パラリンピックが終わった。新聞ではかなりスポットライトを当てていたが、実際はそうポピュラーじゃないという印象を持った。新聞によると金メダル受賞者が記者たちに『ちゃんとした質問をしてくれて有難う』と礼を言ったという。今までは好奇の目で見た質問が多かった証明だろう。
まあ実際に目の前で見たら人生変わると思う。ひねくれもんのぼーずだが大分で行われた車椅子マラソンを見て涙が止まらなかった。そういうルールだったかあるいはルールに抵触するのを避けたのかは覚えがないが、坂で転倒者が出ても、応援者は手を出さなかった。
従って助けられるのは選手に限られたのだが、車イスレーサーのブレーキを握りながら片手で助けるわけにはいかない。坂のフォールラインに対し、直交するよう停車し、両手で起こそうとするのだが、少し傾いているだけでレーサーは動き出す。助けようとする選手が転倒しそうになるのを、また別の選手が助ける。これを見て胸が熱くならない人がいたとすると相当の不感症といえよう。
この車イスマラソンはもともと健常者に混じって走りたいと言う人達の願いがあったが、混走の危険性を避ける為、車イスだけのレースになったと聞く。当時は病院等にある普通の車イスを使用したそうだ。今やグラスファイバーは当たり前、同僚の航空機エンジニアに至ってはプリプレグと呼ばれる、航空機用の複合カーボン材を使ったレーサーを関連会社の選手に提供していた。
この選手はハーフマラソンではトップクラスで大分にあるぼーずの関連会社に勤めている。彼の会社は太陽の町というハンディを持った人達を進んで雇用する会社が集まったところにある。ここは街自体に配慮がされている。例えばスーパーの駐車場は幅を広くとり、頭上には雨除けが付いている。レジ間の通路幅は普通の倍はあろうかという広さだ。すべて車イスの使用を考えてのことである。
感心したのは銀行のATM。操作盤の下がえぐられていた。車イスのまま操作出来るようになっているのだ。(これは数年前の話で現在は不明だが)操作盤は点字表記ではなかったように記憶している。やはり全部のハンディに応えることは難しいのだろうと感じた。
当然ではあるが、この会社は社宅もバリアフリーになっており、階段はスロープ化され、車イスのまま中に入ることが出来るようになっていた。身体性の専門家達に言わせると究極のバリアフリーはユニバーサルデザインだそうだが、ハンディに多様性があるため完全なユニバーサルデザインはなかなか難しいのだろう。ハンディを持った人達と健常者が共に暮らせる街は夢なのだろうか。
マラソンを健常者に交じって走りたいというのは、ごく普通の考えに思える。事故が怖いのは判るが、完全に分けなければならないのかと疑問を持った。もっとも、今更の混走は難しいだろうな。車イスのトップアスリート達はフルマラソンを1時間20分台で走るからだ。

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