2009/2/27

これは依存ではない・・・?  日常

久しぶりに仕事でいっぱいいっぱいになる。新ユニットNARUTAKI8.2二度目の会合を含む活動だけでなく、三夜連続で呑み続けた結果、とも思われるが、今夕心身ともにくたばった。月曜の記憶のほうが火曜の記憶より鮮明なのに、吾ながら呆れる。しかしそれでもなおやらなければならないこともあり、この苦闘の一夜を先ほどようやくクリア。明日から大阪である。とりあえず禁酒を宣言してみる。まず間違いなく無理だろうけど。二十八日の夜、大友さんが音楽をやった『白洲次郎』のドラマがNHKで放送されるから、当然それを見なければならないので酒を呑まない可能性もある。でもきっとそれを見た後呑みに出るかもしれない。出なくても買いに行きはするだろう。酒との向き合い方をそろそろ真剣に考えようかとも思っている。
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2009/2/24

平板でつまらなくて最高じゃん!ちぇっ!  映画

池袋シネマロサで『チェ39歳別れの手紙』を。
パート1とは打って変わって、超平板でつまらなくて、素晴らしい。最初は日付や日数のカウントがウザいと思われもしたが、ボリビアに入り、ゲリラになっていく連中が街をうろつきはじめる辺りからなんだかやけに運動が匿名化していき、進むにつれ徒労とともに日付も無効化されるのだった。人物たちの顔もどんどん判別できなくなり、それもまた小気味良い。ゲリラなんだから当然の処理だ。ボリビアの風景もキューバのそれと違ってホントに退屈だ。へたくそな自主映画にも似た、しかしそれとは明らかに一線を画す、こんな洗練されたことをやれるならいつもそうすればいいのに。でもしないってことはこれがたまたまなのか。まあ、ゲバラ逮捕の瞬間となると途端に悪い癖が出るからわかってないのだろうな、とは思う。フライシャー版の超かっちょいいヘリ着陸からの横移動とか、模倣したいのに禁欲しているのではなく、たんにやりたいと思わないのだろうな。銃殺場面にしたってアングル、逆だろう。あそこは「観客にゲバラを殺させ」なければならない。そうやって「自己批判」することによって「世界永久革命は継続される」はずなのだが。まあ、そんな意志はソダーバーグにも誰にもありはしないのだろうけど。とはいえ、こういうのも運命なのだ、ベネトロくんがちょうどいい年齢に達した没後40年の今年、この二部作を世に出したってことだけでもソダーバーグは評価されるべきだ。まさかソダーバーグにアレクセイ・ゲルマンのように大爆発しろなんて言ったって無理に決まってるし。このご時勢にシニシズムに陥ってしまうくらいならこちらのほうがずっと潔いと思う。これまでのバカな活動もこれに免じて帳消しにしてあげたくなった。
ただひとつ、どう判断するか迷うところだが、キューバの旧勢力の処刑を省略したことはいいのか悪いのか。ボリビア軍将校にキューバからの亡命者がいるからそれに代弁させてはいるが、あのフライシャー版における死神のように薄気味の悪いゲバラが、ここでもやはり描かれるべきだったのではないだろうか。

ちなみにネオリベの断末魔のようなアカデミー賞結果については語るべき言葉は見当たらない。六十以上のアカデミー会員はとっとと引退せよ。もちろん日本の関係者たちも。
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2009/2/23

底抜け掃除屋稼業も楽じゃない  映画

ふらりと銀座まで出て、レニー・ハーリン『クリーナー』を。
ひととおり前振りを経てさてこれから物語が動くな、という10分あたりでふとラストカットを頭に思い浮べて、正解した。こういう経験をさせてくれる映画も最近珍しい。尺も九十分ジャスト、実に清々しい。題名からギャング映画だとばかり思っていたら本当に掃除屋さんの話だったので驚かされた。しかも殺人現場の掃除専門だから、どこかの国のヒット映画と非常に近しいのだが、この掃除屋の聡明な娘は父親の職業を「けがらわしい」などとは決して言わないので、上品だ。それだけタフな世界に生きているから当然だ。パパは誰かがやらなければならないことをやっているだけなのだから。その聡明さはあまりに悲しい聡明さだけれど。
サミュエル・L・ジャクソンはきちんと暮しながら例によっていつ335を持ち出して弾いてもおかしくないような態だし、エド・ハリスがまたもや(こないだはDVDの『ゴーン・ベイビー・ゴーン』だったか)神経衰弱ぎりぎりのおっさんをわかりやすく演じていて、満足。ルイス・ガスマンやロバート・フォスターにもぐっと来た。
ただ一点、またしてもエヴァ・メンデスだ。いや、これまた彼女のせいではないし、ハーリンのせいでさえないかもしれないのだが、なぜ彼女が物語上ファム・ファタルでないのか、という問題だ。これは要するに映画におけるPC問題なのではないか。つまり社会的弱者である女性を悪として描くのはよろしからんことだという暗黙の了解が世界的に浸透している、そんなような気がしてならない。結果、『過去を逃れて』ばりの悪女ものなどもっての他、ということになる。その点、『恐怖のメロディ』を監督デビュー作に持つイーストウッド先生は『チェンジリング』でも精神病棟にものすごい顔の女性看護士をずらり並べたりしてこの問題をあっさり解消し、やはり偉大だと思わされたのだが、どうなのだろう、いまやファム・ファタルというのは不可能なんだろうか。女の悪役、いつ以来見ていないか、ちょっと考えてみたい。
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2009/2/21

前略、イーストウッド先生  映画

先日予告致しましたとおり、初日に『チェンジリング』拝見いたしました。最近こそ怠惰なことに試写での拝見が多くなったものの、かつては先生の作品を初日に見ることは敬虔な宗教者が教会に礼拝に行くのと同様の儀式性を帯びていましたから、今回もこんな晴れやかな気持ちでシネコンに入ったのは初めて、というほど清々しい気分に浸ることができました。そうしてもちろん、心の底から感服いたしました。すでにこの作品から先生は完璧なる大天使へと移行されておられたのですね! 開巻十分ほどでしたか、急な仕事が出来たけど暗くなる前に帰るから、と出かけるアンジーを窓辺からみつめるウォルター坊やを捉えたトラックバックこそは先生の刻印に他ならず、あの瞬間にああもうこれでこの母子ははなればなれになってしまう、と気づき、さらに帰宅時、赤い路面電車を切羽詰った勢いで追いかけながら逃してしまったアンジーの悔しそうな表情から再びそれと同じショットが、今度はトラックアップで最終的にアンジーの後姿を一瞬捉えて、取り返しのつかない事態がはじまった、と感じさせるのもまた先生の刻印であるのは一目瞭然なのに、にもかかわらずそのような刻印をまるで初めて見る出来事として震えるような胸騒ぎとともにわれわれに届けてくださる。これこそが大天使たるゆえんでしょう。
そこから先のことはもうなにも書く必要はございません。ああ、あのアンジーを助ける弁護士の俳優、どことなくゲーリー・クーパーに面影の似た(あるいはジョゼフ・ロージーでしょうか)長身の紳士、おそらく舞台俳優さんでしょうが、あのように優れた未知の方を知ることの出来た喜びを特筆させてください。そうしてしばしば窓辺に立ち、柔らかな光を浴び続けながらありとあらゆる微細な表情を手中にしたアンジーの、俳優としての大収穫をも同時に祝福させてください。これほど週明けが待ち遠しいこともありません。誇り高きローラースケートの足元を見せたアンジーがあの赤い唇とともに栄冠に輝くことを心から祈ります。
ところで先生、もしや先生はかつてパリで先生のことを「ミスター・ホンキートンクマン」と呼んだ、同い齢の映画監督のことを気にかけておられるのでしょうか? かれの新作が届かないことを? それであんなに感動的な、赤い路面電車をお使いになったのでしょうか? そんなことは偶然でしょうが、もしそうだとしたらあのひとも幸せなひとです。実は私のほうこそあのひとの新作を心待ちにしているのですが、残念ながらニュースはありませんね。あのひとは先生とちがって最後まで「宇宙人」として生きることでしょうし。
それとこれは余談ながら、マルコビッチ氏に「アイム・ゴーイング・ホーム」とアンジーに言わせるあの演出には、ついついポルトガルの大天使のことを思い出してしまいましたよ。もちろんこれまた偶然のことでしょうけど。
さて次なる大天使のお仕事は、すべてを「仕方ない」の一言で済ませてしまう厄介な黒人俳優を迎えた偉人伝ですね。心から期待しております。そのときまでしばしのお別れです。
くれぐれもご自愛ください。
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2009/2/20

冬の光の安寧のあとで  映画

『ベンジャミン・バトン』が描いているのはアメリカ二十世紀史のようでいて、実はそうではないように思われた。ここにあるのは、マルカム・カウリーが書く、二つの世界大戦の間で「移境と帰還」を繰り返したごく限られた世代に属する一群の人々の精神だろう。ベンジャミンは二人の身近な存在に自分が求めたわけではないある光景を見せる。朝の光の昇る別荘地の海がそれだ。ひとりは自分を棄てた父。死を目前にしたこの父がもともとその朝の光をベンジャミンに教えた。さらにもうひとりは自分の心から愛する、しかしすべてを失った女性。のちに父が自分を最初に見たときに覚えた恐怖を追体験することにベンジャミンは怯えるが、それが取り越し苦労だったとしてももはや自分のための朝の光を求めることはない。かれらはすべてを求め、絶望し、やがて小さな安寧を手に入れてそれでよしとするにしても決して己を憐れむことをしなかった。そしてその後の時間を、あの二つの戦争に挟まれた時代の熱狂をただゆっくりと摩滅させることに費やした。結局、あのチェルシー号の激しい戦闘が代弁する、といってもまさに言葉を失うしかないような過酷さのあとでできることはそれしかなかったのだ。
エリック・ロスがこの脚本の初稿を書いたのは九十年代初頭だという。湾岸戦争以前である。だからカトリーナ台風の上陸を目前とする現在時制は今回の映画化にあたって新たに書き足したものだろう。そのとき、ロスはベンジャミンの日記の朗読を棄てようとしなかっただろうか。現在のロスは『アリ』や『グッド・シェパード』のように年号もナレーションもなしで時代を描く方法を発見しているのだから、かれにとって『ベンジャミン』のこの手法はいかにも古いものにちがいない。だが、ナレーションの廃棄を思いとどまる理由があるとしたらそれをケイト・ブランシェット演じる老婆が子供の頃おばあちゃんに読んでもらった「午後五時のカンガルー」の絵本のように、今度はベンジャミンの物語を自分の娘に朗読してもらうことがこの作品に最も相応しい方法だという結論に至ったからではないか。摩滅しきった薄れゆく意識のなかで冬の光の安寧はそのような形でしか取り戻しようも伝えようもなかったのだろう。いまのアメリカにおいて「ロスト・ジェネレーション」を語る唯一の方法だという説得力を感じた。
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2009/2/19

よき羊飼い  映画

あのどうしようもなくくだらんコールドプレイがグラミー3冠の背後で、最強ギタリストが逮捕されたけんちゅうてその作品を出荷停止にする会社がどこにあるんや、作家と作品は別物やんけ、ほなストーンズもビートルズもディランも売るな、あ、それはちがう会社か、今回はFテレビ系列やな、このアホさ加減は……

と、この国「独自」の文化程度の低さを憂う今日、エリック・ロス脚本作『グッド・シェパード』をDVDで。167分かかっても仕方がない。デニーロ監督作ということでなめていたのが間違い。へたすると全篇、シナリオにカット割書いてあったのではないか、というくらい繊細な手捌き。アンジーが愛されない妻ってそんなバカな、というひょっとして空前絶後のミスキャスティングか……でも1stFUCで妊娠、というのはアンジー以外説得力ないかも……を除けば、文句なしの傑作。それも「諜報員」が真に愛せたのは「聾唖者」という差別すれすれの設定があるゆえだろう。ともあれ、まずまちがいなく元総理も総理も財務相も警視庁もマスコミもみんな揃って国民に軽蔑されてしかるべきこの国では決して成立しないだろう、おそるべき(そしてもちろん吐き気のする)CIAの世界を無二の悲惨として描いた映画。映画を目指す者はDVD見ながらシナリオ起こしとかカット表作成とかしてこの手捌きを勉強なさい。文化程度の低い会社ならびに国家に投石する(相当肩強ないと届かへんで。鍛えな)のはそれからでも遅くはない。
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2009/2/17

ちぇっ!まあいいか。  映画

池袋シネマロサで『チェ28歳の革命』を。まだるっこしい映画だ。寄りすぎてすぐにはなにが映っているのかわからないモノクロ画面そのままに。そのくせ日付だの朗読だのがいちいち言い訳のように挿入される(やっぱりこういう方法はもう古い)から、作品がどっちを向いているのか、チェ曰くの「革命に必要な狂気」なのだかそれとも「歴史に忠実な再構築」なのか、どうも判然としないせいでソダーバーグのモチベーションがもうひとつ腑に落ちないのだ。フライシャー版に漂っていた濃厚な死の匂いもここにはない。ベネ・トロは、もうこれはオマー・シャリフ以上にチェに瓜二つで文句はないが、ただし受けの芝居なのであって主役としてはどうなのか。だから途中参加の女子大生がいかにも意味ありげに輝いている。屋上からの狙撃による着弾はいいしバズーカ発射→着弾のキャメラ位置の正しさを喜ぶこともできるし、列車転覆の薄味な描写も気に入った。しかしいざ人間に向かうと途端に甘くなる。フライシャー版にはいきなり密告者を拳銃で処刑する最高の瞬間があったが、ジャングル内での脱走兵処刑シーンのどうにも気弱な描写はまったくいただけなかった。パート2でソダーバーグは革命後粛々と行われる処刑の残虐さを克明に描けるのだろうか。
といった不安を抱きながら、渋谷へ移動。期待の『ベンジャミン・バトン』を見ようとするが満員御礼門前払い。ロサもよく入っていたし、平日はがらがらだが週末ともなればみんな映画見ているのだ。仕方ないので急遽所用を済ませてから痛飲。二件め以降の記憶なし。
でもどこかで失くしたと諦めていたキャップが翌日寝床に忽然と現れ、それはそれで呆れた。
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2009/2/15

Don't trust around 40(笑  日常

メロドラマとして映画にしてもいいくらい悪くない友人出演の芝居を見た後、サム・メンデス『レボリューショナリー・ロード』を見る。なんとも辛気臭い話で辟易。だがレオナルド・ディカプリオをちょっとだけ見直す。これ、フィフティーズの顔をしているが実はトリュフォーだ。だからレオくん、ジャン=ピエールなのだ。エンディングの苦渋の表情(ジャン=ピエールさんはそんな顔しないけど)など、実に。カミさんを撮るという心性(そのせいでケイトは熱演過多につき今回失格)は、本当はジャン=リュックなはずなのだけど。さらに原始的堕胎の出血がCGであるあたりはシャブロルを想起させる。つまり本作の実質は、いつもながらパリ=ヌーヴェルヴァーグへの憧憬を告白する、ないものねだりのアメリカ映画なのだった。アメリカにおいてはトリュフォーあるいはヌーヴェルヴァーグが「ないものねだり」としてつねに浮上し続ける。実は日本映画の現在に足りないのはこのようなトリュフォー的なるものだという気もしないでもない。子供でいいという開き直りではなく、大人になれなさと気づいたら大人にされていた、という人生のダブルバインドの苦渋。荒井晴彦ひとりがそこで苦闘しているのかも。ロバート・マリガン追悼として『アラバマ物語』を想起する向きもないではないのだろうが、それこそ「浅はか」というもの。
無性にワインが呑みたくなって西麻布へ行き、そのまま酔いつぶれ。深夜帰宅すると無性に『メインストリートのならず者』を聴きたくなって、聴く。そういう効果のある映画であったことは認めよう。四十歳以下にはたぶん、理解できないでしょうが。
ただし「時代劇」としては大失敗。レオくんはなぜかいまどきの「時代劇」にひっぱりだこだけど、失敗はレオくんのせいじゃないと思われます。キング・ヴィダー百回見て出直せ、って感じ。てゆうか、もう誰も「時代劇」なんか撮れないんだよ、アメリカでもフランスでも日本でも。そのエチカを扱えっこないんだ。
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2009/2/13

拝啓、イーストウッド先生  映画

昨日、先生の最新作『グラン・トリノ』を拝見いたしました。あと何度、この作品を見直すことになるでしょう。なにしろ相変わらずの先生の御雄姿を拝見できるだけで多忙な俗世から解放され、至福の時を過ごすことができますから。ワンカットで見せるべきシーンはさらりとワンカット、バックショットの構図/逆構図でも丁寧に前進、とあくまで落ち着き払った演出の手捌きに今回もとことん魅了されました。
しかしながら、この作品こそ先生の数ある傑作のなかで最も優れており、かつ最も好きである、と私が告白するまでしばらく……そう、あと三十年ばかりご猶予を下さい。
まだもう少し、私は『許されざる者』の側にいたいのです。
先生が椅子から立ち上がる際の、あの老人特有の手が少し前に出た身体所作、それがつい先日デトロイトによく似た北九州という町にある親の家を訪れたときに見た父(先生と同い齢でございます)の仕種にそっくりで、それから以降、涙が止まらなくなってしまいました。また雨が降るたびにこれも一々、うぅ、と嗚咽してしまうのでした。
こんなことではいけない、しっかりしなくては、と懸命に堪えようとしたのですが無理でした。そんな堪え性のない自分への戒めの念も含めて、私はいましばらくこの偉大なる天使の領域ではなく『許されざる者』の堕天使の領域にとどまりたく思う次第です。
まったく未熟者とは重々承知しておりますが、実際私はまだ先生が『アイガー・サンクション』をお作りになったときの年齢でしかありませんので、どうかそこを情状酌量いただけたらと存じます。
それではまた。
来週末には、未見の前作『チェンジリング』も拝見しますので、そのあと再度お手紙いたします。
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2009/2/12

あえてベスト5  映画

そもそも年間ベスト行事は虫が好かない上に『トロピック・サンダー』を未見のまま公表するのはまことに不本意だが、どこでもこの一本を見つけることができないので、疑問を投げかける意味を含めて紀元節を過ぎたここらで。

1、『ダージリン急行』
2、『ジャン・ブリカールの帰還』
3、『トウキョウソナタ』
4、『メルド』
5、『誰でもかまわない』

順位はきわめて厳密なもの。見つけることのできないこの一本とは、もちろん「1」のことである。近年あれほどスリリングなカツゲキ的運動に身を委ねたことはなかったが、みんなあんまりそんなこと重要じゃなかったのか。それともあのような運動の感受こそが映画を見る根拠なのは俺だけなのか。人物のまったく出てこない「2」が、画面上の存在たちが心から素晴らしい(たとえば「5」のチンピラは昨年見たどんなギャング映画の男どもよりセクシーだった)と思えた「3」以下の作品より上位にあるのもまた(視線の)カツゲキ的運動への固執のためである。本当は「3」にはスコリモフスキが入るはず(いや、もしかすると『トロピック・サンダー』かもしれない)だが、来年以降正式公開時にベストワンに据えるためにあえて除外した。

昨夜は茂木正男を送る会に出席するため、高崎へ。そこで知った今年の高崎映画祭の授賞結果はひどかった。もし茂木さんがあんなこと(どんなことかは発表を見ればわかる)したら私は食ってかかっただろう。それに、洋画ベストセレクションに『ダージリン』が入ってないことにも。
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