2009/5/15

徹夜明けの前向きな愚痴  労働

なにをしているかわからなくならないように一個一個丁寧にやるのが仕事というもので、わからなくなっても進むということを私はしたくない。かつて「量が質を生む」という言葉ももてはやされたかもしれないが、それは複数の人間が寄り集ってはじめて成立することで、個人経営ではそれは無理かと思われる。これからはせっぱつまることに倒錯した悦びを覚えたりせず、食い扶持に困ることはあっても安売りはしない、を信条として生きたい。世の中のことは気にせず、自分のできることをこつこつやる。
……などと考えていると連載がひとつ終わることになった。二年半くらいやってきたが、そろそろネタ探しも疲れたし、止めどきかと自分でも考えていたので、特に感慨なし。まあこういうことはどこまでいっても所詮向こうの都合を押しつけられるだけなので、やはりこつこつやったほうがすくなくともバカバカしさを感じなくて済む。
それはそうと、どうもここ最近、というのは『チェンジリング』と『グラントリノ』を見た後、という意味だが、映画を見ることへの欲望が失われていくばかりなのがつらい。作るほうの欲望は沸騰するばかりだが、劇場に足が向かない。事務所で仕事終わりに小津のDVD見るだけで満足。
一昨日も最初と最後が一巻ずつ欠けている『母を恋はずや』を久しぶりに見たが、生さぬ仲の兄弟が母親に父親の形見の帽子を被せる、へんにエロティックな場面だけでじゅうぶん満足できた。それにしてもこの頃の映画は、小津にしても誰にしても普通に暴力的だ。軽く小突くとか殴るとかは当たり前にやっている。もうだいぶ前になるが、あなたの映画はどうして暴力的か、とよく訊かれた。小津や溝口を見習いなさい、暴力など描かなくても映画は美しくあればいいんです、と。そのときは笑って無視した。小津にも溝口にも暴力的な箇所はいくらだってありますから、とは返さなかった。それは私の仕事ではなく批評家の仕事だからだが、そういうことをパシッと言ってくれるひとがいま何人いるか。誰も言ってくれなければ野蛮な作り手として、うるせえばか!と逆に暴力に訴える可能性が発生して、怖い。……まあ、自制しますけど。
人前に出るのも怖くなった。他人と酒を呑むのもさらに怖い。いや、もう、こつこつやっていくだけでいいのではないか、私は。

あ、でもオリヴィエ・アサイヤス『クリーン』は、これも久しぶりに見直したけど、DVDだったけど、よかった。理屈抜きに本当にいい映画。『チェンジリング』を頂点として『トウキョウソナタ』や『マーゴット・ウエディング』や『アレクサンドラの旅』なんかも含めて、傷ついてもタフに前を向く女たちの現代映画に先鞭をつけた一本だし。
そういえば、しばしば女性映画という言葉をなんの疑問もなく使うひとがいるけど、あれおかしいよ。男性映画なんて言わないもの。七〇年代くらいまではあったかもしれないけど。男性映画/女性映画なんて死語だと思う。
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