2009/10/9

NINAGAWAに目が眩んで  演劇

NAL8シナリオ第三弾、提出。今度こそ形になってもらいたいもの。

ところで、ここのところNINAGAWAに目が眩んでいる。面白いのかどうか、まだ見極めがつかないのだ、舞台というものが。そんなわけで手当たり次第に注文したDVDで立て続けに見てみることにした。『十二夜』『リチャード三世』『グリークス』、これらはだいたい十数年前の演出だ。あるいは『メディア』、これは五年くらい前だろうか。で、気づいたのだが、私はある種の演技さえあれば途端にスイッチが入るみたいに感動できる仕組みになっている。これらのなかで感動させられたのは『グリークス』のアンドロニケを演じた麻美れいである。とにかくめちゃくちゃいい。完璧な表現力。少なくとも私にとって彼女の芝居と蜷川の魅力は不可分だ。それは『ユートピアの岸へ』第二部のオガリョーフの妻マリアの芝居の素晴らしさへと繋がっている。さらに、これは苦言を呈することにも繋がるが、それ以外の演技には心が動かなかった。どうも雑駁にしか思えないのだ。あ、もちろん平幹二郎は別格だけど。『リチャード三世』でバッキンガム公を演じた瑳川哲郎も。あと、『メディア』の横田栄司はよかった。ということで、十年前から現在もなお継続して組んでいる面々がやはりいい、ということなのだろうか。あと、『グリークス』のコロスの方法は慧眼だと思った。中上健次のコロス解釈にも通じるものがある。

そんななか、長らく中断していた小谷野敦『里見トン伝』ようやく読了。やはり面白かった。映画(小津)のことになるべく口を挟まなかったのが効を奏している。どうやら著者は映画のことはからきしわからないひとのようだから。里見の小説は徐々に講談社文芸文庫などで再認識されてきているようだが、小谷野も書いている全集からさえ洩れた短篇群をぜひ読んでみたい。戦後文学ブームに埋もれた戦前作家の至芸たる仕事は数多くある。里見はその最たる一人だろう。それにしても立原が里見を尊敬していたことは知らずに立原を読んでいたが、たしかになにか通ずるものは感じる。私は先鋭的な現在を書くことにあまり触手が伸びない。それらは本職の作家に任せるとして、私は私の目に映る現在のなかの普遍を探り出してみたいと考えているが、それには里見や谷崎、志賀、そしてもちろん荷風や漱石の方法に繰り返し温ねる必要があると考える。文豪ということではない、ただ独自な仕方で編み出された普遍についての叡智を、かれらの作品からは嗅ぎ取ることができる。

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