2006/1/1
もう40年も昔のこと。
多感な小学生時代をほとんど病院で過ごした友人が、窓ガラスに頭を突っ込んだ。命には別状なかったけど、毎週遊びに行っていてそんな厳しい状態だったことにちっとも気が付かなかった自分が、なんの苦労もせずに生きてきた自分がたまらなかった。自分が幸福であることがたまらなかった。
そんな頃、見つけたある本の言葉。
「幸福は人格である。ひとが外套を脱ぎすてるようにいつでも気楽にほかの幸福は脱ぎすてることのできる者が最も幸福な人である。」
「機嫌がよいこと、丁寧なこと、親切なこと、寛大なこと、等々、幸福はつねに外に現われる。歌わぬ詩人というものは真の詩人でない如く、単に内面的であるというような幸福は真の幸福ではないであろう。幸福は表現的なものである。鳥が歌うが如くおのずから外に現われて他の人を幸福にするものが真の幸福である。」
自分が幸福であろうとすることが、人を幸福にする方法でもある、そんな風に自分を考えることによって、救われたような気がしました。
これは三木清の「人生論ノート」の中の言葉です。三木清は1897年生まれの哲学者。1930年に治安維持法違反のかどで起訴され、転向をよぎなくされた後も、体制内で反対派という立場を取り続けたが、敗戦の半年前に治安維持法で検挙され、敗戦直後1945年に獄中で病死しています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%9C%A8%E6%B8%85
2005/11/4
やはりハインライン「愛に時間を」の中の言葉。
「もし自分自身が好きでないなら、他人を好きになれるわけがない。」
同じような意味の言葉が2つ前の投稿で紹介した「ダブル・スター」に登場するのですが、ちょっと表現が過激なのでご注意。↓
「人間は、なんとかして、自分自身を愛するか、でなかったら、自殺するしかない」
後半に重点を置いて読むと大変なことになります。「なんとかして自分自身を愛するようにしろ」という趣旨です。
どちらも一番最初に投稿した三木清の「幸福について」の中の言葉に通じるところがあります。
2005/11/4
やはりハインライン作品の「愛に時間を」に登場する言葉。
「人間はなんでもできるべきだ−
おむつを取り替え、侵略をもくろみ、豚を解体し、船の操舵を指揮し、ビルを設計し、ソネットを作り、貸借を清算し、壁を築き、骨をつぎ、死にかけている者をなぐさめ、命令を受け、命令を与え、協力し、単独で行動し、方程式を解き、新しい問題を分析し、肥料をまき、コンピュータをプログラミングし、うまい食事を作り、能率的に戦い、勇敢に死んでいくこと。
専門分化は昆虫のためにあるものだ。」
ちょっと大変ですね。要求レベルが高すぎます。でも、仕事だけして、家のことは何にもできない/しない男性、息子/娘に家のことを何にもさせない母/父/妻に贈りたい言葉ではある。
私はロビンソン・クルーソーや十五少年漂流記など無人島に流れ着いた主人公たちがだんだんと快適な環境を作っていく物語が好きなんですが、実際には大変だろうけど、一応いろんなことができるようにしたいという気持ちと、やりたいこと以外はやりたくないという気持ちが合い半ばではあります。
最低限、主婦が寝込んだときに掃除、洗濯、料理で最低限のことをできるように、夫、子供を躾けましょうね。
2005/11/4
ハインラインのSFで2番目に好きな作品が「ダブルスター」である。
太陽系大統領候補であるボンホートが何者かに誘拐された。しかし火星原住民との儀式に出席する約束を破ることはどんな理由でも許されないというのが火星人のしきたり。
そこでボンフォートの替え玉として見つけられたのが仕事にあぶれた天才役者のロレンゾ・スマイス。スマイスは、ハプニングにより記者たちの前で即興の演説をぶつはめになり、無難にこなすが、ある記者から、
「その演説を、この前の2月にも聞いたような気がしますが」
とつっこまれる。
それに対してスマイスが答えたのは、
「次の2月にも聞くだろうよ。1月にも、3月にも、どんな月にも。真理はなんどくり返しても、それで過ぎるということはない」
私は元来、人との会話のやりとりが得意でなく、吃音とまではいかなくとも、とっさにうまく言葉が出ないことが多い。
しかし、いろいろ話題が豊富である必要はないんだ。大事なことだけ、それを繰り返すしか能がない人間で構わないんだ、と救われた気持ちになりました。
2005/9/1
このブログのタイトルになった「月は無慈悲な夜の女王」に登場するデ・ラ・パス教授、彼も月に流刑になった政治的追放者ですが、その彼のことを教え子である主人公マニーが次のように評します。
「かれは何でも教えてくれた。何も知らないことであろうと関係なしだ。・・・そしてもしかれに難しすぎるとわかったときは−−実力以上のことを知っているようなふりは絶対にしなかった。・・・
おれはかれについて電子工学を始め、すぐにかれを教えていた。そこでかれは授業料を取るのをやめ、おれたちは一緒に勉強をしていたが、そのうちかれは余分な金を手に入れるために喜んで知恵を分けてくれる技術者を探しだした。−−そこでおれたち二人で新しい教師に金を払い、先生はまだおれと一緒に学ぼうとした。不器用にゆっくりとではあったが、自分の心を広げることが嬉しかったのだ。」
この最後の「不器用にゆっくりとであっても、自分の心を広げていくこと」をいつまでも喜びとしていきたいものです。
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