2015/4/30

『ジミーとジョルジュ』  映画

戦争(沖縄戦)に行ったインディアンの兵士の後遺症の話と聞いて見に行ったので、もっと戦争の話が出てくるかと思っていたのだが、そこに焦点は当てられず、女性関係のトラウマから快復する男の話だった。意外だったが、デプレシャンの映画であるのだから当然なのかも。
端的に言えば、男が治療を受けて女性関係のトラウマから快復して娘に会いに行けるようになるまでの話。よくこんな話を映画にするなというのか、これは映画のストーリーなのか?という感じだけど、実際に見ると、紛れもなく映画として成立している。
とにかく、これまで見たことがないようなタイプの物語の映画だなと思う。デプレシャンは、やはり、映画として、見たことがないようなタイプのストーリーの映画を撮ってしまう。
デプレシャンの映画に共通する主題は「脳」ということ。
デプレシャンの映画はトリュフォーの映画を思わせるところがあるが、トリュフォーの映画(ヌーヴェルヴァーグの映画)が「身体の映画」ならデプレシャンの映画は「脳の映画」。
ラース・フォン・トリアーの映画も「脳の映画」なのだけど、トリアーは手持ちのぶれた撮影など身体性の面も大きい。デプレシャンも手持ち撮影などは行なっていて、世代的に共通する何かはあるように思うんだけど、デプレシャンの方が「脳の映画」として成熟している気がする。
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2015/4/25

『やさしい女』  映画

「聖なる映画」として、ドライヤーの映画と並んで語られるブレッソンの映画だけど、しかし、これって、いわゆる夫婦間のモラハラっていうやつなんだよな。なぜ若くて美人の奥さんをもらって幸せなはずなのに男は疑心暗鬼になってしまうのか?
つまり、ドライヤーの映画は、登場人物もある種の聖性を感じる(こないだ見た『ミカエル』にしても)んだけど、ブレッソンのこれって、ネチネチと嫉妬深くなってしまう、まあ、どこにでもいそうな男の話で、ドライヤーのように聖性は感じないんだけど、だがしかし、そんな話を、こんな徹底したスタイルで、こんな風に撮ってしまうというのがやっぱり普通ではなく、相当、ヘンな映画であるわけで、そこが逆に他の人間に真似することが出来ない、ブレッソンの凄さというのか、ブレッソンの変人さだと言えるのだろうか。
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