2008/1/29

メアリーを好きだった頃。  映画

映芸が届けられ、読んで、執筆者の九割が露呈する途方もない独善ぶりにえらく殺伐とした気分に陥った。これはネットのブログか。要するにこれら批評的言説の担い手たちがこれほど映画的知性と品格を欠いているがゆえにおかしなことになっているのではないか、と疑いたくなる。のんきなやつにはかなわない、とはこのことだ。さすがに編集長はのんきではいられないようだが。
早く円覚寺に参らなければ。旧暦が明けたら早速行こう。

S社にて最終ゲラ直し。いつになく真剣に手を入れた。Y編集長、K氏とともに食事。

帰宅してなにげなくCSでずっと昔に見た『妹の恋人』を見始めて、自動車修理工場のヒゲのおじさんを思い出すなりやめられなくなった。
エイダン・クイン、メアリー・スチュアート・マスターソン、そしてジョニー・デップ。オリバー・プラット。ダン・ヘダヤ。ウィリアム・H・メイシー。驚いたことにジュリアン・ムーア。
こうやって羅列するだけで、あののほほんとした川沿いの陽だまりにいる気分になる。調べたら93年だ。湾岸戦争のさなかにこの、のほほん、だったか。でもあの頃、とんでもなく足の速いメアリーのファンだった。あのきびきびした演技に見惚れていた。ジョニデやジュリアン・ムーアはべつとして、メアリーを含めた他の名前はどうしているんだろう。ウィリアム・H・メイシーはこないだも『団塊ボーイズ』で見たけど。監督のジェレマイア・チチェックもずいぶん噂を聞かない。隔離病棟に忍び込んで話しかけてくる兄に背を向けた妹のその向うに見えている窓外の青い空に、ああ、もうじきジョニデが現れる、と思うと涙が溢れて止まらなくなった。この甘っちょろさを俺は心から愛している。いい時代だったよ、監督になる前は。ゆえにあの映芸の、いや、日本映画を取り巻くあの独善の嵐からは今後も遠く離れて、こんな甘っちょろい映画の記憶を大事にしながら甘っちょろく生きていこう、と心に誓った。
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2008/1/27

犬の日の午後。  書物

木曜。京橋テアトル試写室にて、ジャック・リヴェット『ランジェ公爵夫人』。なぜリヴェットがこの題材を、と首を傾げざるをえないが、かといって出来がひどいわけではない。むしろそこらの若手では絶対に無理だろうと思われる艶がある。当然ルノワール的なものを目指したのだろうけど、ドアを出入りする人物と座っている人物との位置関係から、まさかもしかすると成瀬をやりたかったのかな、とも考えたが、だとしたら失敗といわざるをえないのでたぶんちがうと思う。リヴェットというひとには結局、もうひとつ乗れないのだがそれはやはりカツゲキもメロドラマも微弱にしか漂わないせいだ。濃厚なものが現れない映画に物足りなさを感じるようになって久しいが、それも鈍感さを増進させていくこちらの年齢のせいか。

金曜。久しぶりにboidに寄る。おみやげはニーヤンの例のアレ。こちらはふとCDの山のなかに発見したマイケル・ブルームフィールドとドクター・ジョンとジョン・ハモンドの『三頭政治』をダビングしてもらう。相変わらずboidは居心地が良すぎて、ついだらだらとバカ話に花が咲く。明日、模様替えとのこと。
夕飯は西麻布の某バー。食い終わったところで友人の友人に声をかけられ、土曜にいまの店舗を閉めるという「テーゼ」へ一緒に顔を出す。大変な賑わいで、早々に引き上げた。

土曜。松浦理英子『犬身』読了。途中、通俗的展開に流れこんだときには、えっそんな予定調和ありですか、と一旦放棄しかけたが、一昼夜ののちには、いやいやそれでいいのだ、と気を取り直し、後半を一気に読み通した。上質のメロドラマを見たようなゴージャスさが、ラストで号泣する自分の凡庸さを赦してしまう余裕を与えてくれる。これをダグラス・サーク、ではなくあえてジョン・カーペンターかロバート・ゼメキスが撮るように映画化したらどうだろう、といった妄想にかられるほどに、松浦さんの小説にはどこか八〇年代アメリカ映画の匂いがする。それでいいのだ、とはそういう意味。舞台となる狗児市という場所だって日本ではなく、アメリカ南部のどこかのほうが相応しいだろう。そうすると久喜役は当然フィリップ・シーモア・ホフマンなんだが、残念ながらホフマンはもうそんな小さい役をやってくれるとは思えない。アメリカ映画も新しいホフマン、新しいスティーヴ・ブシャミを探し出さなければならないが、そんなのがあとからあとからホイホイ出てくるのがアメリカの層の厚さだ……などと小説ではなく映画のほうにばかり頭が行ってしまうのも、松浦さんの文章がムーヴィーキャメラ的な的確かつ簡潔な描写から成り立っているからだろう。そうしてそういう文章が私はたんに好きなのだ。

恒例の元美学校+東大ゼミ生新年会。しかし朝早くから家事と執筆に精を出したせいで、さっさと睡魔に襲われ、ほとんど記憶がない。
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2008/1/24

コーエンとカツゲキと私。  映画

私はコーエン兄弟が大の苦手だったりする。これまで面白かった!と言えたのは『未来は今』だけだった。しかし同様にコーエン兄弟を苦手とする友から「今回はいい」という意見を聞いたし、原作はコーマック・マッカーシーだからもしかすると、という淡い期待をもって『ノー・カントリー』試写へ。
結論から言えば、これはすでにあちこちで言われているようにコーエン兄弟の最高作である、という話はあながち嘘ではないと思われた。やってることは『ブラッド・シンプル』以来そう変わらないのだが、洗練というか成熟というか、そういうものがいい塩梅で出ている。多少は普通にドキドキもしたし。きっとコーエン兄弟ファンにはたまらないものがあると思うので、ぜひ劇場へ駆けつけられるといい。

けどね、なんかこう、やっぱり、ショットとショットの間で火花が散るような瞬間というのはコーエン兄弟では決して訪れないのだ、残念ながら。一回でもあったら気持ちよく、よし、と言えたんだが。アメリカ映画ってのはこうじゃなきゃ!みたいな爽快な一瞬、あるいは気の遠くなるほど残酷な一瞬、というのをかれらはどうしても撮れない。たしかに銃声と着弾音にはなかなか凄まじいものがあったが、その凄まじさも撮影も編集も、そして俳優の演技も、どこまでいってもキャラクター(意味)の創出……そんな「益体もない」もの、アニメに任せておけばいい……に奉仕するのみで、運動に、カツゲキに決して向かおうとはしない。正直言ってこの手の殺人者とそれとの戦い方なんてみんな考えていたはず(そもそもこういうことは『突破口』を見た者ならみな欲望するはずで、しかしコーエン兄弟に少しでもシーゲルの才能があれば、と見ている間じゅう考えずにいられなかった)だし、弾傷の手術だって空気ボンベの使用法(元を正せば肉牛を処理する挿話からしてそうだ)だって、少なくとも私はとっくに思いついていた。だから先を越された悔しさがないわけではない。だがこの物足りなさはそれとは関係ない。どれほど銃弾が発射されようと血が流れようと、あの『ダージリン急行』で列車に飛び乗る瞬間の、弛緩したハイスピード撮影のほうがよほどカツゲキだ、という不思議。

とはいえ、それらのことを検証するためにもこの映画は見られる必要がある。やはり中堅的な予算で作られるアメリカ映画の現在のレベルというのは、もしかするとそれこそ七〇年代以来の高さかもしれず、それも天井知らずで上昇している。そのあり方の正しさと、いま自分のやっていることの乖離を、一本一本見るたびに痛感し、無力さにほとんど絶望的なほど苛立つしかない。でも、やるしかない。
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2008/1/23

なぜか「ですます」調。  日常

日曜。非常に重要な会議を二十分ほどやってそこからあとは冗談半分議論半分の飲み食い新年会という会合に出席すべく、新宿から三十数分、さらにタクシーに乗り、山を切り開いてつくられた新興住宅地の、某「生ける偉人」宅にお邪魔してきました。全体に微妙な緊張感流れるなか、ひたすらKYを演じ続けるという若手文化人の「最低限の役割」をこなしてきましたよ。いや、これはこれで私的にはきわめて誠実に振舞ったわけですが。さらに新宿に流れたのち、個人的にどうしても口直ししたかったので独りLJへ。店主にバックギャモンの名人という歯科の先生をご紹介いただきまして、へんに面白い話を伺いました。

月曜。午後目覚めて銀行で「自己資金」を振り込んできました。精神的解放感・昂揚感でその日はもはや何をする気も起きず、ひたすら松浦理英子さんの『犬身』を読み続けていました。

火曜。朝、遠い友人から新年の贈り物が届いてました。ニーヤンの「例のアレ」です。もちろんナニですし古いということもあって音質はナニですが、遠い友人はエンジニアなんでかなり聴き易いところまで上げてくれてます。そのおかげもあってか、いやはや、これが出てたら世の中ちょっと変わってたかもしれない、てゆうか少なくとも私のニーヤン観は間違いなく変わっていた、と思われました。予想されてはいましたが《パウダーフィンガー》のあまりの呆気なさに、聞いているこちらが呆気に取られましたよ。いや、かっこいいです。思わず『グリンプス』を再読すべく本棚の奥から引っぱり出しましたよ。遠い友人は一緒にライヴも二枚送ってくれたんで、これらはのちほどじっくり聴きます。

で、蜷川『リア王』へ行ってきたわけですが、なにしろ『リア王』なんでいまさら感想を述べるまでもないとは思うもののあえて申せば、今回は吉田鋼太郎さん演じるグロスター伯爵が目を潰されて以降の道行き……そこには高橋洋さん演じる嫡男エドガーがきちがい乞食に変装して同行するわけですが、そこが屈指の名場面となっております。とはいえ若干一名、関係者が出演しているものですからそこばかり気になっていた、というのが本音ですけど。終わりごろもう一度行って、いろいろ再確認したいと思います。
それにしても、なんだかんだ言ってやっぱ、平幹二郎さんは……凄い。
上演前に劇場に隣接する「ビストロやま」という店で三姉妹コースというのを食べましたが、美味でしたよ。
帰り道、渋谷で浅野組打上げに途中参加しました。

さて、今日からまた真面目に仕事をしようと思います。ちょっと頑張りたいと思います。
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2008/1/20

What's the use of getting sober?  日常

昨日は蜷川『リア王』初日であった。会心の出来、と出演者からのメールに心ときめく。
夜、テレビ収録。

『インディ・ジョーンズ』の新作は「父と子の物語」で、あっと驚くゲストスターが登場するそうだ。
ええっ!? まさか、あの人か!?
……残り少なくなった今年、あとはそれを妄想しながら生きていくしかないのか?

軽度の酔いが日記には一番たちが悪い。ひどいことを書いて翌朝、自己嫌悪に陥るケースが少なくない。今朝もそうだったので慌てて消した。泥酔すればなにも書けないのでそのほうが良い。健康を考えればもっと良いのは酔ったときには他人の書いたものをなにも読まないことだ。そうすればむかつくこともない。
戒めのためにジョー・ジャクソンの旧いアルバムをアマゾンに注文した。届くのは一ヶ月先になるらしいが。
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2008/1/19

今週。  日常

火曜、新作DVDPRのための雑誌取材、会社新社屋にて二件。原宿の新社屋、土曜にも訪れたが、旧社屋よりはるかに広く、心地良い。社員の皆さんもさぞやいい仕事ができることだろう。原宿から六本木まで裏道をくねくね曲がりつつ、五十分ほどかけてウォーキング。心地良し。
GEで次回作打合せ。ある病の設定をシナリオに付加することを提案。その後、新年会的に美味なる和食に舌鼓。Pと、さっきの直し案ではないがどうも最近記憶を失う、という話になる。気になってLJへ赴き、最近記憶を失した自分が飲み代を正当額払っているか確認。ただ呑みはさせない、と笑い飛ばされた。杞憂であった。

水曜、出演中の某テレビ番組のスタッフとお笑いのライヴへ。生の鳥居みゆきに感動。小島よしおの新ネタ、生では悪くないがテレビであれが伝わるかは保証の限りではない。あと、エルシャラカーニというコンビが拾い物だった。新年会としてライヴにも登場していた番組MCの三拍子さんらとしゃぶしゃぶ。普段聞けない芸人さんの日常をぼそぼそとうかがうことができた。帰りに二日連続独りLJ。

木曜、またしても飛行機に乗り遅れそうになる。搭乗ゲートまで、ここ数年で最も全力疾走した。が、多少息が切れる程度で足がもつれたりはしない。それなりに体力のストックはあるらしい。機内で『らふたしアナベル・リイ〜』単行本版をようやく読了。すぐさまその書評「去年の暮れ、突然に」を併読。決して埋まることのない距離を保ちつつ、それでも遥かな会釈を交わし続ける二つの偉大な魂に思わず嗚咽。人目を忍び窓外に顔を向けると眼下には、ところどころ浮んだ雲に隠れつつ、地図で見慣れた愛媛の地形が逆さに拡がっているのだった。
マンション事務所で打合せ。その足でヤマダ電機をチェック。さらに電車で小倉に出て無印良品で寝具一式注文。例によって「まるしぇ」で独り飯。
夜、ようやく親の家へ。母、もうほとんど寝たきり老人に見える。口も利けず、トイレに立つこともできない。それでも懸命に動く左手で虚空を掴もうとする。かつてはその姿に落ち込んだが、いまはもうそんなものだと思えている自分が不思議。根本的に冷酷なんだろうか。わからない。寝床に入ったまま父とルーツ話で午前三時まで盛り上がる。聞けば聞くほどめちゃくちゃな家系だ。血縁はないが、徳富蘇峰・蘆花と縁戚関係にあることが新たに発覚。祖母の三姉の嫁ぎ先が徳富兄弟の母方の家系だと。ただ笑う。

金曜、銀行ローン契約。西日本新聞に連載させてもらったエッセイのおかげで銀行の担当の方にも応援していただけた、と知り、自分の仕事がはじめて自分の役に立ったことに驚く。
その後、父とマンションのあちらこちらを採寸してからヤマダ電機に赴き、エアコン、冷蔵庫、洗濯機を注文。
父と別れ、駅で北九州フィルムコミッションのH氏と合流。今度はロケハンである。とんでもないものを見た、とだけ言っておく。
さらに再度無印良品。照明器具とラグなどを注文。隣の本屋に立ち寄り、偶然新刊として出ていた講談社文芸文庫の徳富蘆花を購入。年譜を見るとやはり親類の姓があった。あと、ちくま文庫のドゥルーズ/カントなど購入。暗くなって、二夜連続で「まるしぇ」独り飯。酔いどれた状態での東京への復路は、もはや疲れきって爆睡あるのみであった。

ところで……ボビー・フィッシャー死去、とネットに出ているが、これ、本人の流したガセではないか?
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2008/1/15

まちこうば進化論  日常

てなわけで今年一番の冷え込みという本日午後三時、「まちこうば」の模様替えは開始された。
まずはとにかく、捨てる!捨てる!捨てる!
中身を見さえせずに、五年放擲していたものなど必要あるはずがない、と断じてとにかく捨てまくった。
ようやく部屋がその元の姿を現したところで、楽器・アンプ類を移動。さらに作業テーブルを部屋で最も明るい窓際に押しやり、さっきまで不要物の山ができていたところに、ハンズから土曜に届いたポールキャット二本で立てる五段の整理棚を設置。これがいまいち不安定で不安(ネジの締めが緩いとガクッと短くなる)なんで、あまり重いものは乗せられないと知り、愕然。結構、高かったんですけどねえ……。下の段にはすぐ取れるように辞書を置くつもりだけど、上のほうは帽子置き場にでもするしかないかぁ。もしものことのために、ギターは部屋の奥に逃がした。
その棚の前にアンプをセッティング。これまで部屋の奥で肩身の狭い思いをしていたのをデスク真横のメインポジションに。要するに今回の模様替えはギター練習と改造に特化した計画なわけだ。計画遂行のBGMはブライアン・フェリーのファースト、ボビー・チャールズ、それに二十数年ぶりに聴く萩原健一『熱狂雷舞』。いやあ、捗りましたよ。やはり《祭りばやしが聞える》と《自由に歩いて愛して》は名曲だなあ。
細部は措くとしてとりあえず計画の形におさまったところで午前零時、終了。この寒さのなか、これほど汗だくになっているやつも珍しいにちがいない。間に一時間の夕食タイムを挟んだだけで休みなく働いたために、風呂に入ったら肩も腕も腰もガッタガタであることに気づいた。もう細部に手をつける余力はない。
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2008/1/14

本日のまちこうば。  音楽

ベースマルチエフェクター(BOSSのME20Bてやつ)を購入。ギターに関してはこまめに分散したエフェクターを繋ぐのが好きなのだが、ベースに関してはあっさりマルチで行く。これは思い入れの問題である。ただ私はタッチワウの倍音やディレイのフィードバックが嫌いではない。なので必然的に書き込んだ音はすべてぐちゃぐちゃべちゃべちゃしている。ME20Bはワウペダルの効きがあまりよろしくないのが難点。まあ安いんだからしょうがない。
これで必要なものはすべて揃った。あとはギター改造を完了するのみである。
昼に浅野組視察。本日クランクアップということで、たこ焼きを差し入れ。酷寒のなか、監督主演のひとは上半身裸で水に濡れてたぞ。ドMだな、きっと、やつは。
家に戻ると斉藤が来てアレンジ活動。まずはメロディカにコンタクトマイクをつけるべく改造。まがりなりにもうまくいった。どうしてもプレイが縦割りでニュアンスというものがまるでない斉藤にNGを出し続ける。そのうち、なかなかよろしいフレーズが飛び出してきたので、ここぞとばかりにこないだ買ったZOOMのH2というハンディレコーダーで録音。それをパソコンに取り込んでメールでやつに送る、という私としては画期的なことを敢行した。
近所のインドネシア料理屋(ここのマトンの串焼きはなかなかに美味い)で晩飯を食っていると、斉藤が私の部屋を「町工場(まちこうば)みたいですねえ」と言う。まあ要するにテーブルの上が工具だらけだし、足元はケーブルとエフェクターだらけだからだが。
そして明日はその「まちこうば」を模様替えする。
BRENDA RAYというイギリスの女性ダブ・ミュージシャンの『walatta』というアルバムを聴いた。全然知らないひとだけど、相当に凝っている。
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2008/1/12

毎年一月に「今年のベストワン」が!  映画

万田邦敏監督『接吻』を見た。昨年、先輩に対しては甘い顔をしてはならない、という態度を某大先輩監督から学んだので、はなから文句を言ってやろうという姿勢で拝見し、見終わって帰宅後すぐに欠点と思われる箇所をあげつらったメールを万田さんにお送りしたが、結局は一月にしてすでに(去年の『デジャヴ』もそうだった)今年度(少なくとも邦画)ベストワンである、と書かずにはいられなかった。このレベルを保有する日本人監督は現在五、六名しか思い浮ばないからであり、その彼らが今年公開される映画を撮影中とは聞いていないからである(あ、もしかするとひとりは今年じゅうかも)。しかしながら同時に、あえて申せば、このメンバーを揃えて万田邦敏がこのレベルの映画を作るということは私にとっては当然でしかないので、まったく驚きはなかった、とも付け加えておいた。まったくひどい後輩だ。殊に豊川悦司さんがここ最近の現代日本映画におけるベストと思われる芝居を見せているが、これぞ万田邦敏監督であればこそ実現した成果だろう。危うく感情移入しそうになった。……といったことを日本映画をまるで見ていない私がよく言うよ、というわけだが、プロとしてこういうことは見なくても分る、と強弁しておく。

以下、重要な一点だけ。他人事として平然とこういうことを書くのはまさに先輩を踏み台にしようとする自分のためである。
なので、ここからは未見の方は読んではいけません!


ここでもトニーさんやデパルマさんのように映像上の存在に恋してしまう存在が描かれるのだが、その瞬間への執着が足りないと思われた。なにが足りなかったのかはもう一度見て確認しようと思うが、そこで鳴っている音響のせい(本作の音響設計は甘い、と言ってしまえば日本映画のすべての音響設計が甘いにきまっているわけだが、それは音響担当と監督との議論する時間がなさすぎるせいだ)だったかもしれない。あるいはクローズアップが回避されたせいかもしれない。またあるいは構成上、それを小池栄子さんの登場シーンにし、その前の会社の場面などを棄ててしまうかその後で回想的にさらっと流すだけに(コンビニでタクシーの領収書を握り潰すときにインサート)すればよかったのかもしれない。映像上の存在の虜になる瞬間とは、よほど激しくなければ説得が鈍る。トリュフォー『アデル』を持ち出すなら、その登場からイザベルさんは常軌を逸していた。あるいは増村『女体』の浅丘ルリ子さんしかり。登場から常軌を逸しておくことがこの作品に入っていく鍵となるべきではなかっただろうか。
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2008/1/11

傷だらけの人生、でもないよりまし。  映画

ジジさん二度目の病院。今日はなぜだか診察台の上で震えていた。こないだの注射が怖かったのだろうか。でも今日もおとなしく注射されていた。

昨日はそれ以上特筆すべきことはなく、本日は記念すべき今年最初の試写。
ウェス・アンダーソン『ダージリン急行』である。
この映画を見終わった直後の多幸感は他ではちょっと味わえないものだろう。思わずスタンディング・オベーションしたくなるなんて、昨年の『デス・プルーフ』以来だ。それともそんなの俺だけか? たくましい冒険主義と飄々としたB級精神によって築き上げられた超一流のバーレスク。冒頭の短篇や途中の回想部分も含めて、構成の妙が以前にもまして冴え渡っている。そして冒頭から期待される「いつアレ(富の象徴、幸福な幼少時代の遺産)を捨てて走り出すか」という疑問(ここがB級活劇たる由縁であり、『ラ・ピラート』を想起させるサスペンスが全篇に通底する)がついに応えられた瞬間、いつものように笑いは涙を滲ませる。ヒッチコックだの小津だのと、慎みを欠いたシネフィルが嬉々として見せびらかす「過去」を一切忘れさせる、永遠の(おバカな)若さを得ることに成功した数少ないアメリカ映画がまたひとつ生れ落ちた。当然だが、アメリカ映画だからいまだに許されるのである。これが日本映画であったりどこそこ映画であったりしたら間違いなく許されない。だがこれが幼稚だとしたら人類の理想こそが幼稚なのであり、そしてそれを幼稚だとしたり顔で呟き、成熟したふりをするやつはもっと幼稚なのであって、そんなやつに映画は永遠にわからない、と罵ってやる。

周防さんの凛々しさについて書いた途端に『それでもボクはやってない』がキネ旬一位になった、との報が。まったく素直に喜べない。そうやって「映画」の側に回収されて議論されることなく、よかったよかった、と棚にしまわれるのか。これまた本当に不愉快だ。
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