2007/9/16

LAN  日常

タワーの電源抜いて、入れ直したらあっさり繋がった。。。
なんてクソ単純な機械なんだ!
そんなもんに夜から昼まで惑わされるなんて超むかつく!
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2007/9/16

チルドレンという尾鰭  日常

北九州・福岡の皆さん、ありがとうございました!
あと、ここだけの話、博多で映画見るならKBCシネマ! シネコンが悪いとは言わないけれど、KBCシネマは映画館そのものの良さが残る全国でも数少ない小屋です。

福岡から帰還し、メールチェックしようとするが、LANが接続してくれない。あちこち調べてまわるがどこが悪いのかさっぱりわからない。設備会社に連絡しようとするが連休だ。諦めてISDNでネットに初接続。やや遅いけどでも実はADSLと革命的な違いがあるわけではない。やはりこういうことって何もかも誇張宣伝だ。我々が作品を紹介するときもどこかで誇張していないはずがない。ものを売るとき、必ずそうした尾鰭はついてまわる。
だが当然「見る側の解釈」というやつも同じようなものだ。作品を見ただけで作り手や俳優当人を過剰にわかった気になるひとも少なくない。こいつはマザコンだ、だとか、こいつは女性蔑視者だ、だとか。作品と作り手側を切り離すことのできない、旧弊な心理学のせいではびこり続けるこの手の解釈に出会うたび、げんなりする。見る側とデータベースを共有しないかぎり永久にポストモダンなど訪れないだろう。取材を受けても90%はただのモダニズムのままである。
意味、意味、意味。
映像の襞の奥底に感覚してくる者はほとんどいない。だがこちらはそこでの作業に最大の時間を割いているのだ。
コイズミジュンイチローやらアベシンゾーやらに仲良くつきあって結局そういう退嬰と停滞を余儀なくされたチルドレンなこの国の言説的インフラを立て直すことは、もはや不可能なのかとさえ思われ、途方に暮れる。
たったお一方だけ、同じ映像作業に携わる方が「なぜこのような編集なのか」とお尋ねになった。だがそれに答えるにもいつ果てるとも知れぬ時間が必要だ。ショットという概念をめぐる現代映画の方法論を一言で答えることなど不可能なのだ。何しろここに逢着するまでに私自身、七年の歳月を賭している。しかしこのことはまた時間をかけて丁寧に説明していかなければならないことでもある。よほどの目利きでもいまだにトニー・スコットを「MTV的映像処理」と誤解する向きだってあるのだから。その説明が私ごときの任であるかどうかはわからない。幸いにして今月発売の雑誌「ユリイカ」に発表される予定の蓮實重彦師による『サッド ヴァケイション』論において、私自身というより私を素材として現代映画におけるショットの概念の変容について総論的に触れておられるので、ぜひそちらをご一読いただきたい。ここで蓮實師が『サドバケ』を支持・擁護しておられるかどうかはとりあえずどうでもよいことであって、問題はこのショットの概念を当然のこととして受け容れられるかどうかが現代映画を理解しうるかどうかと同義だということにかかっている。そうして映画のポストモダンにとってこの理解は死活問題となりつつある。

昨夜、田宮二郎を特集した番組をやっていてふと見ていると、そこに登場した某有名映画コメンテーターが、田宮がハリウッド進出を果たした映画『イエロードッグ』を当時かけだしであったというその某氏は本人を前にこき下ろしたことがあるそうで、それを公共の電波で「自分はなんてひどい人間なんだろうといまになって思う」と天文学的なバカを曝け出していささかの恥じらいもなく、例によって得意げに語っていた。このようなさも誠実そうな告白もまた尾鰭に過ぎない。田宮二郎を偉大だと本気で思うならどうしてその場ですぐに後を追わないのだろう。
きっとこのひともチルドレンなのだ。

いつまで経っても仕事が終りそうにない私は、少なくともチルドレンではいられない。
いたくもないし、もちろん。
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