2010/4/15

仕事中は  日常

こっちの日記がついおろそかになり、つぶやきがメインになってしまうのは宮沢さんの例しかり。映画もまるで見ていず本も読めていないので、書くことがない、というのも実情。

ある場所で、「現実」か「未来」か、いずれにせよそれがヌーヴェルヴァーグの現在における引き受け方、というようなニュアンスで読み取られうる言説を目にしたのだけど、本当にそうか、と思う。どうやら書き手が本気でそう思っていないことがなんとなくわかるんでそれを敷衍して考えてみるのだが、たとえば『アルファヴィル』がいちばんわかりやすい例だろうけど、映画は認識されうる「現実」や想起されうる「未来」との決定的な「ズレ」としてしか提示されえない、ということを最も苛酷に体現したのがヌーヴェルヴァーグだったのではないだろうか?
どんなに声高にこれが「現実」だと主張しようと、どれだけ「未来」への不安で画面を濡らそうと、映画は映画になってくれない。私自身何度も挫折を経験してきたし、先達や後続の失敗も見てきた。映画はあるかないかの「ズレ」に賭けるしかない、とこれまで何度も呟いてきたことを、ただ芸もなく繰り返す。

しかしそろそろ映画館に行って「ズレ」のクレバスに身を投じないと体がふやけてしまいそうだな。
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