2008/4/30

敵国上陸。  労働

ようやく血液の数値が落ち着いてきた。病院の帰りに床屋へ。前回床屋へ行ったのは平成五年、叔父さんの葬式のとき以来。あのときは急さと悲しさのために自分で切ったひどい髪型だったので、見かねた親だったか祖母だったかに、行って来いと叩き出されたのだった。それにしても久しぶりの床屋はえらく面白かった。結婚当初、妻の友人の美容院に行っていたが、若い女性ばかりでなかなか入りづらく、いつしか行かなくなった。が、床屋だと隣に年輩の客などいれば、それと亭主の話を聞ける。いわゆる床屋談義である。別世代・別世界のひとびとのざっくばらんな話を拝聴していると、世の中いろんなことがあるということがわかる。三十分かそこらで3600円というのが高いか安いか知らないが、ひとりで坊主にするのは一時間以上かかるちょっとした難事業なのである。その三十分強を他人様の浮世話付き3600円で買ったわけだ。あまり損したという気はしない。

……と書いたのは先週の木曜のこと。
金曜の朝、成田からヘルシンキへ九時間強。二時間ほどのトランジットを経たのち、四時間ほどでバルセロナに着いた。基本的にこの十年に恩恵を蒙った「タダ旅、タダ酒」でからだを壊した、と思う。贅沢病でなくてなんだろう。とうからそういう無理の利かない年齢になっている、とよくわかっている。家を離れるだけでたんに疲れるし、精神的に参る。よほどのことがないかぎり、これが最後となる気がする。
しかし、なにしろガウディーだ。着いた日はもう薄暮で出歩くということもなかったが、翌朝ひとりでサグラダ・ファミリアへ行き、ただただ圧倒された。ああ、ここに未完成に耐えうるヨーロッパ人がいた、と。考えてみればオーソン・ウェルズ『ドン・キホーテ』を「完成」させた、といわれるスペイン人ジェス・フランコのしたことは、むしろ「未完成」の未完成たる由縁に拍車をかけた、ということかもしれない。そうしてスペインには「完成」を目指す権力の「歴史」に抵抗するエントロピーが狂おしく横溢しているのかも知れない。このエントロピーはフラグメントでできており、その集合は街にノイズを放っている。

……なあんて、たった二日でなにがわかる、というわけでQ&A一回だけですごすごとバルセロナをあとにし、日曜パリ入り。その日は通訳の松島さんとプロデューサーのジュスタンに迎えられ、飯を食ってすぐダウン。
翌月曜、朝八時より終日ロケハン。スタッフ、実に勤勉かつ優秀……といっても「うちの連中」に較べるとまだまだ、ですけど(笑)。
本日火曜も雨中市場をロケハン、続いて女優オーディション。二人会い、二人とも大変よろしくて、激しく悶絶。サラほど優秀なキャスティングディレクターはこの国にはいないのではないか、とさえ思われる。しかし、どうしたものか、と悩みつつ、こうして日記を更新……

と、これだけ間が空いたのは、忙しさはもちろんだが、ACアダプターを忘れてパソコンが開けなかったせいだ。慌てて妻に郵送してもらったが、運送屋もGW進行なのか、問い合せても今日発送した、とどこかの蕎麦屋じみた返答。到着は一週間後、と聞いて降伏し、DARTYにて69ユーロ出して購入、無事日本社会へのちっぽけな窓は開かれたのだった。めでたしめでたし。
ちなみにフランスも学生たちが休みになり家族旅行としゃれこむプチブルも少なくないらしいが、基本GWなどもちろんなく貧乏ヒマなしな大都会(=田舎者で構成)である。
1

2008/4/24

敵国へ赴く気分だ。  日常

月曜、ユーロスペースでちょいとした撮影があり、それからスパイラルでこれまたちょいとした鼎談があり、へとへとになったので食事をごちそうになり、さらに留学から帰国した友人と下北沢で会い、さらにへとへとになったせいで眠りこみ、朝。
火曜、帰宅しても眠れそうになく、昨夜呑みすぎたから病院もサボってぼやぼやとしていたが、れいによってどうにもやる気が起きない。モチベーション、著しく低下。とにかくフランスなんかに行きたくないし仕事なんかしたくないのだ。家にいて飽きるまでじっとしていたい。
……とはいっても渡航直前となれば朝から晩まで打合せ連打の水曜。へろへろで家に帰り着いたらもう倒れるしかない、というのに寝ようとしても眠れず。
ネットを見ていると、こんな記事に……失笑。ついに全国区だ。
http://www.asahi.com/culture/movie/TKY200804230137.html

で、まあもうひとつニュースがあったが、喜んでいいやら怒るべきやら、ただただ悶絶。
今年『トウキョウソナタ』よりいい映画があるなんてどうしても信じられない。あるわけがない。
アウェーどころか、彼の国と交戦中であるかのような敵意を抱く。

だがなにがあろうと明日だけはちゃんと生きなければならない。
1

2008/4/21

久しぶりにライヴへ行った。  日常

昨夕、この春にまったくマキノに通えなかった腹いせもあり、近衛十四郎が見たくてずっと以前に買っておいた『忍者狩り』のdvdを見た。私が近衛十四郎ファンなのは子供の頃にテレビ時代劇『素浪人月影兵庫』や『素浪人花山大吉』を見て育った、ということがあり、その近衛とやはりテレビ時代劇『仮面の忍者赤影』の悪役、天津敏の共演だからこれは見ないわけにはいかないと考えていたが、そうしたことを超えて傑作だった。ここでも近衛は幕府の謀略によって藩を取り潰された浪人で、そのルサンチマンの所在無さやきわめて殺伐とした雰囲気は高田宏治の脚本が六〇年安保後の空気を的確に描いているということだろう。殊に河原崎長一郎の不安げな表情は、彼が佐藤慶とともに当時の「顔」として召喚されたのかと推測された。近衛も華麗な太刀捌きは封印して、陰惨かつ冷酷に殺しの道具として刀をただ振り回す。そうして最終的には自らも傷だらけとなり、いささかの達成感もない。縦構図の緊張からいきなりシネスコの横長を生かした横の引きでの躍動に切り換える立ち回りの構成。また、尼僧が山城新吾を誘惑するくだりの、時間の官能的な停滞。そうしたものが90分弱のB級的空間を緊密に織り上げ、マキノというよりまるでハリウッド時代のラングかモノクロ時代のドン・シーゲルを見るような思いがした。
夜はThe Suicidal 10ccことジム・オルーク&中原昌也のユニットのライヴを見に、渋谷O-nestへ。小さい小屋ながらなかなかに盛況で、よきかな、と思われた。最初、当日券売り切れで入れないかと思ったが、中原が偶然来ていた毛利とともに私を録音スタッフとして入れてくれた。だから私はずっとマイクを構えていた。二人の演奏もお互いのいつものように繊細かつ絶妙のコンビネーションであった。途中、中原がちっちゃなギターを持ち出したので、おや弾くのかな、と思ったら弾かなかったので笑った。フィードバックくらいはしていたのだろうか、よく聞き取れなかったが。ジムも玩具みたいなマイクでハーモニカを吹いたり、ハウリングさせたりしているようだった。ようだった、というのは低い机の上に機材を載せてそこに覆い被さるようにして演奏していた二人の行動がまったく見えなかったからだ。ジムは時折活発にアクションしていたからそこだけはわかったが。でもこういう音楽の場合、ライティングというのはとても難しいだろう。あまりチカチカさせないで、じわーっと光量を上げていってやがて同じような速度で落としていく、とかそういうのがよいのかもしれない、と思われた。
その後登場したDMBQはとっても音の大きなバンドだった。もっと感化されるかと期待していたが、あまりに音の大きいために細かいところまで聞き取れなかったせいもあって、そうでもなかった。ダイブとかするんで、ちょっと怖いというのもあった。案の定、途中で観客によってペットボトルの水が撒かれてこちらにも飛び散ってきた。まあそれで頭に来るということもないのだけれど、もちろん。
あんまり腹が減ったので、途中退場して寿司を食いに出たら、プロデューサーにばったり出会ったので驚いた。
その後中原たちの打上げに合流して、スーパーデラックスのひとを紹介された。
0

2008/4/19

偏食を克服。  映画

これまでほとんど食わず嫌いに近い形で見ずにおいた『クラッシュ』になにか気になるものを感じて、かねて買っておいたDVDでとうとう見た。
このようないわゆるヒューマニズムに対してはずっと警戒心を抱いてきたし、また昨今私が顕揚する「カツゲキ」に本作が該当するとも思われない。が、もしかするとなにか勘違いしているのかもしれないが、これは、いい。これじたいは特に新しい発想ではなく、どちらかといえばいわゆる「グランド・ホテル形式」の、フェリーニ/アルトマンを経由したのちの変形ヴァージョンだが、ここからいまに至る新しさ、説明なしで進行していくスペクタクルが発生している気がする。この作品では最初に前提が(ロスは云々……とドン・チードルによって)語られるが、現在のアメリカ映画の新しさはそれがどこの街、どこの地方であれ国家や世界を前提とせず、また暗喩もせず、それそのものを描こうと……いや、それそのものになろうとすることにある。つまり、この映画からドン・チードルの冒頭の台詞を抜いたものが現在のアメリカ映画の透視図ではないか、という推論。これ一作だけが端緒となったわけではないだろうが、アカデミー作品賞を獲得した本作の影響はそれなりにあった気がする。その程度には見られるべき作品だ。それとともに、ほとんどドン・チードルやマット・ディロンなど、俳優たちに説得されるようにして見ていた。特に素晴らしいのは『ハッスル&フロウ』でも共演したテレンス・ハワードとリュダクリス。二人のシーンはもちろん、夜に車を運転していたテレンス・ハワードが降る雪に誘われて車を降り、燃え上がる車にがれきを投げ込むあたりの抒情にはほだされた。あの雪を見ながら、何十年も前、当時は普段めったにテレビを見て泣くことのなかった私が『刑事コジャック』の最終回で、クリスマスの雪に向かってコジャックが叫ぶシーンで涙が溢れて止まらなかったことを思い出した。また不法入国のアジア人をどうやって人身売買から救い出したかは描かれないが、かれらをチャイナタウンに解放したあと、リュダクリスがニヤッと笑うところもアメリカ映画なら当然行われるべき憎い演出だった。だからそれらは「カツゲキ」とはちがうのだけれど、そこから「カツゲキ」まであと一歩、ひとひねり、すればいいのだ。だがこの一歩、ひとひねりが難しい。あの素晴らしい『バンテージ・ポイント』のカーチェイスは「活劇」ではあるけれど、しかし「カツゲキ」かどうかは定かではない。それはほんのちょっとの誤差の世界なのかもしれないし、同じものの別次元の展開ということなのかもしれない。

それにしてもいったい『クラッシュ』というタイトルの映画はこれまで何本作られたのだろう。

夜はキタキュウ会。禁酒中&早寝早起きの私は、焼酎たった三杯で前後不覚に。
2

2008/4/17

おっさん、あかん、手遅れや。  映画

一昨日の日記で「リヴェットを見る気がしない」と書いたら、日仏学院の友人からえらい剣幕の怒りメールが届いた。……いや、笑って謝るしかないんだが。日仏にはえらくお世話になっているし、「ギャルがへんな格好してちゃらちゃらしてる」というのはもちろん『セリーヌとジュリー』のことだが、まあね、かつてああいう映画が撮りたいと切に願ったこともあるおっさんがおとなげなく嫉妬してるよ、と鼻で笑っていただけたらそれが実態である。俺だってそりゃあ待ったよ。あれもこれも見たかったさ。リヴェットだけじゃなくこないだのガレルだってもうちょっと若い頃に見ていれば人生変わってたかもしれない、くらい思っているよ。……けどね、いまやすべては手遅れなのよ、おっさんにとっては。
若いひとがひたすら羨ましい。

そんなおっさんにはこれまた過ぎた贅沢ではあるが、一種の特権として送っていただける紀伊国屋書店様よりラング『ハウス・バイ・ザ・リヴァー』、ムルナウ『タブウ』、マキノ『弥太郎笠』、リー・イーファン『水没の前に』、ペドロBOXの各DVD、届く。いやはや、相変わらず「ニート=シネフィルのパトロン」紀伊国屋さんは狂っている。しかし毎月次々にせっかくお送りいただく傑作名作の数々も未見のまま棚で埃を被っている。これまた手遅れ、せめて老後の愉しみに取っておこう、といったところか。
ある日、堰を切ったように手当たり次第見る日々が訪れるかもしれないが。

そんなおっさんもとりあえず『パラノイド・パーク』くらいは見に行く。しかしこれまた手遅れといったところか。これは私ではなく、ガス・ヴァン・サントの手遅れである。ナレーション、変則露出、変則回転速度、音楽、オフの台詞、どれひとつ、呆れるくらいにまったく感じるところがない。前三作で出したアイデアの残り滓のような映画、といってしまうには惜しい存在たちが映ってはいるが、しかしそれ以上のことがないのも事実だ。今後ガス・ヴァンはどうするのだろうか。なにか秘策でもあるのだろうか。ないならいっそ十年くらい休んだらどうだろう。大きなお世話だが。私も、十年といわず二年でいいから、休めるものなら休みたい。どうせ休んではいられないのだろうけど。

そんなおっさんは今日も帰りにHMVに立ち寄り、おっさんなのでまたもやインクレディブル・ストリング・バンド(2nd……オリヴィエの映画でかかったのはこれに入っている〈リトル・クラウド〉という曲)と、スティーヴ・ミラー・バンドの初期などを購入したのだった。
0

2008/4/17

今日も生き残りの微笑を。  書物

本当はやらなければならないことがあるのだが、サボってドミニク・プライア著『スマイル』読了。出版されてすぐ(2006年6月)買ったはずだから二年近く放擲していたことになる。正直言ってあまりにセンチメンタルな『ペット・サウンズ』という本に納得がいかなかったので、その勢いでとうとう読んでしまった。いままで読まなかったのは、真相を知るのが、というより真相などというものが存在すること自体が怖かったからだ。
で、感情ではなく冷静な精神で書いている本書の意見と私の意見とはほぼ一致している。しかしもちろん、私と意見を一致させているわけだから、ブライアンと『スマイル』をめぐる物語に冷静でなどいられるわけがない。それでもここに引かれたヴァン・ダイク・パークスの「生き残ること。それがあのアルバムの物語なんだ」という一言によって、可能なかぎり正気を保って正確さを心がけなければならない、と己を律することができる。そうして、もしかするとあらゆる優れた現代芸術はすべて同じことを、つまり「生き残ること」を語っているのかもしれない、と思い当たる。今日もブライアンは海の向こうで生き残っている。そのことを有難いことだと思う。私は『ブライアン・ウィルソンpresentsスマイル』があれば生きていけると思う。
0

2008/4/16

ザ・ハングマンズ・ビューティフル・ドーター  映画

久しぶりに日仏学院へ。リヴェットをやっていることは百も承知だがどうも出かける気になれなかったのはシネフィル的な熱気に自分がついていけないことが目に見えているからだ。と同時に、リヴェットの画面上になにが起きていようと是が非でも見たくてしかたないという気にならないせいでもあるが。ギャルがへんな格好してちゃらちゃらしているのなんてあんまし興味持てないのだ。

なので、本日の目的はリヴェットではなくオリヴィエ・アサイヤスの新作『夏時間』試写である。今回は『サマータイム』という呼称が仮につけられていたが、このアコースティックなドラマのためにどちらがいいのかよくわからない。老母(エディット・スコバ)の死後、その形見分けが喪失感としたたかさのなかで行われ、その両方が孫にまでおよぶといった内容は、後期小津を想起させずにはおかない(監督含め出演者の多くが来日経験者で、日本の話題も語られる)のだが、それがいつもの機械と神経症に魂を奪われたまま二度と戻ってこれなくなったようなオリヴィエの、冷徹とも激情とも取れる、心ここにあらずなせわしなさによって語られる。夏時間というのが一時間短くなるんだか長くなるんだか忘れたが、老母の死が家族の間にそういう人生のなかのたった一時間の喪失(または過剰)をゆるやかに忍び込ませ、歯車の噛み合いがそれまでとは明らかに変わってしまい、もはやかつての連帯は決して取り戻せないが、それが何か決定的な事態というのでもなく、ただ一瞬泣いて、しかしなんのために泣いたのか、あるいは泣いたことそのものさえいつか忘れてしまう、そういう時間を我々は暮している、とあらためて思い知らされる。こないだ見たオリヴィエの作品は『クリーン』で、これは来月の半ばに爆音映画祭でデジタル上映ではあるが見ることができるので、某映画作家の最高傑作と私が信じて疑わない新作が登場するまで女性が主人公としては最強の非アメリカ映画だったこの作品をぜひ見ておいて、そうしてその某映画作家の新作の出来に驚愕していただきたいが、その『クリーン』がエレクトリックなオリヴィエとアコースティックなオリヴィエのちょうど中間だったのが傑作たる由縁だと考えていた者としては、しかしやはりこうしたアコースティックなオリヴィエも実に棄て難いと思われた。上映がはじまるまでアーシア・アルジェント主演で作ったほうの作品とばかり思い込んでいたので、不意を衝かれたような驚きもあったかもしれない。

来ていた樋口さんや坂本さん、結城君とお茶したあと、渋谷へ。珍しくHMVに寄り、オリヴィエの映画の最後にかかっていたインクレディブル・ストリング・バンドを買う。その他、ア・サートゥン・レシオの初期の再発やらスキップ・スペンスやらペレ・ウブのこれまでCDが廃盤だった中期三作やら。サーストン・ムーアの新作も。

それからTOEIで『バンテージ・ポイント』。京都にいる妻が空き時間に見て最高面白かったというので見たのだが、たしかにこれは拾い物だった。もしかすると未見のポール・ハギス『クラッシュ』ってこんな感じなのか、と思われるのだが、大統領暗殺をめぐって時間を巧妙に重層化させて語られるサスペンス。ブライアン・グレイザーがプロデューサーでないのが不思議なほど上出来な構造だが、それだけではなく、これが劇場用映画一本目となるテレビ出身の監督ピート・トラヴィスの演出は、もはやヴェテランキャメラマンといっていいアミール・モクリの卓抜な技術に助けられつつしっかりと「アメリカ映画」をものにしている。なんといってもデニス・クエイドが圧倒的に素晴らしい。それにウィリアム・ハートももちろん悪くない。爆弾爆発も素晴らしい。それに加えてCG処理なしのでたらめなカー・チェイスに久しぶりに大興奮させられつつ、涙腺を緩めまくる。途中、側近たちの陰謀説へとこちらが勝手に妄想をたくましゅうする箇所もあり、この白熱する大統領選の年に相応しいエンターテイメントだった。

本日の映画は偶然にも双方、まるで意味はちがうものの上昇運動でしめくくられた。
0

2008/4/15

へとへとである。  日常

厄日かっつうくらいひどい一日。出がけに携帯がなくなり探しまわった(洗面所に脱ぎ捨てたジャージのポッケにあった)のを皮切りに、銀行では十五分待った挙句にこれはATMで振り込んだほうが手数料安くなりますからと押し返されるし、営団に乗ったつもりが都営で引き返すハメになるし、そして汗だらだらかきながら目的地に着いたらその汗を拭くハンカチをどこかに置き忘れてるし、と踏んだり蹴ったりの午前中。思い出すと昨日は乗ったタクシーがすべての信号でひっかかったし、毎日超ついてない。午後からは落ち着いてきたものの、最終的に六本木で『クローバー・フィールド』を見て、まあつまらないわけでもなかったもののさすがに全篇手持ちのDV(しかもVFX加工過多につき画面ぐだぐだ)というのは全身に来るのであり、ゆえにどっと疲れたのだった。かいじゅうさんのあかいえらみたいなのがふくらんだりしぼんだりするのがよかったです。でもおんなのひとのむねにつきささった鉄棒をぬくところでみえないようにかくすのはずるいとおもいました。あそここそみせてくれないと。それにしてもエンドクレジットの尋常でない長さよ。まさに人海戦術だが、これだけ人件費かけないとあそこまでできないわけだ。皆さんご苦労様でしたって感じ。
……しかし昨夜も思ったんだが、あの、六本木のおとなの客がみんな晩飯どきにバケツ一杯のポップコーン持って映画見るのってどうなんだろう。いや、たんにバリバリうるさい、というだけだが、なんだかアメリカの田舎で行われているさまをなにかと勘違いして模倣している気がして滑稽だと思われるのは……まあ大きなお世話なんだろうね。
ともあれくたくたでヒルズを出、西麻布の某バーにて出前パスタを食して帰宅。
久方ぶりに『ペット・サウンズ』を引っぱり出して聴いた。……え? もちろんいつ聴いたってビートルズとは比較にならない素晴らしさですが、なにか?

というわけで、ジム・フジーリ著『ペット・サウンズ』読了。未だ『ペット・サウンズ』を聴いたことのない若い人々にはきわめて親切な入門書だと思われた。ちょっと各曲についての感想がうるさい、というかうざいけど、まあこれについては誰もがどうしてもなんらかのことをいいたくなるのが常だから、それを禁欲せよったってそら殺生というものかもしれない。
0

2008/4/14

旧いヤツだとお思い/jump/でございます  映画

ようやく家事ができる、ということで洗濯、金魚の水槽掃除など。フランスとのやりとりをしたあと、六本木で『ジャンパー』。
冒頭、いきなり躓く。ナレーションだ。その時点でこのひと、もう旧いひとになってしまう。で、要は『虎よ!虎よ!』のジョウント能力を現代の若者に置き換えただけ、という完全パクリネタで、それはまあそれでダメとは言わないが、まあベスターの小説のほうがダイナミックであることには変わりない。この監督は空間を横軸でしか捉えない。同じ超能力ヒーローものでも『スパイダーマン』は縦軸をフル活用し、それゆえ最新技術の活用も冴えて見えたが、これでは安易としか言いようがない。当初、ジャンパーの能力は情念を介在させないところに新しさがある、と思われた。『虎よ!虎よ!』の主人公がひたすらに復讐に燃えてジョウント能力を時間にまで押し広げ、スパイダーマンの能力開花が家族友人恋人といったごく身近な存在との葛藤によっていたのに対し、こいつはいかにもただのこそ泥めいている。襲われて慌てて逃げているうちに逃げ足が早く巧妙になったということだ。そこにはいわゆるプレカリアートふうの単純な爽やかさがあった。部屋ごとジャンプするクライマックスもなかなか痛快で笑った。しかし、途中で相棒になるもう一人のジャンパー(こいつのおかげでこそ泥度がアップしている。悪くない)の仔細ありげな挙動不審や、恋人がいまいち魅力に欠けるところを見ると「2」では恋人は殺されるのだろうし、最後に再会した母との関係も表面化するのだろうから、早くもこの新しさは旧さに埋没する予定だ。もったいないがしかたない。その程度のものだ。

『インディ』最新作の予告を見てしまい、それだけで泣いた俺は旧い人間だ。

帰りに広尾まで歩き、インド料理。えらく辛かった。そこからさらに恵比寿まで歩いたがそこで雨が降ってきてタクシー。
1

2008/4/12

実験、てゆうか、練習?  日常

朝、銀行作業を行い、その後病院。あちこち身を粉にして動き、挙句躯を壊していてはしかたがない、とその後樋口さんに愚痴ることになるのだが、酒をやめても結局悪くなる一方なら呑んだほうがましか、とさえ思われる数値。やれやれ。樋口さんと四谷三丁目の蕎麦屋で昼食。ジミヘンボックス2つを渡し、昼下がりまでおばちゃんのようにだべる。
家に帰り、晩飯をつくり、食う。その間もずっと『ザ・ビートルズ・サウンド』を読む。結局、エメリックも旧弊な男で〈レボリューション〉のイントロのギターなどをひどい音だと書いている。子供時代、これがロックだ、と思いこんだ私にはいまだにまったく正統な音としか聴こえない。録音したならあとからそういう批評めいたこというのはずるい、と思う。とはいえやはり『レット・イット・ビー』というアルバムの音響のひどさは、いま聴いて分かる。やはりエメリックがいるといないとではまったく異なっている。同時にもはや〈ロング・アンド・ワインディング・ロード〉なんて聴けたものではない。ジョン・レノンの言うとおり、ポール・マッカートニーのこの手の曲はいまや「ばばあ向けのクソ」としか思えない。こういう曲より、とどのつまり音を外していてもダメではないのがロックだと思う。ただ『アビイ・ロード』の〈アイ・ウォント・ユー〉のベースが(きわめて見せびらかし的であったにせよ)めっちゃかっちょいいことは認める。あれが弾けるまで練習しないとね、やっぱ。
ともあれ読了。アップルスタジオの終焉ほどバカげた話は聞いたことがない。さすがにここはエメリックの側について、こいつらみんな信じ難いバカだ、犯罪者だと軽蔑する。そうしてエピローグでは、あまりの展開に泣かずにはいられなかった。
音楽研究を離れるけれど、本書はローランド・カークの自伝以来、いい本だと思った。

本日の到来物。朝日文庫様より金井美恵子先生著『小説論 読まれなくなった小説のために』、ミラクルボイス様経由で平凡社様よりアプトン・シンクレア著『石油!』すなわちPTA『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』の原作、いただきました。恐縮です。金井先生の文庫、ずいぶん以前に単行本で拝読した記憶があり、ここらが自分の小説観の分岐点になったという気がする。
ということで本日、連載二回目脱稿。
1



teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ