2010/8/24

カネミ油症―政治の力で被害者救済を(朝日新聞社説)  公害・薬害・環境・医療問題

(今朝の朝日新聞社説)
カネミ油症―政治の力で被害者救済を 

 被害者の失望はいかばかりだろう。
 国内最大の食品公害とされるカネミ油症事件をめぐる被害者救済法案づくりのことだ。中心になっていた民主党議員が参院選で落選し、与党の過半数割れもあって法案提出の見通しが立たなくなっている。
 民主党は野党と協議して法案の成立をめざすべきだ。被害者救済を掲げる超党派の国会議員連盟も、休止状態にある活動を再開してもらいたい。
 カネミ油症事件が発生したのは1968年。北九州市のカネミ倉庫が製造した米ぬか油を食べた人々に深刻な健康被害をもたらした。製造過程でポリ塩化ビフェニール(PCB)が混入、加熱されて猛毒のダイオキシン類が発生したためだ。
 約1万4千人が黒い吹き出物やがん、内臓疾患、死産や早産などに苦しんだ。被害は西日本一帯に広がったが、認定患者は2千人を下回る。認定されても、カネミから23万円の見舞金と医療費の一部補助があるだけだ。
 効果的な治療法はいまだにない。症状ゆえの差別や偏見を恐れ、隠れるように生活している人は今も多い。
 被害者らはカネミや国を訴えたが、87年に最高裁で和解が成立、国への訴えは取り下げられた。行政の責任を認める司法判断がない以上、賠償などの措置には応じられないというのが、今の国の立場だ。だが、このまま放置できる問題だろうか。
 事件の数カ月前に、この毒油の搾りかすの飼料で大量のニワトリが死んだ「ダーク油事件」が発生していた。当時、農林省は食用油の安全性に疑念を抱かず、厚生省への通報を怠った。連携していれば被害は抑えられた。複数の下級審もそう判断していた。
 また、裁判当時はPCBが原因と考えられていたが、その後、ダイオキシンを直接食べた被害事件だとわかった。人類が経験したことのなかった化学物質による大量中毒である。
 カネミは、経営難で資力がないとして和解で確定した賠償金さえ支払いを怠り続けているのが現状だ。
 こうした事情を考えれば、国も救済に乗り出すべきではないだろうか。水俣病などでは、国は被害者救済の観点からなにがしかの恒久的な対策を講じている。カネミの被害者には何の対策もないというのではおかしい。
 これまでの経緯などにこだわって行政機関が対応できないなら、それを動かすのは政治の責任だろう。
 市民団体「カネミ油症を告発する会」は北九州市小倉北区のカネミ倉庫の正門前で月1回、12時間の座り込みを続けている。今月28日で丸40年を迎える。「本質的に何も解決していない」。会員の牧師、犬養光博さん(71)はそう訴える。
 政治は応えるべきではあるまいか。
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2010/8/23

『何も変えてはならない』  映画

僕としては『コロッサル・ユース』以来のペドロ・コスタ監督の映画体験となったが(間に作られている短編作品は未見なので)、『コロッサル・ユース』を見た時、映画としての完成度という点では(画面の達成度など)『ヴァンダの部屋』を越えるものなのかどうか、判断がつかなかったのだけれども、そうか、ペドロ・コスタってこういう「主題」っていうのか、「物語」をやりたい人なんだなあ・・とよりはっきりしてきたとは思った。その主題というのは、「疑似家族」ということなのだけど、思えば、そもそも映画(とか演劇)作品において、役者が父になったり母になったり子供になったりするのは皆、「疑似家族」であるわけだし、あるいは、監督とカメラマンとか、監督と編集マンとかいうスタッフ間の関係というのも、いわば作品という「子供」を生み出すために、疑似的に「家族」や「夫婦」の関係になっていると言えるのだけど、『あなたの微笑みはどこに隠れたの?』で描かれたストローブ=ユイレというのがその点で特異な存在だと思えるのは、多くの映画作品で監督と編集マンが擬似的に「夫婦」になるのはあくまで作品を生み出すために制作期間の時だけそうなるのであって実際には「夫婦」ではないわけだが、ストローブ=ユイレの場合は本当の「夫婦」でもあったりもすることだろう。つまり、映画作品を生み出すための創作という点でも、実際の人生という点でも、ストローブ=ユイレは「夫婦」なのであり、まさに「映画」(という虚構世界の創作活動)と「人生」が見事に合体してしまっているのだ。その、ストローブ=ユイレという、創作活動においても実際の人生においても「夫婦」である映画作家の特異的なあり方のクラクラするような魅惑を、『あなたの微笑みはどこに隠れたの?』は描こうとしているのだと思うが、だからこの作品はまさにドキュメンタリーとフィクションが共存するドキュメンタリー(もしくは、ドキュメンタリーとフィクションが共存するフィクション)という、ペドロ・コスタがめざすところの映画の形を理想的に備えているのだと言えるのではないかと思う。そして、実際にも夫婦であるストローブ=ユイレを描いた『あなたの微笑みはどこに隠れたの?』が、「疑似家族」を描いた『コロッサル・ユース』と対になっていることも、すぐに思い当たることだろう。
そして、今度の『何も変えてはならない』である。まあ、なるべく事前の情報とかはあまり入れないようにして見たいので、ほとんど事前に批評とかは目を通さないで見にいったわけだけど、見る前の予測では、もっとジャンヌ・バリバールという人、個人のみを追いかけたもので、撮っている側のペドロ・コスタと、被写体のジャンヌ・バリバールが擬似的に「夫婦」的な関係を築いて行くという、いわばドキュメンタリーというのはもっと撮る側と被写体とが緊張関係にあるものであるはずで、「夫婦」みたいに関係性が築けてしまうなんて反則ではないか・・とつぶやかざるを得なくなるような映画なのではないか・・とか、推測をして見に行ったわけだが、そういう反則的な部分(ペドロ・コスタとジャンヌ・バリバールが擬似的な「夫婦」みたいになって行くという)もあったのだが、それだけでなく、そもそもジャンヌ・バリバール個人を追いかけているのではなくて、ジャンヌ・バリバールと一緒に音楽を作る仲間達の姿がとらえられていて、まさに音楽のバンドという「疑似家族」を描いた映画で、見て即座にハワ−ド・ホークスの映画を思わないではいられないものだったのだけど(実際、後でこの映画についての批評とかを読んだら、当然のように、ハワ−ド・ホークスの名前が出て来ていて、やっぱりそう連想しないではいられないように作っているんだなあと納得するほかなかったのだけど)、しかし、とにかく、『コロッサル・ユース』で感じた、ペドロ・コスタという人が描こうとしている「主題」というのか、「物語」は「疑似家族」なんだなあということが、ますます明確になって来たと言うしかないのではないだろうか。(なお、余談だけど、僕個人としては、ホークスの音楽ものだったら、『教授と美女』よりもむしろそのリメークの『ヒットパレード』のほうが、そのゆるさが好きだったりするが。)
しかし、なんでもこの『何も変えてはならない』というタイトルはブレッソンの言葉が元になっていると言うし、画面作りにおいてはブレッソンのように厳格とも言えるペドロ・コスタであるのだけど、やろうとしている「物語」は「疑似家族」ものであり、もしかしたらそういうやろうとしている「物語」自体はホークスやマキノの次郎長ものに近いものなのかもしれず、そこらへん、画面作りの厳格さと、やろうとしている「物語」との間にもしかしたら乖離のようなものがあるのかもしれない・・とも思えてくるのだけど、そこがこの映画作家の面白さというのか、豊かさなのかもしれない。
とにかく、最後のシーンのたまらない幸福感はこれが映画だ、映画万才とでもつぶやきたくなるようなものなのだけど、それは「物語」という意味では仲間と一緒にいることの幸福感と言えるのかもしれないが、しかし、そのシーンもまた「厳格」な構図で撮られているとも言えるのだ。
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2010/8/16

『祝の島』  映画

(以下の通り、「映画生活」のサイトに投稿しました。)
この映画の地平
 個人的には、もちろん、僕は原発に反対であるわけだが、原発に反対とか脱原発とか言うと、「でも、あなたも電気、使っているんでしょ?」と言われると困ってしまい、「いや、そうさ。僕自身、きれいな立場にいるわけじゃないよ。人間の世界はそもそもそんなに簡単に善悪に分けられるものでもないと思う。でも、だからこそ、自分自身の問題として、原発の問題を考えないといけないんじゃないか?」とかなんとか、言い返して、「ま、とにかく議論しようじゃないか」とかなんとか、言うわけだけれども、そういう議論をしていると堂々めぐりのような気もしてきて、「なんか、違うんじゃないか、僕(ら)が考えるべきことはもっと別のことなんじゃないか」とも思えてくるのだけれども、しかしその「別のこと」というのがいったい、なんなのか、自分の中では明確ではないので、結局、「違う」と断言することも出来ずに、ま、堂々めぐりの議論でもするしかないか・・と思って、結局、堂々めぐりの議論をしている次第なのだが、この映画は、そういう僕個人の地平などはポーンと踏み越えて、きちんと「別のこと」を提示しているような印象を持ちました。それは凄く素敵なことだと思うので、採点するならやっぱり満点をつけたいと思うのだけれども、ただ、僕自身は、正直なところ、先に書いた通り、まだ自分の中で「明確」なものを持てているわけではありません。
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2010/8/14

ロシアの森林火災、チェルノブイリ原発事故汚染地域にまで広がる  原爆・原発問題

*ロシアの森林火災とスモッグ被害、ちょっと前例がないような事態になってきた。チェルノブイリ原発事故で汚染された地域にまで火災が広がっていると報じられている。どのような影響があるのか、これによって放射能が飛散しているのか、気になるところ。

(ニュース)
ロシア猛暑火災拡大 空港マヒ、各国が渡航自粛呼びかけ
2010年8月7日23時0分
 【モスクワ=副島英樹】記録的な猛暑による森林や泥炭の火災がロシア西部で拡大を続け、首都モスクワは7日、この夏最悪のスモッグに覆われた。米国務省はモスクワ周辺地域への渡航を差し控えるよう求める警告を出し、英BBCなどによると、ドイツ、フランス、イタリア各政府もモスクワへの渡航自粛を呼びかけた。1986年のチェルノブイリ原発事故で放射能汚染された森林への延焼も懸念され、「首都脱出」の動きが始まっている。

 スモッグは6日から悪化し、視界不良でモスクワの空港も混乱。南部郊外のドモジェドボ空港や南西部のブヌコボ空港では6日には100便を超える発着に影響が出た。7日も視界は300メートル程度しかなく、40便がキャンセルされ、7便が近隣都市の空港に着陸先を変更。50便近くが飛び立てない事態になった。

 懸念されているのは、旧ソ連ウクライナで起きた原発事故で汚染された森林を抱えるロシア西端部のブリャンスク州。ショイグ緊急事態相は5日、汚染地域に延焼すれば、放射性物質が大気中に拡散する恐れがあると指摘した。

 現地の報道では、この発言をきっかけに、各国の在ロシア大使館でモスクワ脱出の動きが加速。カナダ、ポーランド、オーストリア、チェコが一部の外交官や家族を本国に戻すと伝えられている。

 ノーボスチ通信によると、7日現在、ロシア西部を中心に577カ所で火災が起き、焼けた面積は約19万ヘクタールに達している。

 原発事故による汚染森林の火災について、原発事故に詳しい今中哲二・京都大原子炉実験所助教は「汚染地帯まで火災が来れば、大気中の放射性物質の濃度が高くなり、消防士が被曝(ひばく)する可能性もある」と話す。一方、長瀧重信・長崎大名誉教授は「火災がチェルノブイリ原発の原子炉近くに及べば別だが、汚染地帯の放射性物質が広がっても地域住民の健康には特に問題はないだろう」とみる。
http://www.asahi.com/international/update/0807/TKY201008070263.html


チェルノブイリ汚染地域の火災、放射性物質飛散はわずか=専門家
2010年8月13日
 [ロンドン 12日 ロイター] ロシアで発生している森林火災により、チェルノブイリ(現ウクライナ)原発事故の汚染地域に残る放射性物質の飛散が懸念されているが、科学者らは、汚染物質が飛散してもごくわずかで、人体に与える影響は非常に小さいとの見解を示している。

 1986年に発生したチェルノブイリ原発事故の専門家である英ポーツマス大学のジム・スミス氏は、「汚染地域に残留する放射能のうち、再び拡散されるのは全体の1%よりはるかに少ない」と指摘。また、「放射能の大半は土壌にあり、火災の影響は受けない」とし、草木に残っている少量の放射能についても、火災で飛散するのは非常にわずかだと語った。

 また、フランスの放射線防護原子力安全研究所とドイツの放射能防護機関の専門家はいずれも、今回の火災で汚染物質が飛散する可能性を認めたものの、健康に被害を及ぼす可能性は小さいとし、ロシアや隣国に与える影響を否定した。

 このほか、世界保健機構(WHO)のマリア・ネイラ氏は、放射性物質が再び飛散しても人体に影響が非常に小さいことは、過去に行った現地実験で立証されていると述べた。

 一方でスミス氏らは、最も深刻なのは汚染物質の飛散ではなく、火災で発生する煙とスモッグであると指摘し、肺や心臓に障害を起こす危険性が高いと強調した。
http://www.asahi.com/international/reuters/RTR201008130026.html


放射能汚染地域で火災 ロシアで汚染地域拡大も
 ロシア森林保護局は11日、チェルノブイリ原発事故で汚染された地域で火災が発生したと発表しました。また、非常事態省は、火災で放射性物質が舞い上がり、汚染地域が拡大する危険性を指摘しています。
 ロシア南西部のブリャンスク州は、1986年に起きたチェルノブイリ原発事故で、一部地域が放射能で汚染されました。森林保護局は、この州ですでに28件の森林火災が発生し、これまでに269ヘクタールを焼失したと発表しました。ただ、汚染地域そのもので火災があったのかどうかははっきりしていません。
 ショイグ非常事態相:「火災によって放射性物質が舞い上がり、汚染地域が広がる危険性はある」
 一方、衛生監督庁は「ブリャンスク州は平静を保っている」として、混乱しないよう呼びかけています。 (8/13(14:37)
http://www.tv-asahi.co.jp/ann/MS/html/old_inte_detail11.html?now=20090929152007
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2010/8/6

キネマ旬報に『食卓の肖像』批評が掲載  映画

拙作『食卓の肖像』を「シネマグランプリ」で取り上げてくれた、映画評論家の渡部実さんが、昨日、発売の「キネマ旬報」(8月下旬号)でも『食卓の肖像』を紹介してくれました。「文化映画」の欄、140頁と141頁の堂々2頁にわたり、批評が掲載されています。渡部さん、有難うございました。
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2010/8/1

僕は死刑廃止派だけど千葉法相に対する批判は当たらないと思う  時事問題

死刑廃止派の千葉景子法務大臣が死刑執行のサインをしたことに対して一部で批判が出ているが、僕個人は死刑制度は廃止したほうがいいのではないかという考えを持つ、死刑廃止派であるのだけれども、千葉法相に対する批判は当たらないように考える。千葉法相が死刑制度は廃止したほうがいいと考えていたとしても、現状では死刑制度が日本の法体系にはあるわけで、法律を改正し、死刑制度を廃止した上でないと効力を持ち得ないのは認めるほかないことであるように思う。なので、現状で、法相が自らの考えから死刑執行にサインすることをこばむというのは、単なる職務放棄ではないか・・という、死刑存続派の人達から出ている批判はやはり一理あると思うのである。僕個人は、死刑制度そのものについては死刑制度を廃止するという考えのほうが理があるものと思っているのだが、死刑廃止派の考えの人が法務大臣になると死刑を執行しないというのは単なる職務放棄ではないかという、死刑存続派の人達から出ている批判についてはたしかにその意見は一理あるとは思うので、千葉法相のように死刑廃止の考えを持っていても職務として死刑執行のサインをしたという法相がいたことはこの批判に対して当てはまらないケースがあり得ることを示したとも言えるので、千葉法相の今回の決断はこれはこれでありなのではないかと思うのである。
そもそも肝心なことは、死刑を存続するべきか、廃止するべきか、国民的により深く議論していくことではないだろうか。存続派の考えの大臣がその要職につくと死刑が執行されて、廃止派の考えの大臣がその要職につくと死刑が執行されない・・という、そういう問題でもないように僕は思うんだけど・・。(それで死刑制度を存続するか、廃止するかの議論そのものが棚上げにされたままでいつまでも行なわれないでいるというのでは意味がないというのか。)
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