2009/5/30

『チョコレート・ファイター』  映画

『マッハ!』『トム・ヤム・クン!』のプラッチャヤー・ピンゲーオ監督の新作『チョコレート・ファイター』は、前代未聞の女性アクションもの! もちろん、最近はむしろ世界的には女性アクションスターがブームとなりつつあり、ミシェール・ヨーやユア・サーマンやアンジェリーナ・ジョリーなど、女性アクションというだけでは別に珍しくはないのだが、でもこのタイの新星、ジージャーことヤーニン・ウィサミタナンのようなアクションヒロインはちょっといない。ヤーニン・ウィサミタナンはデビューに至るまで約4年間の基礎訓練をみっちり受け、それから映画の撮影に入ったのである。なぜそこまでやらないといけないのかと言うと、もちろん、ノーCG、ノーコマ落とし、ノーワイヤーという、気違いじみたガチのアクションにこだわるタイアクション映画だから。その昔、ブルース・リーが衝撃だったのは、やはりガチだったからにほかならないけど、CGで何でも出来る時代だからこそ、ガチのアクションにこだわるところに、つまり、CGの時代に逆らってブルース・リースタイルを貫くところにタイ映画界の本気(というか、狂気?)がある。
とはいえ、最後のエンドタイトルバックで流れるお馴染みのNG集を見ると、ワイヤーが写っていたので、さすがに今度の作品は全くのノーワイヤーというわけではなかったようで、少し、ほっとしたのだけど・・。
しかし、そのNG集に、大怪我して病院に運ばれる役者が写っていたけど、一体、この映画の撮影中に何人の役者が怪我したのか? いや、ムエタイで鍛えたつわもののスタントマンが揃っているタイだからこそ、まだ「怪我」ですんでいるんだと思う。ほかの国でこんな撮影してたら、ほんとに死人が出ますよ・・。

ストーリー的な面では、BCさんがブログでヒロインが自閉症でパニックを起こすのをアクションとする・・というような描き方で自閉症を題材にしてほしくなかったというようなことを書かれていて、BCさんは実際に家族に自閉症の人がいるそうで、だからそうした点でひっかかったのは当然かと思うし、たしかにこれ、自閉症という設定にしなくても成立させようがあったのではないか?とは思うのだけど、まあ、だけど、素朴そうな少女が実は最強のアクションを・・という落差をやりたかったんだろうな。その映画的な意図も分かる。とにかく、タイでなければ今、こういう女性アクション映画はつくれないであろうことはたしか。
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2009/5/28

朝日新聞のコラム「エンドロール」より  映画

*朝日新聞のコラム「エンドロール」、フランス映画『夏時間の庭』の宣伝の人の話が。この映画は現在、ヒットしているようだけど、裏には「都内の美術館や花屋、インテリア雑貨店にポスターやチラシを置いてもらおう」などの積み重ねがあったんだなあ・・と。

(*朝日新聞のコラム「エンドロール」より)
「夏時間の庭」×
宣伝チーフ・鏑木知都世さん 日常の美、学び伝える
 パリのオルセー美術館開館20周年を記念して制作された「夏時間の庭」(オリビエ・アサイヤス監督)。母が亡くなり、長女のアドリエンヌ(ジュリエット・ビノシュ)ら3人の子どもたちは、広大な家や庭、美術コレクションなど、母の遺産と向きあうことになる。

 映画配給会社クレストインターナショナルの鏑木知都世(かぶらぎ ちとせ)さん(29)は、「家族の形をそっと教えてくれる映画です」と話す。宣伝チーフとして様々なメディアや場所で映画を紹介してもらえるように働きかけた。

 4カ月かけて取り組んだイベントがある。千代田区の丸ビルホールで行われたトークショー付き一般試写会で、三菱一号館美術館準備室・高橋明也館長の相手を務めた。美術に詳しくない自分が300人の観客を前に、映画の魅力をどうしたら伝えられるのか。劇中に登場する美術品は、ほとんどがオルセー美術館の所蔵品。自身が心を揺さぶられたものは、パリの画家・版画家フェリックス・ブラックモン(1833〜1914)のガラスの花瓶だった。生活に溶け込んだ美しさを自身の言葉で伝えたいと、関連した美術書を読みこみ、館長との打ち合わせを何度も重ねた。イベント終了後、「花瓶が美術品とは知らなかった。勉強になった」とのアンケート回答がうれしかった。

 映画から着想し、都内の美術館や花屋、インテリア雑貨店にポスターやチラシを置いてもらおうと100件以上電話をかけ続けた結果、ようやく31軒に許諾を得た。「チラシを見たのですが」。ある日、劇場に問い合わせがあったという。

 「宣伝する映画の数は年間4本ほどと多くない分、心を込めて地道に宣伝していきたい」。巡礼にまつわる映画では山登りをし、「風俗」を取り扱った映画では風俗街を歩いてみた。とことん作品に近づいてみる。「担当する映画の一番のファンでありたいと思っています」
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2009/5/27

松田奈緒子『少女漫画』ドラマ化  テレビ・ラジオ

*え、松田奈緒子『少女漫画』って、あのカルトな漫画をドラマ化するの?
 NHKって時々、意表をつくことをやるね。

(以下、スポニチのニュースより)
田中麗奈 NHKドラマで“理不尽社長”と対決
5月27日7時15分配信
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2009/5/17

柘山一郎監督『憑依』上映会のお知らせ(終了)  映画

(終了しました。)

私も1日だけ撮影の手伝いにいった知人の映画『憑依』が5月に下北沢の短編映画館「トリウッド」で上映!
ホラー映画です。

(日時)5月16日(土)、17日(日) いずれも18時55分から
(会場)下北沢「トリウッド」
「トリウッド」のサイト
http://homepage1.nifty.com/tollywood/2009/yonbunnoichi/yonbunnoichi.html

(入場料)700円

以下が映画『憑依』のサイト(作成中)
http://www.kirindojp.com/


*なお、私の映像作品の新作は2009年12月に完成予定(目標)・・です。
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2009/5/11

『レイチェルの結婚』  映画

(ややネタバレあり)

















更正施設で、効果をあげるために嘘のプロフィールをつくって治療に当たる・・というようなことは以前に聞いたことがあって、ちょっと興味深いなと思ったことがあったが、そうしたことをうまくアイデアとして取り込んでいるところに面白い脚本だなと思った。
また、この映画については『映画芸術』誌最新号で濱口竜介監督が評を書いているのだけれども、そこでも結婚というフィクション性についての映画だ・・というようなことが書かれていて、なかなか面白い。
この作品の面白さ、というか、すがすがしさは、更正施設での嘘のプロフィールというフィクション、結婚というものが持つフィクション性といったものを描きながら、そうした嘘を暴いてけしからんと非難するわけではなく、人間がよりよく生きて行くためにはそのようなフィクションをつくってそれに依拠して生きて行くことが必要なのではないかという視点に立ち、ポジティブなものとしてとらえようとしていることから来るのではないだろうか。そして、対照的にも思える姉妹の話なのだけれども、更正施設で嘘のプロフィールというフィクションをつくった妹と、結婚というフィクションを生きようとしている姉という形で実はこの姉妹に共鳴するものがあることを描き出しているのであり、それがラストの展開にもつながっているのだ・・と見ることも出来るのではないだろうか。

ちなみに、ここからは余談であるが、人が生きて行くにはフィクションが必要なのだ・・とすると、そもそも人生というのはフィクションなのではないか?という見方も出来るのかもしれない。すると、フィクションの劇映画作品と、ドキュメンタリーとか、あるいは現実にあった出来事を題材にしたいわゆるノンフィクション作品との間に区別があるように言うけれども、実はないのではないか(現実もフィクション性のもとに人は生きているのであるから)・・というような意見もあるのかもしれない。それは一理あるとは僕も思うのだけど、それでもフィクションとノンフィクションには違いがあるように思う。その違いとは、端的に言うと、フィクションの劇映画作品は基本的にはその映像作品のつくりて自身が考えたフィクションを描こうとしているのであり、その作品の登場人物もつくりてがフィクションとして考えつくりあげた人物像(もちろん、現実にいる人物をモデルにしている場合も多いのだとしても、つくりての考えで虚構の人物像が築き上げられている)であるのに対し、ノンフィクションの映像作品の場合は、被写体になっている人物がどのようなフィクションを抱いて生きているのかを見い出そうとしているというのか、もちろんそれをいかに作品としてまとめるかは映像作品のつくりて自身が考えている面はあるわけだから、他人が考えているフィクションを見い出し、どのようなフィクションのもとに生きているかをとらえ、そうした他人性に依拠して自分の映像作品というある種のフィクション(ノンフィクションであったとしても自分の考えで映像をまとめるという点ではフィクション性を持つ「ある種のフィクション」)をつくりあげようとしているということなのではないだろうか。そして、いわば他人性を自分の作品にするということにこそ、ノンフィクションのつくりての倒錯的な喜びがあるのではないかと思うのだ。(1から自分が考えたんだ・・などとは決して思わず、酔ったりしないので、逆にそこに倒錯的な喜びがあるのだということ。)
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2009/5/6

イタリア映画祭で『ゴモラ』  映画

イタリア映画祭で『ゴモラ』鑑賞。
昨年のカンヌ映画祭グランプリ、またヨーロッパ映画賞、作品賞などを受賞・・とあって期待が大きすぎたのかもしれないが、ストーリーは全体に乱雑な印象。
もっとも、そこが逆に現実のイタリアのマフィアの凄すぎる実態をとらえ出すことに成功している点なのかもしれない。
これに比べれば『シティ・オブ・ゴッド』などはまだスタイリッシュな映画だったと言えるのかもしれない。(そう言えば、トニー・スコット監督が『シティ・オブ・ゴッド』を10年に1本の傑作みたいに言って評価しているという話を聞いて、え?トニー・スコットと『シティ・オブ・ゴッド』って意外な結びつき・・と思ったのであるが、考えてみれば『シティ・オブ・ゴッド』ってスタイリッシュなアクション映画ではあるよな・・。)
手持ちカメラの撮影というのはもう見慣れたものになってきてしまっているので驚きはないが、この題材はたしかにこういう撮り方がふさわしいのだろう。
そして、若者2人がパンツだけで銃をぶっぱなすシーンがやはり素晴らしい。ここで2人が裸になるのは、マフィアたちが身を護るために防弾チョッキを身につけなければならず、またマフィアの仲間になる時に防弾チョッキを着て銃に撃たれることに耐えることが入会の儀式にもなっている・・ということに対応しているものと思われる。つまり、組織から離れて自由な空気を味わうには、防弾チョッキはもちろん、衣服を脱いで裸にならなければならなかったのだろう。
他にも、声帯を押さえて話すマフィアのボスなど、随所に、視覚的な映像ならでは表現が盛り込まれているので、単にストーリーとしてマフィアの実態を暴くというだけではなく鮮烈な映像を印象づける映画になっているものと思われる。
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2009/5/2

『ミルク』  映画

オペラが出て来たのに、これは何?と一瞬、思ったが、その後の展開になるほど、これがやりたかったのか・・と納得。こうした実験的と思える作り方をはさむのは、やっぱりガス・ヴァン・サントなんだな。

政治家としては有名になっていくハーヴェイ・ミルクだけど、私生活の面ではうまくいかなかったというあたりを描いているところが痛切。元々、カミングアウトしていこうとしたのは、私生活の面でたびたび悲しいことがあって、そういうことを含めてそんな自分はもう嫌だと思ったからであったはずだったのでは? 痛切。
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2009/5/2

『スラムドッグ$ミリオネア』  映画

見事なまでの主人公の「一貫行動」。
「一貫行動」の果てに、葛藤があって、主人公が変化、成長して行く・・というのがドラマの基本のひとつだが(というようなことがシナリオの教科書みたいな本にはよく書いてあるが)、この作品は別に変化、成長していくわけではない。むしろ、馬鹿みたいに「一貫行動」をひたすら主人公が貫くことが爽快な作品になっている。
ほんとに、これじゃ、ひと昔前の少女マンガだと悪口を言われそうな、幼馴染みの恋を貫くのだ。
それだけだったら観客は古臭いと思ってしまいそうだけど、新鮮なアイデアで観客を巻き込む。そのことで、「一貫行動」のパワー、素晴らしさを観客に思い出させる。

たとえば、『太陽に恋して』(ファティ・アキン監督)のように、疾走の果てに、最初と最後で主人公が別人のように変化している・・というのは、映画的な爽快さを持っていると思うし、見ているこちらにも元気をもらえるので嬉しいのだけど(というか、個人的には、僕だったら、『スラムドッグ$ミリオネア』よりも『太陽に恋して』の方が好きだけど)、あんな風に主人公が変化してしまうことに違和感を持つ人もいるかもしれない。
そうした人には、主人公が変化していくわけではなく、ひたすら「一貫行動」を貫き通すというこの『スラムドッグ$ミリオネア』の物語の方が元気と勇気をもらえるものなのかもしれない。
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2009/5/2

『ウェディング・ベルを鳴らせ!』  映画

(ネタバレあり)













これまでも、友人の裏切り・・という話をたびたび描いて来たエミール・クストリッツァ。

『パパは出張中』では、裏切った友人に「許さない。でも忘れよう」とひと言。
これが、『アンダーグラウンド』で、「許す。でも忘れないぞ」に変化。

そして、本作。このおじいさんは友人の靴屋のおじいさんとの間にあったことで女を許せないでいるらしい。でも、(戦争を知らない?)孫世代の者同士が組んでひと騒動。若者達の熱気は昔の記憶も吹き飛ばしてくれるだろう。
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