2009/3/5

政治家とカネの癒着・・でもどうすればいいのか?  時事問題

小沢民主党党首の秘書が逮捕されて揺れている。またしても政治家とカネの癒着が取りざたされている。たしかにこうしたことはイケナイこととは思うが、それでは一体、どういう法制度にすればいいというのだろうか? 
ちょっと考えてみる。

1いっそのこと、団体献金も個人献金も全て禁止にする。
まあ、一番、クリーン性を保てるのはこの案かと思うが、個人の献金までをすべて禁止するというのは問題があって、それでははっきり言って金持ちでないと選挙に立候補して選挙活動をしたり出来ない。たとえば貧しいが「志」がある人が支持者からお金を集めて立候補するということが出来なくなる。政治家になるのは金持ちばっかりとなると、貧しい人々の民意が反映されないことになりかねず、問題なのではないか。
献金をすべて禁止する代わりに、政党助成金を国から支給してそれで選挙活動をするようにすればいいという案もあるかもしれないが、その政党助成金は現在の議席数などで配分されるのであるなら、やっぱり現在、議席を持っていない政党からや、無所属で立候補して、既存政党とは違う政治的主張をする政治家になろうとする者には助成金はつかないわけだから、やはり金持ちでないと無所属で立候補することが出来ないということになる。
現在の議席数とは関係なく、立候補する者には(現在、議員でない者でも)一律に選挙資金として助成金を出すというやり方もあるが、これはその助成金欲しさに立候補するような輩が出てくることになるから、もっと問題であり、現実的ではない。

2企業・団体献金は全て禁止にして、個人献金のみ可とする。
共産党が言っている案だが。実際、共産党とか、あるいは、公明党のように、個人献金で成り立っている要素が強い政党にはこれは有利な案なのかも。
しかし、自民党はもちろん、民主党や社民党も、仮に企業献金を禁止にしたとしても、労組などの団体の献金で成り立っているところが大きいわけだから、この案には乗るわけにはいかないのだろう。
実際にはこの案は共産党が主張しているだけなので、実現化することは難しい。

3企業献金は個々の政治家には禁止にして政党にするのは可とする。個人献金はどちらも可とする。
これが現在の法律上の制度であるようだ。結局、2の案は共産党しか支持しないので、こういう法に落ち着いたようである。
で、このように決めたのに、ダミー団体を使って小沢一郎氏の事務所に企業献金が行なわれたので問題になっているわけである。
なかなか現在の法制度では、このようにダミーの形でこれは個人献金ですという名目で企業献金が行なわれた場合に取り締まることは難しい。当人が実は企業献金だったと自白しない限り、立証することが出来ないからだ。なので、現実にはこのようなダミーを使った実質的には企業献金なのだが個人献金であるという形の献金が横行していると言われる。このような現実を招いているのはザル法なのではないかという見方もあるようである。たしかに、ザル法なのかもしれない。

が、それではどうすればいいというのか?
共産党は2のようにするのがいいのではないかと提案している。これもなるほどと思う面はあるのだけど、でもよくよく考えてみると、現在、問題になっているのは、ダミーを使って実質的には企業献金のものを個人献金として献金しているケースをどのように無くして行けばいいのか?ということなのであるから、実は3のような現在の制度を2のように改正したとしても、なんら抜本的な解決策にはならない。「企業・団体献金は全て禁止」という風にしたならば、ダミーを使って実質的には企業献金のものを個人献金として献金するという形の献金がやっぱり同じように(いや、もしかしたら今以上に)横行するだけであるからである。
つまり、2のようにすることは、そうしたダミーの形の献金が起こり得ることを抜本的に食い止めることにはなり得ないのだ。
では、抜本的にダミーの形の献金を食い止めるにはどうすればいいのか? それは1のように、個人献金も禁止とするしかないのだ。これなら献金自体が出来ないのだから、ダミーの形の献金などというものは起こりようがないからである。
しかし、この1の案は、すでに書いたように問題があり、いくらカネの面でクリーン性が保てるとはいっても僕は賛同できない。

このように考えて行くと、結局のところ、どうすればいいのか、よく分からなくなってくる。
ただ、1のようにしてもいないのに、政党助成金を支給しているというのはたしかにおかしい気がするので、政党助成金はやめたほうがいいのではないだろうかということは言えるのかもしれないと思う。
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2009/3/5

新旧の3監督のオムニバス映画を続けて見る  映画

神保町シアターで『くちづけ』(1955年、筧正典、鈴木英夫、成瀬巳喜男の3監督のオムニバス)を見てから、渋谷のシネマアンジェリカで『TOKYO!』(ミシェル・ゴンドリー、レオス・カラックス、ポン・ジュノの3監督のオムニバス)を見るという、また、たまたまではあるが、新旧の3話のオムニバス映画を続けて見て、前者のもののほうが素直に面白いと思ってしまう自分にいいのかなあと・・。まあ、古い映画のほうが映画として出来がいい・・というのはもはや当たり前のことではあるのだが、しかし映画として良ければいいんだ・・ということでほんとにいいんだろうか・・。まあ、僕は時代錯誤的なところがある人間なのでけっこう石坂洋次郎が好きで読んでいたりはするわけだが(笑)、しかしいくらなんでも仮に僕が劇映画を撮るとしたらまさか、石坂洋次郎をいま、やるわけにはいかないよな・・ということはあって、鈴木英夫や成瀬の珠玉作がどんなに素晴らしいと思ってもそうしたものを自分が撮ることは想像も出来ないわけで(もちろんそもそもそうしたものを撮れるわけがないという物理的な問題もある)、自分が撮るものは題材としては『TOKYO!』のほうに近いのに違いないのである。が、それが面白くないというのは一体、どういうわけだ・・。企画としては『TOKYO!』は間違っていないはずだと思うし、とにかくこの3監督に撮らせた(特にカラックスに久方ぶりに撮らせた)ことは意義あることだと思うし、確実に「いま」の題材であるわけだけど、しかしもしかしたらこうした「いま」の題材であるからこそ、映画としては面白くないのかもしれない・・。つまり、引きこもりの話とか、狂気に走る話とか、そういうのは確実に「いま」の題材で、「いま」それをやろうとする意味は分かるんだけど、でもそういう話では人間同士の関係性が生じないわけで、関係性が生じなければドラマも生じないわけで・・。でも、それでもポン・ジュノはさすがで、突飛な発想とシャープな映像(ちなみに撮影は福本淳です)で引きこもりの話でも関係性が生じる瞬間を描こうとしていると思うし、カラックスも健在で疾走しているのだけど(でもそれでもこういう話だったら若松孝二のほうが面白いかもと思ってしまったり・・)、鈴木英夫の素晴らしい中編を見てしまった後ではブが悪いのか・・。『ラースと、その彼女』というのは、やっぱりよく出来ていたよなあと改めて思う。(まあ、『TOKYO!』は3話の中編のオムニバスものなので話がどうしても中途半端なものになってしまうということはあるのかもしれないが。)
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