2009/8/31

NAGAYAMA-2days  音楽

音楽をやるときはまったくもって天然でしかないな、と思いつつしかし、映画を作るときだって実は同じ精神状態にあることを感じ取ったvacantでの二夜であった。土曜は、「客入れ」「客出し」での二曲、日曜は「客入れ」と間に浅野君の、実に興味深いサンプラー演奏(せっかく超レアなリッケンバッカー持って来たのに弾く機会がなかった。残念!)を挟んで、「客出し」として浅野君をドラムスに迎えてのトリオ。人前での演奏というのは去年だったか、中原とやったのが大学以来で、ウン十年ぶりのことだったけれど、二人ならまだしも今回はさらに増えて三人ともなるとまさに映画撮影中と同じ。気配り、というか相手の出している音の気配を毎秒どう察知し、どこで自分が前に出るといいか、どこで座を明け渡すか、をいちいち発見しながら二十分という時間を乗り切ることがパフォーマンスということになり、それはまさに映画を撮影しているときに対象をみつめている状態となんら変わらない。そうするとやはり映画撮影だって天然なのだなあ、ということに思いは馳せるのだった。
……ま、二十分も続くショットなんて撮ったことないけどさ。
いつかライヴハウスなんかのでっかい音出し放題の状態で、また三人でやってみたい。ちなみに初日の「客入れ」は《トゥモロー・ネヴァー・ノウズ》の、「客出し」は《テルスター》の、そして二日目の「客入れ」は自作《Helpless》と《EUREKA》の、それぞれカヴァーで、最後のトリオセットはまったくの即興(ナガシマ曰く、アシュラテンプルだなと)だった。といっても前の三曲だって多少打合せしたってだけで、ぜんぜん即興だったのだが。
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2009/8/28

2時30分、決断のとき  日常

備忘録的になるが、月曜は神保町で打合せ後、事務所でナルハチ打合せ。何も書けなかった。火曜はナガシマが来て打合せ。で、その日はあまり呑まず、妻と食事した。たぶんそれから十ページくらい書いた。で、水曜なんだが、午後二時三十分に決断してマンゴールドの新作を新宿ピカデリーという昔の松竹まで見に行ったのだが、午後三時五分に到着したのだけど、入れてもらえなかった。開始は午後三時十分のはずだが、完売だと。へえ、ひと入ってるんだ、と驚く。せっかく新宿まで来て何も見ないのもなんなんで、シネマートとかバルト9とかうろつくが見たいものはなにもなく、これは帰って仕事だな、ということで、戻って家で家事を済ませたあと、事務所でやっぱり十ページくらい書いた。深夜にゲラを届けてくれるひとがいて、いろいろ話した。と、その後、ヨシキから強引な招集がかかってG街へ。のちに昌也合流。今日の出来事を話すと、新宿ピカデリーって客一杯じゃなくても何分前かになるとチケット売らない、そういうシステムなんだよ、と諭される。いまどきの映画館のシステムにまるでついていけてない。しかし、そういうシステムで配給会社は訴訟とか起こさないのだろうか。不思議。興行を妨害してるとしか思えないのだが。とにかくもうピカデリーに行くことはないだろう。

そして木曜、気絶しそうな状態でゴゴイチからセルリアンで某社と打合せ。その後、家で飯を食って事務所に戻り、ゲラ直しのあと、だいたい三十ページ書いて九十ページのシナリオ第一稿を上梓。それからゲラを取りに来るひとを待って、夜中にダッシン『男の争い』をDVDで。なかなかの力作。ダッシン演じる金庫破りが殺される舞台装置の物置部屋みたいな場所のセット(アレクサンドル・トローネですから)と、その最初に描写される移動撮影が面白かった。移動していくときの感じは毎回気が利いている。『熱狂はエルパオに達す』のジャン・セルヴェ主演で、もちろん渋いんだけどどっかコントで真面目な芝居(どヘタ)しているときの東野幸治に似ていて、ときどき笑いそうになる。ゴダールの書いたとおり『現金』や『賭博師ボブ』にはさすがに届かないものの、これはこれなりのよさはあった。『ブリンクス』のフリードキンはこれがやりたかったんではないだろうか。
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2009/8/24

シナリオ  労働

一日四十ページ書いた。
個人的には記録かも。でもめまいが酷い。
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2009/8/22

七転八倒  労働

小説中篇(約100枚)1、文庫版直し1、書き下ろし長篇(約300枚)1のゲラチェック、エッセイ(20枚)1、連載長篇(第七回80枚)1の執筆が先ほど終了。
今日くらい休ませてもらっても誰も文句は言わないだろう。
どうせ貧乏なまんまだし。

う、金のためにさっさと本業に戻らねば。。。
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2009/8/16

敗戦記念日  日常

加圧一年目。帰宅後、家事を済ませて床屋でうつらうつら。夜は舞台稽古疲れの溜まった妻に体力をつけるべく、麻布十番で参鶏湯。帰宅後、テレビで『硫黄島からの手紙』、やはりスコップぶん回しで落涙。その後、朝まで資料読み、執筆。

田中真紀子夫妻、民主入り。今後の小沢とのやり取りに注目。『人間魚雷回天』松林宗恵監督がこの日に逝去とは、ちょっと吃驚。

明くる本日、準備作のシノプシスver.2届き、水槽掃除しながら読む。やはり原作の方がよく出来ている。改善の余地、おおいにあり。
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2009/8/15

ポエムですね、メルヘンですね〜(合掌)  追悼

ひたすら無念としか言いようがない山城新伍氏の逝去だが、表題は、私には「笑アップ歌謡大作戦」で連発したこのフレーズの持ついんちきさこそ山城氏の真髄ではなかったか、と思われ、書き付けておきたかった次第。いささかも押しつけがましくないある種の優しさを含んだその唐突な感嘆には、往年の則文師匠作品における詐欺師まがいの男に宿った狂気と紙一重の真剣さの、遠い木霊がある。
一時期本気で中原昌也氏に「山城新伍になってくれ」と口説いたことがあり、というのもあのような得体の知れない微妙な感覚を体現してくれる存在など氏以外に考えつかず、もし実現したらそれほど貴重なことはないと思われたからだが、しかしやはりここで、どうして若い俳優たちのうちに山城を目指す者がいないのか、と苦言を呈することで追悼に代えさせていただきたい。山城はまちがいなく目指されるべき高峰である。たとえば「勝新になる」ことが百パー無理なのと同様に、ほとんど不可能な領域だ。しかし山城というひとつの性格は、高橋貞二や藤村有弘、山茶花究がそうであるように、勝新のいない場所においても必需品である。現在の日本映画、たとえば数時間前にテレビで見た「登場人物の誰も彼もが二枚目」みたいな『容疑者Xの献身』ではその「二枚目」を成立させるために潤沢な予算がふんだんに使われていたが、どんなに下品に金をかけたってあれが「映画」になるためには数多くのものが不足しており、そのひとつが山城新伍的性格だと言わずにはいられない。いわば「金では買えないもの」が「映画」のライフラインであり、山城曰くの「ポエム」や「メルヘン」こそ、その「金では買えないもの」なのだ。

心からのご冥福を祈りたい、というより、できるなら帰ってきてほしい。
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2009/8/13

エスニックが繋ぐ高円寺とヨコハマ  探究

「座・高円寺」という劇場にはじめて足を踏み入れた。ここで「MASARA」というバンドのライヴを撮影するためである。無国籍かつユルユルかつ超絶技巧の「MASARA」は、そのスリルも含めて実に心地よい音を提供してくれる。ただ、このハコはちょいとその音とずれている気もしないではなかった。かれらの音楽はもっとかれらのようにユルユルな場所に相応しいのかもしれない。もっとも、伊東豊雄設計の「座・高円寺」そのものは、昼間からワインをたしなむことのできる非常に文化的なカフェを有する優れたユルユル空間でもあるのだが。高円寺がちょっぴり羨ましくなった。
久しぶりのライヴ撮影は腰に来た。ある限られた持続する時間の緊張は、頭も体もフル回転する。どっと疲れて、撮影・今井と助手・松宮とともに一杯ひっかけて帰ろうとしたのだが、盆にしてどこも満杯。高円寺、おそるべし。結果、ようやく一軒見つけて入ると、主催者・大木雄高氏および「MASARA」メンバー、スタッフがやがて合流。そこで思いがけなく大木氏と平岡正明の死について語る。

ちょうど畏友がそのブログで平岡について書いていたのを興味深く読んでいたが、正直これまで平岡の文章に惹かれたことはあまりなかった。畏友は「国境線上」という言葉で平岡を評していたが、この概念をいまどう捉えたらいいか、正直戸惑う。うちの親と同世代で樺太生れの太田龍や竹中労とともに一時代の言説と行動を担っていたのは間違いないにしても、それより十以上年下の平岡にとって「国境」とは「占領」「基地」との関係において捉えられていたものだろう。つまり「国境上」にありながら視線は常に内に向いていたということか。たとえばジャズを愛することにしても内向きの思考に思われた。平岡は本郷の人で、しかしその「国境」をのちにヨコハマに求めたが、そのヨコハマの大仏次郎の子供たち、矢作俊彦や東郷隆といった平岡に勝るとも劣らない博覧強記の小説家たちが有するヨコハマ性との差異は明確である。かれらはいとも易々と「国境」の内外を行き来した。その段階で、というのはつまり竹中の亡くなった九十年代初頭あたりには、平岡らの役割はとっくに終わっていた感が否めない。もちろん記録としての重要性に異論はないが、たとえばその後の「犯罪」史が刻む内向性は、もはや平岡の言った「革命的」という言葉とはまったく相反するものでしかない。

私にとってヨコハマは「国境」、というよりは「租界」であるがゆえに長年聖域だった。そうしていまもやはり聖域だ。コストコでさえ、その身も蓋もなさに首を傾げないわけにはいかないが、それでも聖域の一部であることはまちがいない。むしろ退廃だとしてもあの身も蓋もなさもまた「租界」ヨコハマの現在なのだろう。
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2009/8/11

変わり映えしない世界で軍国少年は  日常

久しぶりに長嶌に会う。竹下通りを歩いていると、アジアだな、と長嶌。もう少し行くとアフリカになるよ、モロッコだよ、マラケシュだよ、と私。世界じゅう、どこもさして変わりない。どこでなにが売られているかなんて、わかりゃしない。でもそれでいいのだ。マーケットっていうものはそれでこそだ。猥雑さというのはこういうことだ。ふと、与那国島に行ってみたいと思う。
久しぶりにギターを買った。生涯最初のアコースティック・ギター。いわゆるチョイキズで定価の半額だったのだが、鳴りはまったく問題ない。いわゆるコフィンケースに納まったそれを担いで某所へ赴くと、いきなり大ギタリストがいらして、おお、見せろ、と。ぎょいぎょい、と弾いてくれ、うんいいね、しかも軽い! と褒められる。嬉しい。
昼間はメロディ・ガルドーとアラン・トゥーサンの新譜を聴いていた。どちらも素晴らしい。トゥーサンのほうはジョー・ヘンリーという才人がプロデューサーで、そいつのアルバムも聴いた。まあ、なるほどね、という感じだ。ベックとかエリオット・スミスとか才能あるヤツのアルバムはみんなどこか匂いが似ている。ポップのあり方、というか。でもそれは行き着くところ、ジョン・サイモンがオリジンな気がする。そう思ってジョン・サイモンを聴くと圧倒的にジョン・サイモンが、いい。難しい問題だ。

どうやら私は世間で「アニメ嫌い」ということにされているらしい。そんなこと一言も言っていないのに。たんに、自分の作っている映画とアニメとは別物だ、ゆえにアニメは映画ではない、と書いただけだ。だから見る必要を感じないし、見てもいないものを嫌いようもない。悪いけど私は誰より劇場版ルパン三世の第一弾を愛しているつもりだ。それ以降のルパンは『バビロン黄金伝説』以外、許してないけど。あと、ガンダムとかいうもののことは、その周囲に立ちこめる軍国少年的空気が心底嫌いだけど。それにしても、昔からその手の集団ヒステリーってひとの書いたものをまともに理解できなくする、こういう低脳な幼稚さが蔓延して世の中をひどくする、ということを昨夜のNHKの終戦特集でさんざん見た。しかし、ふたたび、それにしても、と繰り返すが、どうして太平洋戦争がらみの資料がここへ来ていろいろ初公開されるのだろう。ここ、というのは自民党の役割が本格的に終焉を迎えたときになって、ということだが。それはそれでいいことだと思うけど、NHKも機を見て敏なり、ということか。芸能界の騒ぎも、北へ行った宰相がお役御免になったことで、これまで冷や飯を食わされ続けた官憲が、待ってました、とばかりに大掃除にかかったようにしか見えない。だからってアホな連中の法律違反が赦されるわけではもちろんない。
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2009/8/8

文壇VSRCサクセション…?  議論

大学時代に読み始めてすぐ、ちょろいがゆえに時間の無駄、と判断し放擲してしまった太宰なんていま腰を据え直して読んでみたらどうか悩んでいると「すばる」の奥泉&いとう漫談が、べつにいんじゃない? と軽く諌めてくれた気になったんで安心して自分に必要な資料を読み漁っていたのだが、ふとまた届いた「文學界」を手にすると磯崎×保坂対談ならびに松本圭二のエッセイに目を通さずにはおられず、ああ同世代のひとらがいるな、と胸を撫で下ろしつつくれぐれも無理をなさらないように、なんてお前に言われたくないと言い返されそうな余計な心配をし、かと思うと今度は「新潮」に安藤礼二の卓抜な論考が載っていて瞠目するのだが、そこでは主として論じるはずの作品を易々と視界の外へ追いやり、かつて行われた折口と中上の切り返しショットがおそるべき記憶力とともに粛々と語られるばかりというその点こそ瞠目の所以であり、さらにはそこで黒幕的に登場する御仁の連載で安藤が論じるはずだったそのタイトルを一切出さずに、その作品自体を袈裟がけにばっさり斬り、さらにはそれを論じる(であろうと思われる)論者に前もって無効を宣言する、という超アクロバティックな超絶技巧を前にして溜息が洩れ、ほとんどのひとがこの号のページ構成の意味を読み解くことはないだろう、とへんに確信したつもりになったのだが、それにしても折も折、病気が治ったのかクスリをやめたのか変えたのか、巻頭のひとの変貌ぶり(読まずに字面だけで言うのもどうかと思うけど)はどうしたことか。

ともあれ今年は象徴的と思えば象徴的だねえ。忌野逝去の年にあれが出るのは。
だって『羊』のラストは《ヒッピー》(76)のパクリだったでしょう?
♪次の駅で、ボクは降りてしまった、三十分、泣いた♪
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2009/8/6

CCAの「庭」  ツアー

わっしょい百万夏まつり、という北九州のまつりを見学し、翌日はそれについての意見交換会、晩は自宅で花火を見て、翌日は市長表敬訪問からCCAを見学して懇親会、そうしてさらにその翌日は清張記念館で九月に行われるイベントの下見、となかなかハードなスケジュールだった。

最も感動的だったのは、八幡CCAの窓から見える庭で、庭といってもかつて小学校だった場所を作り変えて使っているのでこれはグラウンドなのだが、朽ちかけたスタンドと巨大な樹木と雑草と土とが絶妙なバランスで配置され、それはもう自然がつくったインスタレーションみたいに見える。で、なお視線を上げると古びた家屋が丘の上に密集(これがちょっとアンゲロプロスっぽいのだ)していて、さらにその上に皿倉山が聳えている、といったことになっていてちょっと凄い。この、一個の芸術品としての「光景」、どうにかして残すべきである。新しいものをつくるのは簡単で、古いものを残すことは難しい。だが、こういう「光景」の持つ価値を大切にしないと街の文化はどんどん廃れていく。あの「光景」を見るためだけにでも何度でもあそこを訪れてみたい。
近郊の方々、ぜひ一度訪れてみていただきたい。
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