2006/2/3

斉藤久志の『三年身籠る』評  映画

『映画芸術』誌最新号に斉藤久志監督が『三年身籠る』について書いているのだけど、『三年身籠る』は映画だけでなく小説版もあるのだが、小説版のほうに大島弓子の『バナナブレッドのプディング』で主人公が見る夢のエピソード(生まれるのが恐いと言っている胎児に、生まれてみてご覧なさい、素晴らしいことが待っているからといったことを言うというエピソード)を思わせるエピソードがあるそうなのだけれども、たしかに『三年身籠る』はちょっと大島弓子的な作品だと思う。作品の雰囲気が大島弓子的ということではなく、やろうとしていることが大島弓子的。雰囲気が大島弓子風というものはこれまでもあった気がするけれども、雰囲気ではなくやろうとしていること自体が大島弓子的というのはけっこうありそうでなかったものかもしれない。
ただ映画では小説版とは変更してあるようで、どのように変わっているかも斉藤久志が書いているのだけれども、小説と映画との違いを考えさせるもので興味深い。(僕は小説のほうは読んでいなくて映画しか見ていないのだけれども。)
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