2019/7/20  11:36 | 投稿者: min

新潟県旧山北町に山熊田という地域がある。
現在もマタギ文化が息づいている貴重な地域だ。

人里から遠く離れた山熊田では「しな布」という日本最古といわれる布が織られている。
科の木の皮から織られるしな布は当地では「羽越しな布」(うえつしなふ)と呼ばれている。
その技術を受け継ぐ女性たちが10数年前に起業し、「さんぽく生業の里企業組合」を立ち上げた。

しな布の技術を受け継ぐ主要メンバーは3人の年配の女性。
これに加えて、村上市が技術継承のため募集した県外の女性1名
しな布は「さんぽく生業の里」で織っている。
このほか、以前に県外から移住してきた女性が技術を受け継ぎこれから集落内に工房を開く予定とのことである。

科の木の皮はアブが発生する夏前に切り出され、来週には灰で煮る作業を行い、その後糠につけて糸のもととなる。

細かく裂かれた繊維は手回しの昔ながらの糸車で撚り、糸に紡ぐ。
その後は木組みの足踏みの織機で筬で横糸を一本一本丁寧に組み上げていく。

製作しているのはハンドバックや着物の帯
生産量も少ない貴重な製品のためか結構な高値で販売している。

手触りは繊維を肌で感じるようなこしのある感触。
この技術をいつまで継承できるか、これからの課題であろう。

山熊田は数十軒の集落で集落に続く1本道も整備されているが、昔は冬期間の除雪もなく孤立した。
今は、県道ということもあり、除雪が行われてる。また、道路には山水を流すことから道路の凍結はない。

集落に沿って清流山熊田川が流れており、田んぼを作れるような平地は見当たらず、集落を越えると林道となり、ほとんどの地域が森である。

集落では一部の家にはプロパンガスボンベが見えるが、多くの家が薪を積み上げているから、風呂などはこの薪を使って沸かしているのだろうか。

現在は水も電気も不自由はないが、昔はどのように生活していたの気になるところであるが細かいことは聞けなかった。

高齢者の割合が極めて高いこの集落では、病院などはどうしているのか聞いてみたが、病院行きのバスが集落まで来て乗せてもらっているのだそうだ。

山熊田は昨年読んだ宮城県出身の作家「熊谷達也」の小説、森3部作の1つ「相剋の森」の舞台となったところである。
相剋の森では現代のマタギをテーマにしたもので、最近では、マタギなど山熊田を取材した新聞連載やテレビ番組が作られている。

さんぽく生業の里には熊の皮が室内に飾られている。
本来の目的はマタギのことを中心に調べたかったのだが、男衆の姿は見えず、生業の里内にもめぼしい資料はなかったことから、また今度にする。

山熊田小学校跡地
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廃校となった学校
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さんぽく生業の里
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さんぽく生業の里内の熊の毛皮
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しな布を織る機織機
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集落を流れる川
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集落風景
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朝日道の駅にある「またぎの家」
奥三面ダム建設で閉村した三面の民家を移築したもの
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2015/12/27  14:14 | 投稿者: min

少しだけ、ここに置く。
相変わらず、写真が縦にならない。
写真をクリックすれば、別ウインドで縦に表示されるようだが。

山都のそば
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喜多方ラーメン
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麒麟山酒造「はでっぱの香」
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ハイブ長岡前 米百俵の群像
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山本五十六公園
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山本五十六生家(復元)
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山本五十六像
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新潟古町 はつ風
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互尊文庫と野本互尊像(野本恭八郎像)
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子供のころ行ったことがあったが、今年久しぶりに寄ってみた。
野本互尊は日本互尊社を作った方。
長岡市福住に日本互尊社があり、同じ敷地に如意蔵博物館がある。
そこには、山本五十六の遺品などと一緒に野本互尊の品があり、
そこまで行ったことはあるが、中に入るのはまた今度。

北方文化博物館
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新潟市道路元標
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合同会社
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合同会社とはっきり書いてある看板は珍しいのか?
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2015/10/17  23:25 | 投稿者: min

結構前の写真もあるけど、比較的最近の散策時の写真の一部を貼り付けてみた。

散策=これといった目的もなく、ぶらぶら歩くこと
言葉の使い方が間違っているかもしれないが、なんとなくよってみたものばかりだから、気分的には散策なのだ。

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柏崎恋人岬
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いくとぴあ食花のイルミネーション
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新潟の3大イルミネーションなんだって。
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いくとぴあの日本庭園に映し出されるプロジェクションマッピングはなかなかいい
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結構時間も長く、きれいに新潟の四季を表現している
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こちらはみなとぴあのライトアップ
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そのみなとぴあでプロジェクションマッピングの国際コンペティションが開催された。
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牡丹山諏訪神社
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ここから円筒埴輪が発掘されていて、円墳があったことが分かった。
少し前発掘調査が行われたが、今は埋め戻されていて看板がなければだれも気付かないだろう。
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菖蒲塚古墳
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この古墳は前方後円墳。
看板によれば日本海側沿岸部では北限となっているが、
胎内市の「城の山古墳(じょうのやまこふん)」が前方後円墳だったことがわかり、北限は約50キロ北上した。

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【追記〜訂正】
城の山古墳が前方後円墳だったことが判明したと認識していたが、Wikipediaを見てみたら、前方後円墳との見解は撤回されていることがわかった。
メディアの記事でも胎内市教育委員会が今年9月調査報告で撤回していることが書かれている。
新聞にも載っていたはずなのだが、例によってすっ飛ばしたんだろう。
日本海側の前方後円墳の最北はやはり菖蒲塚古墳なのか。


上ン原遺跡(いわんぱらいせき)から角田山を望む
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巻竹の町の柿団地
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一面柿、柿、柿。
柿団地は角田山山麓に昭和44年造成され、縦横に車がやっと通れる細い道路が走っていて、今まさに収穫の時期を迎えていた。
その柿団地の中に菖蒲塚古墳や上ン原遺跡などがある。
栽培されている柿は平核無(ひらたねなし)とその平核無の枝変わりの早生品種刀根早生であるが、越王(こしわ)おけさ柿と命名されている。
越王はこの辺に越の王がいたことに由来する。
昔からの馴染みの呼び方は八珍柿である。
越後七不思議に次ぐ8番目の不思議ということ。

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ある排水路に棲む錦鯉
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この水路はかなり幅の広い水路で、見にくいとは思うが色鯉の他に黒鯉もうようよいる。
近所の方がここに放したとのことであるが、定期的に餌をやる方がいて、その大きさは50センチはゆうに超えているように見える。その口の大きさも半端じゃない。

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見附市今町の永閑寺
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ここは、戊辰戦争時新政府軍の本陣となったところ。
でも、同盟軍に奪われてしまう。その同盟軍の攻略方法も巧妙だ。

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長岡市中島の新政府軍上陸の地
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増水の信濃川を渡りきった新政府軍が上陸した地であるが、今は住宅街の目立たないところにある。

明治戊辰之役東西両軍戦死者の墓
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明治戊辰戦跡顕彰碑
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このほかにも、山縣有朋の歌碑があった。
その歌は見附の小栗山不動院の歌碑と同じものであった。

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長岡水道公園に残される水道タンク
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近くで見ると見上げる大きさで、きれい。

ポンプ室棟
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監視室棟
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水道タンク、ポンプ室棟、監視室棟は国の有形文化財に登録されている。
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2015/9/20  11:36 | 投稿者: min

【小太郎神社】
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見附市にある近藤小太郎を祀った神社


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(碑文)
庄川郷は寛永年間に開かれた。田の耕作が広がり灌漑用水が不足になって村一同で水に苦労した。時に三代近藤小太郎という人が家産をかたむけて測量をして水源をさぐり水路を開くことに努めた。あまりの辛苦で目が見えなくなり、盲目になりながら志をとげずに病没してしまった。それから十年四代七左衛門が夏の日に藁叩石(わらたたきいし)を枕に昼寝をしていると先代小太郎が大蛇に姿を変えて現れ明日の朝山に向かっていくからついてくるようにいわれ数人で路を追うと野を越え山を巡り谷に沿い堀溝をすぎ鉢伏まで登って長い路であった。郷民と相談し経費を募り跡をたどって工事をすると立派に水が通る江川が出来た。いかなる旱天にも水の不足はなかったという。この水路は見附町と十二ケ村の生活用水ともなった。


いまでも、水路は残り、数キロにわたり山からの水を運んでいる。
この地では、縁のある人による小太郎さんという民謡も作成された。

山古志にて
【天皇皇后両陛下山古志展望の御地】
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天皇陛下の御歌
地震(なゐ)により 谷間の棚田荒れにしを痛みつつ見る 山古志の里

なゐにより避難せし牛もどり来て角突きの技見るはうれしき

皇后陛下御歌(みうた)
かの禍(まが)ゆ四年(よとせ)を経たる山古志に牛らは直(なほ)く角(つの)を合わせる

【地震で沈んだ木籠地区にある石碑】
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【沈んだまま残されている民家】
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山古志の人は地震の後この地を去った方もいる。
当時、全村避難でヘリで長岡まで避難した。
それでも多くの村人は地元に戻った。
今は山古志を訪れる方も多い。
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2015/9/5  9:24 | 投稿者: min

先日、ふと目に入った本をその場で座り読みした。

タイトルは週刊朝日編集部の書いた「司馬遼太郎の幕末維新U: 『世に棲む日日』『峠』『花神』の世界」である。

その中の「峠」の部分を読んでみた。
司馬遼太郎の小説「峠」は、幕末長岡藩家老河井継之助を書いたものである。

本の冒頭小千谷の信濃川に架かる「越の大橋」のたもとにある司馬遼太郎の文学碑のことが書いてあった。

急きょこの場所に文学碑を建てることを市から任されたのが山本という方で、山本氏は、この場所は長岡藩と新政府軍が信濃川を挟んで戦った場所であり、司馬遼太郎の峠しかないと考えた。

しかし、完成までの時間もない、金もない、除幕式もやらないという状況の中、そのことを司馬遼太郎の奥さま(みどりさん)に電話で伝え碑文を書いてほしいと頼んだ。
奥さまはそれを聞いて苦笑されながらも司馬遼太郎本人にその場で伝え、司馬遼太郎も笑いながら快く応じ、わずか5日ばかりで、直筆の碑に掲げる文章を送ってきたらしい。

その際に碑の設計案を見た司馬遼太郎は「碑は小さい方が良い」、「文字も小さくてよい」とのことを伝えてきたという。
司馬遼太郎の人間性を感じる。



その本を読む2週間ほど前のお盆の頃の話し

「越の大橋」のたもとに司馬遼太郎の文学碑があることは、以前から知っていたが、さほど有名でもなくお盆にたまたま十日町方面に行く途中で、この橋を通った際にふと思い出し、確かこの辺にあるはずとその碑を見つけ、車を止めて見てきた。

印象は、司馬遼太郎の碑にしては高さ1メートルちょっとと小さく、目立たないなあと感じていたところであった。
実際に、そこの交通量はそれなりにあるはずだが、その碑を示す看板もなく、すべての車が通り過ぎており、普段もほとんど気にされないのだろうな、もっと目立つものにすれば良いのに、とその場を立ち去った。

今回、週刊朝日編集部のこの本を読み、司馬遼太郎と建立に携わった山本氏のやり取りの結果このような碑になったのか、そういうことか、と納得したところである。




越の大橋のたもとにある司馬遼太郎の文学碑 「表」
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「裏」
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(碑の全体を写すのを忘れてしまった)

越の大橋から山なみを望む
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加茂本陣のあった市川邸跡(明治天皇行在所跡)
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加茂川のこいのぼり
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見附市小栗山不動院にある山縣有朋の歌碑
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歌は比較的知られている「あだ守る砦のかがり影ふけて夏も身にしむ越の山風(あたまもるとりてのかかり影ふけてなつも身にしむ越の山風)」だがこの碑の知名度はそれほどでもない。



「大地の芸術祭の里」飯山線下条駅にある「下条茅葺の塔」と列車
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