2009/10/11

四大悲劇、制覇。  演劇

電話すると言った相手が電話して来ず、一晩待ちぼうけを食わされた。

どうにも落着かないので再び蜷川『マクベス』をDVDで。どうもこの辺りで明らかに演出が変わった、としか思えない。これまで見たDVDのなかでは最高傑作だと思われた。唐沢寿明は映像の仕事より断然よくて、驚いた。当然だが剣戟シーンも非常に巧い。こういうひとを日本映画はそっちの方で使っていないのはひたすらもったいないとしか言えない。また、エンディングの勝村政信の演技、秀逸。マグダフはマクベスを倒したのち、新国王の前にその首を差し出して「国王、万歳」と叫んで倒れる。原作では「スコットランド、万歳」(*訂正。もう一度よく読んだら「スコットランド国王、万歳!」となっていた)となっており、マグダフが倒れるという記述はない。つまりここには冒頭からの音響同様、現代の戦争(太平洋戦争)が重ねられているのであり、悲しきマグダフは勝利者たりえない。そのことはマグダフをこの劇の重要人物にしている。一方で、マクベス夫人の狂気の描写は原作どおり医者と侍女の監視下で演じられるが、これ、この外部の視線なしで演じられた方が面白いのではないか。いや、視線はあるけれど、台詞なし、とか。たとえばヴィデオキャメラで監視していて、顔がスクリーンに映し出されるようなこととかだ。それでマクベス夫人は狂気と他者の監視という二重の拘束を受ける。マクベスが魔女の予言と妻の叱咤という二重の拘束を受けるように。

月曜に加圧ジム通いを再開して、土曜に二度目。
体をガチガチにした後、来年に映画論集を出す算段を立てる打合せ。かつて集めたなかで抜け落ちているものもいくつかあり、それを探し出さなくてはならない。面倒だが、やるしかない。

さらに蜷川『ハムレット』をDVDで。縦糸に赤い横糸を這わせていく場面をはじめとして舞台の組み方が効を奏しているのだが、その多面性も仇となって、DVDだと台詞が満足に拾えていず、いったいどういう録音・ダビングをしたのか、と首を傾げる。しかしDVDのためにあの装置を作っているわけではないので、それはあくまで技術部の問題だ。やはり多面舞台の『グリークス』でもほとんど聞き取れない台詞があった。しかしそれはどうでもいい。市村正親はたぶん喜劇的センスに優れた俳優であり、たとえばオフィーリアの墓穴の場面のような悲劇を演じても胸をかきむしられるようなことはなく、ちょっとした軽妙な芝居の部分の方が印象に残る。ここではだから、むしろ活劇的な場面での活躍を望まれたのかもしれない、という気がする。というくらい、クライマックスのレアティーズとの剣戟場面が秀逸だった。れいによってこちらは戯曲が読めない人間なので今回初めて気づかされたのだが、オフィーリアは父親やクローディアス、ガートルードに説得されてハムレットと面会し、挙句、尼寺へ行けと言われるのか。となると、そのことに先んじて気づくハムレットという描写が強調される必要があるはずだが、DVDでは確認できなかった(この場面の演出じたいは秀逸)。結果、尼寺へ行けと突き放される様を見てもなお、クローディアスのハムレットへの疑念が晴れない、という流れは晦渋に過ぎる。蜷川演出ではハムレットにとってのオフィーリアはそれほど大事ではなく、というかそもそもシェークスピア自身があまり大事にしていないのかもしれない。この劇は仕掛けがあまりに複雑で非常に難しいけれど、ごく通俗的にオフィーリアの犠牲を増幅させれば悲劇性が増すと思うのだがどうか。復讐という大義に赴くだけでは語りきれない気がした。フォーティンブラスのバイクでの登場はさすがにちょっとやりすぎかも。

てなわけで四大悲劇をすべて見たところで、今日からプサン。
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