2005/8/24

堀江氏の「国家観」発言に触れて  時事問題

堀江氏というのは本当に率直というのか、普通だったらそんなことを言ったら世間で反発を買うと思って躊躇して言わないようなことを平気で発言してしまう人のようで、国家観について「国という単位を特別視していない。市町村とたいして変わらない。国にこだわるのではなく、もっとグローバルな視点でものを見なければいけない」なんて発言をしたりして産経新聞に報じられているようなのだが、日本的な美徳から言えばこうした堀江氏の発言が非難されるのは当然なのかもしれないけど、しかし出る杭は打たれるといった感じで堀江氏を非難したとしても、そもそもそうした非難をするのに値するほど、自分自身だって「国家観」を持っているのだろうか?という疑問に他の人々は脅えたりはしないのだろうか?と思う。
まあ、もしかすると単に僕個人が明解な「国家観」なるものを自分が持ち得ていないというだけのことなのかもしれないので、僕の個人的な問題なのかもしれないけど、昨日もちらっと書いたように、「お前は愛国心があるのか?」と正面きってもし聞かれたとしたら「うーん・・。実は自分でもよく分からないんです。ごめんなさい・・」とでも答えるしかなく、これでは到底、堀江氏を非難することなど自分には出来ないと自覚するしかない。
しかし、実際、「愛国心」というのは一体、なんなのだろう? 
そりゃ、僕だってたとえばオリンピックで日本選手が活躍しているを見て嬉しいと思うことはあるけれども、それは自分が属する共同体の人間がスポーツに励んでいる姿に感銘を受けるわけで、そういうのを「愛国心」と言ってしまっていいのだろうか?
あるいは仮に戦争になって自分のところに赤紙が来たならば、家族や、その他の自分が属する共同体の知り合いの人達のことを思って戦場に行くかもしれない。僕は自分から志願して兵士になって戦場へ自分が行くかどうかは、とてもそれだけの勇気が自分にあるとは思えないし決断できないように思うのだけど、戦争が拡大して志願兵だけでは足りなくなり徴兵制になって赤紙が来たならば意を決して行くと思う。その場合、自分は愛国心から行動していると言えるのだろうか?
つまり、「愛国心」というのがよく分からないのは、「国」というのは具体的に誰のことをイメージしているのかが分からないからなのではないだろうか? 具体的に家族や知り合いのあの人のため、ということならばイメージできる。具体的にオリンピックで活躍している選手の誰々とか、家族や知人や恋人や、そういう自分が属する共同体(日本という国)の中の誰々のことを・・ということならばたしかにイメージできるのだけど、「国」と言われた時に漠然としてしまうのは、具体的な人物がイメージできないからなのだ。
たとえば現時点で日本を代表する人物というのは総理大臣である小泉首相ということになるかと思うのだけど、では小泉氏のことを思って戦場に自分が行くだろうか? それはやはりイメージできない。家族のことを思って戦場に行くのならばイメージできるのだけど。
そうすると、よくも悪くも、戦前に、「天皇陛下のため」という具体的な人物のイメージをつくったのは、国民が行動する上で必要なものだったのではないだろうか? 
念のために言っておくけど、別に天皇制批判をしたいわけではない。僕は天皇制を無くそうとか、靖国神社を無くそうと考える者ではない。靖国神社と別に新しい国立追悼施設をつくるのには反対である。ただしもし可能ならばA級戦犯を分祀するなりして、靖国神社自体が性格を変えていけないかとは思っているのだけど。
ただ具体的な人物のイメージがないと「国」というのは漠然とし過ぎていてイメージできないという自分の実感に即して、天皇陛下という具体的な人物のイメージは必要なものだったのかもしれないと思うのである。

*参考
(8月23日、産経)
広島6区 ホリエモン節全開「俺メディアの時代だ」
「参議院は必要ない」

 広島6区に出馬予定のライブドア社長、堀江貴文氏(32)は二十二日、インタビューに応じ、「国家観」について、「国という単位を特別視していない。市町村とたいして変わらない。国にこだわるのではなく、もっとグローバルな視点でものを見なければいけない」と述べた。小泉純一郎首相について、「靖国神社の参拝になぜ、こだわるのかわからない」と語った。

 堀江氏は、選挙戦について、「日本町会議員に立候補するようなつもりでやっている。自分の国を知らなければ、世界もわからないという考えは間違い。自分の田舎のことを知らなくても、東京で成功する人はいる。だから自国を知らなくても世界には通用する。僕の国家観は世界は一つということ」と語った。

 一方、小泉首相の改革路線で、貧富の二極化が進む可能性を懸念する声については「人の幸せは年収だけで測れるもんじゃない。能力のある人、稼ぎたい人にとってチャンスを与える社会になればいいが、これ以上、金持ちから税金をとれば、みんな国外に逃げちゃいますよ」。低所得者層の保護は「最低賃金は保障されてるし、今の法律で十分」と話した。

 小泉首相の改革路線は全面支持するが、「靖国参拝になぜあれほどこだわっているのかわからない。自分には(靖国への)思い入れはないし、よくわからない。悲しむ人がいるなら参拝する必要はない」。当選した場合の政策は「国会議員が多すぎる。会議で五百人も出席する会社はない。衆議院は三分の一以下、参議院は必要ない」。

 インターネットを使った選挙戦ができない公職選挙法についても「これからはマスコミにバイアスをかけられない『俺(おれ)メディア』の時代。若い人のためにも改正したい」と述べた。

 ■堀江氏…「横顔取材」で持論/亀井氏…精力的に集会回り

 白色のTシャツに黒ズボン姿で、堀江は二十二日午前九時すぎ、滞在先である広島県尾道市内のホテル一階のVIP専用の会議室に現れた。堀江はこの日、立候補予定者に公約や趣味などを聞く「横顔取材」に応じた。取材は通常、市役所の記者クラブなどで行われるが、出馬が急であったことや「市役所で開くと殺到し、市民に迷惑がかかる」(堀江)などの理由で異例の対応となった。

 堀江は時折、笑みを浮かべながら、「簡保の宿をつくっている場合じゃないでしょう」「年金制度はネズミ講と同じ」「旧来の利益誘導型の政治家は害悪だ」などと独自の主張を展開。手ぶりを交えて約四十五分間、みっちりと話し続けた。

 堀江はこの日も朝から夕方にかけてテレビ番組に出演し、自民党元政調会長の亀井静香(68)と“対決”。昼食に「尾道ラーメン」の有名店を訪ねるなど、市内を視察した以外は、ホテルで新聞社やテレビ局各社の取材に応じた。

 一方、亀井はこの日も、島根県や鳥取県と接する県北部の企業や公民館などで開かれた集会に精を出す「ドブ板選挙」を展開した。

 会場の一つ、庄原市高野町(旧比婆郡高野町)では、廃校になった小学校の校舎を再利用したという公民館で、集まった地元の建設業者やお年寄りに演説。「自民党で日本再生はできない」「高野は漬物がうまい」など、おなじみの亀井節を披露。会場を沸かせた。

 参加した庄原市議(62)は「ホリエモンでは話にならん。地域の実情が分かるのか」と話した。(敬称略)
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2005/9/10  2:31

 


産経抄 平成17(2005)年8月22日[月]
本紙文化面の「断」で評論家の宮崎哲弥氏は堀江氏について、国家権力を最小化し、「社会の粗方(あらかた)の機能を自由市場のメカニズムに委ねようという思想」の持ち主であり、その出馬が持つ「政治的、思想的意味は限りなく大きい... 



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