2006/2/3

『ラクダと針の穴』(その2)  映画

昨日、見たフランス映画『ラクダと針の穴』で興味をひくのは、ヒロインの兄のような、家(親)が金持ちなので働かなくてよく、人生を無為に過している人間が出てきたりしたところだろう。
そういうブルジョアだからといって人間的に悪いことをしているわけでもない。ブルジョアなので逆にいつまでも結婚もしなくて、ただ無為に過している。
貧しくてハングリーという人間や、退廃したブルジョアの人間とか、あるいは貧しい人間とブルジョアの人間の葛藤のドラマとか、そういう人間ドラマは多くの映画が描いてきたけれども、ブルジョアで、かといって特別、悪人というわけでもなくてただ無為に生きている人間というのは意外と描かれてこなかったのかもしれない。日本で言うと働かないニートでただぶらぶらしているみたいな。そういう人間の話はあまり誰も見たくないからだろう。金持ちの人間が働かなくてぶらぶらしている姿よりも貧しい人間が働いていつか世間を見返してやると頑張っている姿のほうが見る人は共感するのではないだろうか。
でも実はぶらぶらと無為に生きている人間にもドラマがあるはずなのだ。

『ラクダと針の穴』はそういうのを変に自虐的になったりもせずに客観性を保って描いていると思う。
これはたしかにアルノー・デプレシャン以降のフランス映画として注目できるものだろう。
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