2008/7/24

酒のうまさというものはない。  

先日見た『トム・ダウド』で気になるひとが映っていたので「?」と思い、アレサのCDを数枚取り寄せてみると、やはり。きっとファンの間では常識なのでしょうがはじめて知りました、ボビー・ウーマックが『レディ・ソウル』でギター弾いているのを。楽曲自体がかっこよすぎてただぼんやり聞き流してしまったが。でも全体的には、やっぱ豪快なアトランティックより繊細なハイを選んでしまうなあ、私は。なんかバックの音が平べったく聞えるのだが、それは機材やら卓やらの問題ではないように思われた。

火曜はboidにてVertigoの同人廣瀬純氏の取材を受けた後、目黒に戻って某友人とスタジオでリハーサル。三十分ほどノイズ実験を試み、さらに三十分ほどディスコハコバンみたいなことをして遊ぶ。おもろかった。それはそうと、うちのバンドはいつになったら活動再開できるのだろうか。いろいろあって空中分解のままである。
その後、新宿でいろんなひとと合流して朝まで。
水曜は夕方から某小説家と打合せ@銀座。美味な小料理屋で軽く食ったのち、久しぶりに銀座ってところで呑んだ。助監督時代取材として行って以来ではなかろうか。といって特殊な感慨があるわけでもないが。ただ、昔は意識されなかったことだけど、ホステスさんにクラスが存在することが明瞭すぎるほど感じられた。もちろん客にもクラスがある。それは顔を見ればわかる。私はそんな場所で呑むクラスの人間ではないので正確なことは言えないが、客のクラスとホステスさんのクラスは一致するように思われた。この客のテーブルにはこのホステス。こういう言い方はまたへんな誤解を招きそうだがあえて言えば、われわれのテーブルにいたホステスさんたちはつまるところ「インテリ」要員だという気がした。それがどのクラスとして遇されているかはわからない。ただ、ほかのテーブルにいるひとたちよりずっと清潔に見えたのはたしかだ。普通の意味でのセクシャルな要素を必要としていない客が、ただ会話を楽しむためだけに用意されたクラス。だがそれもまたセクシャルな要素と化すことだってあるにちがいない。みいだしえない場所に価値をみいだすことは人間にはよくあるものだ。
その後、赤坂のちょっとつまめる店に行った。これまた美味だった。
それにしてもうまい酒を呑むことは悪いことではない。この二日間、まるきりべつの意味でうまい酒を呑んだ。量が度を越しているので体には悪いに決まっているが、安かろうが高かろうがうまい酒はうまい酒だ。現在の私はそこにこそ価値をみいだす。酒は貨幣制度を超えている。その意味で、うまい酒を知ることは私にとっては経験値として非常に重要なことなのだった。酒のうまさというものはない。ただうまい酒があるだけだ。

しかしなんのことはない、連日呑みすぎて朝の約束をすっぽかしてしまったのだった。関係者の方々、申し訳ございませんでした。
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