2012/1/23

『幸せな時間』というドキュメンタリー映画についてどのように語ればいいのかということ  映画

『幸せな時間』というドキュメンタリー映画は小品ながら実に愛すべき作品だと思うし、29歳でこの作品をつくった横山善太監督に祝福のエールを送りたいとは思うのだけれども、さて、ではこの作品のどこがどう良いのかを語ることはなかなか容易ではない。
この小さな映画は、昨年の「座・高円寺ドキュメンタリーフェスティバル」で入選し、今年3月にはついに劇場ロードショー公開される(3月より新宿の劇場で公開。名古屋や大阪でも公開予定らしい。)ことになったと書けば、それなりのクオリティを持った作品であることは分かるかとは思うが、しかし、その内容はどういうものかと言うと、武井彩乃という若い女性カメラマンが自分のおじいちゃん、おばあちゃんを撮りましたというものなので、社会的にこういうテーマがあるというわけではないからだ。武井は本当にホームビデオとしてこの映像を撮り始めたようなのだが(とはいえ、武井は映画のプロのカメラマンをめざしている人間なので、ホームビデオといっても、具体的な撮影の練習という目的ももしかしたらあったのかもしれないが)、それではいわゆるセルフドキュメンタリーなのかというとそうではなく、武井は撮った映像をすべて第三者の横山善太監督に預けてしまい、いわば客観的な立場で横山善太監督作品としてまとめられたようなのである。
実は、横山善太監督、武井彩乃カメラマンは、このコンビですでに何本かの短篇劇映画を制作しているのであるが、ここで肝心なことは、おそらく、セルフドキュメンタリー的な題材の映画を、横山善太監督、武井彩乃カメラマンというこのコンビは、これまで撮って来た劇映画とほぼ同じような感覚で撮り上げてしまったということなのだろう。
実際、この『幸せな時間』を見だして、僕が、ああ、これは・・と思わないでいられなかったのは、これは劇映画を見ているのと同じような感覚で見れるドキュメンタリー映画なのだなあということだったのだ。たとえば、ここに出てくる武井家のおじいちゃん、おばあちゃんがどういう経歴だったのかとか、どういう仕事をしていたのかはまったく説明されない。おばあちゃんが認知症になっていく姿もとらえられているが、認知症という社会的テーマについて訴えようとしているわけでもない。つまり、ドキュメンタリーと言うと、社会的なテーマ主義で撮ったりするけれども(それこそ、僕自身がそういう作り方をしている。)、この『幸せな時間』はそうではなく、おそらく小津やロメールの映画と同じような感慨(というか、横山や武井といった今時の20代の若者達が小津の映画を見て感じた気持ち)を観客に与えるような作品に出来ないかということを考えて撮り上げた作品なのではないかと思う。考えてみると、自分の身近な家族を撮って、小津のような映画に仕上げてしまうというのはけっこう、不遜なことなのかもしれないが、とりあえず、劇映画とドキュメンタリーとを交互に撮っていくということが、横山、武井というこの20代の若き映像制作者たちにとってはかなりいい形で機能しているようであるということにこそ、祝福のエールを送っておくべきなのかもしれない。

映画『幸せな時間』ホームページ
http://peliculazenta.jimdo.com
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