2016/11/18

トランプと沖縄の在日米軍撤退  時事問題

トランプが沖縄の在日米軍を撤退するという話をすんなり真に受けられないというのはもっともであるが、しかし、それに対して、左翼の側からそんなことにはならないだろう、結局、むしろ、日本側の米軍への思いやり負担をさらに増やせという話になるだけだろうと指摘することに積極的な意味があるとは思えない。なぜなら、左翼の側は辺野古基地反対、沖縄の在日米軍撤退を、とこれまで言ってきたのだから、トランプがそれを主張するならそれに便乗してそのことを訴えるのが筋であるはずなのに、トランプが言うのは信用ならないとばかり言うのであれば、左翼のやつらはころころ言うことを変えているなあと言われるだけだし、実際にそう言われている。
ここは、戦略として、トランプの言葉を心底から信じているわけではなかったとしても、トランプが沖縄の在日米軍を撤退すると主張するのならそれに便乗してそのことに賛同するべきだろう。
しかし、右翼の側からもそれに賛同する意見があるが、それは在日米軍撤退、いいだろう、それなら日本は自衛隊が守ることにして、さっさと憲法を変えて自衛隊をさらに増強しようという考えなのだろう。左翼の側はそれにも反対であるわけだが、そうすると、左翼の側の主張は、沖縄の在日米軍撤退が実現して、なおかつ、憲法を変えて自衛隊を増強しなくても、現在の世界秩序を守る、日本の平和を守ることは可能であるという考えだと言えるだろう。そう考えるのあれば、本当にどうすればそのようなことが可能なのか、きちんと考え、人々を説得できる論理を身につけていかないといけないのだろう。
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2016/2/24

日本国憲法の憲法9条は世界の憲法の中で決して孤立した条項ではなかった!  時事問題

日本国憲法の憲法9条は世界の憲法の中で決して孤立した条項ではなかった!
いまさらだが、衆議院憲法調査会事務局、安全保障及び国際協力等に関する調査小委員会(平成 15 年 7 月 3 日の参考資料)の、
「日米安保条約
「憲法第 9 条(戦争放棄・戦力不保持・交戦権否認)について〜自衛隊の海外派遣をめぐる憲法的諸問題」
に関する基礎的資料」

をじっくり読んだら、そういうことが明記されていた。(←ただし、そう明記していると読むかどうかは読み方にもよるかも。私はそう読んだ。)
とても、興味深い。
以下、引用します。

(引用)
  歴史上いつの時代にも武力紛争が存在し、20 世紀における二度の世界大戦を経た後もなお絶えない現実がある一方で、これまで、国際社会や諸外国において、戦争の廃絶と平和の確保に向けた努力が積み重ねられてきた。このような努力が法文化された古い例として、1791 年フランス憲法の「フラン
ス国民は、征服を行う目的でいかなる戦争を企図することも放棄し、また、
その武力をいかなる国民の自由に対しても使用しない」との規定を挙げるこ
とができる。その後、このような「征服のための戦争」又は「国家の政策の
手段としての戦争」の放棄を定める規定は、フランス第 4 共和国憲法(1946
年)、イタリア共和国憲法(1948 年)、ドイツ連邦共和国基本法(1949 年)、大韓民国憲法(1972 年)等の諸外国の憲法や、ハーグ平和会議(1899 年・1907 年)、国際連盟規約(1919 年)、不戦条約(1928 年)、国際連合憲章(1945年)等の国際条約に盛り込まれるようになった。
 これらの諸外国の憲法や国際条約と日本国憲法とを比較して、学説の多数説からは、前者は、侵略戦争の制限又は放棄に関わるものにとどまっていのに対し、後者は、戦争違法化の国際的潮流に沿ったものであると同時に、
@侵略戦争を含めた一切の戦争、武力の行使及び武力による威嚇を放棄した
こと、Aこれを徹底するために戦力の不保持を宣言したこと、B国の交戦権
を否認したことの 3 点において徹底した戦争否定の態度を打ち出し、際立っ
た特徴を有していると評価されている。他方、現在、150 近くの国家の憲法
において、下表のような形で類型化されるいわゆる「平和主義」条項が設け
られており、日本の安全保障や国際貢献の方策を考える際に日本国憲法の特
異性を持ち出すことは適当でないとの見解も存在する。
  <世界の現行憲法における「平和主義」条項の類型>
類    型 国数 主な国(カッコ内は根拠条文)
平和政策の推進 48 インド(51)、パキスタン(40)、ウガンダ(前文)、
アルバニア(前文)等
国際協和 75 レバノン(前文)、バングラデシュ(25)、ラオス(12)、
ベトナム(14)、フィンランド(1)等
内政不干渉 22 ドミニカ(3)、ポルトガル(7)、中国(前文)、ウズ
ベキスタン(17)、スーダン(7)等
非同盟政策 10 アンゴラ(16)、ナミビア(96)、モザンビーク(62)、
ネパール(26)、ウガンダ(28)等
中立政策 6 オーストリア(9a)、マルタ(1)、カンボジア(53)、モ
ルドバ(11)、カザフスタン(8)、スイス(173・185)
軍縮の志向 4 バングラデシュ(25)、アフガニスタン(137)、モザ
ンビーク(65)、カーボベルデ(10)
国際組織への参加又は国家権力の一部委譲 18 ノルウェー(93)、デンマーク(20)、ポーランド(90)、スウェーデン(10-5)、アルバニア(2)等
国際紛争の平和的解決 29 カタール(5)、ガイアナ(37)、ウズベキスタン(17)、キルギス(9)、中央アフリカ(前文)等
侵略戦争の否認 13 ドイツ(26)、フランス(前文)、バーレーン(36)、
キューバ(12)、韓国(5)等
テロ行為の排除 2 チリ(9)、ブラジル(4)
国際紛争を解決する手段としての戦争放棄 5 日本(9)、イタリア(11)、ハンガリー(6)、アゼルバイジャン(9)、エクアドル(4)
国家政策を遂行する手段としての戦争放棄 1 フィリピン(2-2)
外国軍隊の通過禁止・外国軍事基地の非設置 13
ベルギー(185)、マルタ(1)、アンゴラ(15)、フィリピン
(18-25)、アフガニスタン(3)、モンゴル(4)、カーボベル
デ(10)、リトアニア(137)、カンボジア(53)、モルドバ
(11)、ウクライナ(17)、ブルンジ(166)、アルバニア(12)
核兵器の禁止・排除 11
パラオ(U3)、フィリピン(2-8)、ニカラグア(5)、アフガニスタン(137)、モザンビーク(65)、コロンビア(81)、パラグアイ(8)、リトアニア(137)、カンボジア(54)、ベラルーシ(18)、ベネズエラ(前文)
軍隊の非設置 2 コスタリカ(12)、パナマ(305)
軍隊の行動に対する規制 30 アメリカ(修正 3)、メキシコ(16・129)、ボリビア(209・210)、パプアニューギニア(189)、ザンビア(100)等
戦争の煽動・準備の禁止 12 ドイツ(26)、ルーマニア(30)、スロベニア(63)、トルクメニスタン(28)、ベネズエラ(57)等

(引用、ここまで。)

以下が私の感じたこと。
日本国憲法の憲法9条とまったく同じ条文ではなくても、世界の多くの憲法で、「侵略戦争の制限又は放棄」などの平和主義の条項はもうけられているのだ。日本国憲法第9条は、こうした世界の憲法の流れの中でうまれた条項なのであり、決して世界の憲法の中で特異な条項ではないのではないか?
ここに書かれているように、
「日本の安全保障や国際貢献の方策を考える際に日本国憲法の特異性を持ち出すことは適当でないとの見解も存在する。」
のである。

http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_kenpou.nsf/html/kenpou/chosa/shukenshi033.pdf/$File/shukenshi033.pdf#search='%E6%86%B2%E6%B3%95+%E4%BE%B5%E7%95%A5%E6%88%A6%E4%BA%89%E5%90%A6%E5%AE%9A+%E4%B8%96%E7%95%8C
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2015/8/17

SEALDsの奥田愛基さんの8月15日の書き込みに触れて  時事問題

SEALDsの奥田愛基さんの、「8月15日は、この国が君主、王様とか一人の偉い人に全てを任せるんじゃなくて、民主国家として歩み始めた」という書き込みに、ネトウヨ中心に批判がけっこうある模様。
この歴史観は、左翼的には全然、ありのものだと思うし(僕自身はちょっと異なる見解を持つが)、やはり僕のSEALDs擁護の考えになんら変更はないんだけれども、まさに、右と左の歴史観の違いの重要な論点に触れたものなのかなと思う。
なので、僕自身の考えをおさらいしておきたい。
昭和天皇に戦争責任はなかったという主張の論拠は、大日本帝国憲法の第55条なのだが、第55条の条文に照らすなら、戦争責任はあるとすれば昭和天皇ではなく国務大臣にあることになるのではないかということだろう。
それに対して、左翼の側からは、第55条があるとは言っても、統帥権が天皇にあったのならやはり天皇に責任があったのではないかということを主張しているわけだが、この左翼的な見方も最初に書いたように「全然、あり」だと思うのだけど、ただそれでは第55条の条文はどうなるのか、立憲主義を主張しているはずの左翼が条文を無視して言うのなら理屈にあわないのではないかという批判が成立し得るのかなとも思う。
実態として戦前の日本の国のあり方はどうだったのかということもあるけど、実態としても、美濃部達吉氏の天皇機関説が戦前に問題になったけど、実はこの天皇機関説が正しくて、天皇ではなく軍部が暴走して戦争を始めたのだという見方もあるのではないかと思う。そうするとやはり昭和天皇の戦争責任は問えないのではないかと。
ここらへんの右と左の歴史の解釈の違いでこうした見解の相違がうまれているわけだが、で、僕の見解はどうなのかと言うと、大日本帝国憲法はたしかに立憲主義によるものではあるし、昭和天皇に戦争責任が帰結するとは言えないのではないか、天皇制は君主制とは違うのではないかといった右側の解釈の理屈も成り立つところがあるのかなあとは思うのだけど、しかし、僕としては、むしろ、君主制というのとはちょっと違って、立憲主義の憲法がありながら同時に天皇に統帥権があったという、二重構造的な体制の「天皇制」というものを持ち得たところに、逆にこの日本という国のあり方の独特の恐さがあるのではないかなあという風に思う。
僕は、この日本という国を愛するかどうかというより(自分に愛国心があるのか、ないのかと言われると正直、よく分からない…)、この日本という国のあり方が恐いなあと思う…というのが正直な気持ちなのかなあ…。
(この一文、右からも、左からも、理解されないものでしたら、どうもすみません!)
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2015/1/15

フランスのデモに感じる違和感について  時事問題

フランスのデモ、何百万人も集まったというのは凄いなとは思うんだけど、各国首脳が集まり、各国首脳が先導するデモというのは違和感がある。
そもそもデモというのは、権力がやっていることに対して、これは違うなと異議申し立てをしたいようなことがあった時に、市民の側が意思表示として行うものではないのだろうか。各国首脳が集まって、権力の側が主導して、国歌を歌いながらのデモというのはなんか、違うのではないか。
政府が呼びかけたわけではなく、自発的に、市民が集まって、それが何百万人にも膨れ上がったということなら素直にフランスは凄いなと思えるのだけど、どうも今回は違和感を感じてしまう。
下手すると、権力側に都合がよい方向、たとえばテロとの戦い(戦争)のために団結しようみたいな方向に行かないかという気もしてきてしまう。テロはもちろん言語道断だが、テロとの戦いというのが「戦争」になってしまってももちろんいけないわけで、市民の側としては、テロにも反対だし、「戦争」という形でのテロとの戦いにも反対という立場でなければいけないのではないだろうか?
ということは、テロにはもちろん反対だが、「戦争」という形でのテロとの戦いもいけない、「戦争」という形ではなく平和的なやり方でテロとの戦いをしていかないといけないという理屈になるかと思うのだが、このように書くのは簡単なのだが、実際のところ、それはどうすればいいのかと言うと、難しい問題で、実は僕も明快には答えられないのだけど…。
なので、結局、自分自身の考えがよくまとまらないまま、この文章を書いているわけで、自分でも俺も優柔不断だなあとは思うんだけど、とにかく、これはなんか、ちょっと違うのでは…という違和感をどうも感じるということを書いておきます。
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2014/12/18

アベノミクス考  時事問題

アベノミクスについて、あるメーリングリストで議論をしていて自分なりに考えがまとまったので書き留めておきたい。
まず、大きな流れとしては、小泉政権の、新自由主義的な、「小さな政府」の方向への揺り戻しとして、「大きな政府」が出てきて、国家主義的な方向に回帰しているという見方は出来るのかもしれないと思う。
小泉政権のおこなったことをざっくばらんに整理すると、いわゆる新自由主義の考え方というのは市場の経済活動はなるべく政府が介入しないで企業に自由にさせたほうが活発化していいという考え方で、そのため、「小さな政府」で、規制緩和して企業に自由にさせた。規制緩和され企業間の競争が熾烈になるということは、価格のデフレの競争が熾烈になるから、そのために企業は人件費を切り詰め、非正規社員が増えたり、ブラック企業化したりしていった。これを、小泉氏は「痛みなくして成長なし」と言っていたのだが、ところが、デフレ競争が進みすぎていつまでも不況を脱出できない悪循環になり、「痛み」ばかりで「成長」がいつまでもなかった。
この小泉政権の「小さな政府」に対する揺り戻しとして安倍政権の国家主義的な「大きな政府」が出てきているのだと考えると、アベノミクスという経済政策は新自由主義的な「小さな政府」とは別方向のものであり、アベノミクスの金融緩和政策は新自由主義とは異なるケインズ主義的な政策であると言えるのかもしれない。
しかし、アベノミクスの問題点は、第一の矢、第二の矢はケインズ主義的な政策なのだが、第三の矢は新自由主義的な政策であり、ケインズ主義的な政策と新自由主義的な政策がごっちゃになっているように考えられる点ではないか。
つまり、金融緩和政策はケインズ主義的な政策なのだけど、国家戦略特区の構想を見ると、国家戦略特区は大まかには国家戦略として行うものなので「大きな政府」が行うものとも言えるのかもしれないが、その中身はより規制緩和して企業間に自由に経済活動をさせるもので新自由主義的な政策であり、小泉氏が進めてきた方向へのアンチどころか、さらに進めるものという見方ができるのだ。
私は金融緩和政策自体は有効性を持つところがあるかとは思う。
とにかく、デフレから脱却して、不況を脱出しなければならないということは言えると思うし、そのためにまずインフレを起こして景気を回復する必要があるというのはまったく間違った考え方だとまでは思わない。
しかし、インフレで物価が上がるのなら、同時に労働者の賃金も上がっていくのでなければならない。物価が上昇していけばやがては賃金も上がっていくのではないかとは思うが、たとえば数年先に物価が2倍になり、賃金が1.5倍になると想定すると、実質賃金は下がることになってしまう。物価の上昇に追いつくだけ、賃金が上がらなければその人にとって景気が回復したとは言えない。
特に、ギリギリで生活をしている低所得者層にとっては実質賃金が下がるのは厳しいし、金融緩和政策を行い、インフレを起こすのであれば、同時に、低所得者層がさらに実質賃金が下がって、さらに格差が広がるようなことにならないようにする格差是正の政策が必要なのではないだろうかと思う。
なのに、安倍政権は、格差是正どころか、第三の矢として新自由主義的な政策を掲げていて、消費税増税も行うようであり、ますます格差を広げる政策を行うようなのだ。これではやはりトータルに考えて安倍政権の経済政策は危ういのではないかと思えるのだが。
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2012/9/27

領土問題再考  時事問題

現状の世界各国の領土というのは、戦争も含む実効支配を続けることで確定されているところがあるというのは現実としてあることだと思います。そうした帝国主義的な領土の確定の仕方、戦争とか実効支配で、歴史的、地理的にあいまいな土地がどこの国の領土であるかを確定させるやり方に対して、批判的な視点は必要かと思います。しかし、そうした帝国主義的な領土の確定の仕方を全面的に否定して、そのような帝国主義的なやり方で確定されている領土は、世界中、どこも認めないなどと主張しても、あまりに世界の現実からかけ離れた主張ではないかと思うし、世界中の人々から広く同意を得ることは出来ない主張なのではないかとも思います。

結局、帝国主義とか、戦争とか、そうしたことも歴史の一貫なのであり、そもそも各国の領土は、帝国主義とか、戦争とかも含み入れた人類の歴史の過程で変動し続け、現状として確定されているものなのだと思います。何千年、何万年も、まったく変化しない、「固有の領土」として、ある一国の領土が存在すると考えるほうが、領土というのは変動し続けて来たものなのだという歴史を無視していると言えるのかもしれません。

なので、とにかく、日本政府の「固有の領土」という主張は無理があると思うので、この考えから離れることがまず必要なのではないかと思います。

でも、こういう風に考えて行くと、結局のところ、いろいろな解釈の仕方とか、観点とかで、その土地がどの国の領土かの判定が違ってくるとも言えます。絶対的に、100パーセント、客観的な、領土の国際的な判定基準というのがあるのかも疑わしいです。そもそも、世界には、帝国主義とか、戦争とかに歴史的にまったく関わりがない、客観的な立場の国というのがあるのでしょうか。
早い話、日本と中国、日本と韓国の間に入って、仮にたとえばアメリカが判定したとして、アメリカの判定が客観的な立場のものなのかはおおいに疑わしいわけです。

竹島(独島)に関しては、戦前の日本の朝鮮支配の一貫に含まれるものなのか、日韓で議論が分かれるところですが、時期的に重なるなど、韓国側の主張に耳を傾ける要素はあるものと思っています。
一方、李承晩政権に始まる、韓国による、竹島(独島)の実効支配のやり方はかなり乱暴なものであり、こうした実効支配のやり方こそが帝国主義的なものなのではないかという見方も出来ると思います。
つまり、韓国側の、竹島(独島)は日本による帝国主義的な朝鮮支配の一貫で日本の領土に編入されたものだという主張に耳を傾ける要素があると思うと同時に、第二次世界大戦後の、韓国による竹島(独島)の実効支配のやり方も帝国主義的なやり方だと思うので、帝国主義的なやり方はけしからんという立場から言うのだとすると、竹島(独島)の場合はどのように考えればいいのか、微妙なところがあるように思っています。

また、尖閣諸島については、日本は無主の地だったところを先占の法理で自国の領土に組み入れたと主張しています。(中国側は、そもそも尖閣諸島は無主の地だったわけではなく、昔から中国側の領土だったのだと主張しているようですが。)仮に無主の地だったという日本の主張が正しいとするなら、無主の地だったのなら現状の国際法の考え方では日本の領土とするのが正当ということになるかと思います。しかし、現状の国際法の概念から離れて、帝国主義的なやり方でどこの国の領土かを特定するやり方は問題があるという立場から言うのであれば、そもそも無主の地の場合は先に自国の領土だと宣言した国の領土になるという決め方自体が帝国主義的な決め方で問題であるという考え方も出来るのではないかと思うので、こうした立場なら、無主の地だったからといって日本の領土だとは言えないのではないかという考え方もあり得ると思います。

結局、解釈の観点とか、角度で、どちらの国の領土かは違ってくるということです。
で、何をあなたは言いたいのかと言われてしまいそうですが。
とにかく、僕としては、日本と中国、日本と韓国にはそれぞれ歴史がありますので、そうした歴史的過程も踏まえて、それぞれの2国間で話し合っていくしかないのではないかと思います。(当然、日本側は過去の反省と謝罪が必要です。)

付記
なお、これでは、自分の意見、考えとしてどうなのか、はっきりしろと言われるかもしれませんので、あえて、現時点での僕の個人的な考えを書いておくと、僕は、尖閣諸島は中国領であり、竹島は日本領であるとするのが、どちらかと言うと妥当な判断なのではないかと個人的には考えています。
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2012/9/26

天安門事件のトラウマ  時事問題

何度か、書いている通り、僕は個人的には、尖閣諸島がそんなに明確に日本の領土であることに疑いがないものであると言えるものなのか、かなり疑問に思っていて、中国側の主張にもじゅうぶんに耳を傾ける要素があるものと思っているので、中国側が日本政府に対して抗議するのは当然だと思っているのだが、それはそれとして、中国国内で起こったデモが、デモと言うにはあまりに乱暴で略奪行為にまですぐ発展したり、かと思うと、あれだけ暴れていたのに、中国政府が規制をかけたらすぐに鎮静化したりするのには、なんでこうなるのか?、これは民衆が自発的に起こしているデモではないのか?と唖然とさせられる思いがした。
で、それに対して、各マスコミに、中国に詳しい専門家という人達が出て来て、いろいろともっともらしい解説をされていて、ふーん、そういうものなのかと思ったりして、おそらく中国通の専門家なる方達が言うことは間違いではないのだろうと思うのだが、もしかしたら僕の見当違いかもしれないが、大切なことが抜け落ちているような気もするのだ。
その、僕が、抜け落ちているのではないかと思う、大切なことというのは、こうした変な形でしか、中国でデモが行なわれないのは、天安門事件のトラウマがかなり根強く人々の間にあるからなのではないかということだ。

天安門事件は、他国の僕にも、あまりに衝撃的な出来事だった。こんなことが世界にあっていいのかと、本当に震えて、ひと晩中、僕は泣いていたと思う。いまにして思えば、本当に僕は若くて、まだ子どもだったのかもしれないが、連日、天安門で若い人達のデモが膨れ上がっているという報道に、ああ、中国も、大きく変わろうとしているのかな・・と、素朴にわくわくして、期待していたのだ。それが、あんな風な結末になるなんて・・、軍隊が自国の国民を虐殺するなんて、そんなことがあるなんて考えてもいなかった(軍隊というのはどこの国でも自国の国民を守るためにあるものだと素朴に思っていた)僕は、あまりの衝撃で、天地がひっくり返ったような気持ちがしたものだった。まあ、いまにして思えば、単に僕が何も知らなかっただけで、天安門事件のこの結末を予測していた人が多くいたことや、そもそも軍隊というのは自国の国民を守るためだけにあるものではないらしいということをのちに知って、気づいて行くことになるわけだが、とにかく、天安門事件に遭遇した頃の僕は、こんなことが世界ではあるのかと衝撃に震えるしか、なかったのだ。
他国の僕でさえ、そうだったのだから、中国の人達には、やはり天安門事件のトラウマというのは根強くあって、それがデモが盛り上がっても、政府が規制をかけたらすぐ鎮まってしまうということに繋がっているのではないかと僕は感じる。どうなのだろうか。
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2012/8/31

慰安婦、竹島、尖閣諸島・・  時事問題

なんだか、いつの間にか、竹島や尖閣諸島、慰安婦問題などについて、揉めに揉めているようです。
自分の考えを整理するために書くと、橋下氏の慰安婦の強制連行はなかったという発言については、たとえば、下記の伊藤孝司さんの記事をぜひ、読んでみて欲しいと思います。

奪われた記憶を求めて
元日本軍「慰安婦」沈達連さんの強制連行の現場から
伊藤孝司

http://www.jca.apc.org/~earth/sub10.htm

なお、朝鮮人慰安婦の問題については、以前から書いていることですが、パク政権が、この件についての賠償をきちんと日本に要求し、補償されることもなく、日韓基本条約を結んでしまったことも問題なのであり、日本政府のみならず、韓国政府側の問題ということもあると思っています。

また、話は竹島のことに飛びますが、竹島について韓国側の主張に検討するべきところがあるものと僕は考えていますが、だとしても、李承晩政権が行なったような、話し合いもへったくれもなく、他国の人間を次々と拿捕して勾留したなんてことは暴虐と言うほか、ないものではないかと思います。その主張の当否はおいておいて、2国間で領土問題について意見の食い違いがある場合、その2国間や国際的な話し合いによって解決をはかろうとするべきで、そうした話し合いを無視して、他国の人間を拿捕、勾留するというのは暴虐だと思うし、李承晩が行なったことに関しては、韓国側が日本に謝罪するべきことではないでしょうか。

という考えで行くと、尖閣諸島について、もし仮に今後、日本が、尖閣諸島内に入って来た中国や台湾の漁師や活動家の人達を次々と拿捕、勾留するようになっていくのであれば、それはかつて韓国の李承晩政権が行なったことを、今度は日本が中国に対して行なうということになるのではないかと僕は考えます。
これは日本の尖閣諸島についての主張が正しいか、否かとは別問題です。日本の主張の当否には関係なく、こうした2国間で考えに食い違いがある場合に、話し合いによって解決をはかろうとするのではなく、他国の人間を拿捕、勾留するという行為に出ることが乱暴なやり方で問題であると僕は思うのです。
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2012/8/10

尖閣諸島、竹島は本当に日本「固有の領土」なのだろうか?  時事問題

『世界』8月号の、豊下楢彦氏「『尖閣購入』問題の陥穽」より。

<主権国家が成立して以降も絶えず国境線が動いていたヨーロッパにおいて「固有の領土」といった概念は存在しない。
というよりも、そもそも「固有の領土」とは国際法上の概念では全くなく、北方領土、竹島、尖閣といった領土紛争を三つも抱え込んだ日本の政府と外務省が考え出した、きわめて政治的な概念に他ならないのである。>

<まずは「固有の領土」という不毛な概念から離脱することである。
政府やメディアが、国際法上の根拠もないこの概念を綿密な検証もなしにお題目のように繰り返すことで、日本外交が呪縛され柔軟性が失われてきた。>


「固有の領土」という日本政府の独自の主張が、尖閣諸島や竹島の領土問題の外交的解決をより難しくしていることが指摘されていると思う。
尖閣諸島にしろ、竹島にしろ、国際法上で日本の領土だという主張にはたしかに一定の理があるものだとは僕も思う。
しかし、尖閣諸島も、竹島も、日本が領土として正式に主張したのは明治以降である。
果たして、それ以前からの、日本古来の領土と言えるのかは疑問なのだ。
つまり、日本政府は、国際法上で日本の領土であるのみならず、「日本固有の領土」であると主張しているのであるが、国際法上で日本の領土であるという点については僕も理があるとは思うのだが、「日本固有の領土」という点に関しては疑問なのだ。
従って、「領土問題は存在しない」といった主張については、「日本固有の領土」であると考えることから出てくる主張だと思われるので、僕は認めない。

以上、以前に僕が書いた下記のことと重なるが、微妙に観点が違うところもあることなので、改めて書いてみました。

APEC、尖閣諸島について雑感
http://blue.ap.teacup.com/documentary/1689.html
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2012/4/18

尖閣諸島を東京都で買い上げ??  時事問題

石原都知事の、東京都による尖閣諸島、買い上げ発言。
国が主張するならまだしも、なんで東京都で? そんなことに東京都の予算を使うのはどうか?
と僕は思うんだけど、インターネット上のアンケートを見ると、けっこう、賛成の意見が多いようですね。

個人的には、以前に下記で書いた通り、そもそも、尖閣諸島が日本の領土だと言えるのかどうかにも、僕は疑問を持っています。
こういう、僕みたいな、異論に、聞く耳を持つ余裕は、もう、みんな、ないのかなぁ・・。
でも、あえて、再度、アップしておきますね。こういう考え方もあるということを、少しでも、知って欲しいから・・。

*APEC、尖閣諸島について雑感
http://blue.ap.teacup.com/documentary/1689.html

「尖閣諸島についても、すでに書いているように、国際法上はたしかに日本の領土なのかもしれないが、そもそも現行の国際法の、その領土がどこの国の土地かを決める決め方、先に国際的に宣言したほうの国の領土として認められるという決め方自体が問題があるものなのではないかと考えるので、国際法上は日本の領土だという理屈は理解しても、だからといって、尖閣諸島が日本の領土だという主張は自明のことであるとは言えないように僕には思える。」
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2012/2/20

光市母子殺害事件、判決が確定  時事問題

*判決が確定したようなので、これまでこの事件について僕が書いた記事をまとめて、あげておきます。

2007/6/28
「光市母子殺害事件」あまりに世間の弁護団バッシングが行き過ぎていると思うので弁護団を擁護します!
http://blue.ap.teacup.com/documentary/1181.html

2007/7/1
「光市母子殺害事件」について思うこと(雑感)
http://blue.ap.teacup.com/documentary/1182.html

2007/8/8
『週刊ポスト』に光市母子殺害事件の記事が・・
http://blue.ap.teacup.com/documentary/1212.html

2007/9/21
光市母子殺害事件の裁判が進んでいるようだけど・・
http://blue.ap.teacup.com/documentary/1248.html

2007/9/21
光市母子殺害事件 本村洋さんの陳述の要旨
http://blue.ap.teacup.com/documentary/1249.html

2008/4/22
光市母子殺害事件 やはり予測していた通り死刑判決が出ましたが・・
http://blue.ap.teacup.com/documentary/1364.html
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2011/11/25

なぜTPPを推進するのか 経団連米倉会長 ボロ儲けのカラクリ(日刊ゲンダイ)  時事問題

*日刊ゲンダイの下記の記事は、ゲンダイらしい憶測的な記事ではあるが、僕がTPPと遺伝子組み換え食品について考えていたことと一致するところがあるので、無視できないものを感じる。

(ニュース)
なぜTPPを推進するのか 経団連米倉会長 ボロ儲けのカラクリ
http://gendai.net/articles/view/syakai/133825

反対論が強いのに、強硬にTPPを推進している経団連の米倉弘昌会長(74)。なぜ、シャカリキになっているのか。
大新聞テレビはまったく報じないが、ネット上では「米倉が会長をしている住友化学がボロ儲けできるからだ」と批判が噴出している。
TPPに参加すると、アメリカから「遺伝子組み換え食品」が大量に入ってくる恐れが強い。日本は遺伝子組み換え食品に“表示”を義務づけ、一定のブレーキがかかっているが、アメリカは表示義務の“撤廃”を求めているからだ。その時、国内最大の農薬メーカー、住友化学が大儲けするというのだ。一体どんなカラクリなのか。
「住友化学は昨年10月、アメリカのモンサント社というバイオ会社と提携しています。モンサント社は、強力な除草剤『ラウンドアップ』と、ラウンドアップに負けない遺伝子組み換えの種子をセットで売っている。遺伝子組み換え種子ビジネスの大手です。ベトナム戦争で使われた枯れ葉剤を作っていました。要するに、遺伝子組み換え食品が広まると、モンサント社が儲かり、ビジネスパートナーの住友化学もウハウハというわけです」(霞が関事情通)
しかし、自分の会社の利益のためにTPPを推進しているとしたら許されない。遺伝子組み換え食品にどんな危険があるか分かっていないからなおさらだ。
「TPPに参加したら、日本の食の安全は崩壊しかねません。たとえば日本は大豆の90%を輸入に頼っている。産地はアメリカが70%で、アメリカの大豆の90%が遺伝子組み換えです。いまは表示を見れば遺伝子組み換えかどうか判断がつくが、表示義務が撤廃されたら、消費者は判断がつかなくなる。多くの消費者は、強力な除草剤をまいても枯れない大豆、人為的に作った大豆が本当に無害なのか不安なはずです」(農協関係者)
住友化学は「米倉会長は経団連会長としてTPPを推進しているに過ぎません」(広報部)と釈明するが、米倉会長を国会に呼んで真相を問いただすべきだ。
(日刊ゲンダイ)


*うーむ、こうなって来ると、陰謀論めいてくるが、下記のような、遺伝子組み換え作物ビジネスの裏にはビル・ゲイツらによる壮大な野望があるという話も、あながち、嘘でもないのかもしれないなあ、というのか、これがもし本当だったら大変な話ではあるなあと思い至る。

◆ビル・ゲイツが進める現代版「ノアの方舟建設計画」とは(浜田和幸)
 2009年06月06日10時00分 / 提供:MONEYzine

http://moneyzine.jp/article/detail/154637
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2011/11/22

TPPと日本の農家、遺伝子組み換え食品について思うこと  時事問題

TPP、具体的に、どのようなメリット、デメリットがあるのか?
結局、それが国民もみんな、よく分かっていないから、いまいち反対運動が盛り上がらない。

農業の問題については、僕は以前に以下のように書いた。

「農産物の輸入自由化を進めてしまったため、日本の農村は壊滅状態になってしまった。農業に関しては、海外と自由競争することはそもそも無理な話なのである。何故かというと、国土の広さの違いがあり、つまり、たとえばアメリカの大農業家が所有している農地と日本の農家の農地は面積の規模が根本的に違うのだ。アメリカの大農業家と自由競争したら日本の細々と経営しているような農家はかなうわけがなく、皆、潰れていくしかないわけである。そこがたとえば自動車のような産業とは違うのだ。自動車は日本のメーカーの技術力によって、世界でも信頼を得て、産業として世界の企業と競争して勝つことが出来る。しかし、農業の場合は所有している農地の規模が根本的に違うので、自動車のような形にはいかないのである。だから、農業に関しては、愛国的な保護政策をしなければ、とてもじゃないが、太刀打ちできるわけがないのである。
 だが、自民党は農産物の輸入自由化を解禁してしまったので、とにかく小規模な農家はもうどうしようもないので切り捨てていくしかない、大規模な農家のみを奨励して、大規模な農家をより大きくしていき、海外の農家にも対抗できるような力を持つようにしていこう・・という方向にいったのだろう。こうして多くの農家が切り捨てられていき、自民党のかつての強固な選挙基盤であった農村部の支持層が崩れていってしまったわけである。 」

これにダメ押しするものが、今、野田政権が進めようとするTPPであると言える。だから、TPPでは日本の農家は潰れてしまうから、反対であるわけだけれども、そう言うと、しかし、どっちみち、日本の小規模な農家は復興することは難しいのではないか、TPPをたとえやらなかったとしても小規模な農家ではやっていけなくなるのではないか、ならば日本の農業が復興する道はアメリカやカナダに負けないぐらいの大規模農家になっていくしかないではないか、つまりTPPでも潰れないぐらいの力を持つ農家に日本の農家もなっていかなければいけないというのか、なっていけばいい、いくしかないではないかという反論があるのではないか。これはこれで一面では成立する理屈であるようには思う。

しかし、何かがこの論には抜けている。いろいろなことが複雑に絡んでいるので、簡単には物事は白黒がつけられるものではないと思うのだけど、具体的にいろいろな角度から考えてみる必要があるように思う。
たとえば、主にモンサント社が進める遺伝子組み換え技術の問題は大きな観点のひとつだろう。現在、アメリカが進めようとしていることの背景には、遺伝子組み換え食品を広めたいという思惑が確実にある。現実には遺伝子組み換え食品はかなり日本の食卓にすでに入っているし、確実に、僕らはすでに食べているはずであるが(念のために書いておくと、「遺伝子組み換え食品ではありません」という表示があったとしても、そうではない可能性が高いというだけのことで、100パーセント、そうではないという意味ではない。そもそも100パーセント、そうではないということをたしかめる検査の技術は確立されていない。)、TPPでさらに遺伝子組み換え食品の輸入品が多く入ってくるようになることは間違いない。また、国内でも海外の農家に対抗できるような農家になることをめざすということは、すなわち、日本国内でも遺伝子組み換え農産物を生産するようにもなっていくのではないか。つまり、これは、農家が潰れる、潰れないという問題をこえて、食べ物の問題であるのだから、消費者、誰もにも関わってくる問題なのだ。大手メディアは、こうしたTPPの問題に絡めて、遺伝子組み換え食品の問題を見ていくことはほとんどしていないが、本当はこうしたことこそが具体的に消費者に直結したことなのであり、こうしたことを議論していく必要があるのではないか。
先に書いたように、日本では遺伝子組み換え食品について表示があったとしても不完全なものであるが、不完全ながらも表示があるわけだが、現在、アメリカやカナダでは表示の義務は法的には一切、なく、ほとんど表示がないことのほうが一般的である。なので、TPPで、アメリカやカナダが表示をなくすことを日本に求めるのはある意味では当然のことだと言える。自国の中で、全く表示の義務がなく、表示をしていないのに、日本に輸出する食品にだけ表示をすることを企業に求めるというのがそもそもアメリカやカナダの政府には出来ないだろう。これは、アメリカが日本を我がものにしようとしていて、だから表示を無くそうとしているということとはちょっと違うことである。アメリカの政府は自国の国民に表示をする必要はない(なぜなら遺伝子組み換え食品は安全なものなのだから)と説明しているのであるから、自国の国民に対してしていることと同じことを日本の国民に対しても求めているのに過ぎないとは言える。

では、遺伝子組み換え食品はそもそも本当に安全なのか?
それこそが問題であるわけだが、これが科学者、研究者の間でも議論が分かれるものなのであるが、遺伝子組み換え食品が果たして人間にとって安全なものなのかどうか、実は科学者、研究者も含めて誰にも分かっていないというのが本当のところなのではないかと思う。放射能の問題と通じるかもしれないが、専門の科学者、研究者だったら事実が分かっているのだろうとか、たとえばやたらと安全と言う学者は本当は危険だと知っていて隠ぺいして言っているのだ、危険性を言う学者のほうが誠実で信じられるとか、そういう風に考える向きもあるかもしれないが、そういうことではなく、どんな科学者、研究者でも、あるいは医者でも、結局、よく分からないのではないかという気が僕はしてしまう。なぜなら、誰もが遺伝子組み換え食品を食するようになったら果たして人類にどのような影響があるのか、それは人類が経験したことがない未知のことであり、誰も人体で研究などしていないからである。だから、絶対、安全であると断言することにも根拠はないが、しかし、こんなに危険と危険性を言うことも、その指摘がどこまで正しいかは現状では分からないのだと言える。
特に、人体にどのような影響を与えるのか、漠然と遺伝子組み換え食品と言うと危険なのではと不安になってしまうが、生理学的には遺伝子組み換え食品を食したとしてもそれを消化するメカニズムを人体は持っているのではないかと説明されると、それを否定する医学的根拠があるのだろうかとは思う。
だが、仮に、人体に直接的な影響を与えなかったとしても、遺伝子組み換えの広がりによって生態系が壊され、なんらかの変化が起こることは充分に科学的に危惧されることなのではないだろうか。そもそも遺伝子組み換え技術によって、特定の植物や動物が大量に発生すれば、それだけでも生態系に変化をもたらすものであることは確実で、それでも全く生態系になんの影響を与えないという理屈は無理がある。そして、生態系に変化が起これば、それはやがて人類にも影響が及ぶのではないか。つまり、仮に、人体に直接的な影響を与えないというのが本当だったとしても、長い目では人類に大きな影響を与えることは間違いないのではないか。
僕は以前に、日本でも2008年頃から各地で発生しているミツバチの大量死について、遺伝子組み換え技術の影響ではないかと書いたが、これはちょっと間違いだったようで、ミツバチの大量死はネオニコチノイド系の農薬の影響である可能性が極めて高いようであるが(政府は認めないけど、日本各地の養蜂家が、近くでネオニコチノイド系の農薬の散布が行なわれてからミツバチが大量死したと証言されているのだから、因果関係があると考えるほうが妥当なのではないか。中には、ある養蜂家の人はネオニコチノイド系の農薬を散布されるとミツバチが大量死してしまうと必死で反対していたが、止められずに散布が行なわれてしまい、予期していた通りにミツバチが大量死してしまった・・というのだから、ネオニコチノイド系の農薬のためだと疑わないでいることのほうが無理である。)、遺伝子組み換え技術が生態系に影響を与えることがないと断言できる人は誰もいないのではないか。

そもそもそんな分からないものなら、もしかしたら危険かもしれないものなら、最初からやらなければいいではないかと思う人もいるだろうし、それはもっともなのであるが、しかし、結局のところ、それでもしてしまうのが人間というものなのかもしれない。それは、そうした科学技術によって大儲けをしようとか、自分の利益のことばかりを考えてそういうことを推進しようとする悪い人が世の中には存在するものだということもあるが、そういうこと以前に、とにかく、そうした科学技術を手にしたらそれを使ってみたくなるのが人間というものなのだという、人間とは何かという本質的な問題があるのではないだろうか。つまり、遺伝子組み換えとか、クローンとか、神ならぬ人間がそんなことをしてしまってもいいのだろうかと直感的に畏怖の念を抱くようなことなのだが、畏怖の念を抱きながらも、いや、畏怖するからこそより一層、それをしたくなる・・というのがどうも人間というものの本質としてあるように思うのである。これをやったらヤバいかもしれない、でもヤバいからこそ、やってみたい・・そういう好奇心がどうしようもなく人間にはあるということである。結局、人間が、人類が打ち勝てないでいるのは、こうした好奇心というものなのかもしれない。核だろうと、遺伝子組み換えだろうと、クローンだろうと、そういう技術を手にしてしまったら、どうしてもそれをためしてみたくなる、もしかしたら、その結果、人類が破滅するかもしれないが、それほどヤバいものだからこそあえてやってみたいという欲求・・ある意味ではこれこそが人間性というものではあるのだ。そして、我々が克服できないでいることはまさにこうした人間性というものなのかもしれない。

話がまたちょっと脱線してきたかもしれないが、TPPによって日本の農業はどうなるのかという話に戻すと、だから、日本の農家もTPPでも潰れないぐらいの力を持つ農家になっていけばいいではないかということを言う人がいるのだけど、たしかにそのことで生き延びる日本の農家が具体的にあるかもしれないが、本質的に問題を解決することではないように思うのである。
日本の農家がTPPでも潰れないぐらいの力を持つ農家になるということが、たとえば、先に書いたように、日本国内でも遺伝子組み換え農産物を生産するようになるということであるならば、問題の本質的な解決にはならないというのか、むしろ、問題をより広げていると言えるのではないだろうか。
あるいは、アメリカやカナダの農家が日本の農家を潰して占有しようとしている、それに対抗するため、日本の農家は東南アジアや中国に進出していこうと言う人もいるが、アメリカやカナダの農家が日本の農家にしていることを、今度は日本の農家が東南アジアや中国の農家に行なおうというのでは問題の本質的な解決とは言えないのではないか。
では、現実に事態がどんどん進行している中、これ以外にどのような道があるというのだろうか。
分からないが、たとえばひとつの可能性としては以下のようなこともあるのではないか。
それは、たとえばアメリカの農家も、全部が全部、大規模農家で、遺伝子組み換え生産物に転化しているわけではないということである。アメリカの農家の2割ぐらいは、特定の消費者と提携する形を進めたり、有機農業や、より安全な農業を進めようといろいろと模索している。遺伝子組み換え技術の農業がまさに現実にどんどん進んでいるからこそ、それに対して異を唱え、違う道を模索しているのである。日本の農家は、たとえば、こうしたアメリカの2割ぐらいの、大きな流れに抵抗し、別の道を探ろうとしている農家の人達と連帯していくことは出来ないのだろうか。アメリカやカナダの大規模農家に負けないぐらいの強い日本の農家をめざすというのではなくて、アメリカの2割の小規模でも独自の道を模索している農家の人達と連帯をしていくこと。たとえば、そういう方向性はないのだろうかと思うのだ。
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2011/10/13

ナオミ・クライン『ウォール街を占拠せよ』  時事問題

ナオミ・クライン『ウォール街を占拠せよ』

http://beneverba.exblog.jp/15811070/

*ううむ。どうなるのか、予測がつかない。もしかしたら、世界に、すごい転換期が来つつあるのかもしれない。
 たとえば、もしアメリカが社会主義国になったりしたら・・。ある意味、最強の社会主義国になるかも。ちょっと恐い?

 でも、ナオミ・クライン氏が言う、富裕層は、人々のパニックにつけこみ、さらに金儲けをしようとする・・という話は、なるほどと思いました。

 ところが、資本主義の原理的な問題点からすると、富裕層が思うようにも行かないと思われるところが興味深い。
 資本主義の原理的な問題点というのは、要するに、資本家は自らの儲けの手取りをあげるためになるべく人件費をカットしようとして、たとえば労働者を派遣にしたりする。しかし、そうすればする程、多くの人々は低賃金で生活が苦しくなるからモノが売れなくなる。なので、結局、不景気でモノが売れなくなり、資本家の人たちが思っていたように利益があがらなくなる。結局、人件費を切り詰めようとすることが、資本家にとって自分で自分の首をしめていることになるのだ・・というものです。この原理を、資本主義は逃れることが出来ないから、富裕層の資本家たちが思うようにもいかないわけ。
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2011/6/19

ニッポン人脈記 石牟礼道子さん(朝日新聞)  時事問題

(朝日新聞 2011.6.17)
水俣は問いかける:1 魂の遺言に向き合う/ニッポン人脈記

 3月11日のことだ。
 水俣病患者の苦悩を描いてきた作家、石牟礼道子(いしむれみちこ)(84)の熊本市の仕事場に訪問客があった。
 彼女の世話をしている看護師たちが野の花をつんで作った花かごを持ってきたのだ。
 「お誕生日おめでとうございます」
 自分が生まれた日をすっかり忘れていた石牟礼は「今日は世の中何があるかしら」とテレビをつけると、東日本大震災の映像が映し出された。
 壮絶な光景に息をのんだ石牟礼はそれから連日、震災のニュースに目がくぎづけになった。家屋が倒壊した被災者が、自分たちよりも津波にのみこまれた人々やその家族の無念さを思いやり、涙を流す姿を見た。
 「希望がもてない日本だなあと思っていました。でも、東北の人々のことばを聞いていたら、こういう人たちがいらっしゃるのであれば、日本人にも希望がもてるのかもしれないと」
 水俣病問題にかかわって約半世紀。この間、石牟礼はずっと危機感を募らせてきた。
 互いを思いやるきずなが失われ、無機質の巨大なビルが立ち並ぶ都会の姿は、近代文明のなれの果てに見えた。
 そこには生きもののざわめきがなく、何より大地が呼吸をしていない。
 石牟礼は大震災のことを考え続けた。
 「息ができなくなっていた大地が深呼吸をして、はあっと吐き出したのでは。死なせてはいけない無辜(むこ)の民を殺して。文明の大転換期に入ったという気がします」

    *

 石牟礼が育ったのは熊本県水俣市。静かで、のどかで、ひそやかな不知火(しらぬい)海のなぎさで遊んだ。近くにはチッソの工場がそびえ立っていた。
 1950年代の半ば、石牟礼はこんな話を耳にした。
 「妙な病気がはやりよっとばい。猫は鼻で逆立ちして、鼻が真っ赤になって」
 胸騒ぎがした。
 当時、海では魚が海面に浮き、魚を食べたカラスが空から落ち、漁師の中には手足が震え、よだれをたらし、うなり声をあげ、死ぬ者もいた。
 水俣で起きていることを書かねばと思った石牟礼は、患者の家を歩いた。苦しんでいるのは10人や20人ではないと直感した。
 患者を描く際は地元のことばで表現した。
 「そうしなければ患者さんの心情は伝わりませんから」
 病院に収容された患者が海の美しさを懐かしむ場面を、石牟礼はこう描いた。
 「わけても魚どんがうつくしか。いそぎんちゃくは菊の花の満開のごたる」

    *

 65年、雑誌に原稿を発表していた石牟礼の自宅を渡辺京二(わたなべきょうじ)(80)が訪れた。
 渡辺は「熊本風土記」という雑誌の創刊を準備していた。石牟礼の原稿を一読した渡辺は驚き、知り合いの作家上野英信(うえのひでのぶ)(故人)が出版社にかけあった。原稿は69年に「苦海(くがい)浄土」という題で出版され、反響を呼んだ。
 だが、水俣市はチッソの企業城下町。企業の影響力が大きく、患者は孤立していた。
 「水俣病はふつうの事故ではなく、緩慢なる毒殺です」
 何とかしなければと思った石牟礼は「もっと多くの人に知らせたい」と訴えた。
 「石牟礼さんの頼みなら」と、渡辺はガリ版刷りの新聞「告発」を出した。以後、石牟礼と共に動き、原稿の清書や資料の整理を今も続ける。
 渡辺自身、石牟礼の作品から示唆を受け、近代を問う作品や論評を書いてきた。
 「何でも一緒にやってきたんだから。こうなったらとことん手伝うしかない」
 石牟礼は水俣病患者と震災の犠牲者の姿を重ねる。
 「亡くなった人たちの魂が伝えようとしている遺言に向き合わなければ、日本は滅びると思います。でも、受けとめて立ち上がった時、今までとは異なる文明が出来上がるのではないでしょうか」
 医療、認定、賠償。水俣病を通して突きつけられた問題に向き合ってきた人々をたずねながら、被害者となった国民、企業、国の関係を見つめ直す旅に出た。

 (稲野慎)
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