2006/6/29

『出草之歌』  映画

シネマアートン下北沢で『出草之歌(しゅっそうのうた)  台湾原住民の吶喊 背山一戦(ぺいさんいつぁん)』、見てきたぞぉ〜。やっぱり僕も(自称)左翼の端くれ。これは左翼魂(なんだ、それ)が燃えたぎらないわけにはいかない。
内容が内容のため、左寄りの人には絶大のおすすめをしておくが、右寄りの人にはおすすめしていいのかどうかは分からない。とりあえず右寄りの人にも見てほしいとは思うのだけれども、もしかしたら(右寄りの人が見たら)ものすごく不快な思いをして怒りを覚える作品かもしれないので、そうかもしれないと思いながらおすすめするものではないだろうとも思う。
その内容というのは、靖国神社に合祀されている先祖の霊を分祀して我々のもとへかえしてほしいと訴えている台湾の原住民の人達の活動を追いかけたものである。
と書くと、朝日新聞とかの主張にそのまま一致しているもののように思われるかもしれないが、念のために、この台湾原住民の人達はかつての日本の支配も批判しているが、同時に戦後の漢民族による支配にも批判的なのであり、彼らが望んでいることは原住民の自治区をつくることであって、中国に支配されることでもないのだということは付け加えておこう。(ちなみに僕は以前にも書いた通り、左寄りの人間でありながら台湾の独立に関しては支持する者です。)
それはさておき、この映画作品(DV作品)を見てガーンとなったのは、彼らが自分達の民族の主張をする運動の上でベースになっているのは民族に伝わる「歌」なのだということ。この作品はそこに焦点を当てて、彼らの歌をたっぷりと聞かせる。そして、子供達にそうした歌を伝えている姿も描かれる。彼らは子供の時分から少数民族の自分達の誇りを主張する「歌」に接して体感して覚えて引き継いでいっているのだ。まさに「抵抗の文化」として歌があるのであり、それがあまりにも感動的だ。
もうひとつ、台湾の原住民の人達が「我々は狩猟文化を持っていますが、狩猟をする場合、雌や小さな子供は決して獲りません。獲物が正しく繁殖しているかを見極めて狩りをします。また獲った獲物は自分だけで独占せず、部落全体のものとして皆で分け合います。」と語る話も興味深い。もともと原住民というのは自然とともに生きているもので、食糧として他の動植物を食べているはずだから、そのための狩りはしたわけだけれども、でもたとえば毛皮などのために狩りしたりはしないということだろう。自然のサイクルの中で自分達が食するための狩り(そこでは自然のサイクルを壊さないことも意識されている)と自分達の私欲のための狩りとは違うのだ。毛皮などのために他の動植物を犠牲にするのはまさに資本主義的なあり方なのであり、資本主義を絶対視する観点からはそうした私欲のために他の動植物を狩りしている人間の奢りは見えて来ないのではないだろうか?
7月7日までシネマアトーン下北沢でレイトショー上映。
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