2006/8/31

ノーモア水俣病:50年の証言(11)(12)(13)  公害・薬害・環境・医療問題

(毎日新聞連載)
ノーモア水俣病:50年の証言/11 74年を問う集い/上 /熊本
 ◇「孤立の苦悩」切々と−−胎児性の問題、今も
 水俣病互助会などが先月30日、水俣市で「水俣病事件74年を問う集い」を開いた。公式確認から50年の慰霊式に対し、チッソがアセトアルデヒドの製造を始め、触媒として使われた水銀が流出し始めた1932年を「苦しみの原点」として検証した。胎児性患者や患者家族らは今も続く心の痛みを、涙ながらに告白した。貴重な証言を紹介する。【水俣病問題取材班】
 ◆公式確認患者となった田中静子さん(当時5歳、故人)と実子さん(52)=当時2歳=の姉(62)
 うちの家は窓を開けたらすぐ下が海。カキを取って食べたり。普通の生活していた。楽しく……。静子が昭和31(56)年4月に朝起きたら歩くことが出来ず。市立病院に連れていったら小児マヒだろうと、せき髄から水を取った。こわがりだった静子は、それからずっと2年8カ月泣き続けました。何も分からず。
 病院に泊まることになったが、6人部屋だったから「迷惑がかかる」と看護婦(師)さんに言われた。父母がいたが、屋上にからって(背負って)きた母が「ここから飛び降りて親子3人で死のう」と言って……。父が「あとの子どもはどげんすっとか」と言って止めた。
 それからチッソ付属病院に転院したが本人はずっと泣いて、物も言えず、食べることもできず。それから1週間したら下の実子も歩き方が変になって、新しい靴をはかせたらどうだろうと買ってきたけどだめで。私は12歳でしたが実子をからって「かあちゃん実子もこげんなったばい」と言ったら、父も母も泣き崩れました。
 今度は「伝染病」と(見られるように)なったもんですから(注)、それから私たちは……。本当に口では言い表せません。兄弟で捨て猫のように毎日を暮らしました。消毒に家に来るし、どこにも出られなかった。私がご飯を炊くのですが、幼いので要領が悪く、学校に遅刻すると、運動場の真ん中に立たせられた。先生は嫌いでした。
 静子が亡くなり家に帰ってくるというのに親せきも隣のじいちゃん、ばあちゃんの所に集まっており、私は外の井戸の暗いところで仏さんにあげるごはんを、恐ろしい気持ちで炊いて待ってました。「伝染病」となれば口を聞いてくれる人はいません。私たちのような経験をした人は2人といません。
 実子はうれしい時は笑って、人が来ても喜んでいたが、今は寝たきりで何も分かりません。風呂に入れるのもお父さん(夫)がいないとできない。ご飯も座っては食べられない。体重は20キロちょっと。夜もほとんど寝ない。私も布団には1週間に一度しか寝ません、あとは一緒に。私もめまいがして、薬を続けています。今普通の病院はたくさんあるが、水俣病のことを科学的に話してくれる先生、身近に話せる医療がほしい。
 ◆胎児性患者、坂本しのぶさん(50)
 水俣病50年は私と同じ年です。私は水俣病は終わってないと思っております。将来のことが不安になります。今はいいけど、お母さんがおるからいいけど、自分たちで暮らしていける場を作りたいと思っています。「水俣病は終わった」というけど絶対に終わっておりません。今も認定申請している人がいる。私は胎児性の問題が何も終わっていないと思います。
 (注) 公式確認直後、原因不明だった時期の水俣病は「伝染病」と恐れられた時代があった。その後、チッソ水俣工場から排出された有機水銀による慢性中毒症だと判明した。
毎日新聞 2006年5月9日

ノーモア水俣病:50年の証言/12 74年を問う集い/下 /熊本
 ◇行政への不信募る−−家族の将来、高まる不安
 先週に続き水俣病互助会などが開催した「水俣病事件74年を問う集い」での発言を紹介する。
 ◆坂本しのぶさんの母・フジエさん(81)
 長女の真由美が生まれたのは結婚して8年目。近所も喜んでくれた。ところが、歩き方がおかしく、食事の時に震えがきて丸々1年、流動食で暮らし死亡しました。自分の子どもが歩けなくなり、しゃべれず、食べられなくなる、その姿を見ている母の気持ちは、どんなに大きな声で話しても分かってもらえないと思います。
 真由美が死んでも、しのぶは魚を食べていないので、まさかと思っておりました。しかし、回りの子は首が据わってきているのに、(生後)3カ月でも体がグラグラしていた。考えてみれば(体が)弱い子供がみんな奇病の患者の家庭に生まれていたから、私たちもおかしいと思っていた。しのぶを歩かせるために、一生懸命けいこをしました。今は前より自分のことをできるようになった。「なんでも自分でせんば、私がおらん時はどがんすっとね」と今でも言っています。
 ◆胎児性患者の娘を持つ水俣病互助会の諌山茂会長(75)
 関西最高裁判決をみて腹が立ってたまりませんでした。私たちは(漁民として)排水を止めろと何回も言っていた。それを止めず会社は利益のために……。胎児性患者の家族は、親が年をとってこれからどうするかが一番心配。私たちが心配するのを本人たちも分かるのではないかと思う。娘は家内には「かあちゃんが逝くときは、連れて行って」と言う時もあるそうです。それを親として聞いた時になんと言ったらいいか……。
 ◆水俣病問題研究の宮沢信雄さん
 関西訴訟最高裁判決で日本には曲がりなりにも司法が生きていたと思いました。しかし、行政は完全に存在意義がない。この国は法治国家ではありません。
 最高裁判決は被害を拡大させたのは国、県の責任と断じました。その責めを負うものとして、国は被害者を一人残らず見つけ出さなければならなかった。環境省は「最高裁は認定基準を変えろとは言っていない」と言いますが間違い。大阪高裁に立ち返って判決文をよく読むと、(昭和)52年の判断条件は1600〜1800万円の補償にふさわしいと思われる人で、全メチル水銀中毒患者の一部と言っている。
 国は水俣病を防ぐために法律を使わなかった。公害健康被害補償法はあるが、認定基準があるために患者が門前払いを食っている。そして最高裁判決。それでも国は認定基準は変えないと言って、法律を踏みにじっています。
 ◆岡山大・津田敏秀教授
 環境省は(水俣病に関する環境相の私的)懇談会で「判断条件において認定している患者は、水俣病である蓋(がい)然性が50%以上の人たち」といっているがうそ。99%以上の人たちも認定していないということを関西訴訟で実証したのです。彼らは一度も蓋然性の計算をしていないし、水俣病の第1号、第2号患者と一緒に住んでおられた姉が患者と認定されていません。同じ家族で原因食品を食べ、下痢をして食中毒患者とみなされなかったら、みなさんどうしますか。
 患者かどうかの判断は、まず、食中毒患者を数える手法を採用する。原因食品を食べ症状があるか食品衛生法で定められた調査を申請者以外も行わなければなりません。【水俣病問題取材班】
毎日新聞 2006年5月16日

ノーモア水俣病:50年の証言/13 八幡プール /熊本
 ◇10年間、ひそかに廃水流す−−被害さらに拡大
 「今、私たちが立っている場所にチッソは10年間、原因物質の水銀を含む廃水を流し続けた。しかし、一帯(の埋め立て地)に、どれくらい水銀が含まれているか調べられていないんです」
 水俣病公式確認から50年の5月1日。水俣病事件研究で知られる宮沢信雄さんは、水俣病互助会の「事件史跡巡り」の参加者を前に拡声器のマイクを握り、そう切り出した。
 水俣川河口わきの約50ヘクタールの広大な産業廃棄物埋め立て地が広がる。元々は海だったが、現在では不知火海を見下ろす高台に。今は清掃工場などが建ち、空きビンを砕く音が響く。
 この地は、かつて「八幡プール」と呼ばれた。最も根深い行政の怠慢による罪が眠る場所だ。
 水俣湾沿岸で、水俣病患者が発生し、問題化しつつあった58年。チッソはひそかに、工場廃水の排水口を水俣湾に注ぐ「百間排水口」から八幡プールに移した。廃水はその後10年間、八幡プールを経て水俣川に流され、水流に乗って、水俣病被害は不知火海一円に拡大した。
 「10年間、ここから不知火海に向けて排水が流された。何万人という被害者が出るのは当たり前。そのことを肝に銘じて水俣病被害のありようを見ないといけない」
 宮沢さんは声を大きくして、対策を怠った行政の怠慢を批判した。
 宮沢さんによると、水俣病被害者が水俣湾沿岸以外にも広がりをみせ始めた59年9月、漁民などが「八幡」への排水を止めるよう国に陳情。旧通産省は排出先を水俣湾に戻すようチッソに指導した。
 しかし、廃水を水俣湾に戻せば汚染はひどくなる。チッソは「排水を工場に戻してアセチレン発生に使う水に再利用する」と説明した。しかし「それはうそだった」と宮沢さんは説明する。
 実際には、水銀を使ったアセトアルデヒドの製造工程がなくなる68年まで、チッソはやや場所を変えつつ廃水を八幡に流し続けた。浸透しやすい土壌だったこともあり、廃水はどんどん不知火海へしみ出した。後半は隠しパイプを埋めて、直接、海に排水したという。
 当時の旧通産省担当者は、チッソが排水口を八幡に移したことをいち早く知りながら黙認した。59年11月、チッソは「廃水を浄化する」として、「サイクレーター」と呼ばれる浄化施設を導入。その後、水俣湾への廃水では水銀値が下がった。だが「それは、サイクレーターできれいになったからではなく、八幡に廃水を流したから」(宮沢さん)。八幡の排水の水銀値は調べられることもなかった。
 八幡プールは、71年の廃棄物処理法施行前に造られ今の産廃最終処分場のように汚水の浸み出しを防ぐシートが敷かれているわけではない。最近、一部で白い物質が漏れ出していることが問題となり、県が調査した。チッソは不知火海沿岸部の一部に井戸を掘り、水銀値を定期検査しているが、全体的な調査は行われていない。流出地点の重金属類は基準値以下だったが、市民は今も、この土地に対する警戒を解けないでいる。【水俣病問題取材班】
毎日新聞 2006年5月23日
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