2008/9/14

『海の沈黙』と『三重スパイ』  映画

それはたまたまな相似なのかもしれないけれども、今回の「フランス映画の秘宝」で見た(ともに初めて見た)メルヴィルの『海の沈黙』とロメールの『三重スパイ』がきわめて近い作品のように思えてしまう。ロメールが特にメルヴィルを意識していたとは思えないのだけれども、1947年の作品と2003年の作品とがどうして似通ってきてしまったのか? これはやっぱりヌーヴェルヴァーグの映画の精神が近付けてしまっているのだと思うしかない。
メルヴィルの『海の沈黙』は、ゴダールやトリュフォーがデビュー作を撮る以前の作品だから、「ヌーヴェルヴァーグの映画」というよりも、「ヌーヴェルヴァーグの先駆け的な映画」というほうが正しいのだろうが、しかし、実際の『海の沈黙』はすでにして「ヌーヴェルヴァーグの映画」そのものと言っていいような映画なのだ。
そして、ロメールの『三重スパイ』は、ロメールというと恋愛的な題材のものばかり撮る作家なのかと思っていたらこんな政治サスペンス映画を撮る人だったなんて・・と驚くものなのだが、そのように驚くほうが明らかに失礼な話なのであって、これはまさに「ヌーヴェルヴァーグの映画」ではないか。ロメールがこういう題材も撮るのかという驚きは、そもそもロメールこそがヌーヴェルヴァーグの映画作家であるということを忘れてしまっている。いつの間にか、「ヌーヴェルヴァーグの映画」ではなく、「エリック・ロメールの映画」という、個人の映画作家の作品のイメージに縛られてしまっていたから、「ロメールがこういうものも撮るのか?」などということを思ってしまうのだ。『三重スパイ』は、これを撮った人が、仮にロメールではなく、トリュフォーなりゴダールなりシャブロルなりリヴェットなりであったとしてもいっこうにかまわない、まさにこれこそが「ヌーヴェルヴァーグの映画」だ!、これこそが「ヌーヴェルヴァーグの映画」の精神だ!、これこそがヌーヴェルヴァーグの傑作だ!と思わずにはいられない映画である。とはいえ、『三重スパイ』はロメールでなければ撮ることが出来ない映画なのだろうけど、トリュフォーにもゴダールにもシャブロルにもリヴェットにも撮ることが出来ない映画なのかもしれないけれども、にもかかわらず、これは「エリック・ロメールの映画」であることさえこえて、「ヌーヴェルヴァーグの映画」なのである。
だから、別にロメールがメルヴィルの映画を意識していたとかそういうことではなくて、「ヌーヴェルヴァーグの映画」以前にすでにして「ヌーヴェルヴァーグの映画」であった『海の沈黙』と、「エリック・ロメールの映画」であることをこえて「ヌーヴェルヴァーグの映画」である『三重スパイ』とが相通じる映画になり得ているという事態も起こり得るのである。そして、そこに「ヌーヴェルヴァーグの映画」とは何か?をとく鍵がもしかしたらあるのかもしれない。
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