2007/10/31

十二時間就労  労働

急ぎの原稿を二つアップさせて、長々と書き続けているものに再度手をつけるべく、呼吸を整える。現在約七十枚。内容的にはあと半分弱、といったところ。ここからが勝負なのでじっくり攻めたい。
それにしても朝五時半に目覚め、午後零時まで仕事して、さらに午後三時から六時まで、そして九時から午前零時まで、というこの作業工程はなかなかのものだ。延べ十二時間仕事しているのだからそりゃあなかなかだ。腰は痛いけど。このペースをキープするとそれなりの枚数を書けるのではないだろうか。
どうせ大したものなど書けないならせめてたくさん書けるようになりたい。

そう言えば食後、西麻布から恵比寿ウエスティンまで歩いたのだった。この上さらに運動もしているという……。

かと思えば、先ほど某誌から月曜〆切と通告が入った。なんか日々綱渡りだなあ。。。
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2007/10/30

映画芸術421号  議論

「特殊な人たちが出てくる映画っていやなんだよ」と編集長が言っている。私も同感である。特殊な人たちしかネタにできない映画は痩せ細る。特殊でない人たちによる価値紊乱こそが映画だと思ってきた。特殊な人たちはまやかしめいた普遍性を信じることを前提にのみ浮上するが、特殊でない人たちは一般性のなかでの不意撃ちを発揮する。ペキンパー、アルトマン、神代、みな例外なくそうだったはずだ。しかし今号には特殊な人たちばかりが出てくる気がしてならない。貴重な話もたくさんあるが、それらの大抵は先の都知事選において石原を駆逐できなかった真面目さとそう変わらなく見える。例によって編集長の後記を真っ先に読んだせいだろうか。都知事に認知された小説家に認知されなかった、と悔しがっている。そんなもの、わかんねえだろうな、ざまあみやがれ、市民権なんかいらねえや、と「シナリオ年鑑」に載らないことをむしろ矜持とすべきではないか。見ていないので何とも言えないが、本誌を読むといまの日本映画には「特殊でないふりをした特殊な人たち」にのみキャメラが向けられ、その当たり障りのなさのなかで価値を温存しつつ萎縮するばかりな気がしてならない。映画は遅れて来る。橋本〜森政権あたりに端を発し、小泉政権が肥大させた歪み(膿?)が次々に問題化している現在、神奈川教委が君が代不起立教諭の名簿を破棄することになった、というちょっとだけ明るい話題もネットで知った。だが本当に明るいかどうか、予断を許さない程度にはわれわれも用心深くはなっている。遅れてくる映画に価値を紊乱できるだろうか。ある映画の手のカットが『ラルジャン』のようだ、と書いている人もいたが、その書き方はスポイルになりはしないか。『ラルジャン』は全篇『ラルジャン』のようなカットで出来ていることを忘れてはいけない。ソクブン師匠の映画は風俗に遅れることを決して恐れず、結局いまも古びることなく価値を紊乱し続けている。
ソクブン師匠は「キミ、映画は不意撃ちだよ」と私に教えてくれた。
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2007/10/28

下品こそ、この世の花。  ツアー

木曜に北九州に入って小倉駅裏の角打ちで打ち入り。金曜は朝から四本(『トラック野郎爆走一番星』『日本侠客伝・花と龍』『コータローまかりとおる』『温泉みみず芸者』)見つつトーク後、紺屋町の居酒屋で赤霧島。土曜は熊本まで電車移動(遅刻してごめんなさい)して舞台挨拶&取材を受けたあとに車で阿蘇越えで大分入り、府内城そばのダイニングで二階堂とシネマ5裏の小さな公園の奥にあるバーで泰明二杯呑んでトークと『堕靡泥の星美少女狩り』鑑賞……といった感じで、呑み続けによってへとへと。いま眠くてしかたない。

師匠は大分でお疲れのため夕食をパス。一瞬、心配したが、23時からのトークには晴れ晴れとしたお顔で再登場なさった。今夜も今夜で熊本denkikanでトークなさったはずである。

北九州で『温泉みみず芸者』の上映終了後に拍手喝采が起きたとき、べつに私の手柄でもないのに、よし! と思われた。少なくともひとはこの無軌道な娯楽精神に飢えている、というのは言い過ぎだとしても、求めていることはたしかだと思われた。それにしても、決して映画をヴィデオやdvdで見ないソクブン師匠の精神を反映するようにデジタルソフトの貸し出しをしない東映の意向により「日本最高のデジタル上映施設」を誇る八幡・マルチメディアホールに35ミリ映写機二台をぶちこんでガラガラという回転音を聞きながらの鑑賞は、何とも小気味良いものであった。

大分空港までのバスは呆れるほど長距離すぎだったが、帰りの飛行機からはじめて見た佐多岬には感動したし、本日は秋日和で小豆島やら淡路島やら、神戸・大阪・京都が一望できたし、琵琶湖も見えたし、名古屋上空あたりからすでに富士山見えたし、土肥も見えたし、大島上空を飛んだし、片時も目を離せない文句なしの大空中パノラマショーであった。
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2007/10/25

サタイアの難しさ  映画

今日も完全断酒。明晩は呑まないわけにもいかないので、約五日間連続になる。しかし明日以降三日連続になってしまい元の黙阿弥……。まあしかたない。

本日は何らかの参考になるかと『未来世紀ブラジル』と『12モンキーズ』をdvdで。
実は通しで見るのははじめてで、前者の人気が当時からいまひとつ理解できず、結局テレビで見てつまらないとしか思えなかったのだけど、いま見てもやはり、だからなんなの? としか思えないのだった。でも美術の方向性としてはかなり参考になった。
一方、後者はまったくの初見。なんだか打って変わって構成がちゃんとアメリカ映画になっているぞ、と思ったらデイヴィッド・ヴァン・ピープルズが奥さんと一緒にシナリオを書いているのだと知って、さもありなんと思った。ブラピはえらくよかった。いままで見たなかでいちばん好きかも。精神病院の描写は『リリス』や『ショック集団』『去年の夏突然に』など六〇年代作品のほうが、当然ながらはるかに恐ろしいが。
とはいえそれでも基本的にテリー・ギリアムはまったく守備範囲外で、やっぱり『未来世紀ブラジル』が好きなひとってひょっとしてそれこそネオリベ信奉者なんじゃないかと思った。自分は左翼だって言い張るけど実は隠れファシスト、みたいな。ここで諷刺されている状況とデザインを切り離して見ているつもりでもそれはやはり決定的に繋がっているような気がする。つまり、あのデザインに痺れるということとファシズム(厳密にはスターリニズムの一側面というべきものだろうけど)に痺れるということは大差ない、という意味で。まあギリアム本人がそうだと断言するつもりはないけど。そういえば昔、ジジェクがこれについて「あのばかげた歌を唄うことで主人公は拷問に耐えることができ、救われるという逆説がここにはある」といったことを書いていた気がするけど、それは無理やりな解釈ではないか。普通に考えたらあれは、発狂した、という描写だろう。たんに発狂させることがファシストたちの目的だったとしたらそういう見方もありかもしれないが。
それにしてもこの手のサタイアを作るのは本当に難しい。匙加減が微妙すぎる。苛酷なのはそれが魔女狩り的に用いられる可能性のあることだ。それだけは避けたい。『コード46』とか『トゥモロー・ワールド』とか、明らかに『未来世紀ブラジル』の影響下にある近年のイギリスのSFって要するにことごとくそこで目も当てられない失敗をしているのだ。サッチャーイズムを批判したつもりで実はそこからいささかも脱しようとしていない泣き言だけの映画になっている。
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2007/10/22

ただいま、断酒中。  日常

といってもべつにきついものでもなく、三日ぐらいはあっという間に過ぎ去る。問題は誰かしらと打合せやら食事やら、ということになったときであって、そういうときに我慢するほうがよほどきついことなので、やはりそこで断酒は途切れるだろう。土曜から開始して、今週は水曜まで誰とも会う予定がなく、こういうときに集中して断酒しつつ原稿を書き進めることが健康にも経済にもよいことと言える。また、断酒するとよく眠れる、というのも真実である。とはいえそれも医薬品を必要とするわけだが。
断酒と執筆の合間にふと気になったネオリベラリズムとかいうことについてちゃんと知ってみようといろいろ読んでいるうちにそんなことは百も承知でたまたまその名称がこちらの常識と咬み合ってなかっただけだとわかって心底バカバカしく思いつつ、その途中で現代思想と文藝の笙野頼子特集号に目を通したのだが、そもそも「文壇」というところが大塚某だの何だのどうでもいい無能な輩をのさばらせた挙句このひとにその批判をさせるという全く無駄な時間を費やさせてしまっていた(まあ他に誰もいなかったのだろうが)ことをはじめて知り、いやはや日本映画界と同様に果てしなく愚かしくて罪深い世界だなあ、あそこは、と呆れ果てたのだが、というのも九〇年代後半から現在に至るまであそこで何があったのか全く興味がなかった(年譜を見て、笙野氏の小説を読んだのも『タイムスリップコンビナート』が最後だったと気づいた。てゆうかいくつかの例外をべつとして、同時代の小説を読むことがそれでおしまいだったのだ)からだが、これを知ることによって自分が最初の小説を出版してからいままでの数年間いかに無駄に時間を浪費したか、まったく無知というのはおそろしい、と痛感することになり、げっそりする。げっそりはしたけれどやはり私は小説を書くだろう。げっそりしながら映画を作り、げっそりしながら小説を書く。べつにこないだの合評を改めて受け入れ反省する気などさらさらないけど、しかしいかに方法論がちがっているといったって、現在においては当然私の小説なんて(少なくとも私の知っている)笙野氏の小説とは比較にならない無価値なものだろう。それくらいはいくら無知な私にだってわかる。それでも日銭が欲しいので書く。これからさらに金が必要なので書く。しかもいつでも己の可能な方法によってベストを尽くす。そういうものだ。しかしまあもう「文壇」とやらに金輪際足を踏み入れるつもりはないね。誰と特定できるわけではないけれど軽蔑するよ、真剣に。誰にでも微笑みかけてきたつもりだけど、もうやめる。
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2007/10/20

血液検査はただの趣味か?  日常

朝から検査。予想されはしたが、やはりひどい数値。いったい何のために一年間検査を続けてきたのか、と我ながら呆れる。酒を止めないのだから変わりようもない。こういうときは気分くらい変えよう、といつものごとくひぐやんに電話して誘うも、生憎向うがいつもいつもこちらの都合よくヒマであるはずがなく、ひとり淋しく四谷でランチ。後、ふと先日遺失した帽子が気になり、陽一郎に電話していつまで被っていたか確認、さらにそのとき乗ったタクシーの領収書を財布から発掘して電話する、と見事にヒット。急遽、四谷から中野新橋まで地下鉄移動。聞いた住所を駅の地図で確認しつつ向かうと、そこにあったのは間宮運送を想起させる、木造アパートの一室を利用した個人タクシー組合であった。とはいえそういうことはなんとなく取材済みであったから驚くには当たらない。つい先だっても拙作をご覧いただいたタクシー会社社長から、身につまされた、との感想をいただいたばかりだ。ともあれ無事帽子を取り戻して上機嫌でUターン、中野坂上で大江戸線に乗り換えて(いやつまり、タクシーに乗らず地下鉄大冒険だった、という、これは記述なわけだが)六本木の打合せ。上機嫌のまま、思わず内容への手出しを請け負ってしまった。それもこれも数値が尾を引いていて、あらためて辛酸を舐めるために今夜も呑む。先輩に、今日は珍しく自分よりお前のほうが酔っている、と嘲笑されるほど早めからしたたかに酔う。帰宅して即気絶。それでこんな時刻に書いている。
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2007/10/19

お帰り、ハーモニー!  映画

昨昼にアサヒムックの取材、夜は妻と西麻布で晩飯(杉田Kさんも同じ店で久しぶりに再会!)後、ライズで最後のご奉公。光石研さんと斉藤陽一郎とトーク。斉藤はかなり具合悪いらしい。まあ、気持ちの持ちようだ。打ち上げた後、三軒茶屋で野本と合流。いくらか呑んで、LJへ。未明に帰宅。起床後すぐに半蔵門で鈴木則文監督と九州でのイベントがらみの打合せの予定が、携帯電話が壊れ、三十分遅刻。大変申し訳ない状況で到着。それでもソクブン師匠のいつもながらの軽やかなおしゃべりで、すっかり和む。
その後、初の六本木ミッドタウン。知り合いの店(オブジェ・スタンダード)が入っていて、びっくり。

でも用事はハーモニー・コリン八年ぶりの新作『ミスター・ロンリー』の試写@GAGA試写室。これはまさしく第二の処女作というやつである。なんかまったく他人とは思えない状況。ホントに可愛い弟よ!て感じであった。進歩しちゃった部分が反って失望を買う怖れもあるが、皆さん、とにかくくれぐれも温かく迎えてあげてほしい、と言いたい。きっとレオスやペドロも同じように思うのではないか。
終映後、昨日と同じ店で妻と待ち合わせ(Sかおる氏も偶然ながら連日!w)。妻の友人らとえらく和気藹々と盛り上がり、だらだらと半分徒歩で帰宅。
……しかし心ではずっと、ハーモニーの無事の帰還を祝福していたよ♪

しかしそれはそうと、こういうことを書かれてしまう日本映画なんて存在価値ないよな。
http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/
見てないけどきっとここに書かれてあることは正しいと思われるよ。。。
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2007/10/17

ゼロ泊三日  日常

家の用事で北九州に日帰り。しかし三日分ほどの動きをこなした感あり。
……ちうか、でたん疲れた★
まるしぇはきんちゃんが番張って、ケンショウ兄貴はいつのまにかパン屋さんになっとる。

今後の予定を考えると気が遠くなる。プレッシャーで押し潰されそうだ。
だが、前進あるのみ。
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2007/10/15

日仏三本。  映画

朝十一時から飯田橋日仏学院にてブノワ・ジャコ『不可触民』。相変わらずブノワ・ジャコは俳優の身体を演出によって拘束し、生のままの運動を廃棄する。それがブレッソン的と思われるとしたら、もちろんとんでもない勘違いだろう。インドが魅力的に見えるかどうかというルノワールまたはロッセリーニ的思考以前の段階で、たんに赦し難く思われる。
昼、食欲もなく、二階の廊下(女子トイレ前)でキング『回想のビュイック8』を読みながらジェット・ラグによる瞬間爆睡を体験。およそ一時間弱、だらしのない居眠りを晒した。前を通った方はおそらく「なんだ、こいつ?」と思われたことだろう。面目ない……。
十五時から『あの彼らの出会い』二追悼め。初字幕付き。今回は同軸の正確さを検証しつつ見たが、おそるべき厳密さにつくづく驚嘆。たぶん、同ポジでレンズだけ12ミリから50ミリに交換する、とかそういう方法を取っているのではないか。でなければ3場めか4場めかの俯瞰シーンに寄りのキャメラポジションはありえない。ちなみに光と音の不連続性をはじめて意識した。これはかなり有効な発見だ、と個人的に得した気分w
何ヶ月ぶりかにペドロと再会、カノジョのヴァレリー(初対面)を紹介してもらう。日仏のマダム・アヴィにクロック・ムシューをごちそうしていただく。壇上のマダム・アヴィは数年前のお嬢感覚とはまるで別人の、見事なマダムっぷりだと、アテネ松本氏とつくづく感嘆した。
で、その夜のメインイベントであるペドロ・コスタ『コロッサル・ユース』。フォンテーニャスの『東京物語』。またはポルトガル版『地の果て至上の時』、いや前作に続く『熊野集』か。いずれにせよ、文句言わせない堂々たる風格というものが備わっている。これでペドロはペドロとしての「至上の時」を迎えたといえよう。で、問題は今後だ。さてこれからどこへ向かうか。本人もかなり自覚的な顔をしており、私同様「もう若くない」をアピールする呑み方に終始しておった。
……それでも呑む、俺も俺。すべてはまちゃやのせい。ピース♪
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2007/10/14

シーゲル鼎談  映画

私が書くまでもなく、皆さんすでにチェック済みでしょうけど、まだの方のために。
http://www.boid-s.com/archives/293.php
いまこれほど面白いものはちょっと読めないね♪

……でも俺は『殺し屋ネルソン』も『第十一官房の暴動』も見てるもんね〜、と自慢したいw
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