2011/10/29

東京国際映画祭『大草原の独身男』『もしもぼくらが木を失ったら』『トーキョードリフター』  映画

『大草原の独身男』はちょっとクストリッツァみたいだなと思わせるところはあったけど、クストリッツァとはやっぱり格が違うという感じ。『トーキョードリフター』はいわゆるダイレクトシネマというものなのかもしれないが、もうひとつ、そういうものを見る気分でもなかったのか、いまいち乗れず(ただ技術的には頑張っているなあと感心するところはあったけれども)、今日、一番、印象的だったのは『もしもぼくらが木を失ったら』ということになるだろうか。木材業界関連の建物の放火を続け、「エコテロリスト」と称され、アメリカで話題になっているELFの活動の顛末を追うドキュメンタリーというホットな題材なので、この題材を扱ったことだけでも十分、興味深い。「エコテロリスト」と言われているが、この団体は必ず対象にする建物が無人の状態(夜間など)であることをたしかめてから、放火するので、死傷者は出ていない。なので、器物破損の犯罪者ではあるがテロリストではないのではないか・・という議論があるらしい。それにしても、ELFのメンバーの人達だけでなく、警察や被害企業の人間などにもインタビュー取材していて、それぞれの言い分を見せているのは、よくこれだけ細かく異なる立場の人達双方を取材できたなあと感心する。すでにメンバーの多くが逮捕されているからということはあるのかもしれないが、それにしても、活動や捜査の裏事情など、それぞれにとって都合が悪いこともけっこうELFの活動家たち、警察の捜査員たちの双方が証言しているところもあって、たとえば日本だったらこんな風に取材できないのではないかとちょっと思った。とにかく、インタビューされたら自らの主張や考えをきちんと言うというのはアメリカ的なのかもしれない。
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2011/10/26

東京国際映画祭『アウトサイド・サタン』  映画

『フランドル』まで熱く支持してきたブリュノ・デュモン監督作品を見て来たのだが・・。
むむ、今回のこれはちょっとどうなんでしょうか。『フランドル』が素晴らしいと僕が思ったのは、ブリュノ・デュモンという特異な映画作家による独特の世界が描かれていたからというより、そうした独特のワールドを描く映画作家が、戦争という、人間社会のどうしようもない現実と格闘している部分、独特のワールドと現実の人間社会とのぶつかり合い、葛藤の様こそが素晴らしいと思ったのであるが。
ブリュノ・デュモン監督自身が、インタビューで『フランドル』について次のように語っている。

「男たちが戦場へ行きありとあらゆる人間性を失うこの物語において私は、バルブという若い女性の身体に戦争の恐ろしさの反響板のような役割を持たせたかった。しかし同時にそれはちょっと単純で愚かな考えかもしれないとも思っていました。最終的にはバルブの狂気を完璧には体現はできませんでした。バルブ役のアドレイドが完全な狂気を演じきることができなかったからです。しかしそのおかげで物語が、バルブを理想化しすぎてしまうのを避けることができました。いつも現実が、私が理想に偏ってしまうのを救ってくれるのです。」

そう、理想化というのか、ブリュノ・デュモン監督が頭の中でイメージした特異なワールドがそのまま描かれているわけではなく、それが戦場の現実とぶつかり合い、変形した形で描き出されているということ。まさにそこの部分が素晴らしいと思ったのだ。

ところが、今回の『アウトサイド・サタン』という作品は、現実の人間社会との葛藤がないというのか、まるでブリュノ・デュモン監督が頭の中でイメージしたものがそのまま描かれているような気がしたのだ。これでは、現実の人間社会とは関係なくデュモンの頭の中をえんえん見せられているようで、だんだんこれはちょっと違うのではないかという違和感が沸いて来てしまい、『フランドル』で感じた素晴らしさを今回は感じることが出来なかったのだ。
あえて、言えば、主人公の男は何か、超人的な能力を持っているようなのだけど、見かけだけではそのようにも思えない、本当に普通にそこらにいるような男としか、思えない・・というあたりに、キャラクターを理想化したわけではなく、現実と格闘、葛藤している部分があるのかもしれないとは思ったのだが。(あと、風景も、本当にただの片田舎の風景でしかない。本当に、ごく普通の水とか、光とか。そこは、たとえば『ツリー・オブ・ライフ』とはやっぱり違うのだ。テレンス・マリックの作品の場合のように理想化されたイメージの風景や光ではなく、現実のただの田舎の風景でしかないものだということ。)そこらへんに、ブリュノ・デュモン監督ならではの独特の味わいは今回もある作品なのかもしれないとは思うものの、『フランドル』のように、熱い興奮と感動を残念ながら今回は得ることが出来なかったのだ。

ああ、でも、わがデュモンよ、これからも頑張れ!!
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2011/10/25

東京国際映画祭『プロジェクト・ニム』  映画

『マン・オン・ワイヤー』の監督の作品だし、チンパンジーの子供を人の子と同じように育てたら会話が出来るようになるか、実験している話・・なんて、今回も夢とロマンに溢れた作品なのかなー・・なんて思って見に行ったのが甘かった。
夢とロマンどころか、これは、研究に名を借りた動物虐待じゃないか!ほとんど後半は、人間って、なんて自分勝手な生き物なんだと怒り心頭に・・。
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2011/10/25

東京国際映画祭『浄化槽の貴婦人』『ヘッドショット』  映画

東京国際映画祭、六本木へ。
チケット、買ってないので、とにかく、当日でチケットがあり見れるものを見る。

『浄化槽の貴婦人』
フィリピンの新鋭監督の作品だが、映画に対するスタンスが凄くいい感じだと思う。
スラム街の現実(のようなもの)が出て来たので、スラム街のこの現実を見よ・・という映画かと思いきや、そうではなくて、スラム街の現実を描く映画を作り海外の映画祭で賞を取るぞといきまいているインディーズの若者達の話・・になっていくのだが。つまり、映画内映画のパロディ的な作品なのだが、それも、ウジウジした映画内映画ではなくて、けっこう、笑える。自分達がしていることをネタにして、きちっと笑えるものにするというのは、エライと思う。こういうものを映画祭で見れると(それも今年の映画祭の1本目)思わずニヤニヤしてしまう。

『ヘッドショット』
タイのラッタナルアーン監督、『地球で最後のふたり』よりも、さらに深化して研ぎすまされた感じになって来ている。とりあえず、フィルムノワールになっている。美女の登場のさせ方、雨の降らせ方。とにかく、こういうフィルムノワールの映像を撮りたいんだというのがビンビンに伝わってくる。逆に、こういう映像が撮りたいというのが先行していて、展開がやや強引なところはあるのかもしれないが、そもそも撮りたいものがないような映画よりは確実にいいのではないだろうか。
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2011/10/24

慢性疲労症候群シンポジウム  公害・薬害・環境・医療問題

(ニュース)
“慢性疲労症候群に理解を”
10月23日 16時46分

日常生活を送ることが困難なほど激しい疲労感が続く「慢性疲労症候群」という病気について、患者を描いた映画や専門家の講演などを通じて広く理解を深めてもらおうという催しが開かれました。

東京・目黒区で開かれた催しでは、初めに慢性疲労症候群の患者を描いた「アイ・リメンバー・ミー」というアメリカのドキュメンタリー映画が、監督のキム・スナイダーさんを招いて上映されました。慢性疲労症候群は、血液などの検査では異常が見つからないものの、日常生活が困難になるほどの激しい疲労感が続くもので、国内にはおよそ30万人の患者がいると言われています。映画では、患者が重症化して寝たきりになる深刻な実態にある一方、単なる「疲れ」と見なされて偏見に苦しむ現実が描かれています。上映後に行われたシンポジウムでは、この病気の研究をしている関西福祉科学大学の倉恒弘彦教授が「医師の間でもこの病気を知らない人もいて、精神的な問題とされるケースも多い。今後、客観的な診断方法の作成や遺伝子の解析を通じて原因の解明を目指す研究を進めたいと考えていて、国に対しては研究班の設置を求めている」と述べました。催しを開いた患者の会の篠原三恵子さんは「病気について広く知ってもらうとともに、誤解も多いので、将来的には病名も変更してほしい」と話していました。
(NHKニュース)

*シンポジウム、参加しました。原因については専門の医者、研究者の間でも議論が続いていて、まだはっきり解明されていません。映画「アイリメンバーミー」(非常によく出来ている)でも、複数の医者、研究者の見解が交錯して示されていました。
しかし、この映画を見て、このシンポジウムの先生方の話を聞くと、「精神的な問題とされるケースも多い」、つまり、たとえば、うつ病とか診断されることがあるようなのですが、そうではなく、身体的な病気としてこういう病気が存在することは間違いないように思いました。
あと、「慢性疲労症候群」という病名については、多くの患者がよくない印象を持っていて、病名を変更してほしいと思っているそうです。
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2011/10/19

『アジアの純真』  映画

片嶋一貴監督、井上淳一脚本。
とにかく、このコンビで、こういう高校生テロリストの話の映画を作ったのは、今どき、昔ながらの志を貫いてよくもまあと思うし、こういう自主映画の原点のような作品が今どき、あるのはもしかしたら凄いことなのかもしれないが、しかし、逆に、どうして、今、これをやっているのか?という疑問は見ている間、ついに離れることはなかった。若松孝二がかつてさんざんやったことを繰り返してやっても意味がないのではないか、若松孝二とは違うことをやんなきゃ、今、新作を出す意味がないのではないか?そういう疑問がどうしても頭から離れなかった。
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2011/10/17

NHK、あさイチー食卓のセシウム測定  原爆・原発問題

今日のNHK、あさイチで放送された、全国7家庭(福島県の2家庭を含む)の食卓のセシウム測定の調査内容、下記のような意外な結果だったようです。

http://www.nhk.or.jp/asaichi/2011/10/17/01.html

これはどう考えればいいのかな?
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2011/10/13

ナオミ・クライン『ウォール街を占拠せよ』  時事問題

ナオミ・クライン『ウォール街を占拠せよ』

http://beneverba.exblog.jp/15811070/

*ううむ。どうなるのか、予測がつかない。もしかしたら、世界に、すごい転換期が来つつあるのかもしれない。
 たとえば、もしアメリカが社会主義国になったりしたら・・。ある意味、最強の社会主義国になるかも。ちょっと恐い?

 でも、ナオミ・クライン氏が言う、富裕層は、人々のパニックにつけこみ、さらに金儲けをしようとする・・という話は、なるほどと思いました。

 ところが、資本主義の原理的な問題点からすると、富裕層が思うようにも行かないと思われるところが興味深い。
 資本主義の原理的な問題点というのは、要するに、資本家は自らの儲けの手取りをあげるためになるべく人件費をカットしようとして、たとえば労働者を派遣にしたりする。しかし、そうすればする程、多くの人々は低賃金で生活が苦しくなるからモノが売れなくなる。なので、結局、不景気でモノが売れなくなり、資本家の人たちが思っていたように利益があがらなくなる。結局、人件費を切り詰めようとすることが、資本家にとって自分で自分の首をしめていることになるのだ・・というものです。この原理を、資本主義は逃れることが出来ないから、富裕層の資本家たちが思うようにもいかないわけ。
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2011/10/13

『テキサスの五人の仲間』  映画

先日、NHKーBSで放送してたのを録画していたので見ました。以前から、面白いとは聞いていたが、これ、見てなかった。たしかに面白い。洒落た映画。『ハスラー』の脚本家なのか。アイデアひとつで面白い映画は作れるという、会話劇、脚本の見本のような作品です。ヘンリー・フォンダがいつものイメージとちょっと違ってコメディ的な演技をしているのも面白い。あと、ラストよりそのひとつ前のシーンが良かった。
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2011/10/8

『螢火の杜へ』  映画

『螢火の杜へ』
まさに珠玉作。
少女マンガの世界と日本的な自然の情景との奇跡のような結合。
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2011/10/2

岩井俊二監督、小出先生インタビュー映像  原爆・原発問題

岩井俊二監督が、小出裕章先生にインタビューした映像(インタビュアーは松田美由紀)、下記で公開されています。

http://iwaiff.com/201110/jp/friends/friends_after_311_movie_koide.html
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2011/10/1

喫煙による放射線内部被ばく  公害・薬害・環境・医療問題

*タバコの喫煙で放射線内部被ばくすることをこれまで知りませんでした。下記の記事を読んで、知りました。
放射線被ばくのガンリスクと、タバコのガンリスクとが比較されて言われることがありますが、その際、この喫煙による放射線内部被ばくということも考慮して考える必要があるのではないかと思いました。


「喫煙によるα線内部被ばく、タバコ会社は40年以上前から知っていた」UCLAの研究者が報告

http://news.livedoor.com/article/detail/5900048/
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2011/10/1

安斎育郎氏「自然放射線は無害か」  原爆・原発問題

「赤旗」日曜版、10月2日号に、安斎育郎先生の「自然放射線は無害か」という文章が掲載されています。
これを読んで、安斎先生が、自然放射線でもリスクはあり、被ばくはできるだけさけたほうがいいと考えられていることが分かりました。自然放射線のリスクについてどのように考えればいいのかという点で、参考になるものだと思いました。

安斎先生は、「福島原発事故による低線量被ばくと自然界にある自然放射線を比べて、「事故の影響は軽い」と印象づける議論があります。これは、事故から教訓を徹底的にくみとって、余計な被ばくをできるだけ減らす重要性を少しも感じさせない、後ろ向きの姿勢だと思います。」と書かれています。
そして、自然放射線について、「私たちは多様な自然放射線によって、年間で約2ミリシーベルト程度被ばくしています。これはある意味では困ったことで、本当は自然放射線も少ないにこしたことはありません。」

安斎先生の計算によると、国際放射線防護委員会(ICRP)の「10ミリシーベルトの被ばくで1万人に1人ががんで死亡」という評価に照らすと、1億2千万人の日本人全体で年間2千人余がガンで死ぬ危険を背負っていることになるとのことです。しかし、年間のガンによる死亡は30万人以上で、1パーセント未満なので、統計上はあらわれていないのだということです。
なお、自然放射線の年間被ばく線量の、外部被ばくと内部被ばくの内訳は、外部被ばくが0.65ミリシーベルト、内部被ばくが1.34ミリシーベルトで、合計1.99ミリシーベルトとのことです。
これらの自然放射線は世界平均では2.4ミリシーベルト程度被ばくしますが、日本では平均1.4ミリシーベルト程度で、世界平均よりも低いとのことです。また地域によっても差があり、関東や東北、北海道は低く、北陸、関西、中国、四国地方は相対的に高くなっているそうです。関東が低いのは、関東ローム層が地表を覆っていて、この層は天然の放射性物質をあまり含んでいないからだそうです。

それから、日本は自然放射線は世界平均に比べて低いのですが、医療被ばくが高い水準にあることは留意しなければいけないとも書かれています。世界の医療被ばくは年間0.4ミリシーベルトから1.0ミリシーベルトですが、CTが普及している日本本は年間2.4ミリシーベルトだそうです。
放射線検査は診断や治療に大きな便益がありますが、それでも「不必要な放射線検査はしない」「被ばく線量ができるだけ低い診断技術を用いる」「放射線診断以外の診断方法がないかを検討する」などの努力は必要だと思うと安斎先生は指摘されています。
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