2007/6/30

雨乞い  映画

ふと自分が雨フェチだということに気づく。フォード『モガンボ』のテラスで煙草をふかすエヴァ・ガードナーの背後に降る雨。ロージー『恋』の冒頭で窓を濡らす雨。山中『人情紙風船』の、溝口『武蔵野夫人』の、小津『浮草』の、成瀬『乱れ雲』の雨。イーストウッド『マディソン郡の橋』の雨……。数え上げればキリがないほど多くの雨に魅了されてきた気がする。そうして最近の自分の作品にもやたらと雨が降っていることにハタと気づかされた。
さて、次回作ではどうやって雨を降らそうか……。
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2007/6/30

ちょっと訂正。  映画

少〜しだけ冷静になったんでちょっと直す。
限りなくトニスコに近づいた、というのは言いすぎ。さすがにそこまでではない。
足元に近づいた、ぐらいのニュアンス。

もうひとつ言っておきたいこと。
『ゾディアック』の天気雨に勝るとも劣らぬ、美しくも不吉きわまりない夜の雨をこの映画で見ることができる。
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2007/6/30

今夜ほど。。。  労働

いまさらこんなこと言ってもはじまらないのだが。。。

今夜ほどこの国で仕事してるのがイヤんなった夜はないね。。。

てゆうか、アメリカに生れたかったなあ。。。
でもアメリカに生れたって、いまみたいな欲望を持てたかどうかわかんないしね、もちろん。。。
こんな悩み、じゃなくてボヤキそのものがアホクサ。。。
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2007/6/29

デス・プルーフ  映画

いまはまだ冷静さを取り戻してはおらず、見るのも初めてだったし、ちょっとこんなことがあっていいのかという信じ難さに動揺しきって、正確さを欠いたことしか言えないかもしれないが。。。

クエンティン・タランティーノ『デス・プルーフinグラインドハウス』は超スゲエ!!!

こんなことが……というのはタランティーノが限りなくトニー・スコットに近づいてしまった、ということなのだが。それより何より、ポン寄りのアクション繋ぎをあんなにちゃんとやれるアメリカの監督、いま他にいないかもしれない。それだけでもこのグダグダで、傑作でもなんでもないけれどまぎれもない活劇であることだけは確かな新作に、深々とした感銘を受けた。
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2007/6/28

J(ジャスコ)文学とS(ストリート)小説  議論

小説の発生に「風景の発見」が介在するという認識に柄谷行人が『日本近代文学の起源』で書いたこと以上付け加えることがあるとは思わない。ある「風景」に出会い、それがどんなにつまらないものであれ、言葉として「描写」しようとするところから「(写生)文」が始まり、ついで物語を紡ごうとする「語り」へ欲望は横滑りする。あるいは執拗に「文」に留まろうとし、また「語り」と「文」を行き来しようとする。十九世紀だろうと二十世紀だろうと二十一世紀だろうとごくシンプルに言って小説とはそうやって構築されていくものだと私は疑わない。全体小説や観念小説と呼ばれるもの、たとえば『死霊』のような作品が再評価される昨今、それはいささかヒステリックなまでの「文」への拒絶反応に感じられてならない。自同律の不快。これは「文」を書く行為が境を接する(自分が客観的に「在る」ことを見てしまう)狂気への恐怖以外の何かだっただろうか。自分を見ないために「文」を拒絶し、目を閉じ耳を塞いで内なる声を吐き出そうとのみすること。だがそれらはもちろん、どこからともなくやってきてすれちがいざま自分を潜って行く際にあたかも自分の内なる声だと錯覚されたにすぎない言葉どもなのだが。小説を書く、または映画を撮るとは、そのような錯覚を無視し、客観に身を任せる狂気との親密な関係を結ぶことによって初めてなされるものではないか。ジャスコ文学と仮に呼んでみたい一群の小説があるとして、そのような客観に身を任せる狂気がそこにあるとはあまり想像し難い。むしろそれを見ないように夥しい言葉でできた巨大な砦のようなビル――その中にはとりあえず生きるために必要なものは何でもある――の内側に立てこもる。だがかれらはそれが肥大化した自己の幻影そのものだと気づいていないようだ。そんなことには気づかないほうが反って好ましいにちがいない。一方、絶えず客観に自分の身を晒さずにはおれない環境があり、そこから発生する小説もいまだ存在している。日本の近代小説はずっとそこ――ストリート――をうろつきまわりながら「観念より先にあるもの」と対峙していた。むろんそれが自我(es)である。このノスタルジーなど微塵もつけ入る隙のない現在進行形の対峙(これがつまり「活劇」と呼ばれる)に際してはじめて「文」は書かれ「語り」が始まったはずだ。十九世紀末に発明されたムーヴィーキャメラは、それを機械によって行う道具だった。体験談やそれに培われた観念、他人の共感をあてにした空想などと一線を画す何かがそこに露呈せずにはいない。
ともあれ私は、ストリート・ランブラーでいよう。それが存在するかぎり。
何しろそれが好きなのだ。ジャスコと家の往復では好きなことなんてできやしない。
これからは好き嫌いで生きていくのだ。
ピース。
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2007/6/28

クローネンバーグの新作  映画

『Eastern Promises』予告見ちゃった。。。
またヴィゴだ。でもナオミ・ワッツが出てくるとクローネンバーグというよりリンチみたいに見える。
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2007/6/28

ディパーテッド補遺  映画

スコシージがやはり『ミーン・ストリート』以来描き続ける五〇年代的、というか赤狩り的な「裏切り」もしくは「密告」という主題だが、現在においてはむしろ「不実」という形で描かれるべきかと思われるそれを(いくつかの例外はあるにせよ)どうして常にパブリックな場へ押し上げた形でしかスコシージは描こうとしないのか、それがいつも気にかかる。つまり六〇年代的なそれ(数度の離婚経験者であるスコシージも、そこはデパルマに譲ったつもりなのだろうか)より五〇年代は比較にならぬ苛酷さを生きていたことに対する後ろめたさのようなものを引きずっている気がして、それがスコシージの映画を貧弱にし続けている気がするわけだ。たしかに都市の裏通りには恐るべき魔が潜んでいるだろう。だが、赤狩り(やスターリンの粛清)を真剣に考えれば、その程度のものに自尊心を奪われることなどない、としか思えない。ディカプリオの折れた左腕を襲うニコルスン。だが、ちっとも痛みを伴わないし恥辱も感じない、少なくとも『ハスラー』や『ララミーから来た男』と比較すると。
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2007/6/27

ディパーテッド  映画

ようやっと映画を見る気になり、スコシージ『ディパーテッド』をdvdで。
なんだかいろんな映画や小説をデジャヴ(リメイクのことではない)してしまうようなディテールだらけだが、最大の問題はアメリカ映画がカットバックを撮れなくなってしまっていること、というよりカットバックなど撮れなくていいことになってしまっていることだろう。たとえば、ナメの2ショットをやるならキャメラは二台で撮影し編集段階でなるべく同じテイクを使うというのが基本であり、振り返りや重心の移動を情動に置き換えて丹念に切り返していく、アメリカ映画ならそこが腕の見せ所だと思っていたが、残念ながらこの映画のカットバックはそれが一切出来ていない。近年のアメリカ映画でそれを丹念に行えるのはイーストウッドとスピルバーグ、それにジェームズ・マンゴールドぐらいか。あるいはセルマ・スクーンメイカーという著名な編集者はこのアメリカ映画をダメにする杜撰さの元凶なのかもしれない。ジャック・ニコルスンほどのヴェテラン俳優ともなれば、そのシーンがカットバックになると聞いた瞬間にテイクを重ねてもなるべく芝居を変えないように注意するくらいの技術はあるが、レオナルド・ディカプリオもマット・デイモンもそういうところ教わっていないのか。笑顔と真顔が切り換る、まるでフジテレビの連続ドラマ並みに稚拙な演出=編集になる。おそらくスコシージは編集でいろいろといじりまくるほうということになっているだろうが、カットバックにさも得意げな真俯瞰を混ぜるセンスもそろそろダサすぎだと誰か言ってあげるべきだろう。あと、あの特に毒にも薬にもならない女医の、子供時代の写真をめぐる2シーンだが、あれ、順番逆じゃないか? どうして引越し後の部屋でディモンが片付けてしまう写真を引越し前の家でディカプリオが壁に飾り直すのか。ラヴストーリーはあくまでサブだから気にならないのだろうが、それにしても杜撰ではないか。捕り物の一連も、もはや歳を取りすぎたのだろう、これまた適当すぎて呆れたが、最後のエレベーターホールとディモンの部屋の二つの銃撃はさすがに見事だった。でもエンディングのベランダの鼠、あれCGでしょうけど、心の底からダサいと思った。残念だ。
『ミーン・ストリート』から変わらず「アメリカ・宗教・民族・家族」を描いてきたスコシージだが、中上健次が『タクシー・ドライバー』の時点で早くも吐き捨てたように、そんなもの「どうでもいい」のだ。いまさらこれっぽっちも興味は持てない。アメリカが真に抱える闇はもっとべつのものだと様々な映画が教えてくれる。そうしてそれはアメリカだけでなく、人間が本来持つ闇だとも。ただそれを描くのにアメリカは都合がいい。真昼にさえその人間の闇があるのがアメリカだから、照明を焚かなくてよくって安上がりなのだ。ハリウッドの予算を無駄に上げてしまった罪にスコシージも多く加担している。
しかし何しろもうスコシージも定年だ。もう少しゆったりした映画をゆったり撮らせてあげたい。
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2007/6/27

amazon-dvd  日常

8月10日発売『36時間 ノルマンディ緊急指令』
        『丘 特別版』
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2007/6/27

ウェス・アンダーソン最新作  映画

まだスチールだけだが『The Darjeeling Limited』というそうで。
写真だけで超期待(笑)!
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