2008/12/29

読書の「暮れ」  書物

妻のインフルエンザのおかげで三日間断酒できた。病人を置いて映画、というわけにもいかないので、なかなか仕事も捗った。
深夜に「すばる」2月号の奥泉光「虫樹譚」を拝読。えっ、これがオクイズミサン!?、てゆうほどチェンジ。Yes, we can.じゃないけど。しかもこれもまたこれで面白い、てゆうかひょっとしてこれ、御自身の「大学教授っぽいひと」としての経験と「文芸漫談」(いちばん近いのは『阿Q正伝』?)で立ち上がってきたアイデアによって書かれたって感じ? なんてことを想像させられた。でも奥泉氏の小説を読むのは『浪漫的な行軍の記録』以来なので、このチェンジが今回初ってこともなくて、実は推理小説はみんなこんな文体(ブログ調というか口語体と文語体の混合という前提が「J文学」への揶揄めいている)なのかもしれないけど。いずれにせよたいそう面白かった。いかにも音感のいい感じの体言止めを含む運びに、ときおり括弧つき漢字略語あるいは太字造語がブロウされて、ゴリッと来る。イイトシコイテ、オサーンガヨォ、なんて悪口も出るかもしれないけど、こういう「音」は若い人ではまず読めない。

そんなわけで読書熱が再燃したんで引き続き、なぜか年越しはジルさんの『シネマ1』『シネマ2』を一気に読んでしまおうという気になり、読始。いまさらな感じもしないでもないけど、そうはいっても面白いんだから。
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2008/12/28

Let's Get Harry!  追悼

なにしろロージーとカザンの両方と仕事しているんだから職人に決まっていて、あんな職人肌のひとがか!?、と思わず笑ってしまったのは私だけではないはずのノーベル賞受賞からわずか三年、つくづく忙しいひとだとネット上の訃報に載ったその、おでこに傷など作って飄々とした薄ら笑いを泛べた遺影を見るだにまたしても呆れ笑いが浮んでしまうのは、やはりポルトガルの血のせいだろうか、どこか根が陽気なのだ。だからいまさら真面目に新潮社から出た全集を買い求めて読もうともしなかったし、ロージーのインタビュー本もいつのまにか散逸してしまったが、ともあれDVDが手元にあったらそれを見ていればいい。でも見ようかどうしようか迷って結局見そびれた最後の出演作『スルース』は見ておくべきだったかな、などと殊勝にも後悔させられた。

「シネ砦」第二号、届く。この禁欲にどんな意味があるのかしらないが、ちょっと不気味な気さえする。メジャー(資本主義)においてのみ思考するどマイナー。俺ももう少し勉強したほうがいいかな、などと殊勝にも夢想させられた。

忘年会に出た。もうやめたほうがいいかな、などと(以下略)。
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2008/12/25

年末酒模様  日常

日曜月曜と禁酒は成功。が、翌日の武蔵小杉〜新宿で泥酔して元の木阿弥。
そいでもってアジトの開拓に勤しみつつ悲惨な孤独死を知った本日は、友人宅でやはり泥酔睡眠。復活して帰宅するも、いまだ酔いは抜けず。
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2008/12/22

風の強い夜に。  日常

かくして革命は開始された。
昼は革命アジトの構築、夜は、というか打合せという名の(ほぼ)朝までコースを四日連続で。本日は昼営業のみ。夕方、とうとう気絶してしまった。さすがに一口の酒も口にする気がせず、九十七歳の現役医師の姿をテレビで拝見し、なぜか内容では一切触れられていない緑茶を続けて三杯ガブ飲み。明日も禁酒予定だし、今後は一応二日に一度、年を越したら三日に一度、とペースを徐々に落とすつもり。いよいよ心身ともに鈍っていっているのだ。
で、あまりの多忙ゆえにとうとう『ダイアリー・オブ・ザ・デッド』も『トロピック・サンダー』も年内に見ることを失敗してしまう、という悲しい事態。ちなみに、革命アジトでの最初のDVD鑑賞はサミュエル・フラーだった。
そいでもってM−1だが、まあもうあまり感想めいたことを言う気が起こらないのは、これまたたんに「二年連続敗者復活というのはないでしょう」という「物語」がつまらないからで、まあ接戦ではあったし、技術的には三組ともそれなりに優秀ではあるが、やはりオードリー春日をちゃんと見た、ということだけで今年は良しとしたい。いわゆる通好みではないんだろうが、細かい部分を直せばかなり継続できるのではないか。相方にも恵まれているし。
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2008/12/17

革命前夜である。  日常

革命のための散財を、ネット上で。といっても明後日には第一便が着く予定だが。
年内営業開始、開始日未定、営業日・営業時間未定ということで承っていきますので、皆様どうぞよろしく。
移転は明後日、あの!シバッチが手伝ってくれる予定www
そこには借主が最も懸念しているものに最も近い人相の男に引越しを手伝ってもらえば、という祈りが反映……イヤイヤ、私の不規則性には泥棒さんもおそらくつきあっちゃいられないだろう、だいいち、シバッチ自身はそうした存在から最も遠い、純粋な性格の持ち主(たぶん)なのだから、世の中、顔はあてにならない、というフォローにならないフォローを。
それにしても、いよいよ背水の陣である。これで鼠一匹出てこなければ、私は破滅だ。てゆうかほぼ破滅一直線にも思えるが。しかしそれが革命ってことだ。さらに言うなら、真に求める革命は、私以後に活躍する作家たちの行動にかかっている。ヴァーチャルに、ではなく物理的な行動を必要としている向きは賛同されたし。ただし、こちらにも択ぶ権利はある。

詳細は、各忘年会・新年会にて。
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2008/12/14

主人公は死なないほうがいい。  テレビ

最近酒を呑まない日の夜、ひどい偏頭痛に見舞われることがよくある。これはよくない兆候なのだろうか。だろうか、ってきっとよくないにきまっている。しかしまあ、呑んだって治るとはかぎらないのだからせっかく酒を抜いているのに呑むことはないだろう。ある日ぽっくりいくってこともありうるので、あとのことは皆さん宜しくお願いしますよ。ってなにを宜しくしろっていうのかね、こういうとき、ひとは。まあこの年末年始のテーマは、できるかぎり呑まない、だからさ、できるかぎり呑まないよ。まだやることあるからね……今夜の大久保利通じゃないけどさ。無念だろうな、ああいうひとは。あのドラマを見るときは小松帯刀目線で見てたけど、ああやって語られるとあのひともホントに気の毒なひとだと思われた。自分では、いい人生だった、なんて言ってたけどさ。そうでも言わなきゃ死にきれないでしょうよ。帯刀の訃報を聞いた篤姫はもっとぐだぐだに泣き崩れたってよかったんじゃないか。それと、篤姫の死の瞬間は見たくなかったな。ああ、死ぬなというところまで見せて、ふと見上げると若き日がフラッシュバックして終わり、でよかった。主人公の死を見せるかどうかというのはなかなか難しいもんだ。いい映画では大抵主人公は死なないのではなかろうか。でもまあ済んだことだ。心から労をねぎらいたい。
そういえば、浅野内匠頭は辞世の句なんて読まずに切腹した、っていう話をネットで知って笑った。忠臣蔵がホントに嫌いだってことは前にもどこかで書いた気がするが、この赤穂のバカ殿のしでかした顛末が必要以上に美化されていることの証明がまたひとつ露になってうれしい。気の毒な吉良上野介がちょっと救われた感じだ。
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2008/12/14

二十三年目の『コクーン』  映画

夕方、テレビを点けたらロン・ハワードの『コクーン』をやっていて、延々と泣く。
公開からもう二十三年も経って、当時はスティーヴ・グッテンバーグどころかウィルフォード・ブリムリーの孫の男の子(あの投げ釣りの場面でもう嗚咽ばりばり)のほうに近かったというのに、いま見ると感情的には老人たちのほうに近いことに気づく。というか、当時は自分の親も元気だったがいまやいつ死んでもおかしくない状態にあってこれを見ると、真剣に身につまされる。父が母の死をあのように迎える、と想像しただけでたまらない。二人の傍にいたいとは思うが、仕事は仕事で重要なので簡単には東京を離れられない。もっと自由の利く経済状態にあればよかった、とつくづく考えるが、後悔してもしかたない。時は本当に経ったのだ。
それにしても『コクーン』のように何十年も経ってあらためて身に沁みる映画を作ることは素晴らしいことだ、とつくづく思う。あの頃、いろんな人たちと交わした会話が思い出されながら、自分が当時考えていたことの「若さ」に気づく。いったいなにを見ていたのだろうか、と。
ロン・ハワード万歳!
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2008/12/13

満月のはらわた  映画

赤坂で某センセの豪奢な忘年会に顔を出した後、電車で吉祥寺へ。
篠崎誠・藤井仁子両センセとのトークに遅刻してしまった。しのやんの『殺しのはらわた』は、ほぼ誰も知らないことだけど、私も大学時代にそのタイトルで自主映画を作ろうとしていたのだ。もちろんこんな立派なものになるはずはなかったけれど。しかもこのタイトルはたぶんいろんな自主映画作家がつけようとしただろうし、もしかするとすでにどこかに存在してさえいるかもしれない。いずれにせよ自分が作らなくてよかった。しのやんがこのタイトルのこんな立派な作品をこのタイミングで作るのが正解。その意味でも日本じゅうの自主映画作家、いや映画狂に見ていただきたい作品である。
ご本人に言い忘れたが一個だけ注文をつけさせていただくなら、タイトル後の帰宅した島田さんを迎えて長宗我部さんが台所から出てくるシーンだが、長宗我部さんの寄りはあそこではなく、島田さんが奥の部屋に眠った子供を抱いていくところであるべきではなかったか。もちろん撮影時間の短かったことは百も承知の無理な注文であることはわかっているが、それでも子供を抱いて背後を通過する手前に妻、という構図が見たかった。
……とまあ、他の映画についてのこういう細かいことをトークでも小姑のようにぶつぶつ言っていたっけか。

昨日は満月だったせいかそれとも小津のおかげか、赤坂でも下北沢でも懐かしいひとにどしどし会った。なんか自分の知らないところで世界がいい方向にまわってくれている気になれた一夜だった。
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2008/12/11

戒律「三粒で一度おいしい」の感動  映画

猫を手術に連れて行ったあと、学生時代以来久しぶりに借金というものをしてみた。これも革命のためである。本当は倍借りたかったが、なかなかそうは問屋がおろさないものである。でもなんとかなるだろう。
で、家に帰って仮眠してアテネへ。『ヨーロッパ2005年、10月27日』『アルテミスの膝』『ジャン・ブリカールの道程』という新作三本立て。『ヨーロッパ2005』の反復に「犬にキュー出し」と赤坂大輔は笑っていたが、実にいいタイミングで犬が鳴く。続く『アルテミス』はアクションつなぎのないことがダニエル・ユイレの不在を物語るようで寂寥とする。しかしこの木漏れ日の凄まじさ。まるで露出を絞ったような芝居部分のラストショットについてしばし考える。それに最後の五、六カットのパン実景の最初のひとつは軸補正のための短い移動をしていなかったか、と考えもする。しかし普通の作家だとそんなこと気にもしないのになぜストローブだとそんなことまで気になるのか、自分でも不思議だが、つい気になるのだ。そして最後の『ジャン・ブリカールの道程』はあまりに素晴らしく、いつしか感動はひとつのシステムに対する怒りにまで及んだ。そのシステムとは、Aという有名なひとがBという作品を褒めたとして、そのことをCというひとがBを擁護するために紹介する、そのことはかまわないが、このCがたとえばストローブ=ユイレを敬愛しており、しかしAがストローブ=ユイレのことを知っているかどうかさだかでないとしても、CはBのためにそのことを気にしない、というものだが、果たしてそれはBのためになるのだろうか、というのが私の疑問だ。AもBもCもたぶん間違ってはいない。おかしいのはこのシステムだ。もっとも、私が怒りまで感じるのは、Aがストローブ=ユイレを見に来ないことをべつにおかしなことだと誰も思わないことだ。いや、ホント、俺だってすべての優れた映画を見ているわけでもなく見てない映画のほうが多いに決まってるが、それでも『ジャン・ブリカール』のような映画を見ると、これを見ずに映画についてなにか語るなんて不可能だとかつい思ってしまう。それくらい一瞬一瞬が濃厚な運動に満ちている。リュプチャンスキーのモノクロも素晴らしすぎて、自分もまたいずれモノクロで撮影したいと胸が躍る。そうしてあらゆる音響に逐一覚醒させられる。
で、この三本立てについて思うことは、昔「一粒で二度おいしい」とかいうお菓子の宣伝文句があったけれど、そういう資本主義の甘言にうまうまと乗せられてはならず、ストローブ=ユイレを見る際は「三粒で一度おいしい」というつもりで己を戒めるべきだ。この三本を見て、ストローブ=ユイレのどの作品とも共通する感動を一本分、得ることができる。そういうものでなければならない。

なぜかまったく予定のない呑みで、朝まで優れたエチュードのような映像を見てああだこうだみんなで語り合っていた気もするが、よく憶えていない。おかげで本日の加圧も打合せもとんでもなくぐだぐだだった。
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2008/12/9

革命のためにもう3db(MONO)!  映画

相変わらずぐだぐだでもう酒を呑む気もせず、打合せを終えて家の近所でぱっと飯食ったらさっさとおうちに帰り、もうすぐ個人的に起こる革命に備えるのだが、それまでなにをするかというと、一日にやることの量を決めて、それが終わったら深夜にオペラを聴きながら趣味として一日一ページ英語の小説の翻訳をやるのだ。ずっとやろうと思ってきたことなんだけど、ようやくその日が来た。なんの小説かはヒミツ。終わるまで一年かかる予定。きっと間違いだらけだと思うけど、十数年ぶりにランダムハウスとか開いた。重いの重くないの。
本日はその革命のための諸準備に奔走。へとへとになりつつも、見逃していた『放蕩息子の帰還/辱められた人々』を見にアテネへは行く。冒頭のクレジット(「49年カンヌ映画祭音楽大賞」って書いてあったような気がしたが、どういうことだろう?)からエドガー・ヴァレーズとクレジットの出た音楽がモノラルで、続くクレジットと白画面にがんがん流れている間、ああ、もう3db上げてくれ、と祈らないでいられようか。肝心の本篇のほうもいつもどおり強靭かつリアルなイタリア語と森の小鳥やら風やらが鳴り渡る。これを爆音でやるとどうなることやら。ポン寄りするたびに胸がキュン!と締めつけられるし、最初はまるでアンゲロプロスみたいな話だな、と思っていたら進むに連れてどんどんあの偉大なる『シャイアン』を髣髴とさせてくるし、途中でいちいち手を挙げて発言したがるおじいさんはフランシス・フォードみたい(いつ痰吐くかと気が気でなく)で笑えるしで、盛り上がりまくり、舞い上がりまくり。ホント、マジ超メッサかっちょえーですわ! そいでもって決して忘れられぬラストショット。……嗚呼!
エンドクレジットのピンクの走り書きに思わず、そうだ、とあらためて溜息が洩れました。

見終わって帰宅するまではたしかに物凄く元気だった。で、いまはまたぐだぐだ。
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