには、もっといろいろと段取りを踏む必要があると思うし、これでは奇抜な思い付きでしかない。ユスターシュが、「あり得ないような三角関係の話」を成立させるために、どれだけの段取りを踏んだかを考えてみてほしい・・。段取りを踏まずに、いきなりこうした話が成立している・・というのはただのデタラメである。
・・なんだけど、まあ、今、書いたことは批評家が言うようなことなんだよなあ・・。映画批評家というのはそれで飯を食っているわけだから、いい加減な思い付きみたいな、好き嫌いのみで作品の評価をしてはいけないんだろうし、まあ、俺が映画批評家だったらこの作品、やっぱり評価しないとは思うんだけど・・。
が、僕は批評家ではありませんので・・。これは批評家を馬鹿にして言っているわけでは決してなく、むしろ、逆に批評家を真面目にやっている人を尊敬する思いで、批評家でもない僕が、批評家みたいなことを偉そうに言う方がおかしい気がするなあと思って、書いているんだけど。僕のような人間は個人的な好き嫌いに徹していい加減なことを言う方が批評家の人達に対してもむしろ、礼儀になるんじゃないだろうかと・・。

なので、これだけ、書いてきて、こう続けて言うのもなんだが、作品としての評価とは別に、個人的な好き嫌いで言うと、『ジョルジュ・バタイユ ママン』がそうであったように、この『愛のうた、パリ』もどちらかと言うとちょっと好きな作品ではある。
どこが好きなのかと言うと、作品としては成立しないような無理なことをやってしまっているんだけど、逆に若気の至りみたいな感じでそういう無理なことをやっちゃう人って好きだなあ・・みたいな感じなのかな?と思うんだけど。
まあ、『ジョルジュ・バタイユ ママン』は、今どき、バタイユに挑んでいる・・という時点で僕的にはオッケーなんですが、この『愛のうた、パリ』も、ああ、やっぱりバタイユをやろうとした人の映画だなあ・・と思える、無茶な映画であった点が逆に嫌いになれないのかもしれないなあと・・。要するに、モラルとかなんとか、そういうのをポーンとこえちゃうようなこと、衝動的なことをこの監督はやりたいんだろうか・・。まあ、やりたいことが「衝動的なこと」であるなら、段取りを踏んでいないから映画として成立していないなんて言っても、そもそもどーなるものでもないような気もするし・・。

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2008/7/18

『歩いても 歩いても』  映画

これも、やっぱり『シークレット・サンシャイン』に比べると印象がやや薄いかな・・。『ぐるりのこと。』の橋口監督も、『歩いても 歩いても』の是枝監督も、確実に演出がうまくなっていて、技術的にはたいしたものだ・・と思ったんだけど、どこか、パンチが足りないような気はする・・(逆に、上手すぎるのかも?)。

ただ、樹木希林のお母さんを始め、けっこう、『渡る世間は鬼ばかり』並みに本音をズゲズゲ言い合うんだけど、それをちゃんとコメディにして見せていく・・というのは、本当に上手いなあと思いました。ひとつひとつのエピソードは、ひどい話だが、コメディにしているから、これはこれでたいしたものだと認めるしかないかなと・・。
でも、さすがに、あのフリータ−の青年の描き方はちょっと・・。あの描き方はやり過ぎだと思って、不快に思いましたけど、まあ、あれは悪意をこめてやっているんだろうから、不快な気持ちにさせられた・・ということは作り手の術中に嵌っているのかもしれないけれども・・。
まあ、不快になった・・という意味では、『誰も知らない』のほうが僕にはずっと不快というのか、認められない映画なんですが・・。
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2008/7/18

『ぐるりのこと。』  映画

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これは、僕は、たまたま先に見たイ・チャンドンの『シークレット・サンシャイン』が似たような話で、そっちの印象が強烈だったので、それほどは来ませんでしたが・・。

でも、個人的な夫婦の話と、社会的事件を平行して見せていくという手法は興味深くは思いました。といって、最初は、こういう風に、実際にあった事件を深めて考察していくのでもなく背景というのか、物語の効果として入れていく・・ってありか?と思ったんだけど(その意味ではちょっと不快な気持ちもして見ていました)、ただ、ああいう事件を起こした人たちも、ちょっとでも自分を支えてくれたり愛してくれる人がいたら、ああいうことにはならなかったかもしれないんですね。それが、リリー・フランキーが妻に言う、「ひとりでもお前を好きなやつがいればいいじゃないか!」みたいな台詞(正確にはこういう台詞じゃないけど、ニュアンスとしてこういう感じの・・)と重なってくるのかな・・と思って、この作品の印象が肯定に変わりました。(もっとも、もしかしたら、これは僕が感じたことで、橋口監督のねらいとは違うのかもしれないけれども・・。とにかく、僕はそう受けとめて、途中までは不快な印象だった作品を、好きになりました。)

引用される事件では、宮崎勤やオウムを題材にしたものよりも、園児殺人事件が印象に残るかな? このもとになっている事件はたしか、母親同士がレズビアン的な関係があったというものじゃなかったでしたっけ? それで橋口監督がこの事件のシーンに力を入れているのかな?と思ったのですが。(もし誤解だったら、すみません。)

ただ、それでも疑問というのか、まあ、単に僕の理解不足かもしれないけど、結局、この夫婦がなぜ続けられたのか? いまいち、ぴんとこないかな・・。これは要するに「できちゃった婚」なんだから、子供が亡くなったら離婚・・してもおかしくないと思うんですが、それでも続けられたのが、まあ、「好きだから」なんだろうけど、結局、わからないと言えばわからない・・。(まあ、これは僕自身が、結婚はおろか、特定の異性と長い年月にわたって付き合った経験がまったくない人間なので、そこらへんのニュアンスがつかめない・・ということかもしれないので、この作品の出来の問題ではないのかもしれませんが・・。)

いずれにしろ、この監督の作品は、監督が学生時代につくった8ミリ映画『ヒュルル・・・1985』からずっと見ているので、たいしたものをつくるようになったなあ・・という感慨はありますが。
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2008/7/10

『山桜』  映画

ストイック!
ああ、こういうのが藤沢周平の世界かぁ・・。藤沢周平ファンの知人が、山田洋次のよりも忠実に藤沢周平の心を映画化している・・と言われていたので見たのだが、納得。
この監督(篠原哲雄)、かなりコンスタントに作品を撮ってて、そんなにいい監督なのか?と思っていたんだけど、やっぱりいい意味で職人監督で、それなりの腕の人なのかなぁ。
『Sweet Rain 死神の精度』に続いて、富司純子が好演している。富司純子が出てて、いいと、それだけで「ああ、日本映画を見たなぁ」と思ってしまう(なんだ、それ)。
まぁ、最後の歌はちょっとやり過ぎだけど、逆にあそこまでやるなら許せる・・?

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2008/7/10

取り急ぎ環境問題についてちょっと書いてみる  公害・薬害・環境・医療問題

ベストセラーになっている福岡伸一『生物と無生物のあいだ』を読んで、遺伝子組み換えや、臓器移植といったものがどうして問題があるものなのか、漠然とした不安な気持ちとかではなく、論理的に理解することが少し出来たような気がする。

それにしても、この先生は、文章がうまいというのか、分かりやすい。理系の難しい話を、実に分かりやすく教えてくれる。そこがベストセラーになっている要因なのだろうか。福岡先生は、下記のリンクのもののように、狂牛病についてもいろいろと発言されているが、実に示唆に富むものである。

食べること・・・「生きている」ということ
http://www.aoyama-matsudo.com/fukuoka-kohen-henshu.htm

とにかく、環境問題、エコの考え方の基本というのは、自然の循環を人間の活動が壊してしまったのがいろいろな破綻をうんでいるので、人類は自然のサイクルに合わせた生活スタイル、社会スタイルに戻ろうではないか・・ということではないかと思う。
そこが分かっていないと、CO2削減のために原発を進めよう・・なんていうへんてこな話になってしまう。
もちろん僕はCO2削減には賛成だけれども(CO2によって地球温暖化が起きているという説には、いまだに根強く懐疑論があるようだけど、CO2要因説に疑問な点があるのだとしても、他の要因によるものだという説や、人間の活動とは無縁の自然現象として起きているのだとする説にはもっと説得力がないわけだから、CO2要因説のほうが当たっているのではないか?と少なくとも現時点では思える。アル・ゴアの話にもたしかに誇張があるのかもしれないが、ロンボルグや武田邦彦の話にはもっと説得力を感じない・・ということだ。)、人間の諸活動による地球環境破壊は総合的に起こっているものなのであって、「CO2削減」のみに焦点を合わせて政策をとるのはあきらかに偏っている。というか、各国首脳は意図的にそういうところに話を持っていこうとされているのかもしれないが・・。CO2による地球温暖化が問題であるように、原発だって仮に事故が起こらなかったとしても放射能廃棄物は地球環境を破壊する大きな要因になっているのだ。従って、「福田ビジョン」のうちの、太陽光発電をすすめるとか、炭素税を導入するといった案には賛成だけど、原発推進にはやはり反対だ。また、自動車の総量規制や、排気ガスを出さないクリーンな自動車に転換していく・・というのにも賛成だけれども、それは温暖化対策として「CO2削減」のため・・というばかりでなく、「排気ガス」がすでに有害物質だからである。

と、この時期に環境問題について何も書かないのもどうかなと思って、ちょっと書いてみた。
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2008/7/8

竹藤佳世監督『半身反義』  映画

これは驚異的な作品。たぶん傑作だと思うが、僕も「たぶん」という言い方しか、出来ない。傑作か否かという、いいとか、悪いとかいう判断以前に、「こんな映画、ありかよ」という驚きのほうがまず強かったので、まずは良し悪しをこえて「驚いた」と言うしか、現時点では出来ないからである。

というよりも・・
『半身反義』がやろうとしていることはおそらく『潜水服は蝶の夢を見る』に通じるようなことなのだろうが、『潜水服は蝶の夢を見る』という映画よりもずっと大胆で鮮烈でリアルである。それもそのはず・・、『潜水服は蝶の夢を見る』は、アート的な手法の映像を盛り込んでいても、すでに書物になっていて感動の「物語」として成立しているものを、「映画」にする上でそういう手法を用いているわけだけれども、『半身反義』は実際にカメラを回して「映像」で『潜水服は蝶の夢を見る』に通じるようなことをしようとしている過程そのものを編集した映画なのだ。つまり、この映画はまだ「物語」が成立する以前の、過程そのものがリアルにさし出されているのである。だから、「リアル」なのは当然なのかもしれない。もちろん、ドキュメンタリーとは言え、「物語」はあるわけだが・・(実際の人生そのものが「物語」性を持つものなのだから)、しかし、最終的には「物語」として成立するにしても、「物語」になる以前の「物語」未然とでも言える状態はやはりあるわけで・・、このような形でその未然の状態(だからこそ、リアル)を作品としてさし出せたということが、やはり驚きなのである。
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2008/7/7

「被爆者の声をうけつぐ映画祭2008」のお知らせ(終了)  映画

*この度、下記の映画祭のスタッフをやっていますので、ご案内します。

「被爆者の声をうけつぐ映画祭2008」
7月4日(金)、5日(土)、6日(日)の3日間
会場 4日と6日は明治大学リバティホール、5日は全電通労働会館ホール

プログラム1
7月4日(金)夜 明治大学リバティホール  18:15〜
開会式  松平晃 トランペット演奏 (10 分)
      主催者挨拶
劇映画『純愛物語』(133分)
おはなし  江原真二郎 中原ひとみ (予定)

プログラム2
7月5日(土) 全電通労働会館ホール 13:00〜15:45
ドキュメント『世界は恐怖する』(79 分)
 休憩10 分
ドキュメント『原発導入のシナリオ 冷戦下の対日原子力戦略』(45分)
おはなし 15分「原発導入のシナリオ」を制作して  東野 真 

特別イベント・原爆症認定訴訟から学ぶ集い
7月5日(土) 全電通労働会館ホール 16:00〜17:45
「原爆症認定集団訴訟であきらかになったこと」 〜残留放射線と心の被害〜
おはなし 中川重徳弁護士 被爆医師・肥田舜太郎 精神科医・中沢正夫 原告・西本治子
デスカッション 25 分

プログラム3  
7月5日 全電通労働会館ホール 18:30〜
劇映画『第五福竜丸』(110分)
おはなし 安田和也さん(第五福竜丸展示館主任学芸員)

プログラム4
7月6日(日) 明治大学リバティホール 10:00〜12:30
アニメ『トビウオのぼうやはびょうきです』(19分)
スタッフ挨拶 山口逸郎 プロデューサー
劇映画『千羽鶴』(67分)
おはなし 被爆者(予定)

プログラム5
7月6日(日) 明治大学リバティホール 13:30〜17:00
アニメ『はとよ ひろしまの空を』(21分)
劇映画『夕凪の街 桜の国』(118分)
おはなし 佐々部清監督(予定)
おはなし 日本被団協 15 分

映画祭 閉会式
 歌 田中ルミ子
 閉会の挨拶 主催者代表

主催 明治大学軍縮平和研究所 被爆者の声をうけつぐ映画祭実行委員会
協賛 日本原水爆被害者団体協会 被爆者の声をうけつぐプロジェクト50
 
ご連絡・お問い合わせ先
共同映画 03-3463-8245
独立映画センター 03-5827-2641

ウイング・コア (FAX)03-3205-8958

*詳細は下記のブログをご参照ください。
http://hikakueiga.exblog.jp/

(終了しました。)
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2008/7/1

共産党の環境政策について考えてみる  公害・薬害・環境・医療問題

日本共産党が、「地球温暖化の抑止に、日本はどのようにして国際的責任をはたすべきか」という環境政策について述べた一文を6月25日に発表した。
「なるほど」と思うところと、「むむむ、これはどうなんだろうか・・?」と思うところが混在するものだったので、自分の思考を整理する意味でも、思ったことを書きとめておく。

まず「排出量取引制度」についてはあちこちで言われていることなのでとりあえず置いておくとして、問題(だと思うの)は環境税についての考えを述べているところである。
以下のようにある。

「環境税は、石油・石炭・天然ガスなど化石燃料を燃やしたさいに生ずる二酸化炭素の量に応じて課税し、国の予算上、使い道を特定しない「一般財源」とします。主要な負担は、化石燃料の大半を使用している大企業・財界がになうのが当然です。低所得者、医療・福祉・教育施設、公共交通の燃料、中小・零細企業、食料自給にかかわる農業・漁業、寒冷地などについて適切な負担免除・軽減措置をとるべきです。」

ここで「大企業・財界がになう」というのが、共産党らしいところだなーとは思うわけであるが、しかし、「えええ?ちょっと待て」と僕は思ったのだ。
だって、それって具体的にどういう風に税金をかけるんだ? 共産党の考えでいくと、環境税を、大企業(大企業か中小・零細企業かは収益がいくら以上かで区分して?)と高所得者層(年収いくら以上とかで区分する?)からだけ、とるということのようだけど・・。しかしねえ、環境税をもうけるのに、そういう形の税金のかけ方というのはどうなんだろうか? だってさあ、「化石燃料の大半を使用している大企業・財界」と決めつけているけど、たしかに大企業はそれだけ化石燃料を使用している量が大きいかもしれないけど、別に化石燃料を使用しているのは大企業だけじゃなくて、中小企業も一般家庭もみんな、なんですけど。
高所得者か低所得者かと言うけど、たとえば高所得者で自家用車は一切、運転せず持っていないという人と、低所得者でしょちゅう、自家用車に乗っているという人とかがいたら、どちらの人が化石燃料を多く使っていると思う? 車を運転する人の方なのでは? 
あるいは、高所得者でも、環境に対する意識が高い人だったら、すべて自宅の発電を自然エネルギーでまかなっている(太陽エネルギーとか)という人がいるかと思う。こういう人は、むしろ、負担免除の対象になるべき(高価な太陽光発電をわざわざしているので)だと思うんだけど、共産党案のように所得で環境税を負担するか否かを区分するのであれば高所得者だから負担免除の対象にならないことになるのか?
つまり、この場合、大企業か、中小・零細企業か、あるいは高所得者か、低所得者かで区分するという話ではないと思うのだ。
そうではなくて、環境税をかけるなら、たとえば職種別に、どれだけ、化石燃料を使用しているかを試算してそれで割合を決めてかけるようにするとか(この場合、その企業が大企業か中小・零細企業かではなくどのような職種の企業であるかが問題になる)、あるいは、ガソリン車を持っている人がいたら1台につき、いくらの環境税を払うとか・・。そうしなきゃ、意味がないわけで、高所得者だけに環境税をかけるなんていうのはむしろ、不公平なことが生じないだろうか?
だいたい、クリーンな自然エネルギーのほうが高価なものであるわけだから、そちらを普及させるために発電を自然エネルギーでまかなっている会社なり家庭なりは税制で優遇するとか、クリーンなエネルギーで動く車をもっている人はガソリン車をもっている人より優遇するようにするとかいうのは分かるけど、そういう形で化石燃料を使用しているか否かで区分して環境税をかけるようにしなければおかしいわけで、大企業か、中小・零細企業か、あるいは高所得者か、低所得者かということで区分する話ではないと思う。
たとえばプラスチック製品をつくっている会社があったとする。そこにプラスチック製品でもうけているのに見合うだけの税金を負担させるというのが環境税のあり方であって(本当は、そんなことより、プラスチック製品をつくること自体を禁止してしまうべきだ、そのほうが抜本的な環境対策なのだ・・という考えの人もいて、その意見をもっともだと思うところもあるのだけど、とりあえずここではその議論は置いておいて、環境税をかけるならこうするべきではないか?という意味で書いているのだけど)、その企業が大企業か、中小・零細企業かが問題なのではない。プラスチック製品をつくっている企業であることが問題なのだ。プラスチック製品をつくっている企業でも、大企業でなく中小・零細企業だったら環境税が免除されるのであれば、仮にそういう環境税というものが出来たとしても、プラスチック製品をつくっている企業の側は税金がかからないようにみんな、分散して子会社の「中小企業」にしてしまって、そこでプラスチック製品をつくらせて、親会社は束ねているだけ・・みたいな形にするだけだと思う。(そういう「抜け道」があることがすぐ分かる。)
また、たとえば「公共交通の燃料」を「負担免除・軽減措置」の対象のひとつとしてあげているけど、これは「公共交通の燃料」はクリーンな自然エネルギーを使うようにして、それに対する優遇措置としてそうするのなら分かるけど、「公共交通の燃料」にも化石燃料を使用しつづけて、なのに「公共交通の燃料」だからといって「負担免除・軽減措置」にするなら環境対策として意味がないのではないか・・?

つまりさあ、「大企業・財界がになう」という、そういうところに話を持って行くのは、共産党らしいとは思うんだけど、ちょっと労働問題の話を環境問題に結び付けようとしているから変な提案になっているのではないかと僕は思うのだ。労働問題と環境問題は別なのよ。電気は我々、ひとりひとり、みんなが使っているんだからさ。どんな低所得者でも電気の恩恵を受けているわけで、全員が環境破壊の加害者なのだ・・という自覚から始めるしか、ないのだと思う。そうでなきゃ、化石燃料からクリーンなエネルギーに転換する・・なんてできっこない。結局、化石燃料とか、原子力発電をやめていく・・ということは、今のままに電気やエネルギーを使用していくことはあきらめなきゃならないわけで、今のままに電気やエネルギーを使用しつづけながらクリーンなエネルギーに転換なんて不可能な話なのだ。高所得者か、低所得者かに関係なく、我々は質素な原始的な生活スタイルに戻ろうじゃないか・・というところにいかなきゃ、結局、無理な話なのであって。
大企業や高所得者層が負担しろなんて言っているのではダメだと思う。ダメというか、所得とか、関係なく、電気を使って生活して生きているのは我々ひとりひとりなんだから・・。大企業や高所得者層だけを責めても、それでは、原発、やめることだって出来ないと思う。原発は「クリーンなエネルギーと言っても高価だし、電気なしには生活できないんだからやっぱり原発しかない」という民意のもとに動いている面もあるんだと思うから・・。
共産党の環境政策は労働問題に話を結び付けようとするから本筋から外れてしまっているのではないだろうか?
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2008/7/1

2008年上半期に見た映画ベスト5  映画

ちょうど今年の上半期が終わったので(早いね・・)、上半期に見た映画のベスト5をあげてみる。
映画を見るペース、本数はすっかり減ってきているのだが、これはさぼっているわけではなく、自分が製作中だからです。

『斑女』中村登監督 1961年
http://blue.ap.teacup.com/documentary/1319.html

『まぶしい日に』パク・クァンス監督 2007年
http://blue.ap.teacup.com/documentary/1338.html

『ハックル』パールフィ・ジョルジ監督 2002年
http://blue.ap.teacup.com/documentary/1362.html

『抱擁』マキノ雅弘監督 1953年
http://blue.ap.teacup.com/documentary/1367.html

『幼年期の情景』スタン・ブラッケージ監督 1967〜1970年
http://blue.ap.teacup.com/documentary/1395.html

順位は不同。つーか、つけようがない・・。まるでバラバラな感じの作品選考のようだけど、いずれの作品もまさに至福の、「ああ、これこそが映画というものだ!」と踊り出したくなるような、幸福な映画体験でありました。
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