2011/8/31

『ハンナ』  映画

『路上のソリスト』で路上の天才音楽家を描いたジョー・ライト監督が、今度は森の中で天才的な殺し屋として育てられた孤高の「天才」殺し屋の16歳少女の話を描く・・という風に展開していったのは、なるほどと思いました。
しかし、この映画、観客に共感させるための何かが足りない気がします。ひと言でいうと、「天才の映画」になってしまっているのではないでしょうか。つまり、このように、やたらと強くて、バッタバッタと人を殺して行く殺し屋のヒロイン少女の姿は、スタイリッシュな映像で見ているだけでたしかにスカッとはしますが、それだけでは共感できるものではありません。このヒロインに共感させるには、ただ「天才」なだけではなく、何かが必要です。たとえば、どうしてこのヒロインはこんなに強いのか、どのような特訓を積んだのか、その部分はこの映画はばっさりと省いていて何も描いていないのですが、これが(どうやって強くなったのかが)なくて、最初からとにかくやたらと強いというのでは共感できないのは当然ではないでしょうか。16年間、森の中で、一切、外の世界を知らずに育った・・という、まるで狼に育てられた狼少女のような生い立ちなのですが、そうしたヒロインは、まさに「天才」過ぎて、すんなり共感できないのではないでしょうか。
映像はなかなかスタイリッシュに出来ていて、これだけのスタイリッシュな映像造型、作品世界造型をするのはかなりのものだとは思うのですが、根本的なところでヒロインに共感できないのでは、逆にこうしたスタイリッシュさもあだになって、ますます気持ちが入り込めないで映像が流れて行ってしまう映画になっているようにも思えます。「天才の映画」になってしまっているというのはそういうことです。
カットが明らかに飛んだり間違った方向で繋がっているような、繋ぎ間違いのようなカットつなぎのところがいくつか、あるのですが、これは本当に繋ぎ間違えたわけではなくて、独特の映像の味わいを出そうとしてわざとそうしているのかもしれませんが、これもかえってあだになっているというのか、展開が強引というのか、御都合主義的になっているのを補完するためにしているようにも見えて来てしまいます。
なんか、力作なのに、根本的なところで何かが足りないような気がする、不思議な残念作です。
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2011/8/30

消えた映画監督  映画

20数年ぶりに公の場に姿をあらわしたという曽根中生氏。
監督やめた後の、その後の人生の話が面白すぎ!
これ、このまま、映画になるんじゃないか?

http://backnumber.dailynews.yahoo.co.jp/?m=6088478&e=local_people
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2011/8/29

『ホームランが聞こえた夏』  映画

先週の土曜日(27日)からポレポレ東中野で上映している『タケオ −ダウン症ドラマーの物語−』は本当に素晴らしい音楽ドキュメンタリーの傑作です。個人的なおすすめ作。

もう1本、韓国映画『ホームランが聞こえた夏』(カン・ウソク監督)。良作でした。ストーリーだけを聞くと、いかにも実話をもとにした感動お涙頂戴もののように思われるかもしれませんが、「お涙頂戴」の美談をそのまま画にしたような作品ではありません。むしろ、この作品の主人公は、自分が美談の主役にさせられようとしていることに冒頭からあからさまに苛立っていて、美談の裏側も巧みに盛り込んで描いています。それがこの作品にリアリティを与えているのだと思います。美談を斜に構えて見ているのですが(会話のはしばしにそれはあらわれている)、しかし、かと言って斜に構えることばかりにとらわれてしまい、ひねり過ぎた作品にもおちいらず、爽快な方向へこの作品は進んでいきます。丹念な描写の勝利だと思います。
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2011/8/26

『ツリー・オブ・ライフ』  映画

そんなに言われる程、意味が分からない映画というわけではないのでは。むしろ、宗教的な解釈をするなら、天地創造、そのままじゃんとも言えるし、ファザコンとかマザコンとかで解釈すれば、きわめて言いたいことは明快なのでは。しかし、分からないとか、言われるのは、そもそもなんでこんなどこにでもありそうな、思春期の少年のいらだちとか、ごく普通の家族の話に、唐突に、天地創造の映像が結び付いているのかが分からないということなのだろうか。特に、宗教色を感じてしまうことへの反発というのはあるのかもしれない。たしかに、それはそうかもしれないのだが、しかし、かといってこれは別に宗教の宣伝映画とか、そういうものではないと思う。というか、天地創造の部分を見ればいいのか、家族や思春期の少年の心理的葛藤を見ればいいのか、よく分からないというのでははっきり言って宗教の宣伝にもなりようがないと思うし、やはりテレンス・マリックの映画としか、言いようがないのではないか。では、テレンス・マリックの映画とはどういうものなのか、というと、考えてみれば、そもそも渾沌としているというのか、混乱しているのがテレンス・マリックの映画なのであり、テレンス・マリックの映画に面白さがあるとするならばそこにあるとしか、言いようがないのではないだろうか。
たとえば、『シン・レッド・ライン』であるが、あの作品はテレビの戦争ドキュメンタリーみたいだと言われたが、それはあながち的外れでもないと思う。たしかにまるでドキュメンタリーのように即物的に戦場を撮りたかっただけのようにも見える。しかし、テレンス・マリックが混乱しているのは同時にドラマへの志向も見えるからである。つまり、テレンス・マリックにはあたかもドキュメンタリーのように即物的に淡々と撮りたいという要素と通俗的な大ドラマをやりたいという要素が両方あり、それがぶつかりあっている。両方への志向があるから、作り手自身も結局、何がやりたいのかが分からない混沌とした映画になるわけである。だから『シン・レッド・ライン』がテレビドキュメンタリーのようだという意見も外れていないと思うし、実際、『シン・レッド・ライン』は戦争映画というより戦争映画を撮ろうとしているメイキングフィルムみたいな感触の作品だと言えるのかもしれない。
あるいは、『ニュー・ワールド』。まさに、歴史ものをやろうとしていることと、通俗メロドラマをやろうとしていることとの間に混乱がなかったか。そこが変な映画なのだが、特に、コスチュームプレイものとしての面白さはたしかにあったように思う。つまり、これも歴史ものの映画というより、歴史ものの映画を撮ろうとしているメイキングフィルムみたいな感触の作品だと言える。
だから、『ツリー・オブ・ライフ』も、天地創造の話なんて無くて、すっきりと、家族の話だけに絞って描かれた映画であったならば、テレンス・マリックの映画ではないのである。これを家族の話、マザコン部分だけに絞り込んだら、たとえばタルコフスキーの『鏡』のような作品になったのかもしれない。しかし、木々へのこだわりとか、映像のタッチとか、『ツリー・オブ・ライフ』はかなりタルコフスキーを思わせるところはあるようには思うが、しかし、やはり決定的にこれはテレンス・マリックの映画なのだと言えるのは、むしろ、天地創造の映像みたいなのが入って来て、どこにでもありそうな普通の家族の話と、天地創造の映像が結び付いてしまうという、混乱ぶり、やけに哲学的なものと通俗的なものとが結び付いてしまうというアンバランスさにあるのではないのだろうか。だから、この作品も、宗教映画というより、宗教映画を撮ろうとしているメイキングフィルムみたいな作品だと言ってもいいのではないだろうか。
このように、むしろ、やけに哲学的なものと通俗的なものとが結び付いてしまうアンバランスさに独特の味わいがある映画を撮る映画作家というのは、考えてみれば、やはり奇妙な映画作家だと思う。
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2011/8/25

脱原発へ、共産、社民、共闘か  原爆・原発問題

*ようやく共産、社民共闘実現か。この際(前原首相で大連立!?なんて話まで出て来ているようなんだから・・)、長年の溝は越えましょう。

(毎日新聞 今日の朝刊より)
ザ・特集:共産・志位委員長と社民・福島党首、反核の「老舗」対談
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20110825ddm013010028000c.html

対談する志位和夫共産党委員長(左)と福島みずほ社民党党首=東京都千代田区で、須賀川理撮影

 ◇「脱原発」どう進める

 粘り腰で「脱原発」を訴えた菅直人首相とともに2011年の夏が過ぎていく。ポスト菅を狙う民主党代表選の候補者たちはフクシマを語らない。小さくとも「原発ノー」を掲げてきた政党の思いはどうか。共産党委員長の志位和夫さん(57)と社民党党首の福島瑞穂さん(55)。2人の「脱原発」はどれくらい本気? 語り合ってもらった。【司会・鈴木琢磨】

 ◇世論は変わった。国民の声実現へ大同団結を−−志位委員長

 ◇菅さんの言葉を生かさねば。集会や署名集めしている−−福島党首

 −−東大では1学年の違いでしたね。志位さんは工学部の物性物理学、福島さんは法学部。3・11のショックは?

 志位 核燃料の崩壊熱が止められなかったら、メルトダウンが起こる。爆発が起こった時は戦慄(せんりつ)し、政府に対応を強く求めました。そもそも原発は技術的に未完成。米軍の開発からスタートしていますから、安全は二の次、三の次。「死の灰」がばらまかれたら、その被害は空間的、時間的、社会的に制限できない「異質な危険」になる。日本の政治の多数が「安全神話」にとらわれて、この大事故を防げなかった。それは一人の政治家として痛恨の思いです。

 福島 津波後、今、電源車が福島第1原発に向かっていると聞いた時は、どうか間に合ってと神に祈る思いでした。私は青春時代から反原発。東大の自主講座で、反原発学者、久米三四郎さん(故人)の話を聞いたり、運動をしたりしてきました。チェルノブイリ事故の直前に出産して、母乳が危なくなるかもしれないと、粉ミルクを買ったりもしました。だから福島県のお母さんたちの気持ちは痛いほど分かります。

   ■

 −−さて、志位さんのところは<一貫して原発に反対してきた唯一の政党>。福島さんのところは<日本の主要政党の中で唯一、脱原子力の立場を明確にしている>。まるでラーメン屋の老舗争いみたいですけど、どこが違う?

 志位 1953年、アイゼンハワー米大統領が国連演説で「アトムズ・フォー・ピース」、原子力の平和利用を呼びかけました。これに応えて55年に日米原子力協定が結ばれ、原子力基本法がつくられていく。当時、安全性が保証されていない、ときっぱり反対したのは共産党でした。以来、商業用原発の建設にノーと言い続けてきた。

 福島 しかし、共産党は核の平和利用について認めてきたんですよね。社民党は、核と人類は共存できない、いかなる国の、いかなる核にも反対、です。核の平和利用はありえない、と訴え、行動してきました。

 志位 私たちは核エネルギーの平和利用の将来にわたる可能性、その基礎研究までは否定しない。将来、2、3世紀後、新しい知見が出るかもしれない。その可能性までふさいでしまうのはいかがかとの考えなんです。

 福島 共産党は極めて安全な原発なら推進してもいいんですか?

 志位 そうじゃない。現在の科学と技術の発展段階では、「安全な原発などありえない」と言っています。いま問われているのは、原発ゼロの日本にしようということでしょ。

 福島 安全な原発はないし、核の平和利用と言って原発を肯定するのはおかしいです。

 志位 そこでは意見が違っても原発ゼロでの協力は可能だと考えています。

   ■

 −−お互いのプログラムを見れば、共産党は<5〜10年以内に原発ゼロ>、社民党は<2020年までに原発ゼロ>。ほとんど同じ。フクシマの事態は現在進行形。菅さんはともかく「脱原発」へとかじを切り、浜岡原発を止めました。評価は?

 志位 浜岡を止めたことは評価しますが、結局、依存度を減らす、なんです、民主党の方針は。記者会見で菅さんは原発がなくてもやっていける社会にしたい、と言った。変化だと思いました。でも、すぐ個人の意見だと後退したでしょ。原発輸出も続けるという。いま出ているポスト菅の顔ぶれに原発をなくす立場はだれもいない。

 福島 菅さんには国会で質問もし、官邸に何度も足を運び、電話もがんがんした。浜岡を止めろ、玄海原発の再稼働をすんなり認めるな、原子力安全・保安院を経済産業省から分離せよ、と。あなたが歴史に名を残すとしたら、脱原発と自然エネルギー促進しかない、とも。脱原発依存社会と言った菅さんの言葉を私たちは生かしていかなければなりません。

 −−そういえば、福島さんは鳩山由紀夫政権で連立与党の閣僚でした。米軍普天間飛行場移設問題で離脱しましたが、与党にいたら、脱原発の発言力はもっと増したと?

 福島 与党だからできたこともあるでしょう。しかし、野党として脱原発をリードできたと思っています。鳩山さんが辞めたら、歌舞伎の演目が変わるようにさっと次のテーマになったでしょ。あたかも普天間は鳩山さんの問題だったみたいな。菅政権はTPP(環太平洋パートナーシップ協定)と消費税。次もそうかもしれない。脱原発は菅さんとともに去りぬになりはしないか。それを一番、危惧しています。

 志位 私は、原発をなくす、この1点での国民的合意をつくることが何より大切と考えています。一致できる政党、団体、個人はみな大同団結する。国民世論はうんと変わりましたから、3・11で。国民が声を上げ、その力で政府に圧力をかける。われわれ政治家は、そうした国民の声を代弁して、原発ゼロの政治決断を政府に迫る。

 −−反核・平和でもなかなか足並みがそろわない。脱原発は二人三脚できますか?

 志位 私は両党間で協力が可能だと考えているし、それを願っています。

 福島 5月3日の憲法集会はいつもご一緒しますけどね。9月19日に東京の明治公園で「さようなら原発」の5万人集会があるんですよ。1000万人の署名集めも進めています。

 志位 大江健三郎さんや澤地久枝さんら著名人が呼びかけておられるんですよね。私も行くつもりです。私が参加した、同じ明治公園で7月2日にあった2万人集会、福島さん、メッセージを寄せましたよね。

 −−集会といえば、女性運動家、平塚らいてうが雑誌「青鞜(せいとう)」を創刊して100年記念の集会が9月にあるとか。

 福島 ええ。彼女たちが生きていたら、きっと脱原発の運動をやるでしょうね。「女たちは原発を選ばない」と。

 志位 原発ゼロの集会なら、どこにでも行きますよ。

 福島 脱原発を思うすべての人と手をつないでいきたいと思います。

 −−いよいよ菅さん退陣です。声をかけるとすれば? 

 志位 やはり自民党政治を変えてほしいという国民の願いを裏切ってきた。菅さんの責任は極めて大きいなあ。

 福島 お疲れ様。首相を辞めたら身軽になるので、脱原発議員としてばりばり一緒にやっていきましょう。もう何も遠慮するものはないでしょ。

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 毎日新聞 2011年8月25日 東京朝刊
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2011/8/16

「泊原発の営業運転前に安全策を」北大教授ら緊急声明  原爆・原発問題

(ニュース 朝日新聞より)
「泊原発の営業運転前に安全策を」 北大教授ら緊急声明

 定期検査の調整運転を5カ月以上続け、近く営業運転に移行する見通しの北海道電力泊原発3号機をめぐり、北大大学院の吉田文和教授(環境経済学)ら北海道内の大学教授など50人が15日、「無条件での営業運転開始は容認できない」とする緊急声明を出した。

 声明では、同原発が1993年の北海道南西沖地震で津波の引き潮の影響を受けたとされることや、沖合に北電が認めない海底活断層の存在が指摘されていることを挙げ、営業運転再開前に「第三者機関による調査、検証がぜひ必要だ」とした。

 また、東京電力福島第一原発事故を受けて北電がまとめた安全対策は「2〜4年をめどとした緊張感に欠けた対策」とし、「道は前倒しを要求すべきだ」と訴えた。

 北電が安全確保に関する協定の対象を道と10キロ圏の地元4町村に限っていることにも、80〜100キロ圏を視野に入れた避難計画を作成するのが必要、とした。

 北海道庁で会見した吉田教授は「従来通りの形式的な最終検査を元に営業運転への移行を認めるならば、東日本大震災から何も学んでいない、といえる」と話した。
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2011/8/10

『エッセンシャル・キリング』  映画

スコリモフスキ監督、前作(『アンナと過ごした4日間』)のように、なんとも狂おしい気持ちになることはなかったのだが、それにしても、圧倒的な画と音である。すべては具体的な画と音なのに、なぜこんな風に、無国籍というのか、どこで起こっていることなのかが曖昧であるという背景を残したまま、こうした圧倒的な画と音とを示すという離れ業が出来てしまうのだろうか。
今回の映画は、時間的には、ずっと進行形で、時間軸が入れ替わって構成されていることはないように見えたが、果たして本当にそうだったのか。ずっと現在時制の映画だったとして、それでは一体、何日間の話だったのか。
スピルバーグの『宇宙戦争』がメリエスを現在の映画技術でやろうとした作品であるなら、スコリモフスキはキートンを現在の技術でやろうとしているようにも思えるが、果たしてそれは本当か。
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2011/8/10

『復讐捜査線』  映画

これは思いかけずタイムリーな作品。メル・ギブソンが演じる一匹狼の刑事が、国家的な核の陰謀に立ち向かう。ひとりの刑事が国家的陰謀に立ち向かうなんて現実にあるんだろうかと思うが、そこはB級アクション映画の醍醐味だろう。
あと、幻想的なシーンの挿入の仕方がなかなか良かった。
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2011/8/5

『「ペトカウ効果」は低線量被曝が健康に大きな影響を与える根拠となるのか?』という記事を読んで  原爆・原発問題

*ある方に、以下のブログの記事を紹介して頂き、たいへん、参考になりました。
 なるほどと思うところと、これはちょっと違うのではないかと思うところと両方、あるのですが、自分の考えをまとめてみました。

ぷろどおむ えあらいん
「ペトカウ効果」は低線量被曝が健康に大きな影響を与える根拠となるのか?
http://preudhomme.blog108.fc2.com/blog-entry-158.html

この記事で指摘されているように、ペトカウが実験した値を考えてみたのですが、改めて考えてみると、低線量とは言っても、0.00001シーベルト/分ですから、今、福島原発事故で首都圏で問題にしている放射線計測値の千倍以上のものなんですね。実は低線量というわけではないんですね。なので、上のブログの方が言う、ペトカウ自身は低線量被曝の危険性を本当に言っていたのか、低線量被曝の恐ろしさを強調し出したのはペトカウの理論から発展して論を築いたスターングラスらではないかというのも一理あるのかもしれないなと思いました。

でも、以下に書いていきますが、疑問も沸きました。

6月末に翻訳が出たラルフ・グロイブ、アーネスト・スターングラス共著『人間と環境への低レベル放射能の脅威』を肥田舜太郎先生と一緒に翻訳した竹野内真理氏が、アブラム・ペトカウ博士は92の論文を発表したと書いていますので、その研究の全貌がまだ分かっていないので、本当にペトカウは低線量被曝の危険性について言っていなかったのか、判断がつかないところはあります。しかし、肥田先生も紹介されているペトカウの実験はたしかに低線量と言っても、福島原発事故で問題にしている放射線計測値の千倍以上のものだし、また、ペトカウはSOD(スーパーオキシド・ディスムターゼ)を加えると活性酸素の効果が観察されなくなることも研究していて、このことからペトカウは試験管内と生体内ではペトカウ効果の働きが異なることも示しているとも言えるので(SODは人体の中にありますので)、低線量被曝ならSOD酵素などの働きで防げるのではないかとペトカウ自身は考えていたのではないかという推測は出来るかもしれないですね。(ペトカウ効果は人ではたしかめられていないので慎重にという研究者の人の意見はこうした見解から言っているのかもしれません。)もしかしたら、ペトカウとスターングラスや肥田先生とでは、低線量被曝の危険性について、認識が異なるところがあるのかもしれませんね。

たがしかし、『人間と環境への低レベル放射能の脅威』では、ペトカウが研究していたSODなどの抗酸化物、ラジカル・スカベンチャーについてもかなり触れられています。むしろ、スターングラスらが言う酸化ストレスの考え方は、SODなどのラジカル・スカベンチャーがあって成り立つものだと思います。その意味で、スターングラスらはやはりペトカウの研究を発展させて論をつくっているのは間違いないと思います。

酸化ストレスというのは以下のようなことです。普段、酵素系と非酵素系の2つの防御組織によって活性酸素が正常にコントロールされているのですが、活性酸素の生産が防御組織の非活性化能力を超えると酸化ストレスが起こるというのです。つまり、放射線に被曝すると、いわゆるペトカウ効果、フリーラジカルの機能によって活性酸素が細胞の内外に作られ過ぎて(注・「作られ過ぎて」というより「作られ活性化しすぎて」と書くほうがいいのかもしれません。活性酸素の数が少なくてもかえって活性化するというのがスターングラスの考え方のようですので。)しまって、酸化ストレスが起こり、これが様々な症状を起こすということです。こうした活性酸素に対する防御システム(ラジカル・スカベンチャーと呼ばれている)に、酵素系のものと非酵素系のものとがあり、酵素系のものの代表的なものがSOD酵素ということなんですね。

一部でEM菌が放射能に効果があると言われているけど、これはどうもこのラジカル・スカベンチャーの機能として効くのではないかと考えられます(もし、本当に効果があるとしてですが)。

で、たしかに、ペトカウは、低線量の被曝ならば、SODなどの抗酸化物、ラジカル・スカベンチャーが働いてある程度は防げるのではないかともしかしたら考えていたのかもしれないけれども、問題は、SODなどが働かないとか、あまりにも活性酸素が多すぎて(注・「多すぎて」というより「活性化しすぎて」と書くほうがいいのかもしれません。活性酸素の数が少なくてもかえって活性化するというのがスターングラスの考え方のようですので。)とても防ぎ切れないとか、そういうケースもあるんじゃないかということではないでしょうか。
『人間と環境への低レベル放射能の脅威』259頁から260頁の記述を引用します。

「ペトカウは、放射線に被曝した労働者の白血球へのスーパーオキシド・ディスムターゼの影響に関する研究では、被曝労働者の酵素の活動(誘導能)は対照群より一般的に高いことを発見した。職業被曝においては、現在許容レベルの放射線により、酵素の誘導能が増大していたのである。これらの結果については、放射線が引き金となって酵素の生産が増加したと説明がつけられるだろう。この防御活動の研究は、ペトカウの研究所が閉鎖された時にあった大規模で何年かにわたる研究企画の一部だった。
 特に脅威を受けているのは、胎児と新生児である。ペトカウによれば、胎盤の重量当たりのスーパーオキシド・ディスムターゼの活動量は、正常妊娠では妊娠期間の36週にいたるまで増加している。これとは対照的に、自然流産した胎盤のスーパーオキシド・ディスムターゼの誘導能のレベルは不足していた。このことは、放射線被曝した妊婦の流産の根底にある原因の一つかもしれない。なぜなら、放射線起因の過酸素脂質は、流産のリスクの増加で知られる化学物質を誘導するからである。
 脳に関してはリン脂質が非常に多く、それについては逆線量曲線が当てはまることをペトカウは指摘してきた。」

つまり、被曝してもSODなどのラジカル・スカベンチャーが働いて防げる面はあると思うし、実験室で確認されたからと言ってそれがそのまま人体で起こるとは言えないのではないかという点は注意して考える必要がたしかにあると思います。
しかし、それでは防ぎ切れないケースがあり、それが個人差となって現われてきていて、たとえば妊婦の場合はどうかとか、あるいは同じ人の中でも人体のどこが影響を受けるかによって、人体のほかの箇所は快復してもたとえば脳に対してはどうかとか、そういうことがそれぞれ違って現われてきているということに繋がっているのかもしれないのではないでしょうか。

そして、『人間と環境への低レベル放射能の脅威』の223頁の、ペトカウがこの本の著者に当てた手紙の引用という以下の箇所が重要な提起をしていると思われます。

「トリチウムを含む水を使って、これらの細胞膜に照射を行なった時、私は線量関係を自然放射線レベルまでひき下げられることを発見した。それにより、初めて妥当な生物学的環境中の自然放射線の線量率で、具体的に放射線起因の化学反応を立証することができたのである。トリチウムをふくむ水は、現実的にも放射線の内部被曝源である。そして、セシウム137での研究とは対照的に、逆線量率効果はスーパーオキシド・ディスムターゼによって修正されるが、全面的には排除されないことを発見した。これらの研究により、細胞膜の外部被曝時と内部被曝時の反応に基本的な相違があることが明らかになった。」

ここで「セシウム137での研究」とあるのは、今、引用した文章の前に書かれているセシウム137の外部照射の研究のことです。つまり、セシウム137の外部照射はスーパーオキシド・ディスムターゼで保護されて逆線量率効果が起こるのに至らなかったが、トリチウムを含む水を使って照射を行なった時は逆線量率効果は全面的には排除されなかったということのようです。これが、つまり、外部被曝と異なる内部被曝の影響ということではないでしょうか。

なお、日本より自然放射線の値がはるかに高い地域があるが健康被害に有意差はないのではないかと言われますが、これは、たしかに自然放射線であっても活性酸素が増えるなどの影響はあるが、SODなどのラジカル・スカベンチャーも同時に働くように、その地域では何世代にもわたる進化の過程でなっていて(人だけでなくたとえば植物とかもそういう対応をするようになっていて)、それで酸化ストレスが起こらないようになっているとも考えられます。しかし、日本で原発事故が起こるというように突発的に放射線量が増えると対応できなくなるということも考えられるのではないかと思います。


(追記)
結局、ペトカウが低線量被曝の危険性をどのように考えていたのか、混乱しているところもあるのですが、基本的には、以下のように考えているのですが、どうでしょうか?

・ペトカウは活性酸素の作用はSODである程度、防げると考え、低線量被曝は防げると考えていたのかも知れない。
・しかし、ペトカウの研究から発展して、スターングラスらが考えて行き、低線量被曝を見い出し、主張した。
・ただし、ペトカウも自然放射線レベルで逆線量率効果がSODで排除されなかったという実験もしていたようだ。なので、低線量被曝に対してペトカウも疑いがあったのかもしれない。
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2011/8/3

「ノーモア・ヒロシマズ」、見つかる  映画

*1948年の広島を描いた記録映画が出て来たようです。

(ニュース)
幻の記録映画:「ノーモア・ヒロシマズ」 川崎の博物館に

映画「平和記念都市ひろしま」のワンシーン。1948年の平和祭(平和記念式典の前身)で手を合わせる人たち=川崎市の川崎市市民ミュージアムで、久保玲撮影

 原爆投下から3年後の広島を描いた記録映画が、川崎市市民ミュージアム(同市中原区)に収蔵されていることが分かった。広島市などが製作したが、原爆の報道を規制した連合国軍総司令部(GHQ)に公開を禁じられ、所在不明になったとみられる「ノーモア・ヒロシマズ」の再編集版の可能性が高い。専門家は「戦後の空白を埋める貴重な映像資料」と評価している。同ミュージアムは詳細の解明作業を始めた。

 秋元憲監督(故人)の「平和記念都市ひろしま」(内外映画社、モノクロ30分)。弁士の徳川夢声さんがナレーターを務め、広島市公文書館に脚本案だけが残るオリジナルの「ノーモア・ヒロシマズ」と同じく、広島商工会議所や広島県、広島市でつくる「広島建設委員会」の製作となっている。

 映画では、商店街のにぎわいや都市計画の模型を紹介して着実な戦後復興をアピール。1949年5月に成立した「広島平和記念都市建設法」の国会採決の場面も収録する。一方で、被爆直後の写真や背中にケロイドを負う被爆者の男性をとらえ、原爆の惨状も伝える。戦災孤児施設では、子どもたちが「どんぐりころころ」の節に合わせ「みんなで平和を守りましょ」と歌声を披露。「ノーモア・ヒロシマズ。幾千、幾万の平和への力が一つに結集されたとき、広島は真の平和都市になるのだ」とのナレーションで結ぶ。

 ただ、オリジナルは所在不明に。秋元監督も存在を明かしてこなかったが、東京都内の自宅に残していたフィルムが見つかり、04年、遺族が同ミュージアムに寄贈した。三男で東京都文京区の翼さん(67)は「関係者に迷惑をかけまいとの思いと、広島の経験を次世代に伝えたいという願いが、父にフィルムを残させたのではないか」と話している。

 同ミュージアムの江口浩研究員は「再編集版の可能性が高く、製作過程などの詳細を解明したい」としている。【平川哲也】
 ◇空白埋める資料

 広島市史の編さんに携わった松林俊一さんの話 1950年ごろまで、GHQの検閲など、広島には原爆を伝えられない特殊事情があり、復興に関する映像資料はほとんどなかった。映画はこの空白を埋める貴重な資料で、東日本大震災が起きた今、復興とは何かを考えるための教訓にもなるのではないか。

毎日新聞 2011年8月3日 15時00分(最終更新 8月3日 15時53分)
http://www.mainichi.jp/select/wadai/news/20110803k0000e040063000c.html
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2011/8/1

東大・児玉龍彦教授の衆議院での発言(再アップ)  原爆・原発問題

東大・児玉龍彦教授の衆議院での発言、前に載せたアドレスは削除されましたが、下記の守田さんのブログで新しいアドレス、内容(文字起こし)、他の情報などを見れます。

「明日に向けて」
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/4d347aaf0a4c578e2161e73179d68cca
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