曰く『全ての道はローマに通ず』。支配下にある地域にすぐ軍を送れるよう、ローマ帝国は道路を整備してきたためこう言われてきた。今は『手段は色々あるけど目的は一つ』のような意味で使われているが、元は事実を述べただけだと思う。有名なドイツのロマンティック街道(Romantische Straße)も、かの地ではローマへの道というだけの意味だ。
これを“浪漫溢れる美しい街並み”とキャンペーンを張ったのはJAL宣伝部の手腕らしい。お蔭でどれだけ出張者にアテンドさせられてきたことか(笑)。当時なら地図無しでローテンブルクに辿り着けたもんだ。・・で僕のローマ、ブルースへの道はどこから始まったかというと・・・一つは間違いなく妹尾師匠。
もう一つが8日夜のHowlin’Bar主役だったKotez & Yancyである。ちょっと待て、コテヤンを簡単にブルースの枠にはめていいのか??Jazz・Blues・Funk・Rock・Soulとどの枠からもはみ出してきたのが彼等、カテゴライズする気は全くない。ただ、彼らがもの凄い近道を作ってくれたと言っているのだ。
記憶が怪しいので、古い手帳を見ると2001年の5月27日、渋谷のHarp教室レッスンに出向いた。師匠から電話があり『悪い。今日のレッスン中止』(笑)。折角都心まで出たので、日比谷公園をうろついているとめっちゃ上手なHarpが聞こえてきた。野音の入り口を見るとブルース・カーニバルとある。
キップもぎの兄ちゃんに「今の演奏誰?」と聞きKotez & Yancyと言われた。若手No1と言われたコテっちゃんは知っていたが、生音を初めて聴いたのはこの時だった。すぐに当日券を買って入るとブルーのつなぎを着た兄ちゃんがステージを去る所だった。残念(笑)。
入れ替わりに、白のチャイナドレスを着た女性が、背の低いおっちゃんを連れて出て来た。残念ながらステージからはかなり離れてるので女性の顔立までは判らないが、メッチャ足のきれいな人だった。突然、その女性がギター、チェリーの335でブルースを弾き出した。おっちゃんはそれに乗せ、主催者からの注意事項を歌い出す・・・なんやねん!これ??(笑)
この司会者コンビが後藤ゆうぞう・カメリヤ=マキだった。ゆうぞうさんは日本でただ一人のブルース司会者と言う事だったが・・・そりゃ二人はおらんやろ(笑)。気になったのはアシスタントの女性ギタリスト。おちゃらけに付き合ってるがギターの音色からは『ただもんじゃない』香りがプンプン漂ってきた。
後日、この人が気になって調べるがいま一つ判らない。Y2Kの後だし、当然ネットは普及していたが、コンテンツに乏しく勢い余って占星術師のカメリア=マキにまで行ってしまう。こんな時頼りになるのが我が妹尾師匠。『司会のねーちゃんか?静沢真紀って子で、伸ちゃんの弟子やで。去年の合宿に来てくれたやろ』
「去年の夏はまだ弟子にしてもろてません」本名が判れば後は簡単。Ragでフュージョン系のセッションをやるのを知り、帰省時に友人と訪れた。ロングの巻きスカートでワウペダルを踏んでいて・・・「間違いない。この足だ!」(笑)どこで本人確認してるんだ、ワシ!
この女性が京都のUncle×Uncleというバンドに参加すると知り・・・彼等と知り合うようになる。これが無くてもいずれ伸ちゃんや師匠からつながったとは思う。でもコテヤンのお蔭でとてつもないショートカットを歩めたと思っているのだ。
※これをしてライブレポートとは言えんので当然
ここに続く。また、日付は縦に読んでもらうためのダミーなので悪しからず。。

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