2016/2/24

日本国憲法の憲法9条は世界の憲法の中で決して孤立した条項ではなかった!  時事問題

日本国憲法の憲法9条は世界の憲法の中で決して孤立した条項ではなかった!
いまさらだが、衆議院憲法調査会事務局、安全保障及び国際協力等に関する調査小委員会(平成 15 年 7 月 3 日の参考資料)の、
「日米安保条約
「憲法第 9 条(戦争放棄・戦力不保持・交戦権否認)について〜自衛隊の海外派遣をめぐる憲法的諸問題」
に関する基礎的資料」

をじっくり読んだら、そういうことが明記されていた。(←ただし、そう明記していると読むかどうかは読み方にもよるかも。私はそう読んだ。)
とても、興味深い。
以下、引用します。

(引用)
  歴史上いつの時代にも武力紛争が存在し、20 世紀における二度の世界大戦を経た後もなお絶えない現実がある一方で、これまで、国際社会や諸外国において、戦争の廃絶と平和の確保に向けた努力が積み重ねられてきた。このような努力が法文化された古い例として、1791 年フランス憲法の「フラン
ス国民は、征服を行う目的でいかなる戦争を企図することも放棄し、また、
その武力をいかなる国民の自由に対しても使用しない」との規定を挙げるこ
とができる。その後、このような「征服のための戦争」又は「国家の政策の
手段としての戦争」の放棄を定める規定は、フランス第 4 共和国憲法(1946
年)、イタリア共和国憲法(1948 年)、ドイツ連邦共和国基本法(1949 年)、大韓民国憲法(1972 年)等の諸外国の憲法や、ハーグ平和会議(1899 年・1907 年)、国際連盟規約(1919 年)、不戦条約(1928 年)、国際連合憲章(1945年)等の国際条約に盛り込まれるようになった。
 これらの諸外国の憲法や国際条約と日本国憲法とを比較して、学説の多数説からは、前者は、侵略戦争の制限又は放棄に関わるものにとどまっていのに対し、後者は、戦争違法化の国際的潮流に沿ったものであると同時に、
@侵略戦争を含めた一切の戦争、武力の行使及び武力による威嚇を放棄した
こと、Aこれを徹底するために戦力の不保持を宣言したこと、B国の交戦権
を否認したことの 3 点において徹底した戦争否定の態度を打ち出し、際立っ
た特徴を有していると評価されている。他方、現在、150 近くの国家の憲法
において、下表のような形で類型化されるいわゆる「平和主義」条項が設け
られており、日本の安全保障や国際貢献の方策を考える際に日本国憲法の特
異性を持ち出すことは適当でないとの見解も存在する。
  <世界の現行憲法における「平和主義」条項の類型>
類    型 国数 主な国(カッコ内は根拠条文)
平和政策の推進 48 インド(51)、パキスタン(40)、ウガンダ(前文)、
アルバニア(前文)等
国際協和 75 レバノン(前文)、バングラデシュ(25)、ラオス(12)、
ベトナム(14)、フィンランド(1)等
内政不干渉 22 ドミニカ(3)、ポルトガル(7)、中国(前文)、ウズ
ベキスタン(17)、スーダン(7)等
非同盟政策 10 アンゴラ(16)、ナミビア(96)、モザンビーク(62)、
ネパール(26)、ウガンダ(28)等
中立政策 6 オーストリア(9a)、マルタ(1)、カンボジア(53)、モ
ルドバ(11)、カザフスタン(8)、スイス(173・185)
軍縮の志向 4 バングラデシュ(25)、アフガニスタン(137)、モザ
ンビーク(65)、カーボベルデ(10)
国際組織への参加又は国家権力の一部委譲 18 ノルウェー(93)、デンマーク(20)、ポーランド(90)、スウェーデン(10-5)、アルバニア(2)等
国際紛争の平和的解決 29 カタール(5)、ガイアナ(37)、ウズベキスタン(17)、キルギス(9)、中央アフリカ(前文)等
侵略戦争の否認 13 ドイツ(26)、フランス(前文)、バーレーン(36)、
キューバ(12)、韓国(5)等
テロ行為の排除 2 チリ(9)、ブラジル(4)
国際紛争を解決する手段としての戦争放棄 5 日本(9)、イタリア(11)、ハンガリー(6)、アゼルバイジャン(9)、エクアドル(4)
国家政策を遂行する手段としての戦争放棄 1 フィリピン(2-2)
外国軍隊の通過禁止・外国軍事基地の非設置 13
ベルギー(185)、マルタ(1)、アンゴラ(15)、フィリピン
(18-25)、アフガニスタン(3)、モンゴル(4)、カーボベル
デ(10)、リトアニア(137)、カンボジア(53)、モルドバ
(11)、ウクライナ(17)、ブルンジ(166)、アルバニア(12)
核兵器の禁止・排除 11
パラオ(U3)、フィリピン(2-8)、ニカラグア(5)、アフガニスタン(137)、モザンビーク(65)、コロンビア(81)、パラグアイ(8)、リトアニア(137)、カンボジア(54)、ベラルーシ(18)、ベネズエラ(前文)
軍隊の非設置 2 コスタリカ(12)、パナマ(305)
軍隊の行動に対する規制 30 アメリカ(修正 3)、メキシコ(16・129)、ボリビア(209・210)、パプアニューギニア(189)、ザンビア(100)等
戦争の煽動・準備の禁止 12 ドイツ(26)、ルーマニア(30)、スロベニア(63)、トルクメニスタン(28)、ベネズエラ(57)等

(引用、ここまで。)

以下が私の感じたこと。
日本国憲法の憲法9条とまったく同じ条文ではなくても、世界の多くの憲法で、「侵略戦争の制限又は放棄」などの平和主義の条項はもうけられているのだ。日本国憲法第9条は、こうした世界の憲法の流れの中でうまれた条項なのであり、決して世界の憲法の中で特異な条項ではないのではないか?
ここに書かれているように、
「日本の安全保障や国際貢献の方策を考える際に日本国憲法の特異性を持ち出すことは適当でないとの見解も存在する。」
のである。

http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_kenpou.nsf/html/kenpou/chosa/shukenshi033.pdf/$File/shukenshi033.pdf#search='%E6%86%B2%E6%B3%95+%E4%BE%B5%E7%95%A5%E6%88%A6%E4%BA%89%E5%90%A6%E5%AE%9A+%E4%B8%96%E7%95%8C
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2016/2/8

『ビハインド・ザ・コーヴ』  映画

『ビハインド・ザ・コーヴ』、見てきました。
感想としては、全体にあまりに情報がとっちらかっているので、もっと整理したほうがいいのではないかとは思いましたが、でも太地町の人々と、シーシェパードやイルカプロジェクトなどの人たちと、双方の人たちに取材しているので、とっちらかっていても客観的に考えてみることが出来るようになっているとも言えるかもしれません。
割と客観的で公平な立場の人というのか、間にオスロ大学のラーズ・ワロー教授のインタビューが入っているのは良いと思いました。個人的には、この先生の話が一番、納得できるように思いましたので。

私は以前に、自分は日本の調査捕鯨に批判的と書いたけど、私は調査捕鯨というやり方はどうなのかとか、日本がこれだけ国際的な批判をされているのに南極あたりまで行って捕鯨をするのはどうなのかということをこれまで言ってきたので、むしろ、日本は調査捕鯨や南極まで捕鯨に行くのをやめて、日本近海に限って商業捕鯨を行うほうがいいのではないかという考えです。
この映画では、商業捕鯨が出来なくなったので、禁止されない小型のイルカ漁に頼っているという話も出ていましたが、それならいっそう商業捕鯨を再開したほうが相対的にイルカ漁に頼らなくなりイルカ漁をしなくてよくなるということもあるのではないかと思いました。
何より大事なことは、世界には多様な文化や価値観があるのですから、それをいかに平和的、文化的に解決していくか、暴力や軍事による衝突ではない形で解決していくかということだと思います。映画の後半でベトナム戦争の話が出てきたのは、そうしたことを八木監督が訴えたかったのかと思いました。八木監督の意図は、こうした文化的な価値観の違いの衝突を、戦争ではなく、話し合いで文化的に解決していけないかということだと思いました。これは共感できるものだと思いました。
八木監督、このような作品の製作、本当にお疲れ様でした。

以上のように考えていくと、『ザ・コーヴ』にしろ『ビハインド・ザ・コーヴ』にしろ、とにかく映画表現という形で、文化的に訴えようとしているものにほかなりません。少なくとも、映画は暴力ではありません。たとえ内容に批判があったとしても、反論すればいいし、反論する権利は見る人に与えられています。しかし、まず上映されることは守らなければなりません。
なので、『ザ・コーヴ』の映画館上映を求めることと、『ビハインド・ザ・コーヴ』へのサイバー攻撃を非難することはどちらも表現の自由を守るためのものとして、矛盾なく両立することだと改めて私は思いました。
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2016/2/6

映画『ビハインド・ザ・コーヴ』に対するサイバー攻撃は認められない  映画

私自身は、日本の調査捕鯨について批判的で、日本の調査捕鯨に対する批判を何度も書いてきた人間です。
ですが、『ビハインド・ザ・コーヴ』という映画がサイバー攻撃を受けているということを聞き、これは表現の自由に対する侵害であると思います。
『ビハインド・ザ・コーヴ』という映画はまだ見ていず、その映画の内容が私の考えと合致するものなのかは分かりませんが(この映画の紹介から察するに、私はそもそも調査捕鯨に反対なのですから、おそらく私の考えと違うことを主張している映画なのではないかと思いますが)、それとは別に、サイバー攻撃についてはサイバー攻撃をしている側を表現の自由を侵害しているものとして批判するべきであると考えます。
また、産経の記事によると、「ドキュメンタリー映画「ビハインド・ザ・コーヴ 捕鯨問題の謎に迫る」(八木景子監督)の公式サイトや、当該映画館「ケイズシネマ」のホームページが29日夜、閲覧できない状態になった。」とあります。ケイズシネマのホームページが閲覧できなくなったら、『ビハインド・ザ・コーヴ』だけでなく他の上映される映画の情報も見れなくなってしまうのですから、もはや『ビハインド・ザ・コーヴ』という映画だけの問題ではありません。

→捕鯨肯定する映画「ビハインド・ザ・コーヴ」の公式HPにサイバー攻撃か
http://www.sankei.com/smp/world/news/160130/wor1601300009-s.html
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2016/2/1

サタジット・レイ『チャルラータ』  映画

早稲田松竹でサタジット・レイ監督の2本、『ビッグ・シティ』(1963年)『チャルラータ』(1964年)。サタジット・レイ最高傑作と言われる『チャルラータ』をこれまで見てなかったのは不覚だった。
サタジット・レイが生真面目な映画作家…だなんていうのは、どこの誰が作った伝説なんだ!と思わずにはいられない、なんとも荒唐無稽な、不倫メロドラマの傑作。ヒロインの人妻のマドビ・ムカージー(インドの吉永小百合と言うべき)が双眼鏡を手にしていたり、トランプとか、この映画、ディテールが妙と思って見ていると、家の中なのになぜか嵐がやってきて、傘を手にした文学青年が登場するシーンで、この映画が尋常ならざる映画であることが確定になる。そういえば、ウェス・アンダーソンが大好きな映画としても『チャルラータ』は知られているのだが、それも納得の、オーバーラップの印象的な使い方を含めて、まるでダニエル・シュミットが影で微笑んでいるかのような、荒唐無稽なメロドラマの傑作だ。サタジット・レイがこういう映画作家でもあったことを人類は発見し直すべきだろうか。
同時上映された『ビッグ・シティ』を見ると、『チャルラータ』がどうしてうまれたのか、レイが何を考えていたのかの背景も分かるようで、さらに興味深い。
おそらくインドのミュージカル映画があまりにもとんでもないものが多かったから、その対比でうっかりレイの映画は生真面目なインド映画なんて言われてしまったのだろうが、ミュージカルシーンはほとんどなくても、『ビッグ・シティ』『チャルラータ』の2作ともバックの音の使い方は実にユニークで、ちょっとほかの映画にはない荒唐無稽な域に達しているし、音の面だけでもレイが生真面目な映画作家などではなかった、実に豊かな映画作家であったことは改めて考えてみないといけないのかもしれない。
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2016/1/31

『還ってきた男』  映画

『還ってきた男』(竹内雅俊監督、2012年)。2011年3月、福島から東京に自主避難した50代男性を密着取材したドキュメンタリー。監督の竹内は福島原発事故の真実を明らかにしようと思ってこの映画を作ろうとしたようだが、撮影が進むに連れ、被写体の主人公は原発については質問しても何も語らなくなっていってしまう。なので、原発についてはほとんど何も撮れず軌道修正した作品になった。しかし、この作品はいわば行間を読む映画になっているというのか、主人公がストレートに語らないからこそ、主人公の表情などから様々なことを感じることが出来る、実に豊かな映画になっている。ドキュメンタリーというのは、このように、作りてが狙っていたものが撮れず軌道修正することになっても、その軌道修正の過程そのものが形になって作品に結実することが起こり得る。そこが面白い。

*なお、監督の竹内によると、この作品『還ってきた男』のタイトルは、川島雄三のデビュー作のタイトルのパクリとのこと。
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2016/1/18

カネミ油症関連記事(2016年1月15〜17日)  公害・薬害・環境・医療問題

カネミ油症、1月16日に、国、カネミ倉庫、患者(被害者)の三者協議がありました。関連記事です。

患者75%が悩みやストレス カネミ油症調査、厚労省
2016.01.15 共同通信 
 西日本一帯で1968年に起きた食品公害「カネミ油症」の患者約1400人を対象に、厚生労働省が行った2015年度の健康実態調査で、約75%の患者が「日常生活で悩みやストレスがある」と回答したことが15日、分かった。
 調査は12年9月に施行されたカネミ油症の被害者救済法に基づき昨年4〜6月に実施され、今回が3回目。35都道府県の1441人(男性685人、女性756人)が回答した。調査時点の平均年齢は64・4歳。
 日常生活における悩みやストレスについては76・3%が「ある」と回答。最も気になる原因としては「自分の病気や介護」を挙げた人が最も多く32・1%に上った。「収入・家計・借金」が13・6%、「家族の病気や介護」が12・2%と続いた。
 自由記述では「めまいが続いている」「将来、体にどう影響するのか不安」「少しでも効果のある治療法を教えてほしい」などの声が寄せられた。
 カネミ油症は、カネミ倉庫(北九州市)が製造した食用の米ぬか油にポリ塩化ビフェニール(PCB)やダイオキシン類が混入、油を使って調理したものを食べた約1万4千人が全身の吹き出物や内臓疾患などの健康被害を訴えた。

新支援策、新年度から 患者側、受け入れ カネミ油症
2016.01.17 朝日新聞 西部朝刊 
 国内最大の食品公害とされる「カネミ油症」の被害者支援策について、患者団体、原因企業のカネミ倉庫(北九州市)、国が話し合う3者協議が16日、福岡市であった。国が昨年10月に示した検診手帳の創設など4項目の支援策について、患者側は「極めて不十分」としつつも受け入れる方針を示した。新支援策は新年度から実施する見込み。
 患者側は支援策の抜本的見直しを求め、2世、3世の救済や一時金の増額などを求める要望書も提出したが、国は「困難」とした。
 2012年施行の被害者救済法の付則で、施行から3年をめどに支援策を見直すとしており、厚生労働省などが検討を進めていた。
 新支援策は、(1)検診結果をつづる手帳の創設(2)各地への相談支援専門員の配置(3)漢方薬を用いた臨床研究の推進(4)カネミ側が医療費を負担する「油症患者受療券」が利用できる医療機関の拡大。16年度中に国の基本指針を改定し、順次実施する方針という。
 (小川裕介)

カネミ次世代調査 長期化に患者反発 油症班が概要説明
2016.01.16 西日本新聞 朝刊 
 厚生労働省の全国油症治療研究班(班長・古江増隆九州大教授)は15日、福岡市で開いたカネミ油症の認定患者との会合で、患者2世など次世代を対象にした健康被害の調査概要を説明した。ただ、調査期間が50年以上と長期に及び、調査協力が認定基準の早期見直しにつながるか不透明なため患者側が反発。調査実現は見通せない状況だ。
 研究班は昨年6月の会合で、調査に向けて本格準備に入ると表明。15日の会合では、本人や保護者の同意が得られた2世らから、がんや心臓疾患などの病状を毎年、情報収集することなどを提示しつつ、特有症状の有無について最初に分析結果を出すまでには10年を要するとした。
 これに対し、患者の中には風評被害を恐れて、油症を子どもに伝えていない世帯もあり「早期救済につながらなければ負担を強いる調査に協力できない」との声が出た。研究班は次回会合で、患者側の意向をあらためて確認する方針。
 厚労省によると、油症2世は全国で1200人超。母親の胎盤や母乳を通じ、原因物質のダイオキシン類が体内に移行し、未知の健康被害が懸念されている。
 (竹次稔)

カネミ油症
来年度から漢方薬使う治療研究 3者協議で国 /福岡
毎日新聞2016年1月17日 地方版
 国内最大の食品公害「カネミ油症」の被害者団体と国、原因企業「カネミ倉庫」(北九州市)による3者協議が16日、福岡市であった。国が来年度から漢方薬を使った治療開発の研究を進める方針が決まった。
 救済法が2012年に施行されてから3年をめどに救済措置を再検討し、前回(14年10月)から協議を続けている。厚生労働省によると、漢方薬の研究のほか、窓口で自己負担がなくなる「油症患者受療券」が使える医療機関を増やすことも決まった。
 同省は、被害者側が求める医療費の支援拡充などには否定的な姿勢を続けている。【関東晋慈】
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2016/1/13

瀬川昌治『喜劇 逆転旅行』  映画

瀬川昌治監督『喜劇 逆転旅行』は、なんていうか、まだまだ続くよ、この映画は…という感じが最高すぎる。まさに、「旅行映画」の傑作であるわけだが、ミヤコ蝶々が若いもんの結婚話をまとめに行ったら思わぬ展開になるシーンが象徴的だが、あっと驚く展開があって、映画が次のシーンへと続いていく。
乗客と喧嘩してフランキー堺の主人公が車掌をやめる話になったのに、あっさり次のシーンではそんなことがなかったかのように展開しているし、祭りのシーンでここがヤマ場かと思いきや、あっさりそのシーンは終わり、さらなるラストに向けた展開がある…という調子。
そんな風にあっさりと次のシーンへと展開していってしまう映画なので、ダラダラした映画なのかと言うとそんなことはなく、93分という長さに見事に収まっている。1969年の映画だが、昔の映画人の職人技に驚くしかない。
今回の神保町シアターの瀬川昌治監督特集のチラシには、「泣いて!笑って!どっこい生きる!」というキャッチコピーがついていたが、まさに、「どっこい生きる!」というのか、どっこい、この映画はまだまだ続くよ…という感じだ。瀬川昌治の映画は。
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2015/12/18

「イスラーム映画祭2015」のご紹介(終了)  映画

(以下のイスラーム映画祭2015は大盛会で終了しました。有難うございました。)

私の友人が企画し、主催している映画祭。まさに、今こそ、見るべき映画祭だと思います。皆さん、よろしく。

イスラーム映画祭2015
(12月12日から18日。渋谷・ユーロスペースにて。)

http://cineville.jp/iff/
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2015/12/17

イスラーム映画祭で『神に誓って』  映画

イスラーム映画祭で、パキスタンのショエーブ・マンスール監督『神に誓って』を見た。映画祭などでの上映で評価の高い作品だが、それも納得。現在の世界がかかえる問題に真っ向から挑んだ、文字通りの世界的力作。ラストのちょっと驚かされる展開は、なんていうか、善と悪とかも越えてしまっているような地点に到達しているようにも思える。シビアで悲惨な話なのに、歌が効果的に使われていて、不思議な希望がある。(ミュージカル映画ではないけど、インド映画のミュージカルの伝統を引き継いでいる?)この善と悪とか、明るさと暗さを越えてしまっているような感慨は、たとえばクリント・イーストウッドの映画に通じる感慨だと言えるかも。もちろん、マンスールの映画はイスラーム教の世界を土台にした話だし、イーストウッドはキリスト教がベースにあるのだと思うが、結局、イスラーム教でもキリスト教でも、この世界と人間と映画を突き詰めていけば同じような領域に達するということかもしれない。(ちょっと、強引な言い方かな?)
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2015/12/14

『君が生きた証』  映画

DVDで『君が生きた証』を見た。
アメリカ映画らしいシンプルで力強い映画だなあ、でもちょっと登場人物が自分がしていることが自分で分からなくなったりしているところもあるようなのはやはり現代アメリカを描いた映画だからなのかなあ…などと思って、のほほんと見ていた観客は、後半の展開に、ええっ、そういう話だったの!?と驚くことになる。シンプルどころか、複雑な現代をつかまえつつ、その中でどう生きていったらいいのかを人物が模索している映画だった。
これは、いい映画だ。かといって「いい映画」と言っても良心作とか、そういうのではない。不穏な、いい映画だ。
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2015/11/25

『クライム・スピード』と『エール!』をはしご  映画

『クライム・スピード』と『エール!』をはしごする。じゅうぶん、映画を見たなあという感じがする。
『インディアンランナー』と『セインツ』を合わせたような『クライム・スピード』…と書くと明らかに褒めすぎで、それほどのことはなく、映像の凝り方も『セインツ』ほどではないけど、しかし、雨中のラブシーンとか結婚式場のシーンとか、かなり画で見せているし、それもさりげなくという感じでけっこう画的に凄いことをやっているの、この監督、かなりの方なのでは…。(特に『クライム・スピード』の雨中のラブシーンが秀逸なのは、屋内のシーンだったのに、外で雨が降ってきてヒロインが駆け出していって雨に当たりながら「雨まで暖かい!」とかなんとか言って、ラブシーンに突入していってしまうという…。つまり、屋内と屋外という区分けが無効になってしまう…。さりげなく、すげえこと、やってるなあと思った。)『セントルイス銀行強盗』のリメークで元の映画を見ていないのでどれだけ新しいものを盛り込んでいるのかは分からないが、ラストのあの展開は、普通だったらそれは無理では…と思ってしまいそうだけど、この物語だとこれしかないよなあと納得できる。そこがやっぱり新しい何かを見たなあと思えるところなのかなあ…。
『エール!』は、聾唖障がい者の家族の中でひとりだけ健常者の娘、当然ながら家族の通訳を務めているのだけど、親子の子離れ・親離れがきわめて難しい状況であるわけだが、そういう障がい者の両親に健常者の娘の子離れ・親離れという話に、「歌」というのを絡ませたのが、まさに特筆もののアイデアだろう。それも、障がい者ものにありがちな押し付けがましい作りではなく、上質のエンターテイメントの作り。
じゅうぶん、『クライム・スピード』と『エール!』のはしごは、まるでプログラムピクチュアの映画2本立てをはしごしたかのような味わいがある。映画って、やっぱり、そういうものであるわけで…。
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2015/9/29

(終了)「食卓の肖像」2015年11月14日、東京・杉並で上映会  映画

(下記の「食卓の肖像」、杉並上映会は終了しました。雨天にもかかわらず来場された皆様、有難うございました。)

「食卓の肖像」上映会

「カネミ油症事件」は戦後最大級の食品公害事件です。この事件を知らない人、もう過去のことだと思っている人にぜひ観てほしい映画です。
健康に良い油というふれこみで売られた米ぬか油で、直接ダイオキシン類を体内に摂取し、どういう結果がもたらされたのでしょうか。10年間の被害者の聞き取りで作られたドキュメンタリーです。
1回目と2回目の上映の間に金子サトシ監督のお話があります。
どうぞご来場ください。

2015年11月14日(土)     (上映時間103分)
1回目 13:30〜 2回目 16:30〜
15:20〜 金子サトシ監督のお話

会場 あんさんぶる荻窪 4階第2教室
荻窪駅西口下車(南側)、西荻窪方向に徒歩3分
杉並区荻窪5丁目15番13号
地図
http://www.mapion.co.jp/m2/35.70392589,139.61656106,16/poi=0333983191-002

入場料 500円
申込み 消費者センター ☎03-3398-3141 (10月21日から受付け)

 定員 各回39名 (お申し込み順)
                     

主催 杉並区消費者グループ連絡会
共催 杉並区

「食卓の肖像」HP
http://shokutaku.ne.jp/archives/491
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2015/9/2

『ゴッド・ヘルプ・ザ・ガール』  映画

スコットランドの人気バンド、ベル・アンド・セバスチャンのスチュアート・マードックが初めて監督・脚本で撮った映画『ゴッド・ヘルプ・ザ・ガール』が、なんとも自由で、羨ましい出来栄えの映画。ゴダール『はなればなれに』とハル・ハートリー『シンプルメン』へのオマージュとして、この上ない味わいのものだろう。拒食症の少女が音楽で変わって行くひと夏の物語としては、脚本的にはいろいろと穴があり、病気の描写とか、あまりに細部の描写が足りないところがあるのはたしかだが、ミュージカルなので許されるということを効果的に使っていると言える。何よりミュージカルなのだから病気とかを深刻に描いてしまってはミュージカルの軽さが成立しなくなるし、深刻なことを軽く描けることがミュージカルの醍醐味なのだから。ミュージカルシーン自体はたとえば最近の『アニー』に比べると迫力は足りないけど、しかしアメリカ的な楽天性のミュージカルでは別の味わいのものになってしまう。こうしたヌーヴェルヴァーグ風の等身大青春映画の味わいはなくなってしまう。マードックが発想してから10年ぐらいかかって完成した映画らしいのだが(映画本編よりもサントラのアルバムのほうが先に出来たらしい)、10年かかっていながら、最初の撮りたい衝動をそのまま持続させたような、なんとも初々しい映画になっていることがむしろ、この映画のいい要素だろう。もしかすると、これはミュージシャンの人がつくった映画だからかもしれない。歌は、瞬間的な衝動を歌うものが多いけど、実際には一瞬のひらめきだけで歌がつくられるわけではなく、いろいろな手間隙をかけて歌が完成するのだと思うが(映画をつくるほど、手間隙はかからないとしても)、いかに衝動とか一瞬のひらめきとかを持続させて完成体のものに持ち込めばいいのかということは歌をつくる上で重要な要素なのではないかと思う。マードックはそうした歌づくりの手法を映画づくりに持ち込んでいる気がする。しかし、ヌーヴェルヴァーグの映画とは、本来、そういうもの(即興的なー実際には即興で撮られたわけではなかったとしてもー感触で撮られたもの)だったのではなかったのだろうか。
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2015/8/27

ええやんかコール  音楽・演劇

秀逸。

ええやんかコール
1)えらいこっちゃ えらいこっちゃ
  えらいこっちゃ えらいこっちゃ
  
  日本が えらいこっちゃ
  自衛隊 えらいこっちゃ
  安保法制 アホちゃうか?
  名前だけ変えても アカンアカ〜ン!
  国民守って ウソつくなぁ!
  戦争そんなにやりたいか〜?
  安倍さんひとりで 行きなはれ!
  戦争法案絶対反対! 戦争法案絶対反対!
  戦争法案今すぐ廃案! 戦争法案今すぐ廃案!
2)えらいこっちゃ えらいこっちゃ
  えらいこっちゃ えらいこっちゃ
  
  憲法 えらいこっちゃ!
  変えたら えらいこっちゃ!
  憲法変えるの やめてんか〜!
  戦争するのは やめてんかぁ〜!
  政府は憲法 守ってや〜
  立憲主義が ええやんかぁ〜!
  戦争放棄が ええやんかぁ〜
3)えらいこっちゃ えらいこっちゃ
  えらいこっちゃ えらいこっちゃ
  
  核兵器なくせ! 安保もなくせ!
  軍事基地は いらんいらん!
  武器をつくるの やめてんかぁ〜!
  戦争する国 やめてんかぁ〜!
  秘密保護法 いらんいらん!
  憲法九条が ええやんか〜
  憲法で国民守ってや〜
https://www.youtube.com/watch?v=pFRmWyeZSmE&feature=youtu.be
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2015/8/17

SEALDsの奥田愛基さんの8月15日の書き込みに触れて  時事問題

SEALDsの奥田愛基さんの、「8月15日は、この国が君主、王様とか一人の偉い人に全てを任せるんじゃなくて、民主国家として歩み始めた」という書き込みに、ネトウヨ中心に批判がけっこうある模様。
この歴史観は、左翼的には全然、ありのものだと思うし(僕自身はちょっと異なる見解を持つが)、やはり僕のSEALDs擁護の考えになんら変更はないんだけれども、まさに、右と左の歴史観の違いの重要な論点に触れたものなのかなと思う。
なので、僕自身の考えをおさらいしておきたい。
昭和天皇に戦争責任はなかったという主張の論拠は、大日本帝国憲法の第55条なのだが、第55条の条文に照らすなら、戦争責任はあるとすれば昭和天皇ではなく国務大臣にあることになるのではないかということだろう。
それに対して、左翼の側からは、第55条があるとは言っても、統帥権が天皇にあったのならやはり天皇に責任があったのではないかということを主張しているわけだが、この左翼的な見方も最初に書いたように「全然、あり」だと思うのだけど、ただそれでは第55条の条文はどうなるのか、立憲主義を主張しているはずの左翼が条文を無視して言うのなら理屈にあわないのではないかという批判が成立し得るのかなとも思う。
実態として戦前の日本の国のあり方はどうだったのかということもあるけど、実態としても、美濃部達吉氏の天皇機関説が戦前に問題になったけど、実はこの天皇機関説が正しくて、天皇ではなく軍部が暴走して戦争を始めたのだという見方もあるのではないかと思う。そうするとやはり昭和天皇の戦争責任は問えないのではないかと。
ここらへんの右と左の歴史の解釈の違いでこうした見解の相違がうまれているわけだが、で、僕の見解はどうなのかと言うと、大日本帝国憲法はたしかに立憲主義によるものではあるし、昭和天皇に戦争責任が帰結するとは言えないのではないか、天皇制は君主制とは違うのではないかといった右側の解釈の理屈も成り立つところがあるのかなあとは思うのだけど、しかし、僕としては、むしろ、君主制というのとはちょっと違って、立憲主義の憲法がありながら同時に天皇に統帥権があったという、二重構造的な体制の「天皇制」というものを持ち得たところに、逆にこの日本という国のあり方の独特の恐さがあるのではないかなあという風に思う。
僕は、この日本という国を愛するかどうかというより(自分に愛国心があるのか、ないのかと言われると正直、よく分からない…)、この日本という国のあり方が恐いなあと思う…というのが正直な気持ちなのかなあ…。
(この一文、右からも、左からも、理解されないものでしたら、どうもすみません!)
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