2015/8/17

SEALDsの奥田愛基さんの8月15日の書き込みに触れて  時事問題

SEALDsの奥田愛基さんの、「8月15日は、この国が君主、王様とか一人の偉い人に全てを任せるんじゃなくて、民主国家として歩み始めた」という書き込みに、ネトウヨ中心に批判がけっこうある模様。
この歴史観は、左翼的には全然、ありのものだと思うし(僕自身はちょっと異なる見解を持つが)、やはり僕のSEALDs擁護の考えになんら変更はないんだけれども、まさに、右と左の歴史観の違いの重要な論点に触れたものなのかなと思う。
なので、僕自身の考えをおさらいしておきたい。
昭和天皇に戦争責任はなかったという主張の論拠は、大日本帝国憲法の第55条なのだが、第55条の条文に照らすなら、戦争責任はあるとすれば昭和天皇ではなく国務大臣にあることになるのではないかということだろう。
それに対して、左翼の側からは、第55条があるとは言っても、統帥権が天皇にあったのならやはり天皇に責任があったのではないかということを主張しているわけだが、この左翼的な見方も最初に書いたように「全然、あり」だと思うのだけど、ただそれでは第55条の条文はどうなるのか、立憲主義を主張しているはずの左翼が条文を無視して言うのなら理屈にあわないのではないかという批判が成立し得るのかなとも思う。
実態として戦前の日本の国のあり方はどうだったのかということもあるけど、実態としても、美濃部達吉氏の天皇機関説が戦前に問題になったけど、実はこの天皇機関説が正しくて、天皇ではなく軍部が暴走して戦争を始めたのだという見方もあるのではないかと思う。そうするとやはり昭和天皇の戦争責任は問えないのではないかと。
ここらへんの右と左の歴史の解釈の違いでこうした見解の相違がうまれているわけだが、で、僕の見解はどうなのかと言うと、大日本帝国憲法はたしかに立憲主義によるものではあるし、昭和天皇に戦争責任が帰結するとは言えないのではないか、天皇制は君主制とは違うのではないかといった右側の解釈の理屈も成り立つところがあるのかなあとは思うのだけど、しかし、僕としては、むしろ、君主制というのとはちょっと違って、立憲主義の憲法がありながら同時に天皇に統帥権があったという、二重構造的な体制の「天皇制」というものを持ち得たところに、逆にこの日本という国のあり方の独特の恐さがあるのではないかなあという風に思う。
僕は、この日本という国を愛するかどうかというより(自分に愛国心があるのか、ないのかと言われると正直、よく分からない…)、この日本という国のあり方が恐いなあと思う…というのが正直な気持ちなのかなあ…。
(この一文、右からも、左からも、理解されないものでしたら、どうもすみません!)
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2015/7/21

2015年8月8日、調布で『ふたりのイーダ』上映!  映画

コメント欄で書いた通り、2015年8月8日、調布で『ふたりのイーダ』上映会があるのでお知らせします。

http://www.city.chofu.tokyo.jp/www/contents/1390278678828/index.html


『ふたりのイーダ』(1976年)は、昨年の「被爆者の声をうけつぐ映画祭」でも上映した、被爆の問題をファンタジーで描きつつ、被爆者のリアルも描いているという、ファンタジーとリアルの両立に成功しているという大傑作です。
よろしく。
(下記は昨年の映画祭で上映した時のチラシ。)
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2015/7/18

(終了)「被爆者の声をうけつぐ映画祭2015」のお知らせ  映画

(「被爆者の声をうけつぐ映画祭2015」は2日間でのべ500名をこえる参加者で盛会でした。有難うございました。)

(当初、お知らせしたものより、プログラム3の上映作品、プログラム6のパネリストなど、変更になりました。)

私が実行委員をしている「被爆者の声をうけつぐ映画祭2015」(7月18日、19日、練馬区江古田の武蔵大学江古田キャンパス1号館地下1002シアター教室にて開催)のご案内です。
この「被爆者の声をうけつぐ映画祭」は、日本被団協(日本原水爆被害者団体協議会)結成50周年の2006年に、原爆症認定集団訴訟の弁護士の方から被爆の実相を記録した日本映画を見てみたいと提案されたことをきっかけに始まりました。“被爆体験の映像での継承”を目的に、2007年6月、第1回の「被爆者の声をうけつぐ映画祭」が開催されました。最初の映画祭の時には、故 井上ひさしさんや、故 新藤兼人監督らに映画祭の呼びかけ人になって頂きました。その後、「ぜひ継続を!」との声に励まされ、賛同する団体や個人の方々に支えられながら毎年、開催し、今年で9年め(9回め)をむかえます。昨年まで明治大学リバティホールを会場にしてきました。今年度より、練馬区江古田の武蔵大学江古田キャンパス1号館地下シアター教室で開催します。7月18日(土)、19日(日)の2日間、開催します。
今年は戦後70年ということで、各回に次のようなテーマをもうけました。「原爆は被爆者に何をもたらしたか」「映像は原爆被爆をどのように記録したか」「原発・エネルギー政策の嘘と真実とは」「原発事故は人々に何をもたらしたか」「被爆者の声をどのように継承するのか」。このように、歴史的に、原爆と原発について追いかけることが出来るような作品とプログラムを集めてみました。
特に圧巻なのは、1日めの7月18日(土)午後2時から上映する『ヒロシマが消えた日』(77分)、『引き裂かれた長崎』(75分)の2本のドキュメンタリー作品です。1945年、原爆を投下した米軍は戦略爆撃調査団を広島と長崎に派遣し、原爆による建物や人体への影響、人々の生活を生々しく映像で記録しました。その映像記録を米国より独自に入手した株式会社ドキュメンタリー工房が、被爆者たちの証言を巧みに加えて、米軍が記録した映像の意味を解き明かし、原爆被害の凄まじさを伝えた優れたドキュメンタリーです。広島編、長崎編、ともに長尺の作品ですが、飽きさせない構成は見事です。この2本のドキュメンタリーは1994年に製作されたもので、DVD販売で普及してきましたが、スクリーンでの上映は今回が初めてです。ぜひこの機会に多くの方に鑑賞して頂きたいと思っています。なお、この2本の上映にはあわせて映画評論家の石子順さんの講演があります。
そのほかにも力作を集めました。また最後の7月19日(日)午後6時からのプログラムでは「被爆者の声をどのように継承するのか」というシンポジウムも開催し、被爆者の証言映像を上映し、永田浩三武蔵大学教授、斉藤とも子さん(女優) 、有原誠治さん(映画監督)らが語り合います。
よろしくお願いいたします。
金子サトシ

(下記がプログラムになります。)
*「被爆者の声をうけつぐ映画祭2015」のお知らせ
とき: 2015年7月18日(土)〜19日(日)
ところ:武蔵大学江古田キャンパス 一号館地下1002シアター教室
主催:被爆者の声をうけつぐ映画祭実行委員会
   武蔵大学社会学部メディア社会学科永田浩三ゼミ
後援:日本原水爆被害者団体協議会 / ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会

1日目 7月18日(土)
プログラム(1) 10:00〜12:15 原爆は被爆者に何をもたらしたか
劇映画「ヒロシマの証人」(110分)監督 斎村和彦
ビデオメッセージ 山口逸郎プロデューサー

プログラム(2) 14:00〜17:15 映像は原爆被爆をどのように記録したか
ドキュメンタリー「ヒロシマが消えた日〜人類最大のあやまち・原爆〜」(77分)
ドキュメンタリー「引き裂かれた長崎〜人類最大のあやまち・原爆〜」(75分)
トーク 石子順(映画評論家)

プログラム(3) 18:30〜21:00 誰が戦争をつくりだすのか
ドキュメンタリー「汝 多くの戦友たち」(90分)東ドイツ、1956年製作 日本語版監督 徳永瑞夫

2日目 7月19日(日)
プログラム(4) 10:00〜12:30 原発・エネルギー政策の嘘と真実とは
ドキュメンタリー「日本と原発」(135分)監督 河合弘之

プログラム(5) 14:00〜16:30 原発事故は人々に何をもたらしたか
ドキュメンタリー「飯舘村 わたしの記録」(68分)監督 長谷川健一
ドキュメンタリー「チェルノブイリ 28年目の子どもたち」(43分)ディレクター 白石草
トーク 白石草ディレクター

プログラム(6) 18:00〜20:45 被爆者の声をどのように継承するのか
シンポジウム 〜被爆者の声をどのように継承するのか〜
証言映像「原爆は、人間として死ぬことも生きることもゆるさなかった」(36分)
コーディネーター 永田浩三武蔵大学教授
斉藤とも子(女優) 有原誠治(映画監督)吉田みちお(被爆二世)

エンディング 歌唱 中島清香(声楽家)

鑑賞券
(鑑賞券は各プログラムごとの料金です。入替制、開場は各回30分前です。)
(なお、プログラム(3)のみは入場無料です。)
大人 1000円(当日1200円)
学生  500円(当日 700円)*中学生以下は無料です。
フリーパス券 4000円

問い合わせ先
電話:03−5466−2311(共同映画)
   090−1793−6627(金子)

会場:武蔵大学江古田キャンパス 一号館地下1002シアター教室   
(西武池袋線 江古田駅から徒歩6分、地下鉄大江戸線 新江古田駅から徒歩7分、有楽町線 新桜台駅から徒歩5分、有楽町線・西武池袋線 桜台駅から徒歩9分)

「被爆者の声をうけつぐ映画祭2015」上映作品紹介
プログラム1)原爆は被爆者に何をもたらしたか
「ヒロシマの証人」劇映画 1968年 110分 モノクロ 監督 斎村和彦 製作委員会
1960年代、原爆症で亡くなる者が後を絶たない。貧しい被爆者たちが暮らす相生地区は、団地の建設計画によって立ち退きの対象となる。死の恐怖と生活苦に苛まれる被爆者たちは、やがてABCC(米国原爆傷害調査委員会)の非人道性を批判する医師たちとともに立ち上がる。被爆者を核戦争のモルモットとしてしか見ないアメリカ政府と、放射線の影響を軽視し、被爆者を切り捨てる日本政府の姿を告発し、原爆被爆のもたらす非人道性を浮き彫りにしている。

プログラム2)映像は原爆被爆をどのように記録したか 
ドキュメンタリー「ヒロシマが消えた日〜人類最大のあやまち・原爆〜」(77分)
ドキュメンタリー「引き裂かれた長崎〜人類最大のあやまち・原爆〜」(75分) 
1994年  製作:ドキュメンタリー工房
1945年、原爆を投下した米軍は戦略爆撃調査団を広島と長崎に派遣し、原爆による建物や人体への影響(効果)をカラーフィルムで生々しく記録し、あわせて焼け跡で生きる人々の生活を記録した。その映像記録を米国より独自に入手したドキュメンタリー工房が、映像に記録された被爆者たちの証言を巧みに交えて、米軍が記録した映像の意味を解き明かし、原爆被害のすさまじさを訴える。
広島編、長崎編、ともに長尺にもかかわらず、あきさせない構成は見事である。米戦略爆撃調査団のカラー映像は、10フィート運動で製作された「にんげんをかえせ」などでその一部が紹介されていたが、本作品では、広島、長崎ともに、街並みから建物の破壊のすさまじさ、人体や環境への影響までと、広範囲に及ぶ被爆の実相を第一級資料である貴重な映像で伝えている。
広島編には、高橋昭博、深見 潔、沼田鈴子、吉川生美。長崎編には山田拓民、秋月辰一郎、片岡ツヨ、谷口稜曄、山口仙二たち被爆者が登場し、貴重な証言をしている。
本邦初公開
本作品は1994年に製作され、DVDで販売されている。スクリーンでの一般公開は本邦初となる。

プログラム4)原発・エネルギー政策の嘘と真実とは
「日本と原発」ドキュメンタリー 2014年 135分 製作/監督 河合弘之 構成/監修 海渡雄一 脚本/編集/監督補 拝身風太郎 制作 Kプロジェクト
全国の脱原発裁判の先頭に立つ弁護士が、映画を通して「原発の今」を問う。福島原発事故を起こしたのは地震か津波か? 規制基準が3・11以降もなぜ甘いのか? 電力は不足しているのか? 原発のコストはほんとうに安いのか? 国富の流出は発表されるほど巨額なのか? 人々の苦しみに寄り添いながら、再稼働へ動く国のエネルギー政策に鋭く迫る。

プログラム5)原発事故は人々に何をもたらしたか
「飯舘村 わたしの記録」 ドキュメンタリー 2013年 68 分 撮影・監督 長谷川健一  編集・構成 細谷修平  製作 OurPlanet-TV 協力 甲斐賢治
2011 年4月、福島第一原発事故直後、酪農家長谷川さんは、ビデオカメラを購入し独学で撮影をはじめた。全村避難となり 6 千人以上の住人が村を追われた福島県飯舘村で、飼育していた牛との別れ、荒れる田畑、そして、家族・仲間への思いを住民の視点で綴った日々の記録。
「家族そろって暮らす日は、二度とないだろう」
村を去るまでの静かな言葉の数々に、震災後 4年を経た今を考えたい。
「チェルノブイリ 28年目の子どもたち」 ドキュメンタリー 2014年 43分 ディレクター 白石 草 製作 OurPlanet-TV
東電福島第一原発事故から3年後の2014年、将来福島で何が起きる可能性があるのか。これを知ろうとディレクターは28年前のチェルノブイリ事故で福島市とほぼ同じレベルに汚染されたとされるウクライナ・コロステンを取材する。そこで見たのは、事故後増え始めた様々な健康問題が、世代を超えて今なお続いている実態と、政府から被曝者への手厚い支援策であった・・・。

プログラム6)被爆者の声をどのように継承するのか 
証言映像「原爆は、人間として死ぬことも生きることもゆるさなかった」
2014年 18分 製作 ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会
被爆者の証言による原爆の半人間性シリーズ第1回作品。核兵器は人間と共存できない。あのキノコ雲の下で、いったいなにがあったのか。原爆被害者自身の言葉、手記、証言、描いた絵などをもとに構成された貴重な証言映像。

「被爆者の声をうけつぐ映画祭」ブログ
http://hikakueiga.exblog.jp
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2015/7/6

朝日新聞に「被爆者の声をうけつぐ映画祭」の記事が掲載  映画

私が実行委員をしている「被爆者の声をうけつぐ映画祭2015」の記事が、本日(7月6日)の朝日新聞朝刊、東京面で掲載されました。よろしくお願いします。

(以下、転載)
被爆者の声 銀幕で次代に
18・19日 練馬で映画祭
初上映・原発事故の記録も
 
 原爆や放射能の被害などをテーマにした「被爆者の声をうけつぐ映画祭」が18、19の両日、練馬区豊玉上1丁目の武蔵大学で開かれる。広島、長崎の原爆投下から東日本大震災に伴う福島原発事故、その後まで、戦後70年間を映像で振り返る企画だ。

 監督や映画関係者らが実行委員会を組織して2007年に始まった。毎年開催し、これまでに延べ81本を上映。6千人以上が鑑賞した。今年は2日間に8本を上映の予定だ。
 「ヒロシマの証人」は1968年制作のモノクロ劇映画。原爆を投下した米国政府や、投下後に被災地に入った米国の調査委員会を批判する場面など、戦争の記憶が生々しい作品だ。DVDにもなっておらず鑑賞できる貴重な機会になる。
 「ヒロシマが消えた日」「引き裂かれた長崎」のドキュメンタリー2本は、DVDで販売されているものの、映画館での上映は今回が初めて。いずれも94年の制作で、米国が原爆投下後に撮影した被爆地の映像がふんだんに使われている。
 「日本と原発」は、脱原発裁判に取り組んでいる2人の弁護士が、監督と監修を担って制作したドキュメンタリーだ。電力は不足しているのか、原発のコストは安いのかなど、国のエネルギー政策に迫る。
 「飯舘村わたしの記録」は福島県飯舘村に暮らしていた酪農家が、福島原発事故後に村を追われた一部始終を自ら撮影した作品だ。
 2014年に完成した「チェルノブイリ28年目の子どもたち」は旧ソ連・チェルノブイリでの原発事故の健康被害が世代を超えて続いている現実を伝えている。
 最終回は「被爆者の声をどのように継承するのか」をテーマに、証言映像を18分間で上映。その後、永田浩三・武蔵大学教授の司会でシンポジウムを開く。女優斉藤ともこさんや監督の有原誠治さん、被爆2世らが参加する予定だ。
 実行委員会の事務局を務める映画監督の金子サトシさん(50)は「戦後70年がたち、亡くなる被爆者が増えている。せめて映画で記録し、次の世代に継承したい。被爆者の声をどのように若い世代に伝えていくかが私たちに問われている」と話す。
 会場は1号館地下で、入れ替え制。大人千円(当日券1200円)、学生500円(同700円)。全作品フリーパス券(4千円)もある。中学生以下無料。 詳しくは共同映画(03・5466・2311)または金子監督(090・1793・6627)へ。                         (斎藤智子)
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2015/6/14

『ドラゴン危機一発'97』  映画

6月12日、シネマート六本木での上映後のトークショーで、谷垣健治氏が、これがどういうジャンルの映画なのかと言うとドニー・イェンのアクション映画と言うしかないという言い方をしてたのだけど、本当にそうだよなあ。もちろん超エンタテインメントの映画なのだけど、実験映画というのか、まるで8ミリ映画少年が一コマごとにあれこれつなぎの実験をしながらフィルムで映画をつくっていたのの延長でパワーアップした商業ベースのアクション映画とでも言えるような、手触り感がある。低予算で、アクションをよりハードにかっこよく見せるための工夫なのだろうけど、本当に1コマ単位でリズミカルに、何が写っているのか、分からないぐらい(分からないので効果的なアクションになっている)細かくあれこれつないでいて、ある意味で実験映画になっている。望遠のカメラで近くの人物を撮ると当然、ぼやけて何が写っているのか、わかりにくくなるが、そうした撮り方を意識的にしていて、それをつなぐことでアクションを効果的に見せているらしい。そこが実験的。そういえば望遠のカメラで近くの人物をわざとぼやかして撮る手法は、アクションシーンだけでなくラブシーンでも使われていたようだ。(雨の中のシーンなど。)8ミリ映画少年が大きくなって映画をつくっているかのような、手触りの手作り感がある。低予算映画だからこそのものだが、そうした手触りの感触の面白さがメジャーの映画になると失われることがあるようなのはなぜなのだろう。とはいえ、『モンキー・マジック 孫悟空誕生』を見ると、メジャーになっても手作り感はドニーの映画からまだまだ失われてはいないようだけど…。
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2015/5/31

(終了)2015年5月31日『食卓の肖像』目黒上映会、6月4日カネミ油症東京集会のお知らせ  映画

(2015年5月31日の目黒区での上映会、6月4日のカネミ油症東京集会、どちらも終了しました。5月31日の目黒区での上映会は60名近い参加で盛会でした。6月4日のカネミ油症東京集会は、直前に最高裁の不当判決が出たため、急遽、サブタイトルを「最高裁判断に抗議する!」に変更して、予定通り、開催しました。被害者、弁護士、支援者、多くの方が来場され、怒りの発言が続きました。有難うございました。)

2015年5月31日(日)に東京都目黒区で『食卓の肖像』上映会、および、6月4日(水)にカネミ油症の東京集会があります。よろしくお願いします。

http://shokutaku.ne.jp/archives/472

◎『食卓の肖像』目黒区上映会(目黒母親大会)
東京都目黒区の「母親大会」として、カネミ油症のドキュメンタリー『食卓の肖像』(103分)を鑑賞し、金子サトシ監督のお話を聞く。またあわせて「食」に関するイベントや持ち寄りミニバザーも開催!
(日時)2015年5月31日(日)午後1時から4時
(会場)八雲住区センター 2階 第2・第3会議室
http://yakumo19.net/center.html
 
目黒区八雲1−10−5 東急東横線都立大学駅北口徒歩6分
(主催)目黒母親連絡会 電話03−3719−2741(東京土建目黒支部主婦の会)


◎「カネミ油症被害者救済を求める東京集会」
 〜最高裁は口頭弁論を開いてください〜
昨年3月福岡高裁におけるカネミ油症新認定裁判は、油症発生時期から20年の除斥期間により請求の権利なし、とした不当な判決でした。
原告の殆どは最近になって認定されており、除斥期間以前には裁判に訴えることすらできませんでした。それなのに訴える権利がないとは、なんという不条理でしょうか。
このままでは被害者救済の道を閉ざすことになります。
最高裁判所は全被害者救済のための公正な判断をして、除斥期間を適用した下級審判決をあらためるべきです。
最高裁の判断の前に緊急集会を企画しました。是非ご参加ください。
日時:2015年6月4日 午後2時〜4時
場所:弁護士会館5F 502号室
東京メトロ丸ノ内線、日比谷線、千代田線「霞ヶ関駅」
B1-b出口より直通 A1出口より徒歩2分 C1出口より徒歩3分
主催:新認定裁判原告団・弁護団
共催:カネミ油症被害者支援センター(YSC) 
連絡先:伊勢 TEL:090−9321−8607
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2015/5/26

『日曜日の人々』  映画

これは有名なサイレント映画で、ドイツ文化センターやフィルムセンターでのドイツ映画特集でも何度も上映されてきていると思うのだけど、実は見ていなくて、今回、柳下美恵さんのピアノ演奏付きで上映されるということで見に行ったのだけど、ここまで面白い映画だったとは驚いた。
ストーリーというのは日曜日に戯れて遊んでいる男女の人達という本当にそれだけなのだが、これはほとんどヌーヴェルヴァーグの映画の先駆けというのか、もっとズバリ言うと、ジャック・ロジエの映画みたいじゃないかと思った…。
素人の人たちを役者に使って、普通の人達の日常を撮った実験作というのは聞いていたので、もっと実験的な作品かと予測していたのだけど、これ、たしかに意欲的な実験作ではあるけれど、実は構成、かなり練れていると思う。(ここでたとえに出すのは悪いかもしれないが、たとえば七里圭監督の映画のような実験作というのとは違うのでは…。)実は、クレジットにはないけど、ビリー・ワイルダーが脚本に参加しているとのことなのだが…。
そういう意味では、ヌーヴェルヴァーグというより、ヌーヴェルヴァーグに先行したジャック・ベッケルの『エドワールとキャロリーヌ』(夫婦喧嘩を描いているあたりが『エドワールとキャロリーヌ』に通じる)や『七月のランデブー』につながっている作品かも。そして、ベッケルから、ロジエの『アデュー・フィリピーヌ』までを先取りしているような作品で、1929年撮影の1930年製作で、ウルマーとシオドマクが監督で、ワイルダーが脚本に参加しているというこんな逸品があったとは、いまさらながら驚く。
もちろん、柳下さんのピアノ演奏も素晴らしく、生演奏なのに見事にピッタリ映像に合っているのにさすがと思ったが、興味深かったのは蓄音機を、のちのラジカセやウォークマンみたいに持ち歩いていて、海辺や森林でレコードをかけているシーンで、蓄音機ってあんな風に野外に持ち歩くものだったんだと思うとともに、サイレント映画なのにこういう音を意識した演出があるのが面白いなあと思った。
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2015/4/30

『ジミーとジョルジュ』  映画

戦争(沖縄戦)に行ったインディアンの兵士の後遺症の話と聞いて見に行ったので、もっと戦争の話が出てくるかと思っていたのだが、そこに焦点は当てられず、女性関係のトラウマから快復する男の話だった。意外だったが、デプレシャンの映画であるのだから当然なのかも。
端的に言えば、男が治療を受けて女性関係のトラウマから快復して娘に会いに行けるようになるまでの話。よくこんな話を映画にするなというのか、これは映画のストーリーなのか?という感じだけど、実際に見ると、紛れもなく映画として成立している。
とにかく、これまで見たことがないようなタイプの物語の映画だなと思う。デプレシャンは、やはり、映画として、見たことがないようなタイプのストーリーの映画を撮ってしまう。
デプレシャンの映画に共通する主題は「脳」ということ。
デプレシャンの映画はトリュフォーの映画を思わせるところがあるが、トリュフォーの映画(ヌーヴェルヴァーグの映画)が「身体の映画」ならデプレシャンの映画は「脳の映画」。
ラース・フォン・トリアーの映画も「脳の映画」なのだけど、トリアーは手持ちのぶれた撮影など身体性の面も大きい。デプレシャンも手持ち撮影などは行なっていて、世代的に共通する何かはあるように思うんだけど、デプレシャンの方が「脳の映画」として成熟している気がする。
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2015/4/25

『やさしい女』  映画

「聖なる映画」として、ドライヤーの映画と並んで語られるブレッソンの映画だけど、しかし、これって、いわゆる夫婦間のモラハラっていうやつなんだよな。なぜ若くて美人の奥さんをもらって幸せなはずなのに男は疑心暗鬼になってしまうのか?
つまり、ドライヤーの映画は、登場人物もある種の聖性を感じる(こないだ見た『ミカエル』にしても)んだけど、ブレッソンのこれって、ネチネチと嫉妬深くなってしまう、まあ、どこにでもいそうな男の話で、ドライヤーのように聖性は感じないんだけど、だがしかし、そんな話を、こんな徹底したスタイルで、こんな風に撮ってしまうというのがやっぱり普通ではなく、相当、ヘンな映画であるわけで、そこが逆に他の人間に真似することが出来ない、ブレッソンの凄さというのか、ブレッソンの変人さだと言えるのだろうか。
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2015/3/27

『下北沢で生きる』  映画

ビデオアクト上映会で『下北沢で生きる』。下北沢の再開発問題をとらえたドキュメンタリーだが、再開発問題やそれと闘う集会の模様や運動について解説している映画としての側面ももちろんあるのだが、一方でこの街に住む人たちと街の持つ雰囲気の魅力をひたすら紹介しているだけのように思える部分もあり、なんか、とらえどころがない、ちょっと不定形な感じの映画なのだが、それではつまらなかったのかと言うとそういうわけではなく、そういうこの映画の佇まいが下北沢という街そのものじゃないか…と思えるところがあって、妙に面白いのだ。最後の、よしもとばななの朗読も妙というか、不思議な感触だと思った。
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2015/3/21

『無言館』  映画

映画『無言館』(2011年、宮木辰夫監督)を見る。戦没画学生の絵を集めている美術館、無言館の記録。いい作品だと思う。特に面白かったのは、絵を見に来た人たちに感想を聞いたり、美術館を何度も訪れている中学生のグループのひとりひとりに話を聞いたり、そういう声を集め、作品にうまく生かしている。ナレーションで絵の背景を説明するだけではなく、美術館を訪れ、展示を見た人の話を入れるのは効果的だったと思う。当時の画学生たちが絵を描いた青春像と今の若者たちの姿が重なるという効果もある。参考になる作り方だと思う。
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2015/3/12

『アニー』  映画

これはやはり映画館で見ないと。いやー、見事に現代的に作り直していて、そのセンスに脱帽。大富豪を携帯屋の社長にするとか、成程と思う。しかし、そんな風に現代的に置き換えているのに、数々の名曲はぴったりハマルんだなあ。時代をこえて普遍的なものを歌っているということか。キャメロン・ディアスの演技も、現代的に成立させるのにひと役、かっているのではないか。悪役なんだけど、ディアスが演じると憎めない、そういう微妙なところを見事に演じている。ラストの赤い風船が落ちるタイトルバックも、ちょっと『悲しみは空の彼方に』を思い出させるもので、最高。
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2015/2/28

『アメリカン・スナイパー』  映画

この映画に対して、反戦映画だとか厭戦映画だとか、逆にやっぱりアメリカ万歳映画になっているのではないかとか、いろいろな受け取り方はありだとは思った。というか、僕が思ったのは、そういう大局的なことは結局、この映画では描かれていず、描かれていないことなので、いろいろな受け取り方は見る人によって自由なのではないかと。ではこの映画は何を描いていたのかと言うと、むしろ、主人公の身の回りに起きたこと、ごく身の回りのことばかりを描いた映画なのではないかと思った。極端な父親のもとで育った主人公が、スナイパーとして戦争に行き、それは祖国を守りたいという純粋な気持ちであったことは疑わないけど、本当にそうなのか、そもそも自分は自分の妻や家族さえも守れていないのではないかと葛藤し…。身の回りのことしか描かれていない。戦場から、銃を片手に、携帯電話で妻に電話するのが象徴的なのではないだろうか。主人公にとって、祖国アメリカがどうこうということより、妻との関係性のほうが身近な、本当の重要事だったのかもしれない。
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2015/1/19

斎藤環氏の『沈みゆく大国 アメリカ』批判について(続き)  公害・薬害・環境・医療問題

前の文章を書いた後に、斎藤環氏のツイートを見たら、『沈みゆく大国 アメリカ』について、「最大の問題は、オバマケア導入以前から存在している問題を、まるで導入以降に生じたかのように印象操作していること」と斎藤氏がツイートされていました。しかし、この読み方のほうが誤読ではないでしょうか。
たとえば、『沈みゆく大国 アメリカ』の、重要なドン・ダイソン医師のインタビューを読み直してみると、この医師は、オバマケアによってメディケア、メディケイドの問題が生じたなどとは言っていないように思います。
ドン・ダイソン医師は、メディケア、メディケイドの保険の問題があり、むしろオバマケアによってこれが解消されることを期待していたが、しかし、オバマケアはまったくその解決策にならなかった、それでオバマケアには失望したということを言っているのではないでしょうか。私にはそう読めます。
これは「オバマケア導入以前から存在している問題を、まるで導入以降に生じたかのように印象操作している」ということではないと思うのですが…。
ただ、『沈みゆく大国 アメリカ』にはオバマケアによってそういう問題が生じたとは書いていないと思うが、オバマケアがその解決にはならないどころか、事態をさらに深刻化させているということを主張しているのかなとは思います。この点はたしかに異論はあり得るかもしれません。
つまり、メディケア、メディケイドの保険の問題はオバマケア以前からある問題であり、オバマケアとは別問題。なので、オバマケアによってそれが良くなるとかさらに悪化するということでもなく、そもそも違う問題ではないかと考えるなら、オバマケアについて論じる時にそれを持ち出すのは印象操作だと。
そのような考えで、印象操作だと言われているのかなといま、思いましたが、もしそうだとしても、オバマケアによってこうした問題が生じたという風にはやはり書いていないように思うので、その点は誤読のように思います。
堤氏はオバマケアがアメリカの医療問題を解決しないどころか、さらに深刻化させると考えて、それでこうした医療問題について書いているのではないでしょうか。ただ、この点は、オバマケアがそうした医療問題をさらに悪化させるのかどうかは、オバマケアはまだ始まったばかりだし、評価できないところはあるのかもしれません。
堤未果氏の著書に対して、そうした異論はあるのかなとは思いますが、でも堤氏は、オバマケアによってこうした問題が生じた、オバマケア以前にはこうした問題はなかったとは書いていないし、オバマケア以前からあるこうした問題が、オバマケアによって悪化するのではないかという主張と思われます。
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2015/1/19

斎藤環氏の堤未果『沈みゆく大国 アメリカ』書評に疑問を感じる  公害・薬害・環境・医療問題

堤未果『沈みゆく大国 アメリカ』について、斎藤環氏が朝日新聞で内容に批判的な書評を書いていると知って、批判的な書評というのはどういうものかと思ってつい読んでみたのだが(だって、書評ってほめるものが多くて、貶す書評って珍しいから逆に興味を感じる)、斎藤氏が言われていることは、堤未果氏のこの本を読んだ私からすると、ちょっと違うのではないかと思った。
斎藤氏は、堤未果氏の著書は、あまりに一方的にオバマケアを批判しているもので、公平さに欠けるといったことを批判されているようだが、もし、堤未果氏が学者で学問的にオバマケアをどう評価するかということでこの本を書かれたのならたしかにそうした客観性を欠いていることは問題があることなのかもしれないと思うのだが、堤未果氏は、学者じゃないし、むしろ、明らかに、日本が世界に誇る国民皆保険制度が崩壊するような事態は回避したい、オバマケアは日本の国民皆保険制度とは全然ちがう、オバマケアを徹底的に批判しなければならないという考えで、この本を書いていると思う。つまり、これは学問的にオバマケアをどう評価するかという本ではなく、政治的な目的のために、一方的に書かれた本なのではないかと思う。むしろ、そこがすがすがしいというのか。それは私だって、読みながら、ここまで一方的にオバマケアを否定しているが本当なのだろうか…とは思いつつ、読んだのだが、なんのために、オバマケアの問題点を列挙して批判しているのか、その目的が明快(日本の国民皆保険制度を守ることを訴えようという)なので、その意味で、著者の主張は実に分かりやすいし、そこがすがすがしくていいなと思ったのだ。つまり、これが学問の書だったらたしかに問題なのかもしれないとは思うんだけど、一方的な主張を述べる政治的な目的のための本という感じなので、この著書はこれはこれでいいのではないかと私には思えるのだが。
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